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3 夢見る力②

 教室に戻って少ない女子グループで固まってお弁当をたいらげ、五限の準備をしてから、単身で隣のクラスを覗きに行きます。善は急げと言い、急がば回れとも言いますから、じゃあやっぱり椅子で回った私は善だったのか、という結論に至りました。これは三段論法と命題の逆を混同した誤謬で、偽です。私は偽善者だったのか!

 ともあれ、準理数クラスの教室出入口に来ました。年季の入ったドアを極力静かに少しだけ開け、片目で室内を確認します。

 …………ミスターは、どうやら教室にいないようでした。購買か部室か、五限の授業の場所か図書室か、と考えていると、すぐ手前にいる廊下側後列の席の男子生徒が、あからさまに不審者の様相で通路に突っ立っている私の方を見ます。


「よお草凪さん。誰かに用事?」

「あ、うん、ちょっと」


 ハスキーボイスのイシダは他の男子と喋っていたらしく、最後列にいたヤスやインレンも私に気付いて振り返りました。


「ああ…………」

「よう草凪、昨日来なかったな写真部。お土産会やってたぜ」


 インレンとは写真部で何度か交流しているので、会えば少し話すくらいの付き合いはあります。ちなみに彼のあだ名は、フルネームが田島春樹であり、タージマハルやその所在地であるインディア連邦には関係ないと自己紹介でネタにしたことに由来しています。


「私が食べ物に釣られると思うなよ」


 適当に言い返しましたが、私は演劇部の合宿でミスターに餌付けされているので意味のない発言です。

 インレンは癖毛をかき上げながら鼻で笑いました。


「だから箕郷先輩がお前の分わざわざモナーのキーホルダー買って来てたのに、来ないっつってすねてたぞ」

「すねてたか。後で探してみよ」


 別に、ご当地キーチェーンを集めてるのは私じゃなくて又いとこなんだけど、面倒だから流します。箕郷先輩は美しければ何でもいい理論で私をかわいがってくれているので、ちょっと悪いことをしたな、という気になりました。でも、行ったら行ったで嫌な顔する子がいるし、どうしたものでしょう。

 ぬぼーっとしていて考えの読めないヤスが、日焼けてしわの多い顔を上げて教室を見渡しました。


千重波(ちえなみ)さんなら、むこうにいるよ」


 私がちょくちょくお喋りするメリーさんこと千重波明理(あかり)さんは、確かに、ここから対角線となる黒板側最前列にいます。ちょうど黒板消しを手に取って、午前最後の授業の板書を消し始めました。えらいっ。日直の薄田くんの代わりにやって、しかもみんなが食べ終わるまで待ってからなのが気配りのできるいい子ですね。科目によって大量に板書したりプリントや電子テキストとタブレットで充分だったりで、日直が忘れてしまうのもよくあることなので、クラスに一人こういう子がいると大助かりです。いよっ、生徒会会計!

 ちなみに、数学の合同授業の後だとメリーさんがミスターと二人で黒板消し競争を突如開催することがあるので、私もたまに飛び入りで参加するようにしています。ミスターも、メリーさんが気付いてないところで細かい仕事をしていて、えらい。

 そこまで気が逸れてから当初の予定を思い出して、私は片目だけ教室を覗き込んだ状態で訂正します。


「ああ、今日はミスター……塚原氏に用があって」

「塚原くん?」


 三者三様に教室を見渡します。廊下側前列を特に見ているので、その辺に席があるのでしょう。私も教室を見回します。ぱっと見、昼休みはけっこう自由かな。でも探し人は席を移動して誰かとお弁当、ということが考えにくいので、答えは一つです。


「いないっぽいな」

「いないな。いないわ、塚原」


 インレンが結論を下しました。実は石田くんじゃないイシダが顔をこちらに向けます。


「戻ったら、草凪さんが来たって伝えとくよ」

「あーいいいい、別に急いでないし」


 私はドアの隙間から見えるように右手で宙を扇ぎながら苦笑いを浮かべます。早い方がいいとはいえ、呼び出すほどではないですからね。

 インレンが私をまじまじと見ていました。超有名人そっくりのこの美貌はいろんな意味で人の視線を集めるので、私は特に気にも留めません。そのまま廊下に顔を向けようとすると、インレンの声が引き留めました。


