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ももこさんの、ももですね〈入江視点〉


 オフィスのごみは週に一度、まとめて出すことになっている。

 大した量ではない。業務ごみは一般のごみとは回収が別なので、毎週水曜日、仕事終わりに専用の袋にまとめて、マンションの一階の倉庫に持って行く。

 それだけのことなのに、ごみ捨て当番はきっちりと決められている。


 ごみ捨てだけではない。掃除や来客時のお茶出し、細々とした雑用にいたるまで、全員にまんべんなく回るように、計算ソフトで作られた当番表が用意されている。

 社員だろうがアルバイトだろうが関係なく平等だ。


 これは二階堂さんの主張によるものだ。気づいた人がやれば良いんじゃないかと思うような些細なことほど、誰かが一度やればほとんどその人に固定されてしまうのだという。

「ひとつひとつはたいしたことなくても、積み重なると結構な労働量になるものですよ。すると一切やろうとしない人間と、すすんでやる人の間に不均衡が生まれてしまう。気を遣う人ほど負担が多くなるという現象に、僕は我慢ならない」


 そういうものなのか、と思う。なんとなく、当番表を作ったり、ひとつひとつチェックする方が大変そうな気がしてしまうけれど、二階堂さんにしてみれば、当番制にした方が心の安寧が保たれるらしい。

 

 その週のごみ捨て当番はわたしだった。マンションの共用倉庫にごみ袋を運ぶ。オフィス使用可のこのマンションは他にも事務所代わりに使っている部屋があるので、その人たちのごみもまとめて回収される仕組みだ。


 倉庫へ入るにはいったんエントランスから外へ出て、裏へ回らなくてはいけない。ごみを捨て終わって、エントランスに戻ろうとしたところで声をかけられた。

「えーりちゃーん」

 わたしをこんな風に呼ぶのはひとりしかいない。振り返ると、立っていたのは、やはり想像通りの男性だった。


 背が高い。完璧に見えて少しだけ着崩したスーツ姿が様になっている。何故か片手にビニール袋を下げていた。

 整った顔は黙っていると少し冷たい印象なのに、笑うと途端に人懐っこい笑みになる。これが大手コンサルタントの第一線で活躍する営業か、と毎回感心してしまう。相変わらず腹が立つほどかっこいい人だった。


「小津さん。何しに来たんですか……」

「いきなり冷たくない? そんな嫌そうな顔しなくても」

 しまった。顔に出てしまっていただろうか。

 だって仕方がない。あんまり会いたい人じゃなかったから。今は特に。私はこっそり建物の中を伺う。

「何ってもちろん敵情視察だよ。いるんでしょ?『彼』」

 小津さんはお見通しみたいに笑った。目敏い人だ。


「いいじゃん、ちょっと挨拶したらすぐに帰るから」

「駄目です駄目です。部外者立ち入り禁止です」

 建物の中に入って行こうとする小津さんを、わたしは通せんぼのようにして邪魔をする。

「えー、一応取引相手なんだしさ、部外者はないんじゃない? 何度か入ったこともあるし」

「今は駄目です!」


 わたしと小津さんが不毛な攻防を続けていると、背後ーーマンションのエントランスの方から声がした。

「あの、」

 一番聞きたくない声だった。

「嫌がってますよね、その人」


 わたしは振り返る。予想通り、帰り支度をした藤原さんが立っていた。

「藤原さん、出て来ちゃ駄目です! 早く戻って!」

「君はどうして俺を不審者扱いしたがるんだろう」

 わたしを押し退けて行こうとする小津さんの腕をつかんで必死で阻止しようとするが、まるで敵わない。細身に見えて鍛えている。着痩せする人なのだ。踏ん張った足がずるずると引きずられた。


