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ゴーストハウス・スイーパーズ  作者: 陽澄すずめ
#8 妓楼に舞う胡蝶の夢
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8-5 現実味のない現実

 思い返せば、朝の時点から有瀬くんは少し様子がおかしかった。

 珍しく寝坊したということはもちろん。


 ——もうちょいイチャイチャしようよー。


 いったいどんな夢を見ていたのか。


 ——いや、別に変な夢とかは見なかったっすね。だいたいいつも通りな感じ。


 目覚めても目の前に私がいたから、夢と現実が入り混じってしまったのだろう。

 私の霊符で場を囲っていたために、私に属する情報が余計に濃く感じられた可能性もある。


 戸惑いはあった。

 ネガティブには染まらない陽の者も、ポジティブ方向の呪いには同調しやすいらしい。霊的なものに対する親和性の高さが裏目に出た。あまり侵食されるのはまずいだろう。

 一方で、計算もあった。

 手がかりの少ない今回の案件。《《有瀬くんルート》》で主因にアプローチできないだろうか、と。

 いずれにせよ貴重な実例なので、少し様子を見ることにした。



 お昼前、昨夜も通ったスーパーまでの道を、二人で歩く。

 現場の物件を出て程なく、自然な動作で手を繋がれた。


「え、ちょっと」

「いいじゃん、繋ぎたいもん」


 絡んだ指先をぎゅっと握り締められる。


 今日もいい天気だった。辺りに蔓延る重い気さえも、隈なく照らされている。

 やはり人の気配は少ない。手押し車のおばあちゃんとすれ違った後、一台の車に抜かされただけだ。


 妙な気分だった。

 こんなふうに誰かと手を繋いで、澄んだ陽の光の下を歩いているなんて。顔を見ずとも、相手が穏やかに笑んでいると信じられるなんて。

 私の人生において、それこそ現実味のないことだった。

 いずれ醒めてしまう夢ならば、浅いうちにうつつへ戻る方がいい。


「あのさ、有瀬くん」

「二人っきりなんだし、安吾あんごって呼んでよー」


 そういう設定なんだ。


「いや、仕事中だから……」



 一晩ぶりのスーパーはそこそこの人出で、店員や買い物客が当たり前に日常を営んでいた。


「今日の夕飯、何がいっすか」

「あの場所で料理するの?」

「さすがに共同キッチンで米は炊きづらいかなぁ。麺類とかにする? それかシチュー」

「シチューいいかも。夜は冷えるし」

「ビーフ? それともホワイトにしちゃう?」

「んー、ビーフ」

「おっけ、んじゃ今日はビーフシチューに決定ー!」


 私たちの会話もまた、ごく普通の日常そのものだった。

 食品売り場で食材を揃え、ベーカリーでバゲットを買うついでに昼食用のサンドイッチも買って、帰路に着く。


 今回の現場が、一般的な住居用の物件じゃなくて良かった。

 繁華街から逸れた立地、平日昼間のコワーキングスペースには、今のところ利用者はいない。

 室内の空気がひんやり、いや、ぞくりとして、ちゃんと現実に引き戻されたから。



 お昼過ぎ、オーナーさんに来てもらった。リノベーション前の物件の資料を見せてもらうためだ。

 本人が「飛んできます」と宣言していた通り、連絡して五分後には玄関が開いた。どうやらすぐ近くに自宅兼オフィスがあるらしい。


 コワーキングスペースの一画にて、資料が広げられる。


「これがリノベ前の間取りです。基本的には変えてないですね。小さな部屋がたくさんあるのを、そのまま利用した形です」


 大きめの部屋には大家さんが住み、狭い部屋を下宿生用に貸し出していたようだ。

 当時と違う点と言えば。


「水回りは変えたんですね。浴槽がなくなってる」

「さすがに人が亡くなってますからねぇ。お酒を持ち込む方もいらっしゃるだろうと思って、余計な事故が起きないようにシャワー室だけにしたんですよ」


 もしかして、と一縷の望みに賭ける。


「その死亡事故の詳細って、ご存知だったりします? 事件解決のヒントにしたくて」

「うーん、詳細ってほどでもないんですけどね。亡くなった下宿生、大学生の男の子だったって聞きましたよ。前の大家さんに、物件の使用状況なんかをお聞きするのに一度お会いしまして。おしゃべり好きのおばあちゃんでね、その時にいろいろ教えてくれました」


 曰く。

 その男子大学生は真面目な子で、あまり遊び歩いたりせず、大学と書店のバイト以外は部屋にいることが多かった。

 大家さんは自分の孫のように世話を焼いていたそうで、事故の第一発見者もそのおばあちゃんだった。

 彼が入浴中に眠り込んで溺死してしまったのは、大学の課題やレポートやらで疲れが溜まっていたせいかもしれない、と哀しそうだったという。


「その男子学生、部屋では一人で過ごしてたんですか? 彼女が出入りしたりとかもなく?」

「うーん、そういう話は特に聞かなかったですね」


 おしゃべり好きのおばあちゃん大家さんならば、孫のように可愛がっていた下宿生が彼女を連れてきたらちゃんと把握しただろうし、なんなら積極的に彼女に絡んだのではないだろうか。少なくとも「一人で部屋にいることが多かった」という説明にはならない気がする。

