ご近所さんとたまごふわふわらしきもの・上
魔法食堂マリエットがある魔術都市は、今日も今日とて大勢の人で賑わっていた。
天気はあいにくみぞれ混じりの雨で、ぱたぱたと音を立てては冷たいしずくが屋根にも街路にも降り注いでいる。
こんな天気の日には、具沢山であつあつのスープが良い。
店で一番大きな鍋にたっぷり用意したのはブイヤベースだ。カサゴに鱈にエビにカニ、ムール貝にはまぐりにと、とにかく色々な魚介をトマトベースのスープで煮込む。具材を炒めるオリーブ油をたっぷり使えるのも豊かな魔術都市ならではだ。もう一種類、ソーセージとちりめんキャベツとキノコのスープも用意してある。
メインは、魚はふっくら焼けた鱈のグリル。肉は皮がパリパリのローストチキン。寒い季節はオーブンを使った料理が美味いし楽しい。夏場はいくら熱が伝わりにくい最新グリルといえど、すぐ横で料理していると大変な暑さなのだ。だから冬場に思う存分活用するに限る
サラダも今日はグリルした根菜やキノコをたっぷりと。人気のレンズ豆とベーコンのサラダも用意してある。
芽キャベツやポテトのローストもあるし、霜に当たって甘くなったほうれん草を使ったキッシュもある。ついでに、固定客がついている肉じゃがも。
デザートにはクッキーと焼きリンゴ。希望があればアイスのトッピングも可能だ。
すっかり準備が終わり美味しい匂いでいっぱいのマリオットの扉が、今日は控えめに開かれた。やってきたのは、三件先の食料品店の長男、ふわふわの茶髪がトレードマークの少年だ。
「バルトさん、こんにちは」
「おお、ニーコか。ちょうどさっき用意したところだぞ」
バルトが取り出したのは、ハムと卵、ほぐしたチキンと豆のペーストの二種類のホットサンドの包みだ。油紙と厚手のウールで二重にきっちり包んだそれは、まだほかほかと温かい。
三人分のサンドイッチを持ってきたバスケットに入れ、ニーコ少年はぺこりとバルトへ頭を下げる。
「ありがとうございます。今日もすごく美味しそうな匂いですね」
「おう、今日はブイヤベースがおすすめだ。余ったらお裾分けするから食え」
「わあ」
ぽや、と柔らかな笑顔を浮かべるニーコは、バスケットを細やかに揺らした。ピエリーニ食料品店のまだ十一歳の跡取りであるこの少年は、真面目で優しく大人しく、喜びの表現も控えめでいじらしい。
「食べる頃には冷めてるだろうから、オーブンで温め直してもらえよ」
「はい、バルトさん」
こくりと頷くニーコは、忙しい一家の昼食が入ったバスケットの取っ手を小さな手できゅうっと握り、ごくごく丁寧にお辞儀をする。
普段であれば家の手伝いをするために、このあたりで帰るところなのだが、今日の彼はもじもじと下を向いている。
さては何か内緒の話でもあるのかと、バルトはキッチンからカウンター前まで回って、ニーコの前にしゃがみ込んだ。視線を合わせてやると、少年はくりくりと丸い緑の目をおそるおそるバルトへ向ける。
「どうした、なんか頼みたい料理でもあったか?」
「……えっと、はい。僕、食べてみたいものがあって……」
適当に尋ねた言葉が肯定され、バルトはちょっと目を丸くする。ニーコはカミラの正反対、というくらいに控えめで、しかしカミラと同じくらいなんでも美味しそうに食べる子なので、逆にバルトは彼の好物も苦手な物もあまり知らない。この昼食のテイクアウトは数年前から続く恒例の注文だが、リクエストがあった場合は決まってニーコではなく彼の両親からのものだった。
そういった理由から今バルトは、内心非常に心躍っていた。
「おう、そうか。なんでも言ってみろ」
普段の仏頂面をほんのり緩めてそう言うバルトに、ニーコは照れくさそうにちょっと唇をすぼめてから、口を開く。
「えっと、バルトさんのお店、異世界料理? があるって……」
「ああ、最近はよく出してるな」
一番売れるのは肉じゃがだが、タルトタタンも評判だ。しかし今ある意味一番有名なのはすき焼きかもしれない。
最初はフライパンで提供していたすき焼きだが、最近は保温性の高い鋳鉄のダッチポットを使っている。材料を全て入れて煮込む過程をコンロではなくオーブンにし、入れ物ごと熱々になったダッチポットを、まな板くらいに分厚い木の板の上に置いて客に出すのだ。
夏場には汗が止まらないほど暑いだろうが、寒い今ならそれほど気にはならない。とはいえ、死ぬほど熱いから器に直接触れないように、とは散々言い含めてからの提供となる。
変わった味付けに変わった見た目、良い肉を持ち込まなければ作られないという希少性も相まって、最近は魔法食堂マリエットの客層に妙に食通が増えている。バルトとしては下町の食堂を自任してやっているので、あまりマニアックな店にする気はないのだが。
マリエットが変わった料理を提供していることは、当然ご近所さんも知っている。とはいえ、元々マリエットはバルトの代に変わってからは、先代の味を残しつつも、旅暮らしだったバルトの影響で無国籍創作料理じみたジャンルの店ではあったのだが。
そういった話を聞きつけたらしいニーコ少年は、バスケットを片手に持ち直し、ポケットからごそごそと紙を取り出した。受け取ったバルトは四つ折りになっていた紙を広げて中を見る。
