3 夢見る力④(回想2/2)
昨日の私は、自転車を押しながら、隣を歩く塚原影路氏が私の実家の家業に興味を持っているらしいことが妙に印象に残っていました。
「気になる?」
「話の種としては」
……まぁ、どこぞの双子みたいに超気になるとか言われても困るんですけれど。
ミスターは顔を上げ、横目で私を一瞥しました。
「先程の話で、考えたことが、三つ」
話題がないときは質問で話を広げよう、という方針なのか、自分のことを話したくないのか、まだ質問コーナーは続きます。
「既に就職面談が秘密裏に進んでいて、決まった場合」
直前に話していた、本当に出家希望なら寺生まれの私じゃなくて本職のお父さんに言ってくれればいいものを、という愚痴の解の一つですね。
「今はないはずだけど、真剣に仕事する気ある人なら歓迎したいね、うん。あんまり話合わないと困るけど」
ミスターは頷きました。
「もう一つ。一度断った出家希望者が就職面談に合格して、決まった場合」
こちらは、適性や精神性、動機等の面で私の判断でお断りした相手が、お寺の後継ぎに相応しい人物に成長したら、というパターンですね。
「断るって言い方したけど、一応、顔と名前覚えられない人は向いてないと思うからやめといた方がいいんじゃない、とか、真面目な人じゃないとやってけないよ、とかってやんわりとだから、そう言われて気付いて本当に志してくれる分には、いいと思うよ」
最低限、年に一度会うか会わないかの相手もきちんと覚えておかないとやってけないですからね。クラスメイト全員の名前を言えるとか、口が悪くない、口が堅い、というのも大事です。
「それでもう、本職の人がこの人なら大丈夫って言えるほどしっかりしてたら、まぁ、私が拒否する理由はなくなるかな。過去の態度がよほどでもない限り、真面目にやってるなら歓迎するし、あとは、条件で断ってる以上、条件を満たした人を断るのはフェアじゃないから」
ミスターは一通り黙って聞いた後、ゆっくりと頷きました。
「最後。出家希望者が結婚を断った場合」
これは、私とお付き合いするなら結婚前提かつ実家のお寺を継ぐこと、という条件が仮に根底から覆ったら、と聞いているのでしょう。
「あー。その辺は、お父さんの考え次第かな。私は、私と結婚したいからお寺に、ってスタンスの人にはどうしても偉そうに厳しく条件付けざるを得ないけど、お寺に来るけど私のことは別に、って人には、口出すとこないし。なんなら既婚者のひとが家族連れで転勤してきて、あとはわたくし共にお任せあれ、ってこともないとはいえない。そのときは、状況による」
その場合、お寺の事務的な諸々をうちのお父さんとお母さんが手伝うのか、その人の奥さんやお子さんが引き継ぐのか、私はどうすればいいのかなんかは、仮定が重なりすぎて何一つ決まっていません。実家が乗っ取られることは父も避けたいでしょうし、あまりないとは思いますが、確かに考慮しておくに越したことはないですね。
「……やけに聞いてくるね?」
答え終えた私に、ミスターは視線を落とし、静かに答えます。
「…………言えることがない以上は」
「そっか。私だけ喋ってる気がしたから、それなら、いいんだけど」
いつもなら、科学や哲学のテーマトークとか、ニュースについてどう思うとか、国語便覧の引用元当てとか、喋る量が同じくらいになるんですけれど。
「でも、やっぱり私のことばっかりじゃなくて、今度はミスターの話したい」
ぶっちゃけた話をするのは別にいいんですけれど、自分のことを話してばっかりは性に合わないので、そう提案しました。
ミスターは将来について、何も決まっていない、言えることはないと答えていました。そう言われるとやっぱり、あれはこれはと好奇心が発動してしまいます。
「どういうことに興味あるとかは、考えたりする?」
「…………職業に結びつかない範囲であれば」
「まぁ、趣味を仕事にすると心置きなく楽しめなくなるってよく聞くもんね」
好きでも義務になると苦痛と化すというのは辛い話です。
「成績がいいから進学するとか、料理上手だからそっちの道に進むとか、いっそのこと起業するとか、そういうのは?」
ミスターは首を横に振りました。進学の予定もない、と。では、さんざん聞かれているであろう科学や先端技術に携わる気も、成績優秀者の定番である医学や法学への興味も、おそらくないのでしょう。ふむ……。
