新年のお土産とすき焼き風・上
年が明け、年末年始の帰省客と観光客で溢れていた魔術都市も、普段の暮らしが戻りつつあった。
もっとも普段から賑やかなこの町では、客達が帰っていった代わりに、故郷で年を明かした学生や研究者、出稼ぎの人々などが戻ってくるため、結局人出の総数はそれほど変わらないようにも見える。
繁忙期を無事にやりきり、新年の定休日と年明けの営業も恙なく乗り越え、魔法食堂マリエットは、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
表に飾っていた色鮮やかなランタンはもう取り外したものの、店内の花飾りはなんとなく片付けそびれ、今日もまだきらきらと窓からの光を浴びて輝いている。
年明け以来今年二度目の定休日を、店主のバルトは掃除をしながらゆったりと過ごしていた。
普段から掃き掃除に拭き掃除にとこまめに掃除をしている店内は基本的に綺麗なのだが、それでもいつもは手が回らない場所というのはある。
家具と壁の隙間、テーブルやカウンターの裏や足下、天井の梁に窓の桟の溝。脚立まで出して隅から隅までしっかり埃を落とし、拭き清めてから、バルトはようやく一息つくためにお茶を淹れた。
今日の茶菓子は自分で作ったものではなく、新年に訪ねた前店主夫妻から土産にと持たされたクッキーだ。
市松模様のアイスボックスクッキーに、バターたっぷりのサブレ・ブルトン。サクサクのメレンゲに、濃厚なイチゴジャムが乗ったジャムクッキー。繊細なラングドシャはチョコがけされている。
バルトは甘いものが好きだが、店の経営上甘味よりは普通の料理を優先して作る必要がある。自力でこれだけ多種類のクッキーを焼くのは少々難しい。こうした自分ではなかなか手の届かない美味いものの土産というのは非常に嬉しいものだ。
控えめの砂糖とたっぷりのミルクを入れた濃いめのミルクティーも用意して、キッチン内の定位置に座り、さて楽しむかと思ったところで、本日も魔法食堂の扉は騒々しく開かれた。
「ずるいよ!!」
「せめて挨拶から始めろ」
カミラの開口一番の文句に正論を返し、バルトは悠々とジャムクッキーをかじる。砂糖の甘さはしっかりありつつも、バターと小麦の風味も負けてはいない。加熱され煮詰まったジャムのヌガーにも似たねっとりとした食感と、濃厚な甘みの中にある苺の華やかな味わい。相変わらず先代の味は素晴らしかった。
しみじみと美味しさを噛みしめるバルトに、カミラは再びずるいと声を上げる。
「なんだよ。一枚食うか?」
「わあい食べる! ……いやそれも大事なんだけれど、そうじゃないんだよー!
私もとろろそば、食べてみたかった!」
「ああ、あれか。ジョットから聞いたのか?」
「うん。私だって異世界料理に興味あるのに!」
カミラの猫耳はイカ耳と呼ばれる横に倒れた形になり、おそらく尻尾も小刻みに揺れているようで、ワンピースのスカート部分がふわふわと揺れている。見たところまあまあな怒りようである。
バルトとしては仕事を引き受けただけに過ぎないわけで、別の依頼者にそれを知らせる義務も許可を得る必要も、ましてや成果をお裾分けする義理だってないのだが、きっとそういう話ではないのだろう。カミラは単に食い意地が張っているだけなのだ。同じく食い意地の張っているバルトはそう看破した。
「まあそこ座れ。ミルクティーでいいか?」
「うん! カップはオレンジのやつがいい!」
「わかったわかった」
怒っているわりに素直ではあるカミラは言われるままにカウンターへ座り、荷物を隣の席に置いて、出されたミルクティーを飲んではクッキーをつまむ。
一枚食べ終わったところでやっと、はっと目を見開いて己の怒りを思い出した様子を眺め、こいつは本当にたいそう賢い魔術の研究者なのだろうかとバルトは内心首をかしげた。
