新年のお土産とすき焼き風・下
掃除をしていた際の服をいったん着替えたバルト、髪を三つ編みにして三角巾とエプロンをしたカミラ。双方の気合いは数度の再現料理の中でも過去最高潮だった。
なにせいいお肉があるのだ。もらい物のいいお肉を、これは美味いぞと確信の持てる方法で調理するのだ。やる気も出ようというものである。
店内に飾り付けられたキラキラ光る造花の反射を浴び、ぴかぴかの笑顔を浮かべたカミラは、うきうきとバルトの横で手を上げた。
「はい! 私は何をすれば良いかな!」
「ひとまずお湯沸かすから、ハルサメ戻しておいてくれ。やり方覚えてるな?」
「うん、りょうかーい!」
まず始めに二つの鍋にお湯を沸かし始め、そのうち一つには卵を入れる。これは温泉卵用なので弱火だ。その隣で調味料を全て鍋にかける。エノキがわりの干しシメジは水につけておく。
お湯が沸騰するのを待ちながら早速ざくざくと野菜を切っていくバルトの横で、カミラは大きく返事をした。これについては肉じゃがの時に行った作業なので、一度成功した安心感がある。カミラは非常に脳天気かつ明るい性格だが、専門分野ではない料理の手伝いというものを、一応多少の緊張感は持ちつつ作業をしているのだ。
ハルサメ用の鍋が沸く頃には調味料もふつふつと煮立ってきたため、バルトは一旦野菜の準備をする手を止めてそちらのアク取りをしておく。沸騰させた割り下は一度コンロから下げ、空いた場所に深めのフライパンを置いた。
その横ではカミラが鍋にハルサメを投入し、パリパリに乾燥した状態からだんだんぷくぷくとお湯を吸っていく様子を眺めている。
「おおー……」
お湯の中を時折トングでかき混ぜつつ興味津々で覗き込む姿は妙に幼いが、カミラはこれでも現在二十二歳だ。小柄で童顔で言動が元気いっぱいという特徴故に、初対面で年齢を当てられることはほぼないとは本人の言葉である。ちなみにバルトは以前カミラから絶対に当てられないと挑発されてまんまと外し、アイスを奢らされたことがある。ジョットも同様だ。
そんなカミラを今日も横目に見ては絶対に十代だろと思いつつ、ひょっとして年頃の女性にこういうことを思うのは失礼なのか? とも心配するバルトは思考を口には出さない。普段から口が悪い人間ではあるが、これで案外気を遣っているのだ。
「火傷しないように気をつけろよ」
「大丈夫!」
鍋からあけて粗熱を取ったハルサメも切り、材料の準備はほぼ完了だ。どう考えても食が進むことは間違いないため、二人分にしては分量は多い。
「あとは肉だな。見た感じ結構薄切りでやるみたいだ。このへんも肉じゃがと同じだな」
「私の分はちょっと厚くても良いよ」
「俺は薄くて良いぞ。多めに食うから」
「全くの遠慮がない……」
わいわいと言い合いながらどんどん切られていく牛肉は、まな板の上に小さく山を作っていく。野菜と同様どう考えても二人分にしては多かったが、バルトもカミラもその点には触れない。腹が減っているときというのは、自分が無限に食べられるような気になるものだからだ。
まずは牛脂を熱し、染み出た油にネギを投入する。焼き目が付いたらネギを端に寄せ、いよいよ肉を焼く番だ。
じゅうじゅうと焼ける音。香ばしい匂い。勿論牛脂を加熱したときもネギを焼いたときも良い香りはしていたのだが、いま自分たちは良い肉を焼いているのだ、という視覚的な満足感はたいそう大きかった。
「……もうちょっと肉入れるか」
「そうだね……。まだ焼けるよね……」
「……ネギの上に肉寄せればもっと入るよな」
「確かにな……! 天才だ……」
完全に食欲に理性を奪われた二人はフライパンの中にぎちぎちに肉を焼き始めるが、さすがにバルトは途中で正気に返った。まだまだ作業はあるのだはあるのだ。肉にばかり構っているわけにはいかない。
