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嫉妬です〈藤原視点〉

 

 二階堂さんが定時で帰り、百々子さんと春田さんがいなくなると、執務室には入江さんと俺だけが残された。

「あ、じゃあ、藤原さんもおつかれさまでした」


 そう言って入江さんがぺこりと頭を下げるが、俺はこのまま帰るつもりはない。

「入江さん、すみません。実は少しやり残しがあって。入江さんが残るんなら、俺も少しやってったら駄目ですか?」

「え、でも……」

 戸惑ったような顔をしている入江さんには気づかないふりをする。


「じゃ、じゃあ、わたしはあちらの部屋で作業してますね。嫌かもしれませんが、誰かいる時は、百々子さんかわたしがいないといけない決まりなんです、ごめんなさい。あ、好きな時に帰って大丈夫ですから」

「なんで」

 我知らず大きめの声が出ていた。

 通り過ぎようとする入江さんの腕を思わず掴んでしまい、ここにはふたりしかいないことを思い出して咄嗟に離した。「すみません」

「いえ……」

 入江さんはひたすら驚いたような顔をしている。


「あの、入江さん、俺のことを避けてますよね? 俺、何かしましたっけ」

 もちろん、作業のやり残しなんて口実だった。どうしても入江さんとふたりで話をしておかなくてはいけないと思ったからだ。俺は焦っていた。


 最近見せてくれるようになった気を許したような笑顔を向けてくれなくなった。

 それだけのことで、俺は自分でも驚くぐらい狼狽えていたのだ。


「さ、避けてるなんて、そんなことないです!」

 入江さんが慌てたように顔の前で手を振った。確かに、仕事の進捗確認は今までどおりしっかりしているし、質問にもきっちり答えてくれる。

 でも、明らかに入江さんは俺に対してよそよそしくなっている。


「ただ、今までちょっと、馴れ馴れし過ぎたなって、思って。い、嫌でしたよね。ごめんなさい」

「はあ?」

 またこの人は、何を素っ頓狂なことを言い出すんだろう。つられて俺まで変な声が出た。

 もしかして冗談だろうかと疑っている俺とは裏腹に、入江さんはひどく真面目な顔をしていた。


「本当は、藤原さんも、ももこさんも、わたしなんかと一緒にいてくれるような人じゃないんです。それなのに、ふたりとも親切だから、すっかり思い上がってしまって。ふ、不愉快な思いを、させていたことにも気づかず、申し訳なくって」

「待って。不愉快ってなんですか。俺はそんなこと思ったことないです」


 思い詰めたような入江さんの言葉に戸惑いながら、それでもそう思わせてしまった原因がさっぱりわからなくて、俺は混乱していた。

「あの、前世の話、とか。しかも、わたしはおふたりを酷い目に遭わせた人間なのに。嫌われて当然のことをしておきながら、その前世の名前を呼んでしまうなんて、よく考えると、ず、ずいぶん、良くなかったな、って……」


