珍しい客とおでん風煮込み・1
その日魔術都市トルト・マーニには、珍しく雪が降った。それもちらちらと降る細雪ではなく、しっかり積もるほどの雪だ。
こんな天気の日には商売あがったりになりそうなものだが、この町ではそんなこともない。魔術師というのは便利なもので、ちょっとした雨風は魔術でしのいでしまうから、雪だって同じ事なのだ。凍った道とてものともしない。
そんなわけで魔法食堂マリエットも、他の店と同じく今日だってやっている。もっとも、そうは言っても昼の混雑時を超えてしまえば客はどんどんまばらになり、いつもより早くがらんと空いてしまった。もちろんそんなことだろうとは承知の上なので、本日の仕入れも仕込みも普段よりは少なくしていて、経営にはさほどの影響はない。
マリエットは開店時間と閉店時間はまあまあいつでも同じようにしているが、その少し前やら少し後、あるいは昼と夜の営業時間の間にひょいと常連がやってきては、メニューにないありあわせでも構わず食べていくようなのんびりした店だ。
店主のほうは客に輪をかけてのんびりしているところがあるので、今日も早めにクローズの札をかけて、ゆっくり夜用の仕込みでも始めようかと、定位置であるキッチン内の席を立った。
分厚い木の扉を店の内側へ開けた瞬間、バルトは一瞬ぎょっとして固まる。ちょうど扉を開けようとしたのだろう客が目の前に居たからだ。
「ああ、すみませんね」
「いえ、こちらこそ。もう閉まるところでしたか?」
「いや、まだやってますよ。どうぞ」
そう言って店の中へと通した客は、ぎょっとするほどの美人だった。
まず背が高い。バルトと同じくらいはあるだろう。切れ長の翡翠のような瞳が収まった顔は卵のようにするりと滑らかで、真っ直ぐな金髪が腰まで届いている。白く光沢のあるぶ厚い生地でできたコートが首元からふくらはぎまでを覆い、足元は華奢なかかとの白いブーツだった。その全てに雪片ひとつ付いていないのだから、この客も魔術師なのだろう。
顔は絶世の美女のようで、しかし体つきは非常に細身の男に見える。声もどちらとも取れるアルトの美声だ。
その頭に、髪に紛れるようにするりと伸びた緑の茎を見て、バルトは納得した。この客やどうやら花人であるらしい。
獣人や魚人はそう珍しくもないが、花人というのはなかなかに珍しい種族だ。なにせ彼ら彼女らは例外なく大層美しいので、悲しいことだが人攫いに遭いやすい。そのうえ数も多くはない。
だから大抵は権力者や大金持ちを頼って保護されるか、同族で集まりコミュニティを作る。こういった多種族が入り交じって暮らす町で、しかもこんな視界の悪い日に昼日中とはいえ供もなく一人で外をうろつけるというのは、つまりこの人物がかなりの腕前の魔術師だということを示していた。
とはいえ、いち食堂の店主であるバルトとしては、そんな変わった客が来たところでやることは変わらない。今日のメニューを見せてやり、注文を受け、うまいメシを出すだけだ。
客はほっそりした見た目に似合わず、ほろほろの牛すね肉と干しキノコの煮込みと、ほうれん草とハムのオムライス、デザートにイチゴとラズベリーゼリーとビスケットのトライフルまで頼んだ。
よく食べる客はバルトにとって良い客だ。売り上げが良いことももちろんあるが、自分が美味いと思って作ったものをたくさん食べてもらえるのはなんとも嬉しい。
美麗な見た目通り品の良い食べ方で、しかしたっぷりもりもり食べるこの客は、だから既にバルトにとって良い客である。
「たいへん素晴らしい味でした」
なんて一言を添えて料金を置くのだからなおよろしい。しかしその後、謎めいた美人はカウンターの上に変わったカードを置いた。
金属のような光沢のある、しかし紙らしい質感も持った不思議な白いカードは、金のインクで流麗な文字が認められ、真ん中に楕円の薄い石が嵌められている。真っ黒で、しかし角度によって紫や青の光を反射するそれは、どうやら薄くカットされた黒曜石らしかった。
やたらと値のはりそうなカードにきょとんと目を丸くするバルトへ、客はにこりと微笑みかけた。
「申し遅れました。わたくし、魔女の司書を務めます、クラリサ・シトロンと申します」
「はあ、どうも」
そう名乗られても、やはりバルトはきょとんとするしかない。魔女の司書。魔女の司書?
