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7/12

ずっと一緒にいようね〈入江視点〉

 部屋で鬱鬱としているだけの夏休みが終わった。


 だいぶ早目にオフィスに着くと、百々子さんはすでに出勤済みだった。いつもは11時まで出てこないのに。嬉しくて顔が笑ってしまう。


「おはようございますももこさん。今日は早いですね」

「おはよ。休み挟んだからね。ちょっと進捗確認しときたくってさ」

 百々子さんは休み前よりずいぶん陽に焼けている気がした。そういえば旅行に行くって言っていたっけ。


 そう言うと、「小笠原でイルカと泳いできた」と言う。

「お土産にコーヒー買ってきたからあとで淹れよう。クッキーもあるよ。これはそこで買ったやつだけど」

 そう言って、ここから近いところにある有名店の名前を挙げた。



 軽い打ち合わせが終わって雑談しているうちに、ほかの人たちも出勤して来た。アルバイトの二階堂さんと藤原さんと春野さんだ。

 藤原さんはめざとく百々子さんの日焼けに気づいていた。小笠原の話を聞くとうらやましそうな顔をする。


「もしかしてCカード持ってるんですか?」

「うん、パディ」

「やっぱそうですよね。大変でした?」

「いやー、楽しかったよ。3日で取った」


 わたしにはよくわからない会話だったけど、さすが前世で夫婦だったふたりは、こういうところでも気が合うんだななんて感心してしまう。

 ふたりが仲良く話しているのを見るのが好きだ。


 それからみんなで進捗報告したり、工程見直しの打ち合わせをしたりしているうちに午前中は過ぎてしまった。お昼には少し早いけれどきりが良いところで休憩になる。


 百々子さんのお土産のコーヒーはいい匂いがした。コーヒー好きの二階堂さんが、「これは貴重なものですね」と嬉しそうにしている。

 わたしはそのまま飲んだ方がいいのか迷った末に、ミルクだけ入れて飲んだ。優しい味がした。


 あと、藤原さんからもお土産をもらってしまった。温泉土産の大福だそうだ。若いのにこういう気配りができるなんて本当にしっかりしていると本当に感心する。


「ちなみに入江さんは、木苺とさくらんぼとハスカップ、どれが好きですか」

 藤原さんに訊かれて、わたしは少し考えた。

「果物は何でも好きです、けど。さくらんぼが一番好きかな」

「そうなんだ。何となくそんな感じしてました。覚えておきますね」

 そう言って藤原さんが笑う。さくらんぼっぽいとはなんだろう。


 そんなことを考えながらも、人が自分の好きなものを覚えてくれるというのは妙な気分だ。脳のリソースをそんなことに使わせて申し訳ないという気持ちと、嬉しい気持ちが相反している。

 少し浮かれた気分で、午後の仕事に戻った。



 17時の定時のアラームが鳴ったので、わたしは伸びをする。

 今日はもう少しやっていこうと思い、コーヒーまだあるかな、とキッチンに来たところで、カップを洗っていた藤原さんとはち合わせをした。

「おつ、おつかれさまです」

「おつかれさまです。残業ですか?」

「少しだけ……」


 コーヒーはすでに無くなっていて、ポットはきれいに洗われていた。そんな気はしていたので、そこまで残念ではない。冷蔵庫から市販のアイスコーヒーを取り出す。


 わたしはアイスコーヒーをマグカップに注ぎながら、午後の間何となく考えていたことを藤原さんに訊いてみた。

「あの、藤原さんは、何が好きですか?」

「え?」

「さくらんぼと、木苺と、ハスカップ」

 お昼に訊かれたことをそのまま返してみる。


「んー」と少し上を向いて考えている。

「どれがと言われたら、全部好きかな。俺、その辺のこだわりってほとんど無いんですよ。食べ物はどれもみんな美味しく感じるので」

 ちなみにきのこの山もたけのこの里も同じくらい好きです、と言って笑った。


 私はその返答に感動してしまう。

「すごい、平等ですね……。さすがアルフレードさま」

「いや、それは関係ないと思うけど」


「そういえば、アルフレード様も、好き嫌いは無い方でした。あ、でも、家で出されるチェリーパイが好きだというのは聞いたことがあります。小さい頃ですけど」

 甘いものが好きなんだ、と微笑ましいのが半分、羨ましいのが半分だったのを覚えている。

 懐かしい。久しぶりにアルフレード様の幼い頃の姿を思い出して、思わず口が綻んだ。


 実はアルフレード様のことをこんな風に思い出せるようになったのは、ごく最近のことだ。

 これまで、彼とのことは、あまり思い出さないようにしていた。どうしても、エリザベスの最期の記憶へと繋がってしまうからだ。


 でも、アルフレード様の転生先である藤原さんが現れて、彼のことを怖く感じないと自覚してからは、思い出すことが怖くなくなった。


 元々、幼なじみだった私たちは、幼い頃はそこまで険悪な仲ではなかったと思う。


 お前は特別な生まれなのだから、庶民やその辺の貴族と同等の気分でいては駄目だ、常に上位者の目線でいろと言われながら育ってきたエリザベスは、努めて周りに高慢にふるまうようにしていた。

