ヒロインだった私と悪役令嬢だった彼女
なんと私には前世の記憶がある。
王立学園に通うシシィ・マリアボーデン、17歳。
腰まで真っ直ぐに伸びた水色の髪がトレードマークで、みんなの憧れである学園の王子様であるアルフレードをメインに、学友、留学生、教師、執事達と恋のフラグを立てながら悪役令嬢やその取り巻きたちの邪魔をかいくぐって、女王の座と愛する人を射止めるーーという設定の、王道ストーリーの女性向けRPG「カリンダムの王冠」の主人公だ。
これが私の「前世」。まあ、髪は水色ではなく青みがかった銀髪だったけど、私を取り巻く人々も、ほとんどそのままだ。
では、今世の私は何かって?
だから、発泡酒片手にそのゲームをやりながら、前世の記憶にカチッとはまるシナリオに呆然としているしがない会社員、町田百々子がこの私だよ。
え? 嘘でしょ? 普通逆じゃない? このゲームの世界で目覚めた私が、今の会社員時代の記憶と共にこのゲームを想い出して、変なルートに乗らないように四苦八苦していくのが本来の転生ストーリーじゃない?
いやいや、世はまさにコロナ時代。そして空前の大不況。そんな中何とか週3回のリモートワークはもぎ取ったものの、残りの2日はきっちりとマスクして感染の恐怖に怯えながら、電車で通勤してるディストピアみたいな世界が現実で、きらっきらした衣装着て逆ハー作って艶やかに笑ってるのが前世?
……なんだか落差が凄い。
ええーつらい。現実つらいよ。どう考えても前世の方が良いじゃん。
ロココ朝もどき! 絶対身分制! 王族は正義! 民主主義なにそれ? 毎日朝起きてコルセットぎゅーって閉めて窮屈なドレス着てそれでも一切表情崩さないでにこにこしてて。授業内容は如何に完璧な淑女になるかばっかりで、労働とは庶民のするもの。会話といえば表面上は当たり障りなく。教養を身につけて社交界で話すことといえば薄っぺらい化かし合いとマウンティングの嵐で。……あれ?
なんだか私、そんな生活に嫌気さしてなかったっけ?
そんなわけで私は、このゲームに興味がわいたので、脚本家と実際に会う約束を取り付けていた。
調べたらすぐにSNSのアカウントが出てきたので、ダイレクトメールを送ってみたら、すぐに返信が来たのだ。
偶然にも私の職場と彼女(脚本家は女性だった)の家が近かったので、丁度中間地点の大きめの公園で会うことにしたのである。
本当はお茶でも飲みながら話を聞きたかったんだけど、このご時世だし、飲食はNGってことでね。
公園のベンチの端と端に腰をかけている。ソーシャルディスタンスは適切に。適正とされている2メートルは離れていないけど、まあ屋外だしマスクしてるし、こんなものだろう。
入江英理と名乗った彼女は、想像していたよりずっと若い子だった。小柄で、パーカーの上にぶかぶかなチェックのシャツ、ジーンズに大きな眼鏡という、いかにもゲーム業界の人(と言ったら偏見だろうか)らしい格好で現れて、そしてやたらとおどおどしていた。挨拶の時にも目が合わない。
「はははじめまして」
若干吃音気味なのは人と話すのに慣れていないからだろうか。
「初めまして、町田百々子と申します。あの、私、メールでも書いたんですけど、わかりますか」
「はははい、もちろんです、相変わらずおきれいです。すすすいません、あの、ままさか本人様から連絡が来るとは思わず、いや、この世界にてて転生してる人がいるとは思わず、とんだ失礼を」
挙動不審な上になにやらひどく怯えている様子だった。対人恐怖の気でもあるのだろうか。だとしたらわざわざ呼び出すなんて悪いことをしてしまったな。
それにしても、この子、あっさりと転生という言葉を使った。私は本名しか伝えていないにもかかわらず、である。
「……もしかして、貴女も」
