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ゴーストハウス・スイーパーズ  作者: 陽澄すずめ
#3 殺人ラブホテル
23/76

3-4 結び付かない幻影

 泥のような意識の中に、ぼんやり浮かぶ何かがあった。

 正面に、誰かいる。

 重たい黒髪のショートヘアで、頬は血の気が薄く、目付きが悪くて辛気臭い表情をした。

 いや、私だ。紛れもなく私だ。

 後ろを振り返る。またそこにも私がいる。

 右を見ても、左を見ても、やはり私がいる。

 どの私も暗い顔をして、まるで死神みたい。


 あぁ、でも。

 ある意味では、死神に違いないだろう。

 私の()()()魂が、ちゃんと明るい道へ進んでいったか分からない。

 過去には、上手く祓うこともできずに存在ごと潰してしまった魂だってあった。


 そう、()()()の魂も。


 たくさんの私の姿が、だんだん昏く翳って——



 視界が突然、ホワイトノイズに覆われる。



 場面が切り替わったらしい。モヤの向こうには手の届くほどの低い天井が、そして長方形の車内灯が見える。

 さっきのは夢だったか。おかしな夢だ。

 この、車のシートに寝転がったような光景こそが、場に根付く霊の記憶だろう。


 考える暇もなく、誰かが覆い被さってくる。男だ。

 あぁ、何、またこのパターンなの。

 男の両手がこちらの首にかかる。そういう趣味の野郎なのか。


 そう思ったのも束の間。凄まじい力で気道を締め付けられる。

 どうやら相手は本気でこちらを殺すつもりであるらしい。幻影だと分かっていても、苦しいし恐ろしい。

 相手の半袖シャツの隙間から、腕の筋肉が盛り上がっているのが見える。

 心臓が暴れていた。全身の血液が沸騰しそうだ。もがく()()の細い腕。くっきり赤いネイルカラーの手が何かを探すように空を掻く。


 ——嫌だ、嫌だ、こんなの……!


 激しい情動が思考を塗り潰した拍子に、意識は蒸発して溶けた。



 ハッと目を開ける。

 仄暗い闇に染まった、見慣れない天井がある。

 一瞬、どこにいるのか分からなかった。常夜灯にしているルームライトが壁寄りにあって、そうだホテルだったと思い出す。


 途端、ぞくりと全身に怖気おぞけが立った。

 肌に触れるような濃い気配。

 ()()


 私は勢いよく跳ね起きた。

 部屋の壁に沿って自分の気を巡らせ、相手を捕捉しようと試みる。

 だけどその時点で既に、妙な気配は跡形もなく消えてしまっていた。


「……くそ」


 異様に暗い。スマホを手繰って確認すると、朝の七時過ぎだ。

 窓を封じる戸板を開ければ、やっと光が細く漏れ出す。

 白い部屋が一気に明るさを取り戻した。

 眩しい。眩しくて、頭が痛い。


 思えば、ずいぶん長く眠っていた。

 昨夜は確か、午後十時半過ぎにシャワーを浴びたはずだ。久々の長距離運転でよほど疲れていたのか、その後のことはよく覚えていない。八時間ほども寝こけていたことになる。

 さすがベッドの寝心地は良かったけど、悪夢と幻影の二本立てじゃ、とても休んだ気にはならない。


 ソファに腰かけ、タバコに火を点ける。もう残り一本だ。昨日のうちに買っておけば良かった。味気ないシトラスの煙を、溜め息と一緒に深く吐き出す。

 なんとなくテレビの電源を入れる。CSか何かの、映画のチャンネルが映る。

 適当にリモコンを操作していたらうっかりアダルトチャンネルを選局してしまい、思わず虚無になった。朝から見るようなものじゃない。まぁ、いつ見たって虚無なんだけど。

 やっと映った地上波のNHKでは、無機質な喋り方のアナウンサーが朝のニュースを伝えていた。

 演技くさい情交も、首都圏の物騒な事件も、この地域の天気予報も、まるで遠い世界のことのようだ。


 しばらくそのままぼうっとしていると、部屋の扉がノックされた。


「おはよーございまーす」


 有瀬ありせくんだ。

 真っ白な部屋に色彩が灯る。今日の彼はネイビーの地にスイカの絵柄のシャツだった。


「米だけ炊いたんで、おにぎり作りました。朝メシにしましょ」


 手にしたトレイにはラップで包んだ大量のおにぎり。しそとわかめの二種類がある。

 しその方を一つ取るとまだしっかり温かく、そして大きかった。「いただきます」と齧った一口で、ようやく自分が生物であることを思い出した。


 ソファに隣り合わせて座った有瀬くんが、わかめおにぎりを食べながら神妙に言った。


弐千佳にちかさん、俺、新境地を開拓しちゃったかもしれない」

「うん、何」


 話半分に相槌を打つ。


「昨夜寝る時、自分に暗示をかけたんすよ。『ここは本物のリゾートだ』って。そしたらなんかすげえ楽しい夢見て、目覚めた瞬間ガチでリアルなバリにいるような気分になって。まぁバリとか行ったことないんすけど」

「……うん」

「ぶっちゃけラブホの部屋なんて、どこでもいいわけじゃないすか。でも今回はあのバリ的な内装のおかげで、純粋なリゾート気分を味わうことに成功したんすよ。これがニューリゾートの力!」