「じゃあ、演劇部だし、役者とか劇団所属みたいなのは、考えたりする? 目立っちゃうけど」
得意分野を活かす別の道、と思いつくまま尋ねました。
ミスターは顔を伏せ、足を停めないまま、絞り出すような声で呟きました。
「……………………死ぬまで誰かに成り済ますのは」
私はこのとき、一瞬思考が飛びました。
「────そ、そっか。趣味の範囲がいいか。じゃあ、頭使いたいとか、人と接したいとか、体動かしたいとか、そういうので考えていくのは? 自分のお仕事で、お客さんなりユーザーなりに、どんな風に思ってほしいとかでもいいし」
私が全力でごまかすと、ミスターはわずかに顔を上げた後、首を横に振りました。
得意なこと、したいこと、と続いて、今度は、できることと求められていることを考えてみることにします。
「世の中どうなるかわかんないから、考えるのも一苦労だよね。一般的に必要とされ続ける職業って意味では、インフラ、医療、食事、農業、工業、教育・保育、冠婚葬祭……この辺りはよっぽどのことがない限り盤石だと思う」
テクノロジーの進歩や経済戦争や治安の悪化や何やらでどんどん世界が変わっていっても、人が生まれ生き死ぬからには、世の営みは続いていくものです。
ミスターにはどんなお仕事が似合うか、頭の中で職業制服を着せ替えながら働きぶりや表情を思い浮かべます。……現場作業よりは計画立案と事務手続き向きで、にこにこ人と接するよりは淡々と何かに打ち込むタイプで、でも感情表現や演技は上手で、じっくり話を聞くスタンス…………。
起業と役者はいい線いってると思ったのですが、その気がないのでは仕方ないですね。
「……なんか、さっきの話の後だからあれだけど、ミスター、もし本当に決まってなくて、何も思いつかないようだったら、第三希望にでも出家って書いてみるのはどう?」
ハンドルを握りながら親指を立て、つとめて軽い調子で冗談めかしました。
「隠者ってよさそうかもと一瞬思ったけど、どうやってなればいいのか知らないなーって。一応お寺は国内ならだいたいどこでもあるし、宗派さえ間違えなければ何らかの形で必要とはされるだろうし。そういう意味では葬儀屋さん方面もかな、とか」
ミスターは良くも悪くも、大アルカナのハーミットが似合う雰囲気があります。
私が補足すると、ミスターはただ穏やかに答えました。
「…………可能なら、検討する」
「今回とりあえず書く分には問題ないと思うよ。後で色々聞かれはするだろうけど」
私の入れ知恵でミスターが仏門に入ると知れたら、絶対そういう目で見られますからね。やましい気持ちが一切ないとは言えませんが、思いつかないわけではないのに何にもなりたくないなら、別にうちのお寺に限らず、俗世と隔絶された場所で隠遁生活もありな気はします。
「他にこういうお仕事あるよって紹介できるほど詳しく知らなくてね。親戚で公務員・寺社・科学・医療・農業とか色々いて話はたまに聞くけど、具体的に何してるかって、あんまりわかんないから」
その気もない人を勧誘するつもりはないので、そういう言い方になりました。母は元地方公務員だったので多少は知っていますが、何年か毎に部署を転々としたり常に利用者に懇切丁寧に接したりは、ミスターにはあまり適さない気がして、言いませんでした。官僚や国家公務員ならいざ知らず、市役所に勤めるには、周囲の視線が心を蝕みかねませんから。
ミスターは、小さく息を吐きました。
「…………ありがとう」
「いや、こっちこそ、言いたいことばっかり喋っちゃって、悪いなぁと思って」
私が苦笑すると、ミスターは首を横に振りました。気にしなくていいという意味なのでしょうが、気にした方がいいこともあります。
「もちろん、ミスターが興味あるなら、だよ。実際になりたいかどうかとかはともかく、興味関心すらないなら、適当に書いたばっかりに後で周りからそういう風に扱われていやだ、みたいなこともあるだろうから」
「……何もないよりは」
「…………うん」
そう言われると、返す言葉はありませんでした。
思春期に陥りがちな、自分が何者なのかというアイデンティティの問題は、ミスターの場合、個人の問題に収まらないというのが厄介なポイントです。
天才のクローンという出自がつきまとうミスターは、ただの田舎の進学校の成績上位者の比ではないくらいに進学を期待されている節があります。なので、周りがとやかく言うものじゃないよね、とつい思ってしまいます。