 それを見て藤原さんが一気に顔を険しくした。

「入江さん、だれ、それ。警察呼ぶ?」

 そう言いながらすでに指はスマホにかかっている。わたしは慌てて首を振った。

「よ、呼ばなくて大丈夫です。あの、この人はーー」

 説明しようとする前に藤原さんに腕を引っ張られた。そしてわたしを小津さんから隠すように背中に庇うと、小津さんを鋭い眼で睨みつけた。


「誰だか知らないけど、無理強いはやめてもらえますか」

 丁寧な口調とは裏腹に、完全に戦闘態勢に入っている。

 そんな藤原さんとは対照的に、小津さんは興味津々という顔をしていた。

「君が藤原くん? って英理ちゃんが呼んでたよね、今。えー、こんなに若い子なの?」

 驚いたような顔をしてから、にこりと笑った。

「はじめまして。NSRコンサルタントの小津遙です」

「……はあ」


 突然ビジネスマン風の挨拶をされて、藤原さんが明らかに戸惑っていた。小津さんは胸元から名刺入れを取り出して、一枚差し出した。

 NSRコンサルタントといえば、うちの大口発注者だ。それに藤原さんも気づいたのだろう。とりあえず名刺を受け取って、挨拶を返していた。

「すみません。俺は名刺、持ってないんですけど。アルバイトの藤原です」

 ふたりの間にあったさっきまでの剣呑な空気は消えている。


「百々子から聞いてます。彼女がお世話になってます」

「ああー、百々子さん……。はい。」

 それで藤原さんは合点がいったらしく、気が抜けた顔をした。不審者容疑は晴れたようだ。

 というか、わたしがてきぱきと紹介しなかったのがまずかった。


「ご、ごめんなさい、上手く紹介、できなくて。この人は、も、ももこさん、の、現在、の」

 彼氏です、とひと言がなかなか言えなかった。そもそも、藤原さんは百々子さんに恋人がいることを知らないだろう。運命の人にそんな相手がいることを知ったら、ひどくショックを受けるのではないだろうか。


「…………ち、知人の小津さんです」

「ひどくない!? その紹介」

 小津さんが即座に突っ込んできたが、余計なことを言わないように眼で訴える。つくづくこのふたりには会ってほしくなかった。


「あ、いや、わかります。お付き合いされてるんですよね。

なんかすいません。百々子さん呼んできますね。ーー入江さん、行こ」

 藤原さんがそれほど感慨がないように言うと、踵を返してわたしの肩を軽く押すようにした。なんでもないような顔をしているけど、百々子さんの恋人に会ってしまって、きっと内心ではひどく衝撃を受けているんだろうと、痛々しい気持ちになる。