「お前、塚原くんと何をそんなに話してんのいつも」

「ほう。知りたいか。聞きたければ教えてやろう、ミスターが」

「いやお前が答えろよ」


 半笑いで追及されました。放課後に電車通学のミスターと自転車通学の私がたびたび駅まで一緒にお喋りすることについて気にしているのでしょう。


「いろいろ。アカデミックなたわごととか部活のこととか、昨日は将来のこととか」


 適当に流すと、インレンは鼻で笑いました。


「お前あんま塚原くんのこと困らせんなよ」


 あくまで平生の調子で、笑いながら軽く、そう言いました。私が眉を寄せて首を傾げると、ヤスとイシダが私たちを交互に見ます。光成(みつなり)ことイシダが聞きました。


「なに、なんかあったの?」

「私とミスターが何話してるか知らないくらいだから、本当に困ってるかどうかも知らないと思う」


 大方、私がミスターと仲良く話してるのが気に入らないとか、そういう話でしょう。中学のときもよくありました。私はアイドルより美人だそうで、休み時間に二、三、言葉を交わした程度でも周りが過剰に反応することがしばしばあり、その手の対応には飽き飽きしていました。ですが、ほんと人類って個体差激しいなと神のような御心で私は人の子をお許しになりました。何しろ女神そっくりの顔だからね、心も女神そっくりに美しくなるよ。にゃー。


「昨日掃除中に、こいつと塚原くんが同じ部活だって話があってさ。あとこいつ頭おかしいって」

「そういうこと言うなよ」

「あぁー……演劇部だっけ」


 私は男子三人の会話から一歩下がりました。


「邪魔したね。ミスターは自分で探すよ。じゃあの」


 私が背を向けて左手を上げると、三様に、んーだのじゃあだのああだの、返事が来ました。背中越しに、男子たちの会話は再開します。

 ミスターは教室にいない、か。


「なーにしに来たんだったかなー、たったかたったったー!」


 すぐそこの階段の踊り場で一人、大きな声を出しながら歩きます。放課後に待ち伏せでもするかな、と思いながらとりあえず部室に向かっています。昨日の今日じゃ、ミスターどころかやっさん先輩も来てないでしょうが、一応確認のためです。

 うーむ、会う理由があるから探しているのですが、同じ部活で合同授業がよく一緒になる程度の接点しかないのにわざわざ女子一人で会いに行くという構図は、傍から見るとなんか片想いっぽいですね。

 私は興味のない男子に連絡先を聞かれたり理由をつけて一々通知されたり個人的なやりとりをするのが嫌だと公言していて、高校で男子がクラスの8割を占める理数科に入ってからは、SNSにもSignのクラスグループにもほぼ参加していません。主な連絡手段は直接会うか伝言か靴箱にメモかでだいたいどうにかなっているため、私の連絡先を知っているのは親類を除けば、小学校からの親友双子姉妹と演劇部の四名とほか数名の女子のみです。なので、裏で連絡を取らないため私自身の言動がそのまま私の意思表示という扱いになります。その私が、帰りにミスターを見かけると自転車小屋から猛ダッシュで追いかけて、追いついたら話を吹っかけて楽しく喋って駅まで送って逆方向の家に帰る姿は、うん、そうですね。あんまり露骨だとミスターに嫉妬していろいろ言ってくる輩が出そうで、というか既にミスターにも迷惑が掛かってしまっていそうで、今更ながらちょっと心配ではあります。

 ただ、まあ、外野が別の意味で騒ぎ立てようとする理由も、理解できなくはないのです。

 私が似ているのが夢の塔の女神のモデルになった天才美少女なら、ミスターが似ているのはその夢の塔の基幹システム設計に携わった天才少年です。前世からの因縁めいた繋がりを持つ私とミスターが一緒にいると、運命的過ぎて気に入らないと思う人が現れてもおかしくはありません。ですので、ああいう反応が出てくるのも納得してしまいます。

 しがらみ無しに好き勝手に興味のある話題を次から次へと吹っかけていって、ミスターはそのどれにもきちんと考えて反応してくれるので、ネタ話も真面目な話も切実な相談もできて大助かりなのですが、外野が引っかき回そうとしてくるとなると、どうしたものでしょう。