「……エリザベス・バートゥです……」
消えいるような声で告げたその名前に、私の目は点になった。だって、エリザベスといえば、あの、
「悪役令嬢!?」
「ははははい、すみ、すみません、前世ではとんだご無礼をっ!」
今にも地べたに額をこすりつけて土下座しかねない彼女を慌てて止めると、あまりの変わりように愕然と見てしまった。
エリザベス・バートゥと言えばあれである、私と恋仲のアルフレードに横恋慕していて、何かといえば張り合ったり嫌がらせをしてきた絵に描いたような悪役令嬢である。
黒髪つり目でそこそこの美人、派手な格好でいつも取り巻きを引き連れて堂々と嫌がらせをしてくる子だ。それが。
「え、なんでそんなにおどおどしてるの?」
思わず聞いてしまった。
英理の語ったところはこうだ。
前世で私は、メインヒーローのアルフレードと卒業年のメインイベントである、星神降臨祭という祭で結ばれる。もちろん、ゲームのクライマックスもその降臨祭の場面だ。
特にその年は、女王の代替わりの年という事で、国を挙げてのイベントになっていた。
下級貴族の娘として育つも王家の血を引いていることがわかったシシィが、星見の塔に継承者のみ受けることが許される引継ぎの儀式を受けに行く。塔の最上階で星神様に王冠を授けてもらったら、時期女王というわけだ。
ところが後から、女王候補筆頭と言われながらも、兄の罪が露見して候補から外された悪役令嬢のエリザベスが、シシィの邪魔をしようと着いてきていた。
その妨害をアルフレードに助けられながら、なんとか彼女を振り切りって最上階に着き、無事星神様に戴冠してもらう。そして即位の鐘が国中に響き渡ってハッピーエンドという結末なのだけど……。
「そ、その後の断罪イベントが」
思い出すのも嫌だと言うように英理は頭を抱えてしまった。
私は昨日やり終えたばかりのゲームを思い出す。改心したエリザベスが泣きながら謝罪して、シシィ達に許しを乞うて終わり。あら、でもあんなだったっけ?
更にぼんやりとした、前世の記憶を手繰ってみる。
星神様の振り下ろされる杖、召喚される猛獣、泣き叫ぶエリザベス、アルフレードの酷く冷たい目、逃げ惑った末に塔から落ちてゆくエリザベス……。
「イケメンこわい、動物こわい、高いところこわい」
断片的に浮かび上がってきた映像とガクガク震える英理の様子で、何やら非人道的な断罪があった事を思い出した。
英理は割と早い段階で前世の記憶を思い出していたらしい。
そして例の断罪がトラウマになり、外に出ることもほとんどできない、引きこもりみたいな生活になってしまったとか。
「でででも、部屋でゲームばっかりやってるうちに、これで生計建てられたらって、思って、あの世界のことを少し脚色して書いて脚本賞に応募したら、しょ、賞取っちゃって」
それで、「カリンダムの王冠」が、製品化されたという事らしい。
「まさか私以外にもあの時の記憶を持ってる人がいるなんて思っても見なくて……ごごごめんなさい。迷惑でしたら、すぐに版権引き上げるんで」
「え、いいよいいよ、ゲーム楽しかったよ。ていうか、なんか、ごめんなさい」
自分がのほほんと学生やって就職して、文句言いながらも会社員を謳歌している間に、この子はずっと前世の記憶に怯えてたのかと思うと、申し訳なさがすごかった。
まあ、トラウマを植えつけたのはアルフレードと星神様だし、更に元を辿ればエリザベスの自業自得と言えないことはないのだが……。それにしても、前世であれだけしっかりざまあされたのだから、それでチャラぐらいで丁度良いはずなのに。この世界に生まれてまでそんなに苦しんでいたなんて。
そう考えて頭を下げると、英理がきらきらした眼差しでこちらを見ていた。
「め、女神様ですか……!?」
「ええー……」