ミスターの遺伝的オリジナルの塚原進路氏は、その経歴と業績を取り上げる書籍や記事が無数にあり、知らない者はいないといってもいいほど知れ渡っています。成果物だけを挙げても、人格関数エンジンの開発、榊詩織叔母様と共同でインナース理論検証装置の作成、大海原杳乎さんと組んでレイヤードシステムの大本を設計、不可逆性理論と、DR実用化に尽力した立役者です。
特定分野の才覚が絶対的に保証されている以上、それを十全に引き出したい気持ちはわかります。ですが、比較され続ける人生のプレッシャーに勝ち続けろと押し付けたくないので、なおさら本人の意志を尊重したくなってしまいます。ミスターがあまり自分の意見を出したがらないのも、表情すらほとんど出さないのも、どうしてそうなったか想像すると、哀しいですから。
塚原進路氏は壮業大学の飛び級支援プログラムに参加して高校生活を丸ごとスキップしていたことから、ミスターは高校での成績を褒められるのも本意ではなさそうな反応でした。遺伝的オリジナルと同じことをしても二番煎じで上を行くにはあまりにも壁が高く、違う道を行こうにもしたいことも目的もなく周囲の期待が圧力となって雁字搦め。それは、とても惜しいものです。
以前ミスターは、演劇部に入った理由を、自分のアイデンティティを棚上げできるから、と答えていました。部に入ったのは本人の意志だったそうです。自分じゃない誰かになることの喜びを体で表現するあの生き生きとした演技は、よほど日頃から鬱屈した気分だったのだろうと想像させます。でも、役者として生きるつもりはない、どころか、それは触れてはいけない事項のようでした。
天才のクローンであるというアイデンティティすら手放したら、自分に残るものはあるのかと、そう自問してしまったとしても無理からぬ話です。
…………だから、私は個人として、せめて仲良くしたいんですけれども。
まぁ、気を遣ってると気付かれた時点でその気遣いは逆効果でしかないので、ミスターが自分の話をしたくないなら、私が自分の話をし続けるか、別の話題で振り回すかのどちらかでした。
「あんまりいい考え方じゃないかもしれないけど、やりたくないとかできないを考えて絞り込むのも、ありかもね。……そろそろこの話おしまいにしとこうか」
これ以上は、本当に、追い詰めてしまう気がしました。
「何の話しようかねー…………」
「……………………第三希望に、書いておく」
小さな声が聞こえました。無視できるはずもなく、終わらせたはずの話題をまた、ずるずると続けます。
「…………作家と出家は最後の手段って言うし、本当に思いつかないなら、それもまたありかもね」
できることが多すぎると何も選べなくなる、というのはよくある話です。でも、ミスターはそれとはまた別の壁にぶつかっているように見えました。
「書きたいことがあるなら作家もよさそうなんだけどね」
「……出家で」
「ビーフオアチキンみたいな答え方しおってからに……」
こればっかりは、私が口を挟むことじゃないので、どうすることもできないんですけれども。
「でも、第三希望に挙げるからには、言ってみただけ、じゃなくて、よく検討した上で判断してほしいな。やっぱやーめたするにも、実態を見て気が変わった、の方が通りはいいだろうし」
ミスターが頷いてくれたので私は続けました。
「出家するしないは別として、人生相談でも将来の悩みでも、実際の修行でも、モチベーションについてとかでも、近所のお寺のお坊さんとかに聞いてみてもいいかもね。……うちのお父さんでもいいけど、なんか絶対誤解されるし」
ミスター本人さえその気なら外堀から埋めるのも悪くないんですが、やっぱり、自分の意志で心が傾かない人には効果はないですからね。
ミスターはいつも通りの静かで穏やかな声で返事をしました。
「第一声で、生きていたくないと言えば誤解は確実に解ける」
「…………冗談に聞こえないからやめてよ……泣くよ」
誤解を解くためだけにそんな嘘をつかれるのも、嘘じゃないのも、どちらにしても絶望しますよ。
「言い方は考える。相談は、機会さえあれば」
「それは結局しないパターンの言い方だなー。本当に聞くつもりあるなら、お父さんに話通してみる? それとも、ミスターの方で?」