この町には魔術学園がいくつかある。だから魔術都市などと呼ばれているわけだが、つまり学び舎があるだけ本があり、図書館や図書室が存在している。当然司書を務める人間もそれなりの数が居るわけだが、その中で「魔女の」などと冠する司書はそうそういない。
世界に名高い魔術都市において、更に高らかにその名の轟く魔女といえば、本の魔女様を置いて他には居ない。
まさか、とバルトの頭に、その国王より偉いと有名な魔女様のことが過った。
ばきりと固まったような店主を前に、美貌の客人は気安い様子ではらりと手を振る。
「ああ、これはわたくしが怪しい者ではないという証明でございまして、それ以上でもそれ以下でもございません。本日は私用にて参りましたゆえ」
たおやかで穏やかな声でそう言われ、固まっていたバルトは石くらいから木くらいまでには柔らかくなった。
そんな様子を気にかけているのか居ないのか、クラリサはいつのまにか手にしていた一枚の紙を、バルトへ渡す。反射的にそれを受け取り、バルトは紙面へ視線を落とした。
書かれていたのは、最近見慣れてきた気がする日本語と、それを訳した文章。たくさんの写真と丁寧な説明文。本の魔女様が異世界から召喚した本の一ページに違いない、異世界料理のレシピだった。
顔を上げたバルトに、クラリサは再びにっこりと微笑みかける。
「店主殿、どうかこの料理を作ってはいただけないでしょうか。もちろん依頼料は弾ませていただきます」
その言葉にバルトが頷いたのは、金に釣られたからばかりではない。なんだかよくわからない客人の迫力に、ついつい長いものに巻かれてしまったのである。
なんてことがあったほんの一時間後、マリエットの扉はクローズの札も気にせずどかんと景気よく空けられた。
「バルトーッ! 魔女の司書さん来てない!?」
「異世界料理頼まれたんスけどーッ!」
「二分の一までで良いから声量を落とせ」
二人揃って同時にわあわあ声を上げる犬猫コンビに、バルトは毎度のことながら渋面を浮かべた。一人でも声がでかいのだから、二人揃うともはや明確に騒音だ。
しかし悲しいかな、バルトはこの喧しさには既に慣れつつあるため、このわあわあも案外聞き取れてしまう。
「なんだ、お前らも頼まれてたのか? まあ異世界料理再現同好会だったか、あれのメンバーはそもそもお前らだしな」
「そう! 私が会長で、ジョットが副会長だよ!」
「二人しかいねえ会で会長も副会長もあるか?」
「これは気分の問題だよ!」
高らかにそう言うカミラは、小柄ではあるがなにやら頼もしい気がしなくもない。ジョットのほうはといえば、ぽやりとした笑顔でそんなカミラを見下ろしていた。彼からするとそのへんは、特に拘る部分ではないのだろう。
「まあ私らは、顧問の先生に良いよって言ってもらわないと依頼受けるか判断できないって言っといたけどね!!」
「オレら調べるのは良いけど作るのはアレなんで!」
「お前らな……」
どうやらお偉いさんを押しつけられたようだが、やるか否かの判断を任せてもらえるのはありがたい、と考えても良いのかもしれない。バルトはそう気を取り直した。
「ひとまず依頼は受けることにした。依頼料は予想より高かったんで一旦保留にしたが……」
「ええ!? バルトが!? お金好きでしょ!?」
「オレ達からも最初はしっかり依頼料を受け取っていたのに……!?」
「ところで今日のトライフルは良い出来だったんだがな……残念だ」
「バルトはなんだかんだで気前が良いよねー。まかないくれたりするし」
「憧れの大人ッスね……!」
二人は無事トライフルを出してもらった。
大人しくなった犬猫コンビに向かって、バルトは広げた両の手のひらを向ける。
「これくらいだとよ」
「高いってことは……、えー、じゃあ大銀貨十枚……?」
バルトは首を横に振った。ちなみに大銀貨一枚の価値は銀貨十枚分。つまりカミラやジョットが最初にバルトに再現料理を依頼した際の料金だ。その十倍となれば、店によっては一晩貸し切りにすることだって可能だろう。
それより高いとなると、と考えてジョットは冷や汗を流した。
「えっ……、じ、じゃあ、金貨十枚ってことッスか……?」
バルトは手を下ろし、こくりと頷く。カミラとジョットはうへえと顔をしかめた。
金貨一枚は大銀貨十枚。この都市で部屋を借りてひと月暮らせるほどの金額だ。それが十枚。
料理一皿に払うには破格すぎる金額に、さすがのバルトも首を横に振ったのだった。
「どうしたもんか悩んだんだが、完成品を確認してから払ってくれるよう言っといたよ。質に納得して払うんなら大金でも構わねえだろ」
「うーん、さすがバルトは変なところで図太いねえ」
「まあ、魔女の司書様ともなれば、お金なんていくらでもあるでしょうしね」
「そうらしいな。身分証明にってカードをもらったんだが、随分値がはりそうだったぜ」
そう言ってカウンターに出されたカードに、カミラとジョットはがばりと身を寄せた。
「うわあー! 随分凝った魔術認証だねえ! これはそうそう偽造できないよお。さすが魔女様のお側付き筆頭ともなると違うなあ」
「ひええ……、身分証ひとつでこのクラスの魔石と魔術密度……。万一盗まれた際の自壊機構もあるんだろうけど、ぱっと見で全然わかんねえッス……」
なにやら珍しく魔術師らしい盛り上がり方をしている二人を、バルトは興味深く見守った。普段から本当にのほほんとしていて間の抜けた発言も多い、良い言い方をするなら親しみやすい二人だが、やはり研究者らしいところもあるようだ。
喋っていることの半分もわからないまま盛り上がりをしばらく放置した後、そういえば、とバルトは二人に顔を向け直した。
「依頼料、お前らも貰うよな? 分け方は三で割って余りを同好会活動費にでもするか?」
「えっ!? もらっていいんだ!」
「ほんとッスか!?」
「いや当然いいだろ……。資料探してくるのはお前らなんだから……」
「そういえばそっか!?」
目を見開いて驚く二人に、バルトのほうこそ驚いた。最初に依頼料を払う側だったからなのか、依頼を受けたのがバルトだからなのか、二人とも自分たちも依頼された側なのだとい認識がほとんど無かったらしい。
しかし言われてみればと思い直した二人は、こくりと頷き合ってバルトのほうへ向き直った。
「活動費大量ゲットおよびでかめの活動実績、絶対ものにするぞー! 異世界料理再現同好会、いくぞーッ!!」
「やるッスよー!!」
再現料理を店で出した売り上げのマージンについては面倒だからと断っていた二人ではあるが、特に面倒もなく纏まった金を手に入れるチャンスはものにしたいらしい。結局俺以外も金にはまあまあがめついのでは、とバルトは思った。思ったが、金なんて皆好きだよなと思い直してひとまず口を閉じた。
食い意地がはってお金も大好きな俗っぽい同好会ではあったが、やる気は十分。こうして新たな探求は始まったのだった。




