ヒーローだった俺とヒロインだった彼女と悪役令嬢だった彼女
前話から三年後ぐらい
アルバイトの面接で、俺はその部屋にいた。
ごく普通のマンションの一室を事務所として使っているような小さな会社だ。
サイトの情報によると従業員二名(他アルバイト数名)という、会社という業態をとってはいるが、ほとんど個人経営のような小規模さだった。だからそんなものなのかもしれない。
奥の小部屋に通され、さほど待たずに「こんにちは、スタッフの入江です」とたどたどしく自己紹介しながら、パンツスーツを着た女性が現れた。
スーツは若干サイズが合っていないのだろう。肩周りや袖が余ってぶかぶかに見える。普段から着慣れている……というわけではないのはわかった。
化粧っ気のない顔に大きな黒縁の眼鏡をかけているので、年齢がわかりにくいが、どう見ても俺と同じか少し下ぐらいに見える。
「ええと、藤原有さん。19歳。……で、お間違いないですね? わあ、立派な履歴書だ」
履歴書に立派とかそうでないとかあるのだろうかと思いつつ、間違いないです、と答えた。
とりあえず順調に始まったように見えた面接だったが、ひと言ふた言話すうちに、履歴書に目を落とす入江さんの顔色がどんどんと悪くなっていった。よく見ると脂汗もひっきりなしに流れている。
「そそ、それで、うちでは主にデバッグの作業をしてもらうことになるかと思うんですが……」
そこまで言いかけて、唐突に顔を上げて質問をしてくる。
「あ、あの、藤原さんは、乙女ゲームとかやられたことは!」
あー、そういえば、この人ゲームの脚本も書いているんだっけ。面接に当たって軽く調べてその情報は得ていたのに、スルーしていた。やっといた方が良かったか?
「いや、無いですね。すみません。ゲームはFPSばっかりで」
「あああの、ではでは、ぜぜ前世の記憶……とかを、もし、かして、おお持ちだったりは、していませんか……?」
「はあ……?」
ゼンセノキオク、耳馴染みがなさすぎて上手く脳内変換ができずに、聞き返していた。
入江という人は荒唐無稽なことを喋りながら相変わらず汗をだらだらと流していて、ついに履歴書を持つ手がぶるぶると震え出したので、なにかヤバめの禁断症状だろうかと思った俺は思わず立ち上がっていた。
相手は華奢な女性だったが、挙動が不審すぎてどんな行動に出るかわからない。急に攻撃されても防げるだけの間合いが欲しい一心だった。
急な動きだったので、椅子を倒してしまう。フローリングにごん、という大きめの音が響いた。
「あああああ、ごめんなさい!!!」
次の瞬間、部屋にとどろいた声は俺のものではない。
「すすすみません、許してください! あ、アル……」
入江さんは椅子から転げ落ち、頭を抱えてしゃがみ込んでいる。おそろしいものから身を守ろうとするように。
「どうしたの?」
途方に暮れていると、悲鳴を聞きつけたのか、奥の部屋から入って来た人はまともそうで、俺はほっとする。こんな危ないやつひとりに面接させないで最初からそっちが対応するかせめて付き添ってくれよ、と恨めしく思う。
スーツでこそないが、勤め人らしいぱりっとした格好の女性だった。
こちらは間違いなく俺よりも歳上だ。ふたりいるという従業員のうち、こちらが代表なんだろうな、とぼんやりと思う。
その女は俺の前を目もくれずに素通りすると、頭を抱えて震えている入江さんの隣に膝をついて肩を抱いた。
「大丈夫? なんかされた?」
俺がいるのにずいぶん失礼なことを言う。
むっとした直後にはっとする。
まさか、最初からそれが狙いだったのか? バイトの面接だなんて呼んでおいて、俺が何かしたと言い張って慰謝料を取る気では!?