「三者面談の後で考える」
「わかった」
その辺は、進学実績が欲しい学校側と、担任の先生が個人的にどう思っているかと、保護者の方のご意向とで、再考の余地がありますからね。
「でも、進路相談の後でミスターが人生相談に行ったら、ここぞとばかりに勧誘されかねないから、注意ね。うち丁度あと三年くらいで人手不足になるらしくて、困っちゃってね。もし本気で来てくれるならお父さんもきっと歓迎すると思うんだけど。そういう意味の誤解も、あるかもしれないから」
なるべく気楽に、そういう候補扱いは今のところしていないと示唆しました。気心の知れている相手に来てもらえるに越したことはないとはいえ、やる気のない人が流されて辿り着くのは、やはり避けたいものです。
ミスターは頷き、言葉を選びながらいつもの調子で答えました。
「…………自動的に、第一希望に繰り上がりはする。ただ、消去法やセーフティーネットとして考えるのは、勧誘してくれる相手に失礼に思う」
真面目で誠実な返答でした。私も、深く頷きました。
「……そうだね。だから、考えてみようかな、ともし思ってくれてるなら嬉しいけど、乗り気になれないなら、聞かなかったことにしていいよ。ミスターの第三希望まで埋める足しになればいいなって思って言ってみただけだから」
本人が自分の意志で希望しないことには、意味ないですからね。今更ですけど、将来どうするのやりたいことないのと追い詰めて、追い込んだ相手に優しくおいでおいでするって、これ、邪悪なやり口ですね。気をつけねば。
ミスターは、別の観点から保留の理由を挙げました。
「……………………就職だと、保護者と要相談になる」
「そうなんだよねー。田舎のとはいえせっかく進学校に入ったのに就職かーって。でも、受験勉強から逃げるために来られても、修行の日々はずっと続くから、うちに来るひとにはそこもわかっておいてもらわないといけないのさ」
「それ自体は問題にならない」
「お、そーお?」
つい私の方が食いついてしまいました。
「……でも、その他に問題があるってことだもんね」
「説得材料も、説得する熱意も」
「熱意ないのはマイナスだよー。ま、消去法だからそうだろうけど。……田舎だから特に、外からの成り手って多くないしね。少なくとも、どう取り繕っても華やかなお仕事じゃないから」
ミスターはゆったりと答えました。
「必要で大切な職業ではある」
「…………うん」
そう言ってくれることに、喜びと苦しみが同時に湧き上がりました。私は心中を悟られないよう気分を切り替えて、明るめの調子で話します。
「そう思ってくれる人が熱意と適性を持って希望してくれると一番なんだけどね。なかなか難しいもので。たくさんいても逆に後継ぎ争いになっちゃうし」
「家業も検討事項が多い」
「ほんとだよー。人が多ければもめるし、かといっていないとどこかから見つけてこないといけないし。ほどほどってものが大事なのに。演劇部もだよね。大変でしょ副部長」
話題を変えながら同時にご機嫌取りに走るという小物キャラみたいな振る舞いをすると、ミスターは小首をかしげました。
「まだ大変では……。人を、増やせと」
まるで私がそう言っていると言わんばかりの聞き方です。確かにこの理屈だと、勧誘するという選択肢が正しいように聞こえますね。でも、演劇部はそうじゃないのです。
「できればいいけど、条件多くて難しいよ。企画もこれからとはいえ、今年いっぱい週二日二時間空けてくれて、場合によっては家でも作業手伝ってくれる人とか、恋愛禁止のルールを守って揉め事を起こさない人とか、部長とうまくやっていける人とか、恋愛禁止を厳守できる人とか」
あえて二回言ったのは、入学して間もない頃にその手の波風を立てようとした生徒がいたせいです。当時の私のデマの大本もそのひとでした。
昨日の私は、部室で話していたことをミスターにちらっと伝えました。
「……さっきミスターと先生が来る前にちょっと話してたんだけど、やっぱり今いるメンバーで、できる範囲で最大限やっていくしかないかもって」
「…………あの二人を呼び戻す手もある」
「本人たちが良ければね。私はいいと思うけど、一度退部した手前、お手伝いだって顔を出しづらいだろうし」
「話は通してみる」