「そうそう、それでね。作ってほしい料理があるんだよお」
「まあそうだろうな。持ってきたそれ、材料か?」
「うん!」
元気でよい子な返事をし、カミラはカップを端へよけて荷物をカウンターの上へ広げた。
紙が数枚。それから油紙で包まれた大きな包みと、三件隣の食品店の紙袋、八百屋の包みもいくつかある。
「まずはこれ! 今日はこの、すき焼きっていうお肉料理が食べたい!」
バルトへ向けて両手で掲げられたレシピに載る写真には、大きな鍋の中で煮込まれている肉や野菜が載っている。見覚えのある食材もあれば、やはりまったく馴染みのない食材もあるものの、全体的に濃い色のスープに半分ほど浸かったそれは、よく味が染みて美味そうだった。
「じつは年始の帰省で、良いお肉お土産に貰っちゃったんだよねえ~」
カミラがウキウキと広げた油紙の中に厳重に包まれていたのは、脂がよくのった牛肉だった。確かに見た目からして、よく肥え太った美味い肉に違いない。これは労働に使えなくなった年老いた牛ではなく、まだ若いうちにしめた柔らかい牛肉だろう。バルトも牛肉は毎日のように使うが、最初から食用牛として育てられた高価な肉を扱うことはあまりない。このあたりの肉屋に並んでいるものの大半は、あまり働けなくなった牛にある程度の期間エサを多めに食べさせ、急速に肥えさせたものなのだ。
いかにも高級な食材に、バルトは思わず感嘆の声を上げた。
「おお……、ほんとに良い肉だな。いいのか? 使っちまって」
「いいのいいの! 私が持っててもしょうがないし、それにこのレシピきっとすごーく美味しいからさ!」
「ならお言葉に甘えるか」
しげしげと牛肉を眺め、バルトは内心大喜びした。なにせ肉は美味い。人から貰って食う肉はさらに美味い。
しかし、こうしたものを問題なく土産として持ってこれるのは、さすがに魔術師くらいのものだろう。いくら冬だとはいえ、生ものを長距離移動で持ち運ぶのはなかなか難しいものだ。
「あとは椎茸。学園の植物園で増産方法を研究してたら、思ったより増えちゃったらしいんでちょっと貰ってきたやつ。糸こんにゃくの代わりはまたハルサメ買ってきた!」
「あと必要なのはネギと、この細いキノコと、豆腐ってやつと……、この春菊ってのはどういう植物かわかるか?」
「ええとねえ、春の菊って書く植物らしいよお。キク科だとこのへんにはチコリーとか、ルッコラとかならあるね」
「チコリーならあるな。このほっそいキノコは無いが……、なんか別のキノコ入れてみるか?」
「いいねえ!」
「じゃあシメジの干したやつ出すか」
順調に食材を決めていくものの、写真の鍋の中で大きく存在感を主張しているとある食材については、バルトもカミラも首を捻った。
「この豆腐ってやつはなにで出来てるんだ? チーズみたいにも見えるが」
真っ白で角張って断面がつるつるで、表に焼き目の付いた謎の食材を指さし、バルトは首をかしげる。
「それがねえ。大豆が原材料なのはわかってるんだけれど、……これを見てよ」
カミラは鞄をあさり、一枚の紙を取り出した。
寄せ豆腐の作り方、と書かれたそれには、確かに豆腐らしきものが載っている。しかしやはりこちらも、バルト達からすれば意味不明のレシピでしかなかった。
「豆乳ににがりを加えゆっくり加熱して……。にがりってなんだ?」
「わかんないんだよお。多分油に灰汁を混ぜて石鹸を作るみたいに、何らかの変化を起こす材料だとは思うんだけれどさあ」
「煮こごりとかとはまた違うモノっぽいなあ、豆腐……」
二人揃って悩むうち、バルトは頭の片隅に引っかかっていた記憶を少しずつたぐり寄せた。どうにもなにか、思い出せそうで思い出せない。
豆腐の写真を射殺すような目で見つめることしばし、ようやく頭に浮かび上がったものに、バルトはぽんと手を打った。
「思い出した。ひよこ豆でこういう塊を作る料理がたしかあったな」