しかし、熱いフライパンに割り下を注いだ瞬間、またしても食欲をそそる香りが二人を襲う。甘くて、しょっぱくて、そこに牛肉とネギの香りも一体となった芳香。ついでに魚醬の魚臭さも混在していたが、最近すっかりそれに慣れた二人にはたいした障害にはならなかった。
「あー、絶対うめェよこんなもん」
「料理にお砂糖って美味しいんだねえ……」
まだ食べてもいないのに感想を語り始めたカミラは、既に相当精神の空腹が進んでいた。
とはいえ、火を通す必要のある具材はまだまだある。椎茸、チコリー、エノキの代用の干しシメジ、糸こんにゃくの代用のハルサメ、なんとなく入れたくなったタマネギとニンジン。ジャガイモはさすがに肉じゃが過ぎるので、一旦は選外だ。
肉まみれのフライパンへどうにかぎゅうぎゅうに詰め込み、蓋をしてしばし待たなくてはならない。ここが本当につらいところだった。既に二人の口は甘じょっぱい肉を頬張る気になっているものの、一応いい年した大人二人なのだから、当然料理がすぐには出来上がらないことなどわかっている。
本日も待ちかねて、わかりやすくソワソワしてウロウロし始めたカミラに、バルトは一応声をかけることにした。
「じいさんから土産に貰ったクッキーあるけど、食うか?」
その言葉にぱっと表情を輝かせたカミラが、しかしここでぐっと堪える。
ジョットと同じく学生時代からこの店の常連であるカミラは、当然じいさんこと前店主を知っているし、彼の焼くクッキーがたいそう美味しいことだって知っている。当然食べたい。食べたいが、あと十分ほど待てば、目の前には美味しいお肉料理がさあどうぞとご用意されるのだ。それも、お腹いっぱい食べられるくらいに。
勿論バルトの料理はいつ食べても美味しいだろう。貰ってきた良いお肉も美味しいだろう。しかし、クッキーをいただいてから食べるすき焼きは、はたして万全のコンディションで食べたすき焼きと言えるのか?
カミラは猫獣人らしく犬歯のとがった歯をぎぎぎと噛みしめ、険しい顔のまま手のひらを上にして突き出した。
「あ、あとで……!」
「わかったから無意識に貰おうとするのをやめろ」
言葉と裏腹にクッキーを欲する右手を左手でつかみ、カミラはひとまずカウンターに腰掛けた。
そのあまりにも頭の悪いもとい哀れな様子に、バルトはふと疑念を抱く。
「お前もしかして、メシ抜いてきたのか?」
「うぐっ」
「……俺がもしすぐ作れない状況だったら、待機するか生肉持って寮まで帰ることになったんじゃないか?」
「うぐぐ……」
「……いつでも作ってもらえると楽観するのはやめましょう」
「おっしゃるとおりで……」
思わず敬語になったバルトのきちんとしたお叱りを受け、カミラは深々と頭を下げた。一応彼女はこれでもきちんと優れている頭脳を活かし、バルトのスケジュールがおそらく空いているだろうと思われる時間に突撃をしているのだが、予測が外れる可能性は十分あった。
カミラが反省しているのは、作ってもらえないかもしれないからごはんを抜くのは良くない、ということであり、バルトも予定通り行くかわからないのにごはんを抜くのは良くない、と指摘している。つまり彼と彼女は再現料理を頼むことと頼まれることを無意識に当たり前と思っているのだが、そこにはまったく気付いていないのであった。
ぐだぐだと二人が話しているうちにも、フライパンの中身はことことと煮えていく。時折蓋を開けてすき焼きの煮え具合を確認しながら、バルトは壁際の掛け時計に目をやった。シンプルなそれは先代の頃からこの店にあるもので、飾り気のないものだが、正確さは信用できる。今日は特別丁寧に磨いたばかりなので、高級品に比べれば少しゆがんだ文字盤を覆うガラスも、窓の外から差し込む光の中でいつもよりぴかぴかと輝いていた。