 連絡先がどうのと考え出すと、歩き回らずとも、ハロウィーンのお誘い自体メッセージで済ませてしまってもいいんですよね。ただ、ミスターの周りに誰かいた場合、私とやりとりしてることが知られて面倒になりかねないので、やっぱり直接会うに越したことはない気がします。

 独り思案しながら三階に降り、三棟に入ったところで足音と女子の声が聞こえました。


「なーっちゃん!」


 急に両肩に手を置かれました。


「うわーおびっくりしたー……メリーさん」


 そのかわいらしい高くてきれいな声は、と言い当てると、背後から聞こえる彼女の声色からは楽しそうな表情までありありと感じられました。


「そう、うち明理さん。今あなたの後ろにいるの」

「うん知ってる。俺の後ろに立つな」

「はーい」


 茶番を終えるように千重波明理ちゃんは満面の笑みで私の斜め前に出てきました。背の高く健康的な肉付き、肩までかかる暗めの茶髪、丸みのある顔に愛嬌たっぷりの大きなおめめ。今日も元気ですね。


「わざわざこっちのクラスまで来てたから、うちに何か用だったかなーと思って心配しちゃった。つかはら探してたの?」

「む。うん、はい、そうイェス」

「昼休みにわざわざ会いに来るのって初めてじゃない? 伝言なら聞いとくよ?」

「いやー、お返事が必要な用件だから」

「へー。演劇部の話?」

「ノー……そういうのではなく」


 いつになく興味津々ですなー、と内心で困っていると、メリーさんは言い当ててやるとばかりに楽しそうに私を見つめました。


「ってことは」


 にこにこがにやりに変わりました。


「GONSのハロウィーンにでも誘う?」


 ばれてーるー。


「二人きりでじゃないよ。マーサー&せんどぅーも一緒に」

「えっほんとにそうなの?」


 誘導尋問だったか。


「あてずっぽだったんかい」

「うん…………」


 特に意地悪で聞いたという風でもなかったメリーさんは、私の反応を窺うように何度か小さく頷きます。


「その二人が一緒ってことは、ふーん」

「そのふーんはどういうニュアンスなの」

「ふーーん……!」

「ねーえー」


 適当にいちゃつくと気は済んだのか、メリーさんはゆるい雰囲気のまま、笑みを控えめにしてかすかに唇を尖らせました。


「夏休みと先月はうちが一緒だったのになーって思って」


 何の含みもない言い方でした。

 しかし私は、経験からある種の緊張感を覚えてしまい、彼女を刺激しないように会話の続きを試みます。


「あー…………クイズ研究会の」


 高校生クイズ大会と打ち上げの話ですね。形式が数年おきにころころ変わり、今年は三人一組方式だったため、D表・せんどぅー・メリーさんで組み、ミスターは応援かつ出題予想係だったそうです。知識問題の一次予選、二次予選の難問迷路探索を好成績で突破したものの、本選関東ブロックの、問題文の答えを一人が絵に描いて二人が当てるコーナーで惜しくも敗退、という残念な結果でした。そして、ほとぼりが冷めた秋休みに、そういえば打ち上げしてなかったということで、4人でBIGSモールに集まったと理数科の2人に聞きました。

 D表はテンプレート無加工の自称安物(カタログ)顔の義体のため、全国大会に上がったらスポンサー都合でモザイクか仮面かカメラに映らない措置を取られるところだった、と笑っていましたが、どこまで本当かはわかりません。ちなみに、理数科組二人は電脳化していますが、当然ながらカンニング防止用のアクセスジャマーを使用した、純然たる実力での成績でした。頭脳特化のD表、運動神経と持久力に優れたせんどぅー、どちらもバランスよく高いメリーさんの組み合わせだったので、協力すればいいところまで行けると思っていたのですが、絵に描いて当てるという一手間が難しかったようです。

 メリーさんの今の発言は、クイズ研究会で活動していた分、なっちゃんよりミスターと仲がいいんだぞと牽制されているんだろうか、と警戒し始めると、彼女はさっぱりと言います。


「ま、なっちゃんならいいよ」

「お、おお、お許しいただき感謝の念に堪えませぬ」


 私がへりくだると明理ちゃんはうふふと口元を隠して笑いました。よかった、許された……。

 多分本人視点だと言葉通り、一人だけ選手交代されてちょっと悔しい、でも仲間外れとか悪気があるわけじゃないならいいか、ぐらいの意味だったのでしょう。メリーさんにまでつかはらに近寄らないでと言われてたら学校での癒しが二つ同時に失われるところでした。

 あー焦った、と内心ほっとしている私に、メリーさんは付け加えるように手を下ろしました。


「でもその代わり」


 そして、私の肩に手を乗せ、続けます。


「進展あったらちゃんと教えてね」

「……あったらね」


 別にそういう意味で気負っているわけではないので、返事も消極的になりました。何しろ演劇部は恋愛禁止ですし、そもそも来るかもわからねぇ! 