 ーー俺はもう、アルフレードじゃないです。

「ああー……」

 あれか。

 俺は頭痛を堪えるように頭を抑えた。

 確かにあの時の俺の言葉は不機嫌そうに響いたかもしれないと思う。実際、嫌だったからだ。入江さんが奴のことを語る口調が憧れに満ちているのが。

「あれは、そういうことじゃなくって」

 じゃあなんだというのだろう。俺は忙しく考える。


「……えーと。俺は、今まであんまり他人に対して好きとか嫌いとか無い方だと思ってたんですけど」

 幼馴染みの陽太朗に指摘された言葉を思い出す。昔から来るものに対する拒否感も、去るものへの執着もあまり無い。ことわざどおりの人間だと思っていた。

「でも、最近滅茶苦茶嫌いな奴ができました」

 俺ってこんなに人を嫌いになれるんだなって、自分で自分に感心しているくらいだ。


「あ、そ、そうですよね……、それは、はい。ご、ごめんなさい」

「言っとくけど、入江さんのことじゃないですよ」

 哀しそうな顔をする入江さんに、俺は苦々しい気持ちで釘を刺した。

「あ、ち、違うんですか……?」

 どこかほっとしたような、驚いたような入江さんの顔。どうしてそんなに自分を卑下するんだろう。

 この人をこんな風にした元凶のくせに、今でもその心を捉えて放さないあの男が、俺は憎くてしかたがない。


「アルフレード」

「え?」

「が、嫌いです。かなり」

「ほ、本人なのに?」

「だから本人じゃないって」

 自分でも驚くほど低い声が出た。入江さんがびくりと肩を揺らしたので、しまったと思う。怖がらせてどうする。


「だから入江さん、アルフレードをボコすアプリとか作りませんか。俺めちゃめちゃやりこみますけど」

 俺がそう言うと、ふっと入江さんが笑ったので安心する。冗談だと思われたみたいだがもちろん本心だ。

「つ、作りません……」

 この人ならそう言うだろうな。


「だから、こないだの言葉は、やつあたりみたいなものです。すみませんでした」

 頭を下げる俺に、入江さんは不思議そうな顔をする。

「でも、どうしてそんなに……。アルフレード様って、人に嫌われる要素なんてないでしょう。あ、もし、もしかして、やきもち、とか……?」

 核心を言い当てられたような気がして俺は茫然と顔を上げた。入江さんがわかったというように微笑んだ。


「完璧な人ですもんね。わたしも、シシィに嫉妬したことがあるので、その気持ちはわかります。ちょっとだけ」

「ああ、嫉妬ってそういう」

 そういう意味ではないんだけど。

「そうですね。嫉妬です」

 俺はほとんどやけくそのように言った。

「でも、藤原さんは全然、そんな必要無いと思いますよ。充分素敵な人です」

「……どうも」

 入江さんはこちらが照れてしまうようなことを真顔で言う。


「嫌われたのじゃなかったら、良かったです」

「嫌うとか無いです。少なくとも、過去に関することではありえないと断言します。だって、入江さんとエリザベスは完全に別人でしょ」

 俺がきっぱりそう言うと、入江さんは少しさびしそうな顔をした気がしたので内心で慌てる。また何か余計なことを言っただろうか。


「……えーと。よかったら、俺たちも何か食べに行きませんか」

 まだ全然話し足りないような気がして俺が提案すると、入江さんはびっくりした顔をしていた。

「え、あの、嫌じゃ、ないですか。ももこさん、いないですけど」

「なんでいきなり百々子さん……。入江さんを誘ったんですよ」

 いちいち予想できないリアクションをする人だ。


「なんか食べたいものないですか。ちなみに俺は好き嫌いないんで。ほんとに入江さんの食べたいもので良いです」

 先手を打って彼女の希望を聞き出そうとすると、少しの間戸惑ったような沈黙のあとで、「……お肉?」という答えが返ってきた。


 どちらかと言えば草食動物みたいな印象の入江さんの好物が肉というのがなんとなくミスマッチでおかしくて、俺は少し笑ってしまう。

「肉好きですよね。この前焼肉食べに行った時もすげえ嬉しそうに食べてたし」

「あんまり、量は食べられないんですけど」

 入江さんは何か言おうとしてやっぱりやめて、ということを何度か繰り返したあと、恥ずかしそうに告げた。

「あの、前世、エリザベスの時は、お肉を禁止されてて。ふ、太るからって」


 そうだったのか。完全に初耳だった。

 仮にも前世では幼馴染みだったというのに、エリザベスに関しては、性格の悪いやたら細い女だという印象しかなかった。晩餐会でもいつも半分も食べないし、偏食なのだと思っていたけれど、もしかするとあれは家の方針によるものだったのだろうか。

「でも、本当は好きだったんです。甘いものも。だから、制限の無くなった今、つい、食べてしまうというか。エリザベスと合わせて、ふたりぶん幸せというか」



 建物から出ると、ぬるい風が顔に吹きつけてくる。

 何となく、子供の頃のプール授業を思い出す温度と湿度だった。


「やっぱり、焼肉ですか」

 俺はスマホで良さげな店を検索しながら訊いた。それしか思いつかない自分が少し不甲斐ない気がする。もっと小洒落た料理がぱっと出てくればいいのに。

「そんなにがっつりしたものじゃなくても。ぎゅ、牛丼とか……?」

「そんなんでいいんだ」

 俺は吹き出した。嬉しかったのは、入江さんの提案が俺の日常にもよく登場する類いのものだったからだ。


「……あの、実は、さっきの話には、続きがあって」

「はい」

 思い詰めたように入江さんが口を開いたので、俺も真面目に聞かなくてはと思ってスマホをしまった。


「知ってるかもしれませんが、子供の頃、同い年の貴族の子たちが集まる、晩餐会のようなものがたびたびあったでしょう。その日の主催は、仲良くしていた伯爵家の子だったと思うんですけど。メインが、仔羊のローストで。わたしは本当は食べたかったのに、侍女がいたので、か、家族に報告されてしまうと困ると思って。それで思わず、言っちゃったことがあるんです。『仔羊を食べるなんて、可哀想に。こんな残酷なものは食べられないわ』って」

