2
翌日。
管理課に出勤すると、すでに自席の端に書類が積まれていた。
「あれ……?」
昨日片付けたはずの机だ。
誰かが触った形跡がある。
「おはようございます、ルチア先輩」
背後から声がして振り返ると、セシルがいつもの穏やかな笑顔で立っていた。
「おはよ……この書類、もしかして」
「はい。先輩、今日は午前中が会議で、午後は巡回申請でしたよね。なので、急ぎそうなものだけ先にまとめておきました」
「……え? セシルって天使かなんかなの?」
「ふふ、何言ってるんですか。予定表に書いてありましたから」
「助かるよぉ!…あれ?私セシルに予定表見せたっけ?」
それとも、
誰でも見られる位置においてた?
首をかしげてみれば、セシルの笑みが深くなる。
「……いいえ?以前、話してくれたのを覚えてただけですよ。」
「あー…そうだっけ?」
まぁ、記憶力のいいセシルが言うんだからそうなんだろう…
しばらくして、先輩職員が声をかけてくる。
「セシル、昨日頼んだ件どうなった?」
セシルはそちらに向き直り、表情を変えずに答えた。
「ああ、確認中です。終わり次第共有します」
声は淡々としていて、余計な愛想はない。
「相変わらずそっけないなぁ」
軽口を叩かれても、セシルは肩をすくめるだけだった。
――あれ?
違和感に意識が向いてしまったせいで
うっかり机の上の書類を落としてしまった。
「あっ」
反射的にしゃがむと、同時にセシルの手が伸びてきた。
「大丈夫ですか、先輩。無理しないでください」
声が、柔らかい。
さっきまでとは、明らかに違う。
「ありがとう……」
書類を受け取りながら、胸の奥にさらに違和感が積もる。
そのすぐあと、今度はセシルと同期の職員が声をかけてくる。
「セシル、さっきの処理だけど――」
「後で」
短く言い切ってから、彼は一度こちらを見て、言い直す。
「……少ししたら対応します」
私には、いつものように穏やかに微笑んだ。
ああ、違和感の正体はこれだ…
「セシルは他の人にはよそよそしいね?」
「…人見知りなんです。
…先輩は、安心できるから平気なんですけど…」
そんなことを、ちょっと頬を赤くしていうセシル
え、なにそのかわいい反応。
天使なの?いや、女神だな
さっきまでの違和感なんて、一瞬でどうでもよくなった
そんな反応されたら全肯定したくなるわ
正直、セシルは理想的な後輩だ。
仕事は早いし、気が利く。
私が苦手な事務処理を、嫌な顔ひとつせず手伝ってくれる。
差し出される書類は、いつも整理されていて、迷いがない。
「ありがとう」と言うと、
彼は必ず少しだけ表情を和らげる。
……人見知り、ね。
私だけ特別って言われたみたいでちょっとドキドキする。
それに、
「無理しないでください」
「今日はここまでにしましょう」
「先輩は、十分やってますから」
まるで、私の限界を知っているみたいな言い方も多い
「セシルって、本当気が利くよね」
「そうですか?」
「うん!頼りになる!」
「先輩の事、よく見てるだけですよ」
いつも通りの穏やかな声と笑顔で言うものだから
その言葉の意味を、私は深く考えなかった。
ーーーーー
午後の予定表を確認して、私は小さく息をはいた
急遽、外部との打ち合わせが入ったのだ。
外に出れるのはうれしいけど。打ち合わせだもんな
まあ、仕方ないか。
「セシル、私ちょっと出てくるね」
声をかけると、彼は書類から顔を上げた。
「……外出、ですか?」
「うん。急に入っちゃって」
そう言うと、セシルは一瞬だけ黙った。
ほんの一拍。気にするほどでもない、はずの間。
「どちらへ?」
「魔術憲兵課との打ち合わせ」
「なぜ先輩が?」
「いや、前回も行ったし。担当だからね。
なぁに?なんか尋問されてるみたい」
「…いや、憲兵課の人たちって乱暴な感じがしちゃって怖くて…少し心配になっただけです。」
「ふふ、ありがとう。でも大丈夫よ?何度も顔合わせたことあるし」
「へぇ…何度も…」
セシルからこぼれるみたいに落ちた声が
いつもより低くくて、少しだけ首をかしげる。
けれど次の瞬間には
「気を付けてくださいね。行ってらっしゃい」
と、微笑まれた。
「……うん、行ってきます」
笑って返したけど、
胸の奥に、さっきと同じざわつきが残った。
管理課のドアを開けて出る瞬間、
背中に、視線が残っている気がして
ちらっと見た先には、真顔でこちらを見るセシルがいたような気がした
一瞬だし、見間違いだとは思うけど。
ーーーーー
憲兵課との打ち合わせを終えて管理課に戻ると、まだセシルがいた。
「ただいまー。あれ?セシル、就業時間すぎてるよ?」
「おかえりなさい先輩。ちょっと、今日中に終わらせたい書類があって」
「手伝おうか?」
「いえ、ちょうど終わったので大丈夫ですよ。」
そう言って微笑むセシルは、いつも通り穏やかだ。
「じゃあ、一緒に帰ろっか」
何気なく言うと
「はい!」
と本当に嬉しそうにほほ笑むもんだから、
私まで自然と笑顔になる。
管理課を出て、並んで廊下を歩くと
静かな時間帯のせいで、
ピッタリ歩調のあった足音が、少し不気味に響く。
私は小さく伸びをした。
「はー……今日はさすがに疲れたなぁ」
「急な予定変更でしたもんね。僕も驚きました。」
即座に返ってきた声に、思わず笑ってしまう。
「まぁ憲兵課は常に外任務だから、
こっちが予定合わせるしかないからね。しかたない」
「打ち合わせどうでした?」
「いつも通り、滞りなく。
でも、最近外で見かけないなって言われたよ。
事務作業が大変なんだって答えたら、変な顔してたな…」
「……へぇ。
……ね、先輩。今度僕も打ち合わせ連れて行ってもらえませんか?」
首をかしげて覗き込むように見てくるセシルにくらりとした。
う…無駄にかわいさ振りまくのやめてほしいな…
「いいけど、憲兵課の人たち苦手なんじゃないの?」
「え?僕がですか?なんで?」
「私が出る前、怖そうな人たちって言ってたから…」
ああ…と、思い出すように視線をそらしたセシルは、
すぐにふっと恥ずかしそうに視線を落とすと
「先輩が一緒なら…大丈夫です。」
だから!無駄にかわいさを振りまくな!
と声を大にして叫びたい!
管理課の出口に着くと、外はすっかり日が落ちて。
空気が一気に冷えていた。
「わ、もうこんな寒いんだね…」
「先輩、上着」
「え?」
気づけば、セシルが自分の上着を差し出していた。
「今日は風、冷たいので」
「で、でもセシルは?」
「僕は平気です」
一瞬迷って、受け取る。
「……じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
羽織った瞬間、ほんのり残る体温と、知らない匂い。
胸が、また少し跳ねた。
「似合ってます」
何でもない一言なのに、
なぜかそれだけで、頬が熱くなる。
「だいぶ遅くなりましたし。送っていきますね」
「…うん。ありがと…」
…優しい後輩。
…気が利く後輩。
そして、かわいい後輩
送ってもらうなんて初めてだな。
そんな浮かれた気持ちのせいで、
何の迷いもなく私の家までの道を進んでいくセシルに
少しの疑問も抱かなかった。




