魔法食堂のおうちカレー・2
権力者といっても、これはやはり魔術師に多い傾向なのだが、社会的な地位や実力が人格の取っ付きにくさとは比例しない人間は多い。本の魔女とその司書は完全にこのタイプだった。
それを察したカミラは既に悠々と背もたれに体重を預けて、まったりした顔でミルクティーを味わっている。バルトも給仕を終えて椅子に座り、ジョットは勝手知ったるキッチンの収納から食べる許可を取得済みのクッキーを取り出して皿へ盛った。。
「はい、クッキーッスよお。バルトさんの焼くミルククッキーは美味しいッス!」
「あ、ありがとう。うむ、ひとついただこうか……」
「まあ素敵、ミルクティーとも合いますね」
ポリポリとクッキーを食べるうちにやや調子が戻ったのか、セラは片手をクラリサに差し出した。なんの指示もなかったが心得たもので、片手の上にぽんと一冊の本が渡される。
見た目こそバルトが先日クラリサから渡されたものに酷似していたが、なんの訳も付けられていないそれは、魔女が召喚した原本なのだろうと見て取れた。
セラはその本をパラパラとめくりながら、キッチンの中の三人へ視線を向ける。
「つまらない話になるが、まあ聞いてくれ。私の祖母は魂のルーツを異世界の日本という国に持つ女性だったらしい。いわゆる転生というものだね。この現象自体は珍しいものではないが、前世の記憶が残っている例は稀だ。
わたしは彼女に直接の面識はないが、血縁を通してか細いながらもそのルーツを継いでいる。だから私が異世界から召喚する本は日本のものが多いのだ。
正直言ってわたしは技術書より小説が好きでね。日本の小説の特徴のひとつとして、食べ物の描写がとても多いのだ。だから、わかるだろう? ずっと読んでいるとどんな食べ物か気になってくるしお腹も減る。
カレーというのは日本においてかなりなじみ深い料理のようでね。家ごとに特色があるし、軍隊では一週間に一度必ずこの料理が出る部隊もあるそうだ。専門店も多く、当然専門書も多い。国民食というやつだね。
だから作品内に出る回数も、それなりに多い。わたしはそれを読むたび、この料理が食べてみたかったのだ」
セラの話す内容は、バルトにも理解できるものだった。それほど頻繁ではないが、バルトも本を読むことはある。大抵は技術書やレシピだが、食事描写の秀逸な小説や随筆なども読んで楽しいと思っているし、そこに出てくる料理が気になって実際に作ってみることもある。
ちらりと横を見てみれば、カミラとジョットもうんうんと頷いていた。やはり食い意地がはっている二人も共感できる内容だったのだろう。
「なるほどなあ。日本語圏の本が充実してるのも、そういう理由だったんだあ。でも本の魔女様なら、料理を作ってくれる人は学園内にもいっぱいいるんじゃない? バルトに頼まなくても」
あまりにもフランクな言いようではあったが、こちらもバルトには共感できる話だ。なにも自分じゃなくてもいい。バルトは本の魔女の依頼を聞いてから、いや、そもそもクラリサに依頼をされたときからずっとそう思っている。
セラは楽にしてくれという言葉に嘘はないようで、カミラのやたら親しげな態度をまったく気にせず、腕を組んで大きく頷いた。
「まったくもっともな質問だ。
まず前提として、私は異世界技術の研究を誰かに依頼する場合、基本的に応用のしやすいものを選んでいる。食品関係でいえば、保存技術や栽培のしやすい作物の発見、品種改良などだね。個別に料理の作成自体を研究機関に依頼するのは遠慮しているんだ」
そう言われ、カミラがますます不思議そうな視線を向けた。それを受けてセラが少々気まずそうな顔をする。
「スポンジケーキと生クリームとイチゴを使ったショートケーキを依頼したことがあるのだがね、随分大事になったよ。結果的に名物になったから良かったものの、自分の食欲のためだけに大人数と資金と時間を投入されるのは、わたしとて気が引けるのさ」
言われてみれば、本の魔女様から直接の依頼となれば、とんでもない張り切り方をする人間もいるだろう。バルト達は自分がそうでないからと想像していなかったが、人によっては一世一代の大仕事、というくらいに奮起してもおかしくはない。