そんな妄想が頭を駆け巡る俺のことは知らぬふりで、入江さんがやっとのことのように声を絞り出した。
「ち、ちが、ちが…………」
ぶんぶんと頭を振る。そして震える指先で、俺のことを指差した。
「あ、あるあるある」
何やら意味不明な呪文のような言葉を呟いている。正直気味が悪い。
入江さんの肩を抱いていた女が顔を上げて振り向いた。初めて俺の顔を見た。まともに目があった。
綺麗な人だと思う。そして真っ当な社会人に見える。
化粧した顔。手入れされた髪。自分に合った服。意志の強そうな眼。
「もしかして」
その人は立ち上がって、俺の正面に立つ。じっと俺を観察するように見つめながらその口から出たのは、まったく予想外の言葉だった。
「アルフレード?」
その後、有無を言わさずに別室に連れて行かれた俺は、何故かいきなりゲームをやらされた。
『カリンダムの王冠』というタイトルに見覚えはない。まあ全然明るくない分野だし、3年も前に出たゲームだ。
「このあと時間は大丈夫? ーーありがとう。じゃあ、ちょっとこれやってて。最初の方だけでいいから。私はさっきの子を宥めてくるわ。その後でお話ししましょう」
てきぱきと指示を出す様子はいかにもできる社会人という感じだ。
「あ、そうだ」
そう言って思い出したように名刺を渡される。
「私、代表の町田百々子です。と言っても名前だけだけど。何かあったら呼んでくれれば聞こえるから」
そう言ってさっさと行ってしまう。
俺は、やるように指示されたゲームの説明書きを読みながら、デスクに座った。
本当は、バイトの面接にきただけなのにこんな訳の分からないことに付き合わされるのは嫌だったし、適当に用事があるとか言って断りたい気持ちもあった。
それなのに言われるがままにPCを操作している。
あの人ーー町田さんが呟いた「アルフレード」という名前。
あの名前を聞いた時から、なんだか自分が半分自分ではないような不思議な心境に支配されている。
普段はシューティングばかりやっているので、少女漫画のようなイラストにも、クリックするだけで進んでいくゲーム進行にも馴染みがない。
(かったるいなあ)
そう思っていたのに。
最初のモノローグを聞いた瞬間から俺はゲームに釘づけになっていた。
〈ここは、女王が統治する王国『カリンダム』。50年ぶりの代替わりの年、星神様が新しい女王に指名するのは? そして、彼の心を手に入れることができるのは? それぞれの想いを胸に、10人の女王候補による王位争奪戦が、今はじまるーー〉
俺は、この世界を、この主人公を、知っている。
ふいに肩に置かれた手の感触に、はっと我に返る。マウスを操作している指がこわばっていた。すっかりゲームの世界に没頭していた。
ヘッドセットを外して振り向くと、町田さんが苦笑していた。
「邪魔してごめん。ずいぶん前から後ろで見てたんだけど、一向に気づく気配がないからさ。これ、ちゃんとクリアしようとすると丸一日かかるよ。ーーどう? 何かぴんときた?」
そう聞かれた時も、俺はまだ半分夢でも見ているような気分だったので、思わず目の前の人物に向かってこう呼びかけていたのだ。
「シシィ……?」
それはさっきまでやっていたゲーム『カリンダムの王冠』の主人公の名前だった。
直後に我に返る。何を言っているんだ俺は。
でも町田さんの言葉を借りるなら、あまりにもぴんときてしまったのだ。
幼い頃からたまに夢に見ていた、懐かしい景色。
何処にいても、自分がいるのはここではない、どんなに可愛い子に告白されても、この子ではないという違和感。
そして町田さんをひと目見た時に感じた、「見つけた」という直感ーー。
独りよがりな妄想だと、呆れられるだろうか。
そう考えて怖々と見た町田さんは、俺を見て微笑んだ。
「久しぶり、アルフレード」
「それにしても、まさかあなたの方からのこのことやって来るとはねー。運命?」