いやいや、それはエリザベスを断罪して貴女をこんな風にした張本人の方だから。
「ももこさんは、アル、アル、アル、アルフフフフ」
「なにかおかしい?」
「ちちちがいます、名前を呼んだら現れそうな気がしてーー」
そう言って怯えたように後ろを振り向く英理をモニタ越しに見て、私は笑ってしまう。
あれから数か月、何故か意気投合した私たちは週一ぐらいでリモート飲み会をするようになっていた。といっても、英理はお酒を飲まないので、大体コーラだ。
「もしかして、アアルフフフレド、さまが、この世で暮らしてたりとか、思ったりしませんか?」
「アルが?」
もちろん、考えたことはあった。彼ならどこぞの国の王室に転生しててもおかしくないなと思うとなんだか笑える。もしかして、皇室の彼が、アルフレードだったりして、なんてね。
「もしもし、百々子さんが逢いたいなら、私探しますよ!」
そう言って英理はぐっと拳を握る。
「英理」
あんた、あれほど怖がってたくせに。
できればもう二度と会いたくないだろうに、私のために頑張ろうとしてくれるのか。
優しい子なんだよなあ、本当に。
そして私は美しい元婚約者の顔を思い浮かべる。
高潔で公平で、曲がったことは大嫌いで。貴族らしく尊大でーー。
「いや、いいんじゃないかな、無理に探さなくて」
「でもでも」
「私さあ、知ってると思うけど、この世界では前世の反動みたいにきちっとしてるの苦手になっちゃったんだよねー」
これは事実だった。記憶の中のシシィは常に凛としていて、人に弱みを見せないように張り詰めていたところがある。それは婚約者のアルフレードに対しても同じだった。
それと同じく、心のどこかで、羽目を外すことに憧れを持っていた。
「だから、会ってもがっかりされちゃうだけだよ、きっと。それに見つけるっていっても、男の人がそうそう乙女ゲームとかするとも思えないし、見つけようがないじゃん」
何より、この再会したばかりの元悪役令嬢は、アルフレードをまだ怖がっている。会っても仲良く思い出話なんてできないだろう。
下手に再会して、英理と変な空気になってしまう方が嫌だった。
「だからさ、気づかないなら気づかないで、いいんじゃないかな」
それから私たちは、リモートで話したり、SNSでやり取りとかし合って、コロナ終わったら旅行行こうねって計画も立てて、更にふたりで会社なんて初めてみたりして。
まあ割合に仲良くやっていた。
これはこれですっごく楽しい。自分の稼いだお金で好きな服を買って、好きな食べ物をテーブルに並べて、相変わらずリモートだけど、マナーとか気にせずに酔っ払いながらぐだぐだどうでもいい話して、大口開けて笑って。前世でやりたくてもやれなかった事をやってる感じがして爽快だった。
英理は凄く素直で、親切な子だった。
どうしてあの世界では悪役令嬢なんていう位置付けだったんだろう。でも、そういうものなのかもしれない。ある世界では、環境や考え方で悪役になるけど、別の世界では平凡で、また別の世界ではいい人で、でも根っこは同じだったりするのかも。
ふと、英理が真顔で言った。
「私、覚えてるんです、塔から落ちる時に見上げた星神様の顔。ちょっとやり過ぎたかなって顔でこっちを見てました。だからね、私、思うんです。この世界に転生できて、百々子さんと再会できたのも、星神様の計らいなんじゃないのかなって。今度こそ仲良くなればいいよって言ってくれたんじゃないかって。私、本当はずっと、シシィみたいになりたかったんです」
よくこの子は酒も入ってないのにこんなこっぱずかしいことを言える。
そう思いながらも、やっぱり嬉しくて、にやにやしてしまうのは止められない。
ああ、私今の人生に転生して良かったなーって言ったら、英理もにっこり笑って私も、と言った。
誤字報告どうもありがとうございます!