ご近所さんとたまごふわふわらしきもの・下
バルトとカミラ、ニーコの三人での再現料理会は、数日後の午後になった。
ニーコは家の手伝いを積極的に行っている感心な少年だが、勿論そればかりでなく学校にも通い、同年代の子供達と遊ぶ時間もある。むしろ手伝いに時間を割きすぎているのではと、両親は彼の自由時間確保に腐心しているくらいだ。
なので、両親には友人達と遊ぶ前に、バルトからお菓子の試食を頼まれた、なんて言い訳をしてここに来ている。サプライズを成功させたいという彼の思いを汲んだカミラは、今日はいつもよりも数段大人しく扉を開けた。こっそりひっそりやるぞ、という気合いに溢れる様子はおそらく良いことなのだが、カミラがこっそりしていることは多分サプライズの成功率には特に影響しないだろう。
エーコが来るより先に準備を整えておくことにしたバルトとカミラは、今日のレシピを早速確認することにした。
「ここ三十年ほどの学園のイベントにおける、召喚本のレシピ使用申請をたどった結果、卵だけを具材とし、肉じゃがに若干近い甘じょっぱい系のレシピで、こんなふうに皿いっぱいに膨らんだ形状の料理に該当するのはこれだけだったよ!」
「三十年以上!? よくそんなに探したなあ……」
予想以上の気合いの入れ方に、バルトは感嘆のため息を漏らす。カミラは鼻高々だ。
「ふっふっふ、異世界料理再現同好会発足後初の案件だからね! ジョットと一緒にしっかり探してきたよ! まあ今回は卵だけっていう条件がけっこう珍しかったから、そこまで大変じゃなかったけどねえ」
「いや、それにしたって凄いよ」
「うぇへへへ……」
照れているカミラをそのままに、バルトは「たまごふわふわ」という、なんともそのままのネーミングのレシピを読む。
調理方法はかなりシンプルだ。だし汁と調味料を合わせたスープを鍋で煮立て、泡状になるまでよくかき混ぜた卵を入れて加熱する。基本的にこれだけ。そのぶんごまかしのきかない料理である可能性は高い。
調味料のほうは、だし汁にはバルトが知っている昆布もどきが使われ、魚醬と少量の砂糖、それから煎り酒という馴染みのない名称もあった。
「この煎り酒ってのは初めて見たな」
「どうもこれはかなり伝統的というか、古風な調味料だそうだよ。
そもそも文化祭でこの料理を作った人は、最初はたまごふわふわを鰹だしと醤油とみりんで作りたかったみたいなんだけれど、やっぱり鰹節の再現がネックになっちゃったんだね。そこで使用予定だったレシピより年代を遡ったものを探して、今度は煎り酒とだしとたまり醤油っていうものを使うレシピを見つけたんだ。それぞれを代用可能なものでどうにかしていった結果できたのが、この再現版たまごふわふわレシピというわけだよ!」
「皆いろいろ考えるもんだなあ。勉強になるぜ」
普段カミラとジョットが持ってきたレシピから再現料理を作っているバルトには、再現が難しいから参考にするレシピ自体を変える、という発想がない。これは研究者自身が料理をするからこその手段だろう。
煎り酒は酒と塩と梅干しを煮詰めて作ると書いてある。本来であればここでも鰹節を使いたかったそうだが、そもそもそれが無いゆえにこのレシピになったのだから、当然ここにも含まれていないのは当然だ。
そして梅干しという馴染みのない食材もまた、別の材料で作られていた。
カミラが得意げな顔で取り出したのは、赤い茎の特徴的な植物だ。雪のちらつくような時期にはないはずのそれに、バルトが目を丸くする。
「ルバーブか? この寒いのによく手に入ったな」
「学園の温室に生えてたやつをちょっとだけ貰ってきたよ! うちの学園は薬草含めたいろんな植物を育ててるから、こういうとき便利なんだよねえ」
「そりゃ良いな。しかし、これが梅干しってやつの代わりになるのか?」
「いやー、実際に代用になってるのかは分かんないけどね! 梅干しは新鮮な梅の実を塩漬けして作るすんごく酸っぱくてしょっぱい保存食らしくて、これはかなり定番っぽいから作り方が載ってる本がたびたび見つかるんだけど、このへんにはまず梅がほぼ生えてないんだよね。
一応学園には数本あるんだけれど、実の収穫時期とレシピの研究時期がずれてたから手に入らなかったらしくてねー。代わりに使ったのがルバーブだったみたい」