数分後、俺と町田さんは事務所を出て、近くにあるコーヒーショップで顔を突き合わせていた。
ふたりだけだ。とりあえず今日のところは入江さんはいない方がいいだろうというのは、町田さんの判断だった。
「ちょっと待ってください、何が何だか」
まだよくわかっていない状態なのに、そんな事を冗談でも言わないでほしい。
俺はストップをかけるように片手を前に突き出した。
町田さんは、クリームがやたらたくさん乗ったフルーツティーラテをかき混ぜながらにやりと笑った。
駄目だ。この人と俺では社会経験値も『前世』への免疫も違いすぎる。分が悪いといったらない。
面接をした入江とかいう人とだったら、きっともっと対等に話せるのに。そんなことを考えて、不意に浮かぶ疑問。
……そういえば、あの人はどうしてあんなに動揺したんだろう。
「だから、あの子ーー入江英理が、エリザベスなんだって」
「はああ!? マジですか」
エリザベスというのは、俺の前世(という言葉はまだあまりしっくり来ていないのだが、便宜上そう呼ぶことにする)であるアルフレードの幼なじみで、いわゆる悪役令嬢というやつだ。
プライドが高く、華やかな容姿でいつも取り巻きに囲まれて、女王候補筆頭などと呼ばれていたが、下級貴族出身のシシィをことあるごとに見下したり虐めたりしていた、とにかく嫌な女だったと言う記憶しかない。
正直に言うと、幼なじみだという以外、あまり印象に残っていなかったりするのだが。
「全然印象違いますね。なんでまた、あんな社会不適合者みたいになってるんですか」
「それがさあ、エリザベスってどうやっていなくなったか覚えてる?」
「いや、まだ細かいことは全然思い出せてなくて」
いなくなった? 言われてみると、アルフレードの人生の後半にあの女はいなかった気がする。
彼は女王として長く在位するシシィの王配としての人生を送ることになるのだが、在位中も魔王の復活とか色々あったので、正直学園生活のことは記憶の彼方だ。
どちらかというと、晩年の記憶の方が鮮明でーー。
「待って。そう言えば、四人目の孫って無事に産まれたんですか? なんか逆子とかで難産になるとか言ってシシィが毎日祈ってた気がするんだけど、その辺りで記憶が途絶えてて」
それは死を迎える俺の最大の心残りだった。
「やだ、そういえばその辺でアル様寿命になっちゃったんだ。無事産まれたし結局孫は13人に増えて曾孫もふたり目まで見届けたよ、私は」
「え、なんですかそれずるい。いいなあー、俺も見たかった。随分長生きしたんですね」
謎に勝ち誇った顔をされて、俺は本気で悔しがった。そうか。あのちび達も親になったのか。見届けたかったな。
それにしても新しい記憶の方がしっかりしているのは、別人の人生でも同じらしい。
若い頃の記憶は、孫たちの笑顔に比べてずいぶん薄ぼんやりしている。
そのうちだんだん遡って記憶がはっきりとしていくのだろうか。
俺たちはしばらく子供や孫の話で盛り上がった。
この世界ではついさっき会ったばかりの大学生と社会人だというのに、なんて話をしてるんだろうな、俺たちは。
その辺りでようやく緊張が解けてきて、俺はそれまで口をつけていなかったアイスコーヒーを一気に飲んだ。
町田さんが脱線していることに気づいて話を戻す。
「で、そのエリザベスだけど、女神様の怒りを買って、塔から落ちてしまったのよ。戴冠の儀式の時に」
「ああ、そういえば、そんなこともあったような」
「英理にとって、あの世界の記憶はそこで止まってるんだよ。それが強烈な恐怖体験になってるの。しかも、早ばやと前世の記憶を思い出したものだから、高いところに行けば泣き叫び、ちょっと大きい動物を見れば恐怖で竦んでしまうような子供時代だったんだって」
「え、それは」
俺は眉をひそめる。思ったより全然深刻だった。
前世での顛末はほとんど自業自得とはいえ、今世まで引きずるというのはあまりに酷い気がした。