「えっ!? それ町で買える!?」
「いや……、多分売ってねえな。行商時代に見かけたことあるやつだ。それにそっちはたしか、もっとこう、ムースっぽい感じの料理だったはずなんだよ。こういうふうにスープで煮込んできれいに原型が残るような、固めの食感じゃなかったような……。いや、揚げてるやつもあったな……? あっちならいけるのか……?」
「ど、どう? いけそう?」
腕を組んで、苦行中の修行僧じみた険しい顔で悩んでいたバルトは、ふっと腕をおろして首を横に振った。
「……いや、やっぱりそもそも質感が違いすぎる。あれは形状と材料の似た違う食材だと考えたほうが良いだろう」
「そっかあ~」
二人揃って肩を落とすものの、毎度毎度食材が揃わないのは恒例だ。ひとまず駄目なものは駄目だと諦めて、次に進むのが建設的だろう。
そもそも醤油とみりんは今回も砂糖と酒と魚醬で代用するわけだから、まず最初から正解とは若干離れた料理が出来上がることは決まっているのだ。なるべく見た目だけでも元々の形に近づけたいのが正直なところではあるが、異国どころか異世界の料理を食べようというのだから、妥協は必須だった。
ひとまず肉とキノコと野菜に関しては、まあまあ近いところを押さえられている気はしなくもない。それだけでも慰めにはなるだろう。
調味料を見る限り、これが肉と野菜を甘塩っぱく煮込んだ料理だということは想像が付く。そこでバルトはふと思いつきを零した。
「……ここにタマネギ入れたらうまそうじゃないか?」
「たしかに!」
「ニンジンもいいかもな」
「あまくてほっこりになりそうだねえ」
「ジャガイモもいいか?」
「肉じゃがだこれ」
完全に肉じゃがのラインナップである。ほぼ調味料が被っているため美味いことは間違いないが、それでも肉じゃがと化すのは何か違うという気持ちが否めず、カミラはじとっとバルトを見据えた。正直バルトもなんだか違うなとは思っている。思っているのだが、絶対美味いという確信を振り切ることは難しかった。
「まあほら、このソースだかスープだかが余ったら、それも煮て食うってことで……」
「うーん、……それなら異存はない!」
結局カミラも美味いものには逆らえないのだった。所詮は食い意地がはった者同士なのだ。
残る問題はあと一つとなった。レシピの一番最後を見て、二人は顔を見合わせる。
「溶き卵……」
「これって生だよねえ?」
そう、どう見ても、生卵を付けて食べると書いてあるのだ。卵は勿論美味しい。しかし同時に危険な食品である。うっかりすると食中毒を引き起こすので、普通は加熱するものだ。
「卵を生で食っても大丈夫な種族……、あるいは生で食っても大丈夫な卵か……?」
「又聞きだけど、海藻も食べてるっぽいんだよね? 消化能力が高いのかなあ。もしくは卵自体が私達が食べてるのとは違う……?」
謎は深まるばかりだったが、とりあえずこの国の卵は生食には適していない。しかし抜け穴はあった。
「低温調理の卵にするか」
「よし解決だ!」
そう、いわゆる温泉卵だ。食材と調理方法と調理器具が十分に発達したこの町では、魔術を使ったコンロで食品を一定温度で加熱することができる。この温度の幅はなかなか広く、性能の良いものなら鍋底が六十度くらいになる低温から三百度近い高温まで調整することが可能だ。
生卵のような緩い状態を保ちつつ加熱するとなると、そのぶん加熱時間を長くする必要が出てくるが、その点についてはバルトも経験的に理解している。
最後の問題が解決すれば、いよいよ後は目の前の高級牛肉を調理し、思う存分味わうだけだ。
甘じょっぱい肉と野菜。そんなの絶対に美味しいに決まっている。
二人はきりりと視線を合わせ、同時に頷いた。
「やるか!」
「いくぞお!」
かけ声はまったく揃わなかったが、二人の気持ちはいま、しっかりひとつになっている。