「まぁそれは、後々必要にはなってくると思うけど、ひとまず、今の演劇部の五人で確認してからがいいかな。呼んだはいいけどやっぱりいなくてもよかったーとか言えないし」
ミスターは頷きます。
「最優先事項は、企画内容の決定」
「うん。まずそれがどうにもならないことには、どこにも進めないからね。一応次の金曜日までにやりたい案を持ち寄って、五人でできそうな形にまとめて、最低限、PerFEに入力してお話を作るとか、いくつかパターン出してみて一番いいものを選ぶとか、その辺りまでしたいね」
塚原進路氏が開発した人格関数エンジンは、小説の文章や脚本の台詞を関数化して、あらすじにまとめたりキャラクター像の抽出が可能で、関数を合成すれば新しいお話作りや集団シミュレーションもできる便利な代物です。『デュナの似姿』や〈人間神話〉シリーズで有名な中神内人は、デビュー以来24年間、人格関数エンジンを利用して創作活動を続けているといわれています。そういえば、今度の〈BABEL〉のハロウィーンの現代技術展示区画で、中神内人が人格関数エンジンの魅力と有用性を語った同人誌が頒布されるそうです。
「できたら話の流れやら役柄やらに合わせて科白をそれっぽく修正もして、次回までに読み込んでくるとか。私はローカルでPerFE使えるから、ミスターとキョーメイの手を煩わせるほどではないと思うけど、不具合とか諸事情で駄目そうならそのときは……」
「手伝えることがあればそのときに」
「ありがと。助かります」
「まずは題材と表現方法」
「うん。具体的にやりたい展開とかどういうジャンルかとか決めたいな。ファンタジーとか貴種流離譚とか、元ネタありならそのダイジェスト版とかパロディとか」
「演者が最大五人、かつ二十分前後でまとめられる範囲となると、舞台設定や人間関係は狭くなる」
「そこが重要なんだよねー。早着替えの一人二役とか時代を飛ばして二人一役とかもいいけど、観てる人が混乱しない情報量に収めないといけないし。あと、観る人たちの層を考えると、小中高生と保護者、地域の人たちだから、一般受けするものがいいよね。時期が時期だから、冬とかプレゼントがモチーフでもいいかなーとか。ただ、実際に演じるとなると、個人的には恋愛色が濃いのはちょっと遠慮したいけど。ミスターはどう?」
私がついオタク特有の早口でしゃべり倒すと、ミスターは変わらず静かに呟きました。
「……どうだっていい」
「ごめん、聞き方が曖昧だった。どういう内容ならいいとか、どういう内容は抵抗があるとか、あるなら早いうちに共有しておいた方がいいと思って」
この手の題材だと、現代舞台なら友情・恋愛・家族がやっぱり鉄板ネタなのですが、家族はミスターの出自を考えるとすさまじい地雷でしょうし、みことちゃんとキョーメイもいい顔をしないと思います。恋愛は私が嫌ですし、友情はやっさん先輩があたし友達いないからと言い出しそうで、どれも難しいところです。
「条件に沿う範囲なら、おそらく問題ない」
「そっか。まあよっぽど子供に見せられないような展開でもなきゃ、だいたいなんとかできるか」
「…………部長の判断にもよる」
「そう、ねぇ。部長さんは、『話を合わせろ』のときも照れが抜けなくて。まぁみことちゃんもそういうところあったけど。あの二人がのびのび演じられる配役かどうかも鍵だね。ミスターもキョーメイも、文化祭の時点で一人芝居できるくらい舞台度胸も演技力も演じ分けの力もあったから、そっちは心配してないけど」
「…………脚本の完成後は、背景は特殊照明として、あとは小道具・大道具、衣装、読み込みと合わせ」
「こだわるなら、かつらとメイクも話によっては必要かも。遠くからでも見やすい識別しやすいって、舞台演劇だと重要だし。あとは、照明操作の人手が足りなかったらそこだけ人手が必要になるか、並列操作用のシンプロイドを買ってきて流れの入力とかも…………あー、やること多すぎるよ。学校の宿題とかテストだってあるのに」
「省力と注力の優先順位も決めた方がいい」
「そうね。大道具は別になきゃないで背景と一緒にプロジェクションマッピングでどうにかするしかないし、衣装も小道具も歴代の有り物で済ませて、最低限、演技だけでも完成させて臨みたいよね。観るひとの想像力を信じるというやり方もあるから」
「…………部室に何があるか把握しておく必要もある」
「うん……もう、考えることも多すぎ……。ミスターぐらいだよ真面目に考えてくれるの」