 じゃあ、私が幻影で聞いた『女』の声は、いったい何だったのか。


 加えて、気になったのは。


「その方、お風呂の中で寝ちゃったせいで、溺れて亡くなったってことなんですね」

「睡眠障害的なやつかなって僕は思ったんですけどね」

「つまり、深い眠りに落ちて、目覚められなかった」

「……あー……なるほどなるほど、言われてみると確かに」


 オーナーさんもピンときたようだった。

 まさしく、今もこの物件で起きている怪奇現象と同じだったのではないか、と。


「土地に憑いた霊が数十年に渡って悪影響を及ぼす例はままあります。この辺りは特に立地が立地ですし」

「祓えそうです?」

「できる限り善処します」



 夕方。

 さすがにこの時間帯となると、コワーキングスペースにもちらほらと利用者がいる。

 共用キッチンで有瀬くん一人に料理させるのも気が引けて、珍しく私も手伝いに入った。

 とはいえ彼はあまりにも手際が良く、気付いた時には全ての材料が刻まれて鍋でぐつぐつ煮込まれていた。

 結局私がしたのは、バゲットをトースターで焼くことと惣菜のチキンカツをレンジで温めることだけだ。


「いいのいいの、料理は俺がやるし」


 頭をやわやわ撫でられて、我がアシスタントがまだ夢うつつの状態から醒めていないことを知る。この建物から離れた時間もあったし、半日が経過したにも関わらず。

 ある程度は想定通りだ。これまでに被害を受けた二人は、日を置いて何泊かする間ずっと夢に心を囚われていた。

 それが解けたのは、一旦完全に夢の中へと捕捉されて、目覚めた後だった。


 考えごとをしながらビーフシチューを口に運んでいると、テーブルを挟んで正面の有瀬くんがじっとこちらを見ていることに気付く。


「……何?」

「んー? 弐千佳さんがなんか食ってるとこが可愛いなーと思って」

「んぐっ……」

「ずっと見てられるわー」

「やめて」


 甘い。いやシチューは深いコクのある味わいだけど。

 『彼氏』である有瀬くんが、ただただ甘い。もう胸やけしそう。


「そんなことより、有瀬くん」

「安吾」


 うざ……


「真面目に聞いて。怪奇現象の考察がしたいんだけど」

「あー、結局ここの地縛霊って、昔この妓楼にいた女の人なんすかね」

「急に真面目」

「男を誘うような夢を見せて、引き摺り込んじゃう的な」

「恐らくそんなところだろうね。今のキャバ嬢と同じで、娼妓も指名してくれる固定客が多い方が立場も強かっただろうから」

「そのシステムにずっとハマっちゃってるんすかねー。ほら、今って簡易ホテルの形式だから、ある意味妓楼の時と似た感じじゃないすか。リピ客を増やしたいみたいな」

「確かにね、筋は通るね」


 ただし。


「今朝方の幻影で伝わってきた情緒、かなり真に迫った恋愛感情だった気がするんだよ。『後生だから、どこにも行かないで』って」

「中にはガチ恋勢もいたんじゃね? 関係してるうちにマジになっちゃったりとか」

「生前の叶わぬ想いが念として残ってるのか」


 人の愛憎は呪いに転じやすい。それは道理だけど。


「だとすると、私の視た幻影が《《十年前の記憶だった》》のが謎なんだよね」

「弐千佳さんが視たやつ、溺死した大学生が見せられてた夢の内容だったとか?」

「『後生だから』なんて古風な喋り方する女が彼の想い人だったってこと?」

「霊がその人の魂を取り込んで、記憶が混ざっちゃった説」

「んー……なんかその辺すごくちぐはぐな感じがするんだよ。そもそも女の視点だし」


 ちぐはぐと言えば。

 有瀬くんは、今の自分の状態にどれほど自覚があるのだろう。

 少なくとも、仕事に関することであれば普段通りであるように思う。

 場の念に侵食されつつも、正常な判断が可能。これはベストに近い状態と言えるのではないだろうか。

 なぜなら私自身の術も、念を自ら引き受けることで成り立っているからだ。


 実を言うと、このまま独断で浄化を進めようかと思っていたところではあった。

 これまでの私はいつも、全ての段取りを一人で決めて、後から有瀬くんに補助的な役割を振っていた。

 だけど。


 ——俺、強くなります。ちゃんと弐千佳さんの隣に立てるように。


 改めて顧みれば、「一人で何でもやってしまう」と思われて当然だった。

 どうあれ、二人で取り組んでいる仕事を、相談もなしに一人で進めるのは良くない。

 だから、今回は。


「有瀬くん、浄化のプランを立てよう」

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