「なるほどな。……ひとまずこれから作ってみるか」
ルバーブは、このあたりの地域では砂糖と一緒に煮込んでジャムなどにする、酸っぱい植物だ。梅干しの代用のルバーブの塩漬けは、刻んだルバーブに塩を塗して煮詰めるだけだが、しっかり水分を飛ばすには少々時間がいる。まず生のルバーブにレシピの比率通りの塩を入れ、水が出るまでは十数分放置だ。
その間に、水につけていた昆布をゆっくり火にかけ始める。ジョットが手に入れてきた昆布も、もうほとんど残っていない。
今回は調味料の準備に手間がかかるが、その大半は材料を煮詰める地味な作業だ。その合間にバルトは夜営業用の食材の下拵えをし、カミラは分厚い本に目を通しつつ、その様子をチラチラ楽しそうに見る。カミラはこうした作業風景を見るのが元々好きなのである。
そうこうしているうちに塩を振っておいたルバーブから水分が出たら、それごと火にかける。
「カミラ、本読みながらで良いからこれ混ぜててくれ」
「よしきた任せろ!」
ルバーブの塩漬け、というか塩煮を煮詰める間に、バルトのほうは煎り酒用の酒と塩を火にかけどんどん水分を飛ばしてしまう。本来は材料を全部入れてから煮るのだが、そもそも今回入れるのは梅干しではなく既に煮られているルバーブだ。時間短縮のために多少の正確性は犠牲にしてしまうことにした。
柔らかくなったルバーブはぐいぐい潰し、更に加熱して水分を飛ばす。それを湧いている酒に入れ、更に煮詰める。
漂う酸っぱい香りはなかなかのものだが、分量はレシピに忠実なのだから、それを信じてやるしかない。正解のわからない異世界料理は制作過程で不安になることだらけではあるものの、バルトもカミラも既にそれに慣れつつあった。
煮詰めたものの粗熱を取り、ざると布巾で漉せば煎り酒の完成だ。
ちょうどそこで、もう一人の再現料理挑戦者がやってきた。
「こ、こんにちは」
扉を開け、ニーコはいつもよりおどおどと店に入る。バルトだけではなくカミラも居ると先に伝えられていたため、少々人見知りの気のある彼としては緊張の入店だったのだ。
カミラのほうはといえば、あまり知らない少年に対しても勿論まったく人見知りなどせず、ぱっと大きく口を開けた満開の笑顔をみせる。
「お! きみがニーコくんだねえ。私はカミラだよお」
「ええと、ニーコです。よろしくお願いします」
「うん、よろしくねー!」
キッチンカウンターをひょいと飛び出し、カミラはニーコに握手を求めた。ニーコのほうも、怖じけずしっかり片手を伸ばす。家業の接客業を手伝っている彼は、気弱なりに勇気があるのだ。
「おうニーコ、よく来たな。頭にハンカチかなんか巻いて髪が落ちねえようにしたら、しっかり手洗え」
「はい!」
いそいそと身支度を調えて、ニーコはいよいよキッチンへと入った。
今日の彼には使命があるのだ。ニーコは母親の思い出の味を自分が作ってあげたい、という夢がある。そのために、今日はバルトからたまごふわふわの作り方を習うのだ。
バルトは用意しただし汁と煎り酒、砂糖、魚醬を合わせ、それを瓶と小鍋に分けていく。後でニーコに持ち帰らせる予定の瓶には二回分、鍋と小鍋にはそれぞれ一回分の量が入っている。
コンロの前に木製のパレットを数枚置き、その即席台座に上がったニーコの横で、バルトはゆっくり手順を説明してやる。
「いいか、ニーコ。まずはこのスープを火にかける。湧かすから火加減はある程度強めで大丈夫だ。火傷しないように気をつけろよ。蓋もちゃんとしとけ。蓋がないと湧くまで時間がかかるからな」
「はい」
おそるおそるコンロのスイッチを入れ、ニーコはすぐにバルトの方を向く。次に用意したのはボウルと卵だ。まず最初にバルトが卵を作業台にコツンと当ててひびを入れ、ボウルの上で割ってみせる。
ニーコはそれを手本におそるおそる卵をコツリと当てた。一度ではきちんとひびが入らず、けれど力を入れすぎて卵を潰してしまうのも怖いので、コツコツと二、三度小さなひびを入れた後、ボウルの上でゆっくり力を入れ、ぱかりと卵を割り開いた。