 メリーさんは小首を傾げました。


「何もないってことあるかなさすがに。いろんなイベントとかお祭りとかゲームとか参加できるのに」

「ミスターがそういうの参加するイメージが浮かばないから……」

「それはまぁ……そうかも」


 メリーさんは控えめに納得してくれたようでした。ミスターは体育委員だったり黒板消し競争だったり演劇部員だったりと、その落ち着き払った態度からは想像もつかないような意外性を秘めています。でも実情を聞いてみたところ、男子の体育委員は消去法で、黒板消しは公共の実利、演劇部は自分のアイデンティティを棚上げできる、とやっぱり見た目通りの精神性が一貫しています。そのため、打ち上げや合宿といった部活動や同好会の名目すらない、純然たる遊びのお誘いに乗るかどうかは、メリーさんにも想像しがたいようでした。


「昨日掃除のときなっちゃんの話が出たから、ついでにつかはらに、なっちゃんと最近ちょくちょく一緒に帰ってるみたいだけどどうなのって聞いてみたんだけど、答え聞く前に別の話題になっちゃって」

「ありゃ」


 昨日私の話が出たこと自体は本当だったんですね。そして、この口ぶりならやはり、メリーさんもミスターも悪口には加担していないと見ていいでしょう。

 メリーさんは真面目に言うでもなく茶化すでもなく、ただそう思ったという風に私の表情を窺います。


「もう一回聞く流れでもないからどうしようかなーって思って。また今度聞いてみる?」


 なぜ私にお伺いを立てるかな。


「改めて聞くのもメリーさんが気にしてるって印象が付いちゃうから、メリーさんが自分で知りたくて聞くんじゃなかったら、いいよ」

「そーお? どうしよ」


 何度も聞くほどじゃないけど興味津々、といった様子です。私視点でミスターは現時点では話と気の合う友人なのですが、外から見るとそれだけではないようです。中学の時クラスの子の恋愛相談に乗った身としては、仮にそういうつもりで協力するなら、相手が恋心を自覚する前にどう思うか聞いても、友達という答えがアンカリング効果と自己暗示になってしまって発展しないので、ちょっといいかもとお互い思うまで見守るが吉ですぞ。話す機会をさりげなく増やすとか一緒に行動する機会を作る程度に留めておかないと、下手にヒューヒューとか悪ノリしてそんなんじゃねーしで終わってしまいますぞー!

 周りが誘導して関係が進んだとして、外圧でくっついたカップルが心底上手くいく試しがどのくらいあるのかな、と思いながら、やんわりと訂正だけすることにしました。


「というかハロウィーンの話、そもそもミスターが行きたくないって言ったらそれまでなんだけどね」

「そこから? 大変だ」

「次の機会がないからねー、周年記念系は」


 この顔とあの血の二人がよりにもよってあの夢の塔へ、というシチュエーション自体は、傍から見ると運命的で燃えたり萌えたり心躍るものがあるのもわかります。ただ、だからこそそういうのは嫌だ、とミスターに断られてしまっても、私は共感してしまう気がするので、周りに先走って盛り上がられても困ってしまうのでした。私だって、運命だなんだと押し付けられたり見世物みたいに囃し立てられたら、人の気も知らないでと思います。

 メリーさんは素直で物分かりのいい子なので、その辺りもきちんと弁えているようでした。彼女は一瞬視線をよそに向けて、控えめに笑い、元来た階段に体を向けながら片手を上げました。


「うまくいくといいね。じゃ、またね」

「うん。また」


 軽く手を振り合って別れた後、いいひとはいいね、と踊子みたいなことを思いながら三棟の階段に向かいつつ、今のやりとりを頭の中で一通り辿りました。特に変なことは言っていないと思うのですが……。