学園や研究者といういかにも本の魔女を崇拝していそうな人材を避けて、あくまで個人的なお願いとして、組織ではなく一料理人に依頼することにした。という話のようだとは納得したが、では何故自分に白羽の矢が立ったのか、という部分はやはりわからない。
「この店に依頼することにした理由は簡単だ。味が好みだし、性格的にあまり深刻に受け止めず、かつ守秘義務くらいは守ってくれそうな雰囲気だったからだね。
そう、実はわたしはこの店の料理を食べたことがある。最初は年末だったかな。あのとき食べた異世界料理は、肉じゃがとタルトタタンだ。
それからすき焼きも食べたことがある。テイクアウトしたいと頼んだ客がいただろう? あれは私の側近の一人なのだ」
言われてバルトは思い出した。冬至にやる持ち帰りOKのビュッフェ形式は、余りの忙しさのせいで記憶がやや飛んでいるが、すき焼きを持ち帰りにした客については覚えがあった。提供をフライパンからダッチポットに変えたあとのことだ。熱々のダッチポットは蓋もできるし、魔術師なら手で直接持たずとも運べる。元々特別メニューのようなものだし、せっかくだからと許可したのだ。二時間ほどで戻ってきてすぐに容器も返してくれたし、手間をかけさせたからとチップもくれたので、良い客だった。
「それにクラリサの依頼にも、誠実に対応してくれただろう? わたしもあとでおでんを食べさせてもらったが、とても美味しかったよ。
あのとききみが胃痛や食欲不振や不眠などを起こしていたら今回の依頼は見送ったが、元気そうだったのも決め手の一つだね」
果たして喜んでいいのか悪いのか微妙な心地になりながらも、バルトは彼女の人物評価の正しさについては認めざるを得なかった。それなりに真面目に料理に取り組み、しかし魔女の依頼に舞い上がって言いふらしたりするような軽薄さはあまりなく、しかも必死になりすぎない人材。たしかに自分はそれに当てはまるだろう。まあ他にも当てはまる人間はいるだろうが、町中の料理人を調査するよりは、丁度良く見つかった相手に頼むのは自然なことだ。
「理由はわかった。ただ……、ちょっと意外だな。本の魔女様はてっきり市井の料理なんて食べられないのかと思ってたぜ。毒味なんかはしなくていいのかい」
バルトは思い切って、思っていたことを素直に口にしてみた。そうしても問題ないと判断したのは、カミラが横でとろんとリラックスしきった表情でミルクティーを飲んでいたからだ。ほほんと平和で暢気で食べるのが大好きな彼女だが、これで案外人を見る目は良いし鋭いところがある。
以前彼女が店で食事をしていたとき、食い逃げ犯を瞬く間に捕まえてくれたことがある。犯人は席を立ったあと、出入り口の扉に手をかけることすらできないうちに、カミラの魔法で拘束された。
またあるとき偶然町中で会ったカミラと市を歩いていたときのこと。初めて会う行商人からバルトが乾燥ハーブを買おうとしたところ、品質の悪いものとすり替えて渡されかけたことに、その場で気付いて指摘してくれた。
こうした出来事についてバルトが尋ねると、カミラはなんでもないことのように、だっていかにも怪しくて悪そうだったから、と言ったのだった。幼少期から大勢の人間に会う機会の多かったバルトですら、たちの悪い人間を完全に見分けることなどできないのに、どうやら彼女は本能的になのかなんなのか、そういったことが得意であるらしい。
だからバルトはカミラがのんびり日向ぼっこでもしているようなときは、周囲に危険が無いのだと安心できるのだ。
バルトの質問にセラは軽く顔を逸らして笑い、自らの宝石の角を指先で軽く叩いた。
「それは大丈夫だ。龍人に効く毒など混ぜては、料理と器のほうが無事では済まないよ」
からからと笑うセラに、バルトは彼女の姿を見たときと同じように、ちょっと面食らっってしまった。
龍人というのは、人間に変化できる龍のことだ。獣人というよりはもう妖精に近い。膨大な魔力と長い寿命と美しい姿を持つ、ときには崇められることもある希少な種族なのだ。