それを見守るカミラの目は真剣そのもので、手はぎゅうっと胸元で握られている。緊張しているニーコからはその姿は見えていないようなのだが、バルトはこの状況を見守るのが正直言ってちょっと楽しい。ふわふわの茶髪のニーコと、オレンジっぽいふわふわ赤毛のカミラは、端から見ているとまるで姉弟のようだった。
「お、上手いじゃねェかニーコ。やったことあったか?」
「ちょっとだけ……。パンケーキ焼くときとか、手伝ったことあります」
「よしよし。泡立て器は使ったことあるか?」
「それもちょっとだけです」
「よし。これは大変だから、父ちゃんに手伝って貰うのが良いかもな。当日無理そうだったら店に来い。やってやるから」
たまごふわふわ用の卵はかなりきめ細かく泡立てる必要がある。十一歳のニーコ少年は決して貧弱ではないものの、これはなかなかつらい作業だ。それにコツもいる。
二人で割った卵にスープを混ぜ、バルトが料理人らしい腕力で全卵をぐんぐん泡立てていくのを、ニーコとカミラは目をキラキラさせて飽きもせず眺めるものだから、バルトは数分居心地の悪い思いをした。
「ほら、そろそろ鍋が沸いてるはずだ。ちゃんと見とけよ」
「あっ、は、はい!」
「よし。気ィつけて蓋とりな。火を止めてから卵入れるぞ」
ニーコは熱くなった鍋の蓋を、言われたとおり慎重にとり、作業台に置いてからコンロの火を止める。バルトから渡されたボウルと木べらを手に、彼は真剣な表情で鍋と向き合った。
「一気にささっと入れてみな」
「はい……」
ニーコがボウルを鍋の上で傾けると、軽く角が立つくらいに泡立てられた卵がとろりと流れ落ちる。零さないようボウルの位置に気をつけながら、ニーコは急いで中身を木べらで流し入れた。
「上手いぞ! 急いで蓋だ!」
「はいっ!」
「よし、上出来だ」
ふわふわの卵でいっぱいになった鍋にすぐさま蓋をし、ニーコはぱっとバルトを見る。大きく頷きながら褒められて、少年はやっと緊張で強張っていた肩から力を抜いた。
「お疲れ様ぁ! さあさあ、皆でお皿選ぼ!」
カミラの号令で、三人は余熱で卵に火を入れる間に、小分け用の皿を選ぶことにした。種類は両手にころんと収まる深皿だ。カミラはレモン柄、ニーコは緑の水玉模様。今回は珍しく自分で選べたバルトは真っ白な皿だ。
三人で皿を持って横並びになり、ぱかりと蓋を開けば、名前通りにふっくら膨らんだたまごふわふわが登場する。鍋の中を覗き込むようにして、頬を桃色に染めたニーコがぱあっと目を輝かせた
「わあ……!」
「良さそうだな。さ、皿出しな」
すぐにしぼんでいってしまうそれを急いでとりわけ、三人はその場で立ったままたまごふわふわを食べることにした。スプーンを差し込めば、なんとも儚い手応えと共にふわふわが掬い取れる。空気のようなそれを口に含むと、思ったよりもしっかりと卵とスープの味がした。
魚醬やだしに慣れているバルトとカミラとは反対に、食べ慣れない味と未知の食感に、ニーコは目を白黒させる。しょっぱくて、あまくて、フワフワですぐにしゅわっと口の中で潰れてほどけて、それはまったくの未知との遭遇だった。
「どうだ、ニーコ」
少し身をかがめて視線の位置を下げたバルトからそう尋ねられ、ニーコはぴかぴかの緑の目に喜びを溢れさせた。
「お、美味しいです! ちょっと変わってるけど、なんだか楽しくて、ほっとします」
「そうか、良かったな。母ちゃん喜ぶと良いなあ」
「はい……!」
ふにゃりと笑ってふわふわの卵をぱくぱく食べるニーコを見守りながら、カミラはにっこり微笑んだ。今日もよく食べる彼女の皿の中は、もう半分以上が空になっている。
「上はふわふわだけど、スープと混ざってる下のところはちょっとぶるぶるな感じだねえ」
「そうだな。上はスフレで下は非常に柔らかいフランって感じだ。味付けは変わってるが、同じ卵を使った料理だから、形状は似通うもんなんだな」
「異世界って言っても動物や植物の姿も近いみたいだから、文化もそれなりに近いんだねえ」
感想を語り合う大人二人を、ニーコは目をパチパチ瞬かせながら眺めた。自分の拙い絵と説明でレシピを見つけてきてくれ、きっと珍しいだろう材料を用意して、バルトとカミラは約束通りにこの料理を完成させてくれた。