「……卵もそろそろだな」
その言葉に、カミラはぴょんと席から立ち上がる。
「あっ、じゃあね、私のお皿はこれがいい!」
「おお、好きなの使え」
「店主さんはこれね」
「ああ、まあいいけど……」
カミラ用にはデフォルメされた苺模様の深皿。バルトには勝手に選ばれたツタ模様の深皿。それぞれを用意して、まずはそこへ温泉卵を割り入れる。
お湯からあげて水につけ、加熱の進行を止めた卵をぱかりと開ければ、まだ白身が固まりきっていないふるふると揺れるそれが殻からぽたんと落ちた。殻の中にくっついている白身もスプーンでこそぎ、バルトは黄身をちょんとつついて割ってみる。
腹痛防止のためにそれなりに火を通した黄身は、生卵のようにとは行かないものの、ゆで卵よりはよほどとろりとしている。ひとまずこれで及第点だろう。
「ようし、じゃあ私はそっちに……」
「こっちで良いだろ。椅子持ってこい」
皿を受け取ってカウンターへと戻りかけたカミラを、バルトは無造作に呼び止めた。カミラのほうはきょとんと目を丸くして、深皿を持つ両手を無意識にぴょこんと上下に動かす。
バルトは温泉卵が皿の中でふるりと揺れる様子ばかりが危なっかしくて気になっているが、カミラからすればこれは意外で楽しい申し出だった。
早速カウンターの椅子を引っ張ってきた彼女は、バルトと二人でフライパンの前に陣取り、にまにまと笑みを零す。
「へへへ……。お店の人になったみたいだ……」
そう喜びながら差し出された皿を受け取り、バルトはなんとなく、自分の皿より多めに肉を入れてやった。いや、肉の持ち主がカミラなのだから、多めに入れてやるのは当たり前といえば当たり前なのだけれど。
温泉卵につかった、汁のたっぷり染みた肉と野菜とあとハルサメ。フォーク片手に、二人は待ちわびたすき焼きをついに口にした。
始めはやはり肉だろう。なにせ良いお肉につられて作った料理なのだ。ねっとりとした黄身とぷるぷるの白身を絡めた薄切り肉を頬張り、二人はしばし無言になった。
「……、……!」
「……! ……!?」
いや、無言というより、ものを喋る機能を忘れて肉を噛みしめていた。
汁の染みた柔らかい肉は、砂糖の甘さと魚醬の塩気の中でも十分に主張する油の甘さを持ち、それらがまったりした卵に包まれて、口の中で一体になる。
うまい。なんだかもう美味しさの暴力だった。特に空腹だったカミラのほうはいけない。暢気に感想なんて喋っている場合ではなかった。
次はネギ。やや固い表面にはシャキシャキとした食感が残り、柔らかい中心はとろりと蕩け、相反する二つの食感が調味料と肉の脂を纏って心底美味しい。椎茸や干しキノコにも、しっかりうまみが染みこんでいた。しかもキノコ自体のうまみもあるのだから、当然これだって美味しい。チコリーはほろりと柔らかく煮え、甘みの中にほんのりと残った苦みがまた舌を楽しませてくれる。タマネギはネギほどには汁が染みていないが、それが本来の味とすっきりした水気を引き立てて箸が進む。ほくほくに煮えたニンジンだって当然美味いし、ハルサメなんて全てのうまみを吸い込むのだから不味いわけがなかった。
結論を言うと全てが最高に美味かった。割り下との相性も、温泉卵との相性も抜群だ。
何もかもが美味くて無言のまま食べ進める二人は、当然即座におかわりをした。もう一皿を食べ、多めに茹でて置いた温泉卵を無言で皿に割り入れる。最初はレシピに記載された生卵に戦慄していたバルトとカミラではあるものの、こうも美味いとなると、元のレシピ通りの味も気になってしまう。
「……生卵だと、また違うのかなあ……?」
「よせ、少なくともこの世界ではまだ早い。異世界行けたら食え」
「うう、気になるよう……」
二皿目でやっと正気を取り戻した二人は、ぐっと歯を噛みしめた。