「……………………個人の優先順位は違う」
「うん……。そうなんだよね、部長は課題研究があるし、みことちゃんは学業優先だし、キョーメイは、考えてくれる方だけどそれと同じくらい茶化すし」
「文芸部と写真部は」
「えっ、私? ……いや~、ミスターが私に興味持って覚えててくれてるとは嬉しいですな~」
「今日掃除中に聞いた」
「そうなんだ。ってことはメリーさんかインレンかな。どっちも私は、大丈夫だよ。写真部のコンテストに出す写真はもう出して、文芸部は、あれ、小説八割方できてて、え、ハロウィーン号のイラスト描いてない! 大変だミスター! 私分身できない!」
「…………金曜日に演劇部に出られないようなら、意見や案を検討事項ごとまとめて事前に共有しておいてくれればこちらで」
「いやさすがに企画会議には出るよ。出られるよ。ただちょっと頭パンクしそう」
「ボイスメモを使えるなら情報整理の役には立つ」
「ボイスメモ。そうね、帰ったらやってみる。帰るまでに忘れないようにしないと」
「必要なら、今話した流れを後でメモにまとめて、演劇部の共有フォルダに入れる」
「え、……できるの? っていうか、やってくれるの?」
「必要なら」
「やってくれるとすごく助かるし嬉しいんだけど、……いいの? お願いしちゃっても」
「必要なら」
「三回も同じこと言わないでよミスター、もっといろんな言葉を喋ろうよ」
「必要なら」
「くぁーっ! これだよ!」
「……………………今日中にやっておく。19時までには済ませて、全体に通知する」
「おお……。はい、了解しました、よろしくお願いします……」
私は歩きながら息を吐いて小さく頭を下げました。
大真面目な顔で天丼ボケされるのってちょっと楽しくなっちゃってテンションのやり場に困りますね。ミスターのこういうところがね、私好みなんですよ。せっかくなのでもっと大喜利したかったんですけれど、はしゃいじゃうと思いつかなくてだめですね。
「お手数おかけしますほんとに……この借りはいずれ必ず」
「本来副部長として率先して考えるべきだった」
「そっか。でも、部員としてじゃなくて、個人的にね」
「当てがないなら返さなくていい」
「当てかぁー。ミスターが欲しいものとか食べたいものとかあれば」
ミスターは首を横に振りました。
「ないの?」
「現時点では」
「じゃあ後なんだろうね。ミスターの分担作業お手伝いとか、なんかパシリとか」
「必要なら」
「必要じゃなくても、悩み事とか愚痴とかでもいいよ。……ま、思いついたらね」
「……草凪父に相談の予約を取り付けてくれるなら」
「あ、それでいいなら、わかった」
話しているうちに繁原駅前に到着し、そこにいた理数科の電車通学の2人と合流しました。
「や」
D表こと鴾野聡正氏が義体の片手を挙げ、私は自転車で両手が塞がっていたため会釈します。彼の隣にいたせんどぅーこと千道彩音ちゃんが、いつものように眉を少し寄せながら、私の隣のミスターを半笑いで見遣りました。
「またなっちゃん独り占めしてる……」
冗談なのはわかっていますが、そう言われるとこっちも反応に困ります。私があえて珍妙な表情で困惑を訴えると、ミスターは興味もなさそうに素通りしようとします。2人に前を遮られ、ミスターは小さく呟きました。
「主語か目的語か」
「そこ掘り下げるのやめよう?」
恥ずかしいですから。
「どっちがいい?」
「……どうだっていい」
せんどぅーは答えが不服だったのか、無表情になって口を閉じます。
「ミスターが言うまで待つの?」
2人とも首肯しました。
「ミスター、この二人ほっといて帰っちゃえ」
「『を』」
「独占してると思われたい派かぁ」
「言うの……? っていうか、どっちでもないでしょミスターは……」
独占されたい派と言うとめんどくさくなるからこう答えて、私がちょっと引くのを織り込み済みなのでしょう。そういうお人です。
言い訳さえせずに口を閉じて今度こそ改札へ向かおうとするミスターに、私は一声かけました。
「ミスター、申し訳ないんだけど、演劇部の会議メモはお任せします」
「修正事項があれば、上書きせず別途箇条書きが望ましい」
「わかった。よろしくお願いします。じゃあね。おふたりも」
ミスターとD表とせんどぅーに軽く手を振り、私は自転車を反対方向に向けて走らせ始めました。