 

 俺は斜め下の入江さんの顔を見た。入江さんはまっすぐ前を向いていて、目の前にある何かをにらみつけるようにして歩いている。

「今思えば、ひと口だけ食べて、『美味しかったわ』って言えば良かっただけの話なんですけど。あの時は育ち盛りで、少しでも食べたら際限なく食べてしまいそうで。それが怖くて、わざと酷いことを言ってしまったんです。友人はとても哀しそうな顔をしたし、一番身分が高いわたしがそんなことを言ってしまったものだから、その場のみんなも、気まずい雰囲気になってしまって。結局、一緒に招待されていたア、アルフレードさまが取りなしてくれて、なんとか収まったんですけど」


 そのエピソードにはアルフレードだった時の俺もうっすらと覚えがあった。そのあとフォローした記憶もある。

 今の語彙で言えばクソわがままな子供だと思ったし、そういう印象が重なって、アルフレードのエリザベスを見る目はどんどん冷めていったのだろう。


「その時のことを、わた……エリザベスは、ずっと忘れられなくて。もしかしたら、あの時に食べられなかったお肉に、未だに執着しているのかもしれませんね」

 食べられなかった恨みです、と入江さんは言って笑ったが、エリザベスがずっと後悔していたのは肉を食べられなかったことではなく、その友人を傷つけてしまったことだったんじゃないだろうか。


 入江さんはふう、と息をついた。

「このこと、誰かにはじめて話しました。ももこさんにも、話したことないです」

 そう言えば、子供の頃のエリザベスの記憶を共有しているのは、アルフレードの記憶を持つ俺だけなのかと今更ながらに気づいた。


「……めんどくさくないですか、前世の記憶なんて」

 俺はぽつりと零した。ヒーローヒロインならいざ知らず、いわゆる悪役ポジションだった人間の記憶なんて、重荷でしかないだろう。

 そんなものが無ければ、こうやっていまだに後悔に苛まれることも、トラウマを背負うこともなかったはずの人なのに。


 彼女が背負わなくてもいい重荷を背負わされた理不尽さみたいなものにほとんど腹を立てながらそう言うと、入江さんは「とんでもない!」と首を振った。

「あの、わたし、ものすごく幸運なんです。だってこの記憶のおかげで、ももこさんに会えたんですよ!」

 少しの迷いもなく、入江さんが笑う。本当に幸せそうな顔だった。


 予想外の反応に俺は少し驚き、そう言ってもらえる百々子さんをひどくうらやましいと思い、それから何の脈絡もなく、ふと、手を繋ぎたいな、と思った。ぬるい風と喧騒の中を、この人と手を繋いで歩けたら幸せだろう。

 もちろん、ただの仕事上の関係でしかないのに、そんなことをする訳にはいかない。

「俺は?」

 そんなことを考えたせいで、思わずぽろっと本音が出た。ちゃんとふざけているように聞こえただろうか。


 入江さんは目を見開いて、それから慌てたように付け加える。

「もちろん、ふじ、藤原さんにも、よかった、です。会えて」

「…………すみません。なんか無理矢理言わせちゃって」

 それなのに思ったよりはるかに破壊力がすごかったので、俺は咄嗟に腕で顔を庇うようにしてそっぽを向いた。顔が熱いので赤くなっているだろう。暗いので見えていないといいけど。


「いえ、む、無理矢理じゃないですよ? 全然。ほ、本心です」

 入江さんが拳を握って力説する。その生真面目さに俺は笑ってしまった。

 相変わらずアルフレードはいけ好かないけど、この人が前世の記憶を幸運だと評し、その中に一部俺と彼女しか知らない記憶があるのだとしたら、それは受け入れたいと思う。


 顔の熱がようやく引いて、視線を戻した。車のライトが入江さんの横顔を照らしてゆく。

 俺はこの人のことがもの凄く好きだと思った。


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