「これは……、オムレツか?」
描かれていたのは、少し深めの皿に、薄い黄色のふわりとしたものが乗った絵だ。見た目としては、皿いっぱいにまるく盛られたオムレツに近い。
様々な技術が提供される魔術都市では、スケッチなどに使う画材も比較的安価で手に入れることができる。パステルで描かれたらしい拙い絵は、ニーコがこのお願いのために用意したものだろう
「ええと、あの、オムレツじゃないけど卵なんです。でももっとふわふわしてるらしくて……。他の具は入ってなくて。味付けは、肉じゃがの味がちょっと似てたかもってお母さんが言ってました」
「へえ、ベニータさんが」
「はい。昔、学園の見学会とかお祭りとか、そういうので食べたことがあって、すごく美味しかったって。……そろそろお母さんの誕生日が近いので、食べさせてあげたいんです」
照れくさそうにそう言うニーコ少年の頬はふわりと桃色に染まっており、彼なりに勇気を出してこんな頼みをしていることがよくわかる。バルトは睨むような目つきのまま、内心感動していた。彼の好物をリクエストするのかと思いきや、まさか親への誕生日プレゼントとは。なんて健気で良い子なのか。
これはなんとしてでも叶えてやりたい。そう決意したバルトは、ニーコの両肩にぽんと手を置いた。
「よし、わかった。学園で前に食ったことがあるのは間違いないんだな?」
「はい。だからきっと魔法で作ったんだろうって、お母さん言ってました」
「なるほど。材料は卵だけで、肉じゃがにちょっと似てる味。了解だ。魔術師の知り合いに頼んで、レシピを探してもらうよ。ほら、よく店に来る賑やかな猫耳と犬耳がいるだろ。あいつらだ」
「あ、あの猫獣人さんと、犬獣人さん」
店のご近所さんからもやかましいと認識されているカミラとジョットは、いい加減そろそろドアの開け方と入店時のでかい声を止めさせたほうが良いのかもしれない。
内心ちょっとそう思いつつ、バルトはニーコを安心させるように大きく頷く。
「大丈夫。任せときな」
「はい……!」
そう約束をして、笑顔で帰っていくニーコの背中を見送った後、バルトはひとり冷や汗を流した。
なんせ自分は異世界のレシピなんて、自力では一枚たりとも手に入れられない。ニーコに語ったとおり、例の猫獣人と犬獣人さんことカミラとジョットが頼りの綱なのだ。
「ちょうど都合良くメシ食いに来ねえかなあ」
そう呟いたバルトの祈りが通じたのか、その日の昼営業に、カミラはいつも通り喧しく扉を開けてやってきた。
「もっちろん、引き受けるよ-!」
とある料理のレシピを探してほしい、とだけ話した時点でカミラは早々に請け負ってくれた。話が早くて心配になるほどだが、ありがたいことには違いない。
カミラの前にはほうれん草のキッシュとチキン、ブイヤベースが並べられ、それなりの量がするすると小柄な体に吸い込まれていく。しかもこの後デザートのアイス添え焼きリンゴも食べる予定だ。良い食べっぷりは見ていて気持ちが良いものである。
カミラはたくさん食べるし速度も速いのだが、その合間に話すのもうまい。口の中に食べ物が入ったまま口を開くような無作法はしないのに、なぜか会話しながらでもするすると食事を進められるのだ。
「学園の文化祭か見学会か、そのあたりのイベントで出された料理かなあ。異世界料理は取っ付きやすいしイベント向きだから、これまでもけっこう挑戦している人は多いんだよね」
「俺も昔、学園で変わった料理食ったことあるな。わたあめって言ったかな」
「あー、あるある。あれは調理器具の構造を再現しやすいから、人気だよー。皆で被ってるの出すわけにはいかないから、使用権をくじ引きで決めるんだ。そろそろ民間でも販売するかもって聞いたことあるよ」
「へえ、楽しみだな」
魔術都市トルト・マーニは、こういった新しい技術が高頻度で開発される。それを楽しみにここに住む住民も多く、バルトもまたその一人だ。
その発展の中心に居るのは異世界の知識を召喚する本の魔女様と、その知識の研究をする魔術師達である。カミラもまたその一人なのだが、こうしてお気に入りの店でほこほこ湯気の立つスープを美味そうに飲む姿は、まったくもってただの日向の猫じみていた。
「探せそうか?」
「学園のイベントで使用された、メインの食材が卵だけのレシピでしょ? 多分大丈夫だよ。見た目もわかってて、味も多分日本語圏のやつっぽいし、かなり絞り込みやすいと思う」
「頼もしいな」
「うへへへ……」
照れ照れと頬を掻く様子は微笑ましかったが、話している間にも吸い込まれるように消えていく料理の量はまあまあなもので、正面で顔を向き合わせているのにいつ咀嚼しているのかもいまいちわからないバルトは若干戦慄していた。ちゃんと噛んで食べていると信じたい。
ひとまずそこは触れずにおくことにして、自分の安請け合いがどうにかなりそうだと、内心胸をなで下ろす。
「助かったぜ。それじゃ、都合の良い日にまた来てくれ。ちなみに再現料理は食ってくか?」
「食べない理由があるのか……?」
心底不思議そうにそう尋ねられ、バルトは言葉に詰まった。確かにそんな理由はないかもしれない。少なくとも、腹ぺこ大食い猫には存在しないだろう。




