魔法食堂のおうちカレー・1
クラリサが去っていったあと、魔法食堂マリエットの店内では、バルトとカミラとジョットが膝をつき合わせて深刻な顔をしていた。
傍らでは、失敗したときのリカバリーのためにと多めに作っておいたおでんの具たちが、鍋の中で煮えている。ちなみにクラリサはおでんを大鍋ごとそっくり持ち帰った。あとで司書仲間達および魔女様と食べるのだという。
バルトはとりあえず大根とちくわを取った。犬猫コンビも思い思いに好きな具を皿に盛り、全員が大真面目な顔でもちもちしゃくしゃくとおでんを食べている。どんなときでもなんだかちょっと気の抜けた集団であった。とはいえ、いつまでもおでん休憩を挟んで問題を先送りにするわけにもいかない。
「……仕方ねえ、話し合うか」
あからさまな渋々感を一切隠さず、バルトはクラリサが置いていった一冊の料理本を手に取った。
ところで、本の魔女様はどれくらい偉い? と尋ねたとき、この国の人間はどう答えるのか。それは老若男女揃ってこうだ。
「王様よりも偉い」
本の魔女はここ六十年ほどの間、中央魔術学園の図書館に繋がった塔に籠もっては、ただひたすらに異世界の本を召喚し続けている。
本人はもっぱら読書に耽っており、研究といえば主に文字の解読が専門なのだが、喚び出された本がこの国にもたらした技術発展は数限りない。
食料生産率の向上、食料の保存技術の向上、公衆衛生という概念の普及、医療技術の発達、教育に美容に娯楽にインフラにと貢献した分野も多岐にわたる。おかげでこの国は周囲の国が羨むほどに、……というかむしろ唖然とするほど豊かになった。きっとあと二百年は戦争なんて吹っ掛けられやしないだろう。
本の魔女がその名声を轟かせ始めた当時、王族と貴族達はそれなりに賢明な判断をした。どう考えても他国に流出させたくないこの人材を、それはそれは丁重に遇し敬い崇めることにしたのだ。
どのような褒美でも好きなだけ取らせるという国からの申し出に、魔女は一つだけ、これからも自分がこの塔で読書に専念できるよう計らってくれ、と願った。その約束は今日も変わることなく、この国の最優先事項として守られている。
そしてその国の要ともいうべき魔女様が、たかがいち同好会にわざわざご丁寧に身分の証をたててまで、一皿の料理をご所望なさっている。
どう考えても他にふさわしい人材がいくらでも居るだろう、というのがバルトの正直な感想だ。
「学園の研究室だの部活だのに魔女様がちょいと関わってくることってのは、他にもあるのか?」
「一応、青天の霹靂ってわけじゃあない程度には他にもあるよお。魔術モーター研究だと扇風機っていうやつを既に魔女様が購入予約してるらしいし。あとクリームとかケーキの研究に協力してたはず」
「異世界言語の翻訳をやってる研究所にはそこそこ頻繁に出入りされてるッスね。他に食品系では、冷凍食品の普及なんかも魔女様が関わってたはずッス」
「まあまあ食にご興味のある方ってことか。安心したような余計気が重いような、微妙なとこだな……」
弱小同好会三名にとってはたいへんなご依頼だ。名誉ある、なんて意味ではなく、本当に大変、としか思っていないあたりにこの三人の性格が出ているのだが。
クラリサが告げたことは概ね三つ。
本の魔女がカレーという料理の再現を所望していること。
詳細についてはこの店に訪れて同好会と話し合いたいと希望していること。
日取りさえ決めてくれれば手はずは整えるため、同好会側では何も準備はいらないということ。
重ねて言うが本の魔女とは国王をもしのぐ権力の持ち主である。その第一の側近という身分であることを考えれば、腰が低すぎほどにクラリサは謙虚で常識的だった。
カミラもジョットも学園内で数年過ごしている身であるから、本の魔女の噂はそれなりに耳にしている。誰もが悪く言えないような立場であることを抜きにしても、彼女について黒い噂というものはびっくりするほどに少ない。
そもそも魔女は塔から下りることがあまりないのだ。下りてきたときも、理由は研究が主なもので、口を挟むにしてもごくごく常識的な物言いをする。権力を笠に着て横暴を働いた、なんて話はよほど魔女と政治的あるいは思想的に対立するような人間くらいしかしていない。つまり悪い噂の信頼度は著しく低いものばかりだ。
だから緊張しなくても良いと言えば良いのだけれど、そう簡単に切り替わらないのが人の心というものだ。
先にカレーとはどのようなものかを料理本から学び、荷が重そうなら断ってもいい、と言われてはいるものの、断る場合の気の重さだって相当なものになるだろう。
そんなわけで、話を受けること自体は既に決定している。何を話し合うのかと言えば魔女様とご面会する日時をどこにするか、ということくらいなのだが、三人は性懲りもなくおでんをちびちび食べていた。話が大きすぎて現実味がないというのも、このぐだぐだぶりの一因ではあった。
二個目の大根を食べ終えたあたりで、バルトはようやくまた喋るために口を開く。
「あー、……俺は定休日ずらしても良いけど、お前らはどうする? なんか色々忙しいだろ」
「いや、魔女様から依頼があったって伝えたら、どの教授も私のこと研究室から閉め出して、さっさとそっち行けって言うからね」