確かに気になった。ここに豆腐とやらが入るとどうなるのか、どんな味なのか? そこも気になって仕方ないポイントだ。
あっという間に食べきってしまい空になったフライパンへ、どちらが言い出すでもなく二度目のネギが投入される。もう一度焼かれる肉だって当然マシマシだ。
第二陣が煮えるまでの間、皿の中に残ったすき焼きをお互いちびちびと食べながら、カミラはしみじみ故郷のありがたみを噛みしめていた。
「こんな……、こんな美味しいものは、いつも食べていたらおかしくなっちゃうよ……」
「安心しろ、こんな良い肉食う機会はそんなにねえ」
「よかったあ……。いや良いのか……?」
二人で頭の溶けたようなような緩い会話をするうちに、二度目のすき焼きが煮える。
腹が満ちてきても相変わらずばかみたいに美味かったが、ひとまず空腹は完全に消え去っているカミラは正気に戻っており、ううんと首をかしげた。
「すっっごく美味しいけど、これいつもは出してもらえないよねえ」
「材料が手に入り次第になるな。提供方法もちょっと悩むところだ」
「お皿だと駄目なの?」
「こうして熱々を好きなように取り分けて食べるなら、やっぱり今と同じように、食う人間が自分でフライパンから取るのが良いと思うんだよなあ。満足する量をたっぷり作って皿に盛って出したら、後半にはもうかなりぬるくなるだろ」
「たしかになあ」
すき焼きは冷めても美味しいだろうが、この熱々を卵につけて食べるのが、やっぱりいちばん美味しいように思えた。
食堂には温かい煮込み料理を提供するための、一人前が入るサイズの壺も鍋の一種として用意されているのだが、それを使うのはなにか違うような気がしなくもない。
悩む点はいくつかあるが、バルトとしても、これをお蔵入りにするのは惜しくはあった。
美味い肉を頬張りながら悩んでいると、あ! とカミラが大声をあげる。
「じゃあ隠しメニューにして、お肉持参したお客さんにだけ作るようにしようよ! それでカウンター席が空いてるときだけにするの。一人分をフライパンそのままで出して、冷めてきたらまるごと預かって温め直して出すの。どうかな!」
「なるほどな……」
確かにそれなら問題はあらかた解決するように思えた。マリエットは昼食時には戦場じみた忙しさになるが、夜営業はそれに比べれば穏やかだし、混む時間帯を避ければまあまあ空いてもいる。こう言うとあまり流行っていないようにも見えるが、そもそも店主であるバルト一人でさばける量というのは正直それほど多くはないのだ。
良い肉を持ち込んで調理を任せてくれる客というのは当然常連か、その紹介で来る人間ということになるので、特別料理を作って貰うためにちょうど良さそうなタイミングを見計らうくらいは出来るだろう。というかバルトは忙しい場面での面倒な注文は普段から躊躇なく断っているため、それを知っている常連はこの店主の手空きのタイミングを見極める技能が身についていくのだが。
「よし、それじゃこれは常連だけの特別メニューってことで」
「よっしゃー! レシピの使用申請しておくよ!」
「いつもありがとな」
「やったー! お肉ー!」
向けられた感謝は、新たなる美味しい肉料理への期待と興奮で大はしゃぎしているカミラにはどうやらあまり届いていなさそうだが、バルトとしてはまあ、それでもいい。わざわざ伝え直したりなんてしたら、これ以上に騒がしくなることは目に見えているので、このままほうっておこう。
この騒がしくて陽気でなんでもたいそう美味そうに食べる太陽のような猫には、言葉より美味い食べ物で感謝を伝えるのが、きっと一番良いんだろう。
バルトは気の利いた話はする気のない男ではあったが、それくらいのことは、これでも重々承知しているのだった。