 ーー大丈夫、百々子さんが最後に選ぶのはきっと運命の相手である藤原さんだから。

 そう言ってあげたかったけど、小津さんの手前では、それも憚られる。

「いや、待って。俺は藤原くんと会ってみたくて来たんだけど」

 小津さんが引き留める。わたしは彼が変なことを言い出すんじゃないかと気が気ではない。


「俺ですか?」

 藤原さんは意外そうに小津さんを見た。

「なんか百々子が含みたっぷりに昔の知り合いを雇うことになったとか言うからさあ。てっきり元彼とかかと思ったんだけど。……違うよね?」

「元彼……」

 藤原さんは複雑な顔をした。

「違いますよ」

 あっさり否定する。似ていると言えば、そうかもしれないけど、元彼というには、重すぎる関係だ。


「ごめん、なんか勘違いしてたわ。百々子とは会社の同期だったから、それ以前の知り合いだとしたら、藤原くん中学生とかだよね。え、だったら、どんな関係?」

「まあ、たまたま知り合ったというか……」

 藤原さんは言葉を濁していた。前世のことは、小津さんは知らないはずだ。説明するのは難しいだろう。


「そうなんだ。まあ、よろしくね。あ、英理ちゃん、これ、お中元。少し遅くなったけど」

 特に詮索することもなく、小津さんは手に持っていたビニール袋を無造作にわたしに突き出した。さっきから不似合いなものを持っていると思ったら、手土産だったのか。

 もしかすると、こちらの方がここを訪れた主な目的なのかもしれない。

「あ、ありがとう、ございます……?」

 受け取ると、ふわっと清冽なにおいがした。中を覗くと、袋の中には桃がいくつか入っていた。


「わあ、いい匂い……」

「そこの直売所で買って来た。あそこ安くて美味しいんだよ」

 甘い香りに思わず頬を緩めると、にこにこと笑って教えてくれた。そんなところの情報も知っているなんて。

「じゃあ、そろそろ会社に戻らないといけないから、行くね。みんなによろしく言っておいて」

 そう言ってひらひらと手を振って行こうとする。

「あ、中に、入らないんですか?」

 どうせ藤原さんに会ってしまったのだから、もう同じことだ。百々子さんに会っていかなくていいのか、というつもりで訊いたら、どうせすぐ会うから、と返ってきた。



「なんかかっこいい人ですね。さすが百々子さんの恋人」

 小津さんが行ってしまった後、藤原さんが感心したように呟いた。

「そうですね。外見だけじゃなくて、仕事もできるし、良い方だと思います」

 百々子さんが仲良くしてくれるから、わたしにも親切にしてくれる。当然のように、わたしは彼に好感を持っていた。

 だからこそ、いつか訪れるであろう百々子さんと小津さんの別れの時を思うと、切なくなってしまう。


 でも、仕方がない。百々子さんはふたたび運命の相手に出会ってしまったのだから。

「……わたしは、藤原さんの味方ですからね」

 厳かな決意とともに口に出すと、驚いたように「何がですか?」と返ってくる。

 わたしはわかっているというように頷いてみせた。

「味方になってくれるのは嬉しいですけど」

 そう言う割に、藤原さんはあまり嬉しくなさそうな顔をしている。

「絶対またなんかおかしなこと考えてるでしょ」



 もらった桃は、次の日の休憩時間に出すことにした。二階堂さんの管理表によると、ごみ当番に引き続いて、台所関連の当番もちょうどわたしだったが、これだけの桃ひとりで剥くの大変だよーと春田さんが手伝ってくれる。


「桃はこうやって、最初に切れ込み入れちゃうと、ほら」

 そう言って、洗った桃のくぼんでいる部分に沿うように包丁をいれて、くるっとひねるように回すと、綺麗にふたつに分かれた。こうすると、種も綺麗に取れるし、皮も剥きやすいのだという。

「へえー。こうやって、切るんですね」

 確かにこうすると皮がするする剥ける。6個あった桃はあっという間に切り分けられた。ひとりだったらすごく時間がかかっていただろう。

 台所に桃の香りが満ちた。


「ありがとうございます。おかげで早く終わりました」

 頭を下げるわたしに、全然だよーと春田さんが笑う。

「あー、それにしてもあたしも見たかったなー、桃をぶら下げた小津さん」

 春田さんは残念そうに呟く。イケメンを見ると元気が出るよね、と日頃から豪語している人だ。

 確かに、ぴしっとスーツを着ているのにビニール袋を下げている姿は、ちょっと面白かった。

「でも、何を持ってても様になる人だなって思っちゃいました」

「そっかー。でも小津さんなら、桐箱に入ったメロンとかの方が似合いそうかもー」

「確かに」

 わたしは想像して頷く。



「あ、ありがと。遙来たんだってね」

 小津さんから、と言って切ったばかりの桃を出すと、百々子さんが思い出したように言った。昨日のことは伝わっているらしい。

「取引相手には、高級菓子を持って行くことが多い奴なんだよ。うちには、直売所の桃かあー」

 さすがによく知っている。

「身内同然の会社だと思って、けちられたかな?」

 百々子さんはそう言うけど、値段はそこまで変わらないと思う。

 それに、これは勘だけど、この桃は、小津さんの自腹で買ったんじゃないだろうか。何となく、そんな気がする。

 

「ももこさんの、ももですね」

 わたしがそう言うと、百々子さんは初めて気がついたように目を見開いて、少し照れたように笑った。


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