 そんなエリザベスの態度をアルフレード様があまり良く思っていない気配が伝わることはあったけれど、それでも、死に向かおうとするエリザベスに、何の感情も向けないほど見捨てられてはいなかったはずだった。


 やがてシシィが現れて、アルフレード様がどんどん彼女に惹かれていくのを目の当たりにした私は平静さをなくし、シシィをひどく憎んだ。

 前世での私は、将来アルフレード様と結婚するものだと思いこんでいたので、まるで横恋慕されたように思ってしまったのだ。


「……今思えば、アルフレード様にも勝手に理想を押しつけて、本当に悪いことをしてしまいました。彼は充分に貴族として義務を果たしていたし、運命の人と巡り逢って恋に落ちただけだったのに」


「アルフレードなんて、泣き叫ぶエリザベスを見殺しにしたような男でしょう。入江さんがそんなに庇うことはないんじゃないですか」

 藤原さんの口調に少し非難のニュアンスを感じて、わたしは慌てた。


「あれは完全にわたしが悪かったんだから、仕方ないんです。アルフレード様はとても高潔な方だったので、嫉妬や権力欲に溺れて非道なことをするエリザベスを許せなかったんでしょう」

 エリザベスの生まれ変わりであるわたしに気を遣ってくれたのだろう。当の藤原さんにこんなことを言わせてしまうなんて、本当に申し訳ない。


「ア、アルフレード様は口数も少ないですし、涼やかな見た目のせいもあって一見クールに見られがちなんですが、本当はとても親切な人なんですよ。わたし……エリザベスと違って使用人にも優しくて、みんなに慕われていたんです。それこそ屋敷に仕えている人は、末端のメイドさんまで名前を覚えているような律儀なところがある方で。それに、シシィが現れてからは、すごく優しい顔をするようになったんです。ずっと見ていたからわかります。それに、わたしは見ることができなかったんですけど、おふたりは結婚して、ずっと仲良く暮らしたんですよね。女王になったシシィをずっと支えていたって、ももこさんから聞きました。やっぱり誠実な方なんだって嬉しかったんです。み、見たかったな。ふたりの子供」

 

 思わぬ推し語りチャンスにひと息に話してしまった。アルフレード様のことをこんな風に語ったことなんて百々子さんにもない。

 そして他ならぬアルフレード様を前世に持つ藤原さんに思わぬ告白をしてしまった形になってしまったことに気がついてはっとする。今更だけど。


「す、すみません。話しすぎました」

 当人に言う話ではなかった。ずっと見ていた、なんてわたしに言われても気持ちが悪いだけだろう。急に恥ずかしくなって、うつむいてしまう。


「なんて、こんなこと改めて言わなくても、藤原さんが一番よくわかってますよね。本人なんだから。……なんか、ご、ごめんなさい」


 返事がないので視線を上げると、藤原さんは何だか変な表情をしていた。

「あの、」

 あまりにべらべら喋りすぎるものだから、呆れられてしまったんだろうか。

 わたしが何か言おうとする前に、藤原さんが意を決したような顔をした。


「入江さん」

「は、はい」

「俺はもう、アルフレードじゃないです」


 わたしは、ただ黙って藤原さんを見返した。

 藤原さんも真剣な顔でわたしを見ていた。

「入江さんも、今はエリザベスじゃないでしょう。ただ記憶があるってだけで、入江さんは彼女とは全然違います」


 少しの間、私たちは黙って見つめ合っていた。ふと藤原さんが表情をゆるめる。

「すみません。変なこと言いました」

 そう言って少し笑った。そして頭を下げると、おつかれさまでした、と言って出て行った。それにわたしはどう答えたのか思い出せない。



ーー俺は、アルフレードじゃないです。


 早々に仕事を終わらせて帰ってからも、藤原さんの言葉が脳内に響いていた。

 当たり前のことを牽制された気分だった。

 ぼんやりしたまま、ベッドに横になる。


 ちゃんとわかっていたはずなのに。百々子さんだって藤原さんだって、ちゃんと前世と決別して、今の自分の人生を生きている。

 勝手に前世を投影して混同して、変な仲間意識を持ってしまっていたわたしだけがおかしいのだ。

(そもそも前世でも、嫌われていたのにね。)

 自分が、惨めで恥ずかしかった。


 それでも、わたしだけは知っている。わたしの中には今でもエリザベスがいること。


 誰からも見放されて、唯一手を掴んでくれたシシィの手も自ら振り払うぐらい絶望していた。哀しみと、恨みと、諦めと、憧れと、嫉妬と、どうしようもない感情を抱え込んだままこの世界に生まれてきた彼女は、今でもすっぽりとわたしの中にいる。


 そんな彼女を世界中でわたしだけは、忘れることもこの世界から追い出すこともどうしてもしたくなかった。

 それが、現実世界で生きていくための障害になったとしても。


 いつか、百々子さんと藤原さんはわたしを置いて行ってしまうのかもしれない。

 それでもわたしはエリザベスを捨てられない。いつまでも周りを拒絶して、そのくせ周りに見捨てられることを怖がってうずくまって泣いている少女。

 わたしは目を閉じて、想像の中でエリザベスを抱きしめる。大丈夫、離れないから。


ーーだからずっと一緒にいようね、エリザベス。

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