千年とも言われる寿命の中で練り上げられた魔術は天候すら操り、そこらの人間は束になっても太刀打ちできない。
そんな存在が、この魔術だけしか生涯使わない、と誓約を課しているからこそ、異世界の本を大量に召喚するなどという、他では聞いたこともないような魔術を編み出すことができたのだろう。
その覚悟に少々圧倒されるような気持ちになったが、ありきたりな賞賛なんて本の魔女はとっくに聞き飽きていそうだ。そう思ったバルトは指先で頬を掻き、苦笑を浮かべて彼女の美しい角を見た。
「それじゃあ俺が再現料理に失敗して、とても食えたものじゃないモンを作っても、少なくとも体に問題はないわけだ」
「もちろん。胃腸の頑健さについては自信がある」
心に湧いた尊敬を軽口で濁したバルトに、セラは澄ました笑顔で合わせてやった。バルトの想定通り、こういった反応はセラからするとままあることだ。ただし歯の浮くような文言で褒めそやされるよりは、ずっと好印象である。
「ま、そういうわけでわたしは異世界料理に、しかも肩肘張らない家庭料理に特に飢えているのだ。カレーは非常に種類が多く工夫のしどころも膨大にあるが、今回はいわゆるおうちカレー、というものを所望したい」
「おうちカレー?」
オウム返しに尋ねるバルトに、セラは神妙な顔で深々と頷いた
「そう、おうちカレーだ。先程日本におけるカレーは国民食であり、各家庭ごとに様々な特色があるという話をしたね? そういった、一般家庭における生活に即した簡略化や好みの反映されたカレー、それがおうちカレーというわけだ。これもきみに依頼をした理由の一つだね。
わたしの普段の食事の面倒を見てくれる側近、個人情報保護の観点からここでは料理長としておこうか。料理長の料理は勿論十分すぎるほど美味しい。彼の家は先代も先々代も宮廷料理人を務めている家系でね。技術も素晴らしいものだ。素晴らしいのだが、いささかそれが過ぎるというか……」
「ああ……」
バルトはなんとなくのところを理解した。
つまり料理が完璧すぎるのだ。しかしセラいま求めている味というのは、完璧である必要はないのだろう
もちろんプロの料理も家庭料理も、どちらも愛情と技術を込めて作られたそれぞれ素晴らしいものだ。ただ種類というか方向性が若干違うだけで。
「なんとなくだが、言いたいことはわかった。専門書を渡したのはこの中のどれかを作ってほしいからじゃなくて、バリエーションを理解して自分なりに工夫してほしいってことだな」
「そのとおり!」
満足げに頷くセラを視界の隅で眺めつつ、バルトは顎に人差し指をかけて少し悩んだ。
食べたことのない味を完全に再現することはできない。なぜなら正解がわからないのだから。
そして、正解のわからない想像上の味を完全に再現することも、もちろんできない。この依頼はそれを分かった上で、あえてされている。
ならばどうやって相手の想像する味に近づけるのか? それこそが問題だ。
バルトは手を下ろし、セラを真っ直ぐ見た。
「一つ頼みがあるんだが、いいか?」
「なんなりと言ってくれ。わたしにできる範囲のことであれば叶えよう」
その範囲というのは相当に広そうだな、と思いつつ、バルトは軽く頷く。
「本を貸してくれないか。あんたが読んで美味そうだと思ったカレーの話を、俺も読みたい」
要求が予想外だったのか、セラはきょとんと目を丸くした。それから、嬉しそうにきゅうっと口角を上げて明るく笑う。
「もちろん良いとも! たっぷりあるが、厳選したものを後日届けよう。わたしがてずから訳してもいい!」
「それはなんか気が重いから、良い感じに手分けしてくれ」
国で一番重要な仕事に就いている魔女の労働力を思う存分注ぎ込まれそうになったバルトは、即座に首をふるふると横に振って断った。彼は見てはいないが、後ろで犬猫コンビもぷるぷると首を振っている。
こうして異世界料理再現同好会発足後最大の大仕事は、ちょっとしまらないまま始まったのだった。