「オレも同じくッスねー。バルトさんの定休日に合わせるんで良いと思うッス」
「俺だって自分の休みに合わせて魔女様呼ぶのが申し訳ねえなと思う心くらいあるんだが……」
「頑張って! 勇気出して! 私も出すし!」
「オレらも死ぬときは一緒ッスよ!」
「料理作るだけで死んでたまるかよ……」
雑な励まし合いを経て解散した一同は、話し合ったとおり、マリエットの定休日に再び集まった。ちなみに打ち上げのすき焼きはさすがに後日に変更された。
店の中はいつも以上に執拗に掃除され、三人とも普段と比べて上等な服を着て、既に死んだような目でキッチンに立っている。クラリサ経由で届いた連絡では、何の歓迎もいらないので楽にしてほしい、とのことだったが、さすがに図太い三人とて本日は胃が縮むような心地だ。
時間ぴったりにマリエットへやってきた客人は、クラリサ一人だった。
花のかんばせをにっこりと綻ばせ、クラリサは本日も優雅にすらりと一礼をする。
「本日は良いお日柄ですね。皆様ご健勝のようでなによりでございます」
一介の食堂店主および若輩者の研究者へ向けるには丁重すぎるような挨拶に、三人はぎくしゃくとお辞儀をした。
「あー、そちらもお変わりないようでなにより……」
「です……」
「ッス……」
三人並んで借りてきた猫のように小さくなっている様子に、クラリサはやはり変わらずにっこりと笑い、一枚の紙を取り出した。
「この紙には転移の魔術が記されています。この場をお借りいたしますね」
「どうぞ……」
そう言うより他にやりようのないバルトへ丁寧に一礼し、クラリサは床の上に紙を広げる。三十センチ四方ほどのそれの中央に触れ、唇だけをほんの小さく動かすようにして発動の呪文を唱えた。
途端、紙に描かれた魔方陣をなぞるように、くるりと金色の光が走る。瞬く間に円柱状になった光が収まると、紙と場所を交換したように、その場に一人の女性が立っていた。
細身で長身の姿の中で、なんといっても一番目立っているのは、頭に生えた二本の角だろう。樹木や鹿の角のように枝分かれしたそれは艶のある黒色で、その所々から滴のような形をした、深い青色の宝石がが木の実のように垂れ下がってる。
膝まで届くほどに長く艶やかな黒髪を伸ばし、首から足下までを真っ黒で光沢のある生地の、細身のドレスで覆っていた。靴も手袋も真っ黒だから、上品な美貌のかんばせだけが白く輝くようだ。ここにつばの広いとんがり帽子でも被ったなら、それこそ絵に描いたような魔女だろう。
頬に影を落とす黒い睫をぱちりと揺らして瞬きし、本の魔女はバルト達へと視線を向けた。
「やあ、こんな大仰な方法で入店して申し訳ないね。わたしはセラ・セト。本の魔女という通り名の、一介の魔術師だ。どうぞよろしく頼む」
女性としては低い声は落ち着き払っていて、同時にどこか悪戯っぽい。真っ先に我に返ったのはカミラで、小さい体をしゃきんと伸ばしてはいるが、耳はぺたんと伏せられている。
「カ、カミラ・カレリンです!」
ピンと店内に響く声に、ジョットもしゃきりと背筋を伸ばした。ちなみに尻尾はしゅんと垂れて足にくっついており、カミラ同様空元気なのが見て取れる。
「ジョット・アルバーニッス!」
若者達の緊張しつつも元気いっぱいな挨拶を横目に、バルトはいつもの仏頂面のまま、ひとまず丁寧に頭を下げた。
「……バルト・クローチェと申します。本日はこのような場所へご足労頂き、ありがとうございます」
三者三様にどうにか挨拶を済ませた三人へ、セラは鷹揚に片手を振った。
「ああ、いい、いい、大丈夫だ。全員もっと楽にしてくれ。これは形式上のものではなく、本当に楽にして良いという意味だ。殴りかかったり他国へ拉致しようとさえしなければ、わたしへのあらゆる不敬は許されている。これはクラリサへの態度も同様だ」
セラの物言いはさばさばとしていて、この文言が言い慣れた言葉なのだとバルト達も理解した。そしてこういうときの常として、一番順応性の高いカミラがほうっと安堵のため息をついて胸をなで下ろす。
「うわあ、良かったあ~。じゃあお茶出すねえ。コップは何がいいかなあ」
「バルトさん、オレはクリーム乗ってるミルクティーが良いッス!」
「客より率先して注文を入れるな」
あっさりと普段通りになった犬猫コンビにつられて、バルトもついツッコミを入れてしまう。セラとクラリサは楽しそうに笑い、カウンター席へ着いた。
「わたしもそれを頼もうかな」
「では、わたくしもお願いいたします」
「ああ、クラリサはたいていの場合このクソ丁寧な話し方だが、相手がタメ口だろうが敬語だろうが気にはしていないから大丈夫だよ」
「左様でございます。ちなみにセラ様は本日自室で本に埋もれたままご就寝なさったため腰と腕を痛め、着替え中に盛大にご転倒あそばされて顎を強打し、ついでに服が裏表逆でございました。わたくしが直しましたが」
「それは……、そういうのはいいだろ……。言わなくていいやつだろう……!」
初対面の人間の前で上下関係をたたき込まれている国随一の権力者に、同好会三人は会ってそうそう礼儀正しく曖昧な笑顔を浮かべることになった。ある意味第一印象は上々と言えるだろう。