「それ、オーナーさんに言ってあげたら喜ぶんじゃないかな」

「せっかくだし、他の部屋も覗いてみよっかな。こんな機会でもなきゃ部屋を移動したりできないし」


 夢の中ですら陽キャなら、悪霊だって寄ってはこないだろう。その鋼のメンタリティを見習いたい。


「弐千佳さんの方は、何か視えた?」

「あぁ、うん。ちょっと変な夢を見た後に、念の幻影も視た。車の中で、女が男に首絞められてて、その女の方の視点でね。霊の気配も感じた。逃げられちゃったけど」

「こっ、今回も激しっすね……三つの事件とも、殺されたのは男の方だったっすよね? 弐千佳さんが視たのは、女の人が殺されるところだった?」

「その女の怨霊が、男性全般に恨みを向けてる可能性はある。それでホテルの女性客に乗り移って相手の男性を殺した、っていう仮説は立てられるね」

「車ん中でってことは、ここの駐車場とかだったんかな」


 改めて記憶を検索して、眉根を寄せる。


「それがよく分からないんだよね。外の景色は見えなかったから」

「でもこの場所なんすよね?」

「というより、()()()()()()()()()()()の念が視えるってこと。別の場所で起きた出来事の記憶を持った怨霊が、ここにいる可能性もある。昨日オーナーさん、駐車場で誰か死んだって話はしてなかったし」


 有瀬くんが首を捻る。


「それって、どゆこと? 別の場所での記憶が強い負の念として残ってるのに、なんでわざわざこの部屋で地縛霊になるの?」

「うん、そう、それなんだよね。よっぽどこの部屋のお得意さんだったとかかな」

「あーなるほど、ラブホの部屋に拘る人もいるのかな……あっ、もしかして、実はその人が最初の事件の犯人とか? きっと毎回この501号室を秘密の相引きに使ってたんすよ」

「不倫カップルの? フェイスタオルで男の首絞めたっていう」

「そう! 実はその男にはエグい首締めカーセックスの趣味があって、彼女の方はそれを嫌がってて、ここにエッチしに来た時に恨みを晴らすために男を殺したとか。首を絞め返して」


 デートDVを受けていた可能性か。


「んー……なくはなさそう。でも、だったらやっぱり、事前に凶器を用意しそうな気がするんだよね。わざわざ腕力頼みの方法は取らないでしょ。私なら、相手が寝てる間にメッタ刺しにする。仕留め損ねたらやり返される可能性が高いわけだしね。殺られる前に確実に殺らないと」

「殺意がパネェ」

「突発的に犯行を思い立ったとしても、少なくとも相手の起きてる時は避けたいよね」


 背中で担げば不可能ではないかもしれないけど、それでも男性相手には心許なさすぎる。


「そもそも、その時死んだのは男だし、その霊が二つめ三つめの事件を促すのはピンとこないんだよね。やっぱり、最初の事件より前に起きた出来事の怨霊なんじゃないかな。こないだのマンションの件みたいに」


 私はスマホにマップを表示させる。


「この場所、念を集めやすい立地ではあるんだよ。ここのラブホ街って、高速道路と国道、それから川とで囲われた地形でしょ。道や川は境界線なんだ。物理的に土地を区切るだけじゃなくて、気の流れも区切る。悪いものも滞留しやすい。そんな地形のど真ん中に、このホテルはある」

「じゃあ、このエリアのどっかで車中死した人の怨霊がここに流れてきてるのかもってこと? で、その念のせいで殺意の波動に目覚めた人が事件を起こしちゃった感じ?」

「ちょっと苦しいけど、あり得なくはないかな……」

「でも、なんでこの501号室?」

「そうだよ……結局そこなんだよね。もう少し手がかりが欲しい。念と場との結び付きが分からないと、断ち切り方も分からない」


 小さく溜め息をついたところを、有瀬くんに覗き込まれた。


「弐千佳さん、大丈夫すか」

「……顔色悪い?」

「うん」

「眠りが浅かったからね。夢の中で見た自分もだいぶ顔色悪かった」

「夢に自分が出てきたんだ」

「なんかね、前後左右どっち向いても私がいて。全員辛気臭い顔してて、見てるだけで鬱になるような。私、いつもあんな感じなんだ。我ながらひどいな」

「え、弐千佳さんはいつもかわいっすよ」

「……は?」


 思わず眉をひそめる。


「お世辞はいい」

「お世辞じゃないです。本心です」

「そんなん言っても何も出ないけどね」

「えー、結構マジなんだけどなー」


 そう言われてもね。


 有瀬くんは食べ終えたおにぎりのラップのゴミを集め、席を立った。


「よっし、もうちょっとしたら買い物行ってこよっかな。車借ります。なんか要るもんとかあります?」

「じゃあタバコお願いしていい?」

「了解ー」


 いつものようににぃっと笑って、有瀬くんは部屋を出ていった。


 急に静寂が戻る。室温すら下がった気がする。

 磨りガラスの細い窓からは、大した空も見えない。

 トイレに行って洗面台で手を洗い、鏡を見た。

 重い前髪。不機嫌そうな目元。頬はびっくりするほど白くて、唇はカサついていた。


「……どう見ても可愛くはないでしょ」


 何せ、死神なのだから。

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