自分一人だったら、決してこんなことは出来なかっただろう。魔術都市には本の魔女様の召喚した本から得られた知識が満ちているけれど、それを直接手に取ることなんて、きっと自分にはなさそうだ。ニーコはそんなふうに思っている。
「すごいなあ……」
ニーコがぽつりと零した言葉に、バルトは思わず手を左右に振って否定した。
「いやいや、俺らは単に食い意地はってるだけだぞ」
「そうだそうだ」
「で、でも、異世界の本に載ってる料理を作れるなんて、すごいです。僕はとてもそんなこと、できそうにないし……、きっと異世界の技術に関わる機会なんて、ないだろうし……」
そう言って顔を伏せたニーコにどう言葉をかけたものかとバルトが悩んでいると、視界の隅でカミラの猫耳がぴょこんと動いた。
「そんなことないけどなあ。たとえばそうだ、ニーコ、きみのお店にある商品で、ハルサメってあるだろう。特にあの、量り売りのでっかい袋のやつ」
「は、はい」
「ああ、あの変わったパッケージの」
ニーコの両親が経営するピエリーニ食料品店ではハルサメを何種類か扱っているが、変わったパッケージのでっかい袋、という言葉が指すのは、カミラとバルトがよく再現料理で代用食材として使っている商品のことだ。
カミラはローブのポケットからペンと小さなノートを出し、そこに言葉を書き込んだ。
「あのパッケージはねえ、ハルサメっていう字をアレンジしたデザインなんだよお。本来はこういう字なの」
ノートに書かれた春雨、という文字に、バルトはふと首を傾げる。
「召喚本のレシピの字に似てんな」
特徴的なかくかくした文字を見てなんとなくそう言っただけだったのだが、カミラはペンを持ったままの手をびしりと上げて、満面の笑みを浮かべた。
「せいかーい! そのとおり! 春雨に似たデンプンを使った麺自体は東方にもあるんだけれど、あのパッケージのものは、元々は学園の研究員が食品加工の業者さんと共同開発した、召喚本を解読して得た技術を使ったものなんだ」
「へえ、知らなかったな」
「そ、そうなんだ……」
「そう! 召喚本の解読をしたり、異世界の技術を研究したりするのは研究者だけれど、その成果が世界に出るためにはいろんな人の協力が必要なんだよお。たとえばあの春雨は、原料になる野菜を作っている農家さん、それを加工する職人さん、パッケージの袋を作っている職人さんや、そこに載せる絵をデザインした人に、流通をさせる卸業者さん、それにお店で売ってくれる小売りの商人さんが居てくれなきゃ販売できないんだ。
だからこの町で働いている人たちは、知らない間に異世界の技術に関わっているんだよお」
そう言って胸を張るカミラを、ニーコはぽかんと口を開けて見つめていた。珍しくはっきり顔を上げている彼の頬はふわりと血色が良く、目にはキラキラと輝きがある。
「そっか……、そうなんだ……」
「そう! 意外と身近なものなんだよねえ」
うんうんと大きく頷くカミラに、ニーコは膝の上でぎゅうっと手を握りしめて、きりりとした顔を向けた。いつもふにゃりとした笑顔か大人しく気弱そうな顔ばかりしているニーコとしては珍しい、意思の籠もった表情だ。
「カミラお姉さん!」
「うん? なにかな!」
「ぼ、僕も今から勉強すれば、研究者の魔術師さんと協力して、新しい商品を作る商人になれますか?」
そう尋ねてきゅっと唇を引き結ぶニーコの表情には、緊張と期待が溢れている。そんな顔を向けられたカミラはぱあっと花が満開に咲くように笑って、上半身ごと傾くくらいに大きく頷いた。
「もちろんだよお! 何が必要かいっぱい考えて、いっぱい勉強して、いろんなことをやってみるといいよ! 聞きたいことがあったら、なんでも聞いてねえ」
「は、はい!」
将来への希望に燃える少年と、少年の夢を受け止めた若き研究者を、バルトはカウンター越しに黙って見守っていた。
若者の成長を見守るのは良いものだ。なんて、まだそれほど老けてもいないくせに思ってしまうのは、学生が多い町に住んでいる影響だろうか。
早速中央魔術学園の授業風景について尋ねるニーコと、それに応えて自分の経験談を話し始めたカミラの邪魔をしないよう、バルトはそうっと二人の前に食後のお茶を置いてやった。
これで喉を潤して、夢に向かってたっぷり話せ。なんて声はかけないのが、バルトのいつものやり方なのである。