俺は今日まであまり思い出しもしなかったというのに。
そう言うと、町田さんも「私も」と頷く。
「たぶん、私たちって、何だかんだあったけど、最終的には天寿を全うして穏やかな感じで死ねたじゃない。だからまあ満足してそんなに引きずってないっていうか。でも英理は、恐怖と後悔に塗れた最期だったから。きっとこの世界に来るときも忘れられなかったのかもね」
確かに、嬉しいことは割とあっさり忘れるくせに、恐怖や辛かったことはいつまでも覚えているのは、この世界でも同じだ。
「それで、ほとんど引きこもり状態になっちゃって。しかもいまだにシシィをいじめてたことを気に病んでて発作的に謝ってきたりもするし。それでも、最近はだいぶましになってきたんだけど。さっきはいきなり君が現れたものだから、動揺しちゃったみたい」
面接の席で、震えてうずくまってしまった入江さんを思い出す。よほど怖かったのだろう。
不審者扱いしてしまって悪かったな、と考える。
で、ここからが本題なんだけど、と町田さんが居住まいを正す。
「こんなことになっちゃってるけど、うちにバイトに来る気ある? 藤原君ならなら歓迎するし、何だったら夏休みだけのお試しでも良いよ」
そういえば、アルバイトの面接だったんだ、と今更ながら思い出した。前世を思い出す前のことがもう遠い昔のようだ。
俺は少し考える。夏休み中の条件の良いバイトはほとんど埋まっているだろうし、また調べて何度も面接を受けるのも面倒なので、ここに決めてしまいたい気持ちはある。
それに正直なところ、今日知り合ったこの人たちとの縁をあっさり切ってしまいたくないなという気持ちがいつのまにか芽生えていたのも事実だ。
「でも、大丈夫ですかね。あの人、入江さん。また俺の顔見て具合悪くなったりしないかな」
懸念を伝えると、町田さんが苦笑いした。
「うん。実はね、私と英理が会ったんだから、アルフレードがこの世界にいる可能性も考えてて。英理はずっとアルフレードに会うのを怖がってたの。だからまあ、探さなくても良いかって思ってたんだけど、そしたら君の方から来るんだもん。びっくりだよ」
「はあ。まさか俺もこんなことになるとは」
「もしもアルフレードの生まれ変わりが相変わらず高慢で、英理を見下したり傷つけるような奴なら、二度と近づけるつもりはなかったんだけど」
君なら大丈夫そうだよ、英理も慣れると思う、という言葉で、今ここにふたりでいるのは町田さんによる二次面接だったのか、と今更ながら気がついた。
じゃあ、と俺がしばらく働いてみたいことを告げると、事務所に戻って簡単な手続きをすることになった。
「よろしくー。あ、今日の分の時給は出すからね、もちろん」
そして一週間後ーー何故か俺たち三人は焼肉屋に来ていた。
歓迎会とか、再開記念とか、まあそういった類いのものだ。
「乾杯!」
それぞれ、ビールとコーラとウーロン茶の入ったジョッキとグラスをぶつけ合う。
町田さんはひと息でジョッキを半分以上空けたあと、「くーっ」とか言っている。その姿にシシィの面影は無く、どちらかと言うと俺の親父がダブった。当たり前だけどこの世界の彼女はシシィとは別人なんだなと思い知る。
「うまいうまい、肉うまい」
入江さんは目を輝かせて一心不乱に食べている。
食べることにあまり興味がなさそうな印象なのに、随分と嬉しそうに食べる人だ、とこれも少し意外だった。
「あ、ももこさん、肉とビールばっかりじゃなくて野菜も食べないとだめですよ」
入江さんがサラダの容器を入江の前に置くと、町田さんがむうーっとした顔をする。
「いいの、ここには酒とタン塩食べに来てるんだから」
ふたりのやりとりがおかしくて俺が思わず笑うと、入江さんが俺の顔をまじまじと見ていた。
町田さんが予言したとおり、この頃にはだいぶ彼女も俺に慣れていた。
会話をするたびに若干緊張は残っていたが、初めの日のように取り乱すことは、もう無い。
「……何?」
「あ、すみません。あの、笑うとやっぱりア、アル様の面影あるなって」
「えー、そう? そりゃどっちもイケメンだけどさ、タイプ全然違わない? アルフレードは絵画にでも描かれてそうな正統派イケメンだし、篠原くんは普通に、今時の顔って感じだよね。だいたい、人種が違うし」
町田さんがいまいちぴんとこない顔で俺を見ている。
「あの、顔の作りとかじゃなくて、表情っていうか。笑うとほんの少しだけ右目が細くなったり、するところとか、口角の持ち上げ方とか……あ、気持ち悪いですよね、べつに観察とかしてたわけじゃないんですけど。ごめんなさい!」
俺でさえ気づいていないような特徴を挙げては、途中ではっとなって平謝りしている。
「そう言えば、入江さんって何で俺のこと、何も言わないのにアルフレードだってわかったんですか」
俺の質問に、入江さんは何でそんな当たり前のことを訊くんだろうという顔をした。
「そりゃあわかりますよ。だって、これでも私、前の世界ではア、アルフレード様にすごく、あ、あこがれてたんですから」
そういうものなのか、と思い、俺はこっそりと町田さんと目配せし合った。憧れどころか、夫婦として半世紀近く連れ添ったのに、なかなか気付かなかった自分たちは一体何なんだろうねーという顔だ。
「でも、アルフレードには幻滅したんじゃないんですか。最後あんなに冷たくされて」
その頃には、俺も、エリザベスの最期をうっすらと思い出せるようになっていた。
あの誇り高かった令嬢が、泣きじゃくりながら救いを求めて俺の方を見る。だが俺は、いやアルフレードは、ぴくりとも感情が動くことはない。散々愛する人に裏で嫌がらせをして、挙げ句の果てに命まで奪おうとした女にかける慈悲など、高潔な彼は持ち合わせていないのだ。
冷たい表情を崩さないアルフレードにエリザベスの瞳が絶望に染まり、そしてーー。
あの時のことを考えると、少し胸が苦しくなる。俺はアルフレードみたいに完璧な人間ではないので、嫉妬や憎悪からくるエリザベスの暴走も絶望も、今なら少しわかってしまうのだ。
「あれは、完全に私が悪いので。ア、アルフレード様、は、悪意や間違ったことを許せない清廉潔白な方だったから。だからこそ、私の憧れでもあったんですよ」
あくまでアルフレードを庇って讃えるような顔すらする入江さんに、隣で町田さんがやれやれという顔つきをする。
入江さんはあんな目に遭ったというのに、シシィやアルフレードの悪口は言わない。
短い付き合いながら俺も、この入江英理という人のお人好しぶりに薄々気づきはじめていた。それに少し、謝りすぎだ。
「でもさあ、エリザベスのやばさに隠れてるけど、シシィとアルフレードも相当いい性格してるよねー。何せ成り上がりのメンタル化け物女子と弱者の気持ちがわからない冷血男だもん。リアルにいたら絶対近づきたくないタイプ」
その対極のように、町田さんは毒を吐きながらけらけら笑っている。
「ふたりの悪口は言わないでください……」
「悪口じゃないですー事実ですー」
「……なんかふたり、ヒロインと悪役令嬢が逆転してません?」
しゅんとする入江さんと追いうちをかけるようにからかう町田さんを見て、思わず口を挟んでいた。これではどちらが悪役なのかわからない。
「気づいたか」
町田さんが楽しそうに笑う。
「まあ、そういうこと。前の人生の記憶があるからって、同じ人間だってわけじゃないし」
「でも私は良かったですよ。この記憶のおかげで、ももこさんにも藤原さんにもこうしてまた会えたんだから」
入江さんが微笑む。
「英理ってほんとネガティブなんだかポジティブなんだかわからない」
町田さんはそう言って呆れたように肩をすくめるけど、本心ではきっと同じことを思っているんだろう。
俺も特に異論は無い。
「じゃあ、かつてのヒーローとヒロインと悪役令嬢に」
そう言って町田さんがジョッキを掲げたので、俺たちは2回目の乾杯をした。