 私が人気のある男子と会話することがあると、その男子のファンの子からその後しばらくぐちぐち言われることが定期的にあり、つい疑心暗鬼に陥りがちだったのですが、さすがにメリーさんはそういうことはないようでした。メリーさんもミスターに親しげに接することが多いのは存じていますが、最後の一言から察するに、どういう意味であれ私とミスターの仲を応援してくれているみたいです。

 多分単に、私ともミスターとも仲がいいから、悪いようにならないことを願ってくれているのでしょう。裏のないそういう子だから私ともミスターとも仲良くできるんですし。

 ミスターは天才のクローンという出自の性質上、生徒のみならず教師陣からも注目されていますが、女子からキャーキャー言われるタイプではないため、何度も何度でも積極的に話しかける女子は今や私のほかにはいないようです。何を考えているのかわからなくて怖いとか接しづらいという声を男女問わず聞くので、その辺りの評判で尻込みしたり敬遠する人が多いのでしょう。一方で、クラスメイトや演劇部・元演劇部の知り合いなどは、日頃の黒板消しやら合宿やらで多少なりとも人柄を見ているため、長話したことはないけどいい奴なのはわかる、ぐらいの扱いっぽいですね。

 少なくともミスター本人は、周囲の評価を我関せずで一貫しています。モテないはずがない出自とはいえ、出生からして大事件で深入りするにはリスクが大きかったり、本人が素っ気なくてフラれる以前の段階で諦めたという話を前期に何度か耳にしたりで、よくそんなに話せるね、と言われることが多いので、ミスターへの認識が推して知れます。

 だからってあんまり変な目で見られると、せっかく仲良くなった気がする距離感が壊れてしまいそうで、悩ましいものです。そういう点では、進展というフレーズにも引っ掛かりを覚えました。

 私は個人的に、対人関係にもBABELにもDRオン(どろん)ゲーにも、小学校の休み時間みたいな楽しさを求めているタイプなので、イベントだからといってデートスポットや関係発展の場扱いするのはなんか違うな、と思います。恋仲になってから二人で楽しむのと、仲のいい友達何人かで楽しむのは、楽しみ方とか味わいが別ですからね。その辺の切り替えは大事です。

 ミスターと話すのは好きでもっといろいろ知りたいとは思いますし、それこそ昨日の帰りには踏み込んだ話もしましたが、異性として接するなら時間をかけないとわからないこともあると思っています。私の場合は恋愛より結婚生活を求めているのでなおさら。

 …………明理ちゃんがわざわざああ言ってくるということは、やっぱり周囲からはほぼそういう目で見られてると思った方がいいのでしょうか。ミスターは気にしていないように見えるので私も本人の前では意識していませんでしたが、そうか……。

 まあ切り替えていきましょう。演劇部の拠点はすぐそこです。

 はて、何か物音が聞こえるような。私は立ち止まりました。もう十月後半なので受験生の自習中かもしれないと思い、念のため、室内にいるのが三年生でないことを引き戸の窓越しに確かめます。おっと、どうやら男子生徒の誰かが演劇部の歴代小道具箱の中身を机に出して、何やら両手で触っているようです。廊下に背を向けていて、しかも机と机の間の通路に足を伸ばしているので、サンダルの色で学年識別ができません。顔も見えませんが、髪の色は黒なので少なくともキョーメイでないことは確かです。演劇部員ならミスター一択なのですが、そうでなければどうしたものか……。

 とりあえず任意事情聴取しましょうか。


「御用だ御用だ! ……ってあれ、いた」


 不意を突くつもりで大声を出しながら戸を開けると、男子生徒は面白いように跳ね上がって手に持っていたものを抱え、体全体で震え始めました。決してこちらを振り返りませんでしたが、うーむ、今机から落ちた見覚えのある無地の黒いペンは、ミスターでした。私は教室の戸を閉めてからしゃがんでペンを拾い、埃を撫で払って机に戻します。


「謹んでお詫び申し上げる次第でございます」


 ミスターは黙って頷いてくれました。よかった、震えも治まりました。

 ペンを置いた机を頭半分だけ出して見ると、ウェットティッシュと雑巾と更紙が置いてありました。ミスターは、段ボール箱に押し込められている中身を一つ取り出して、雑巾で乾拭き、という作業に戻ります。どうやら小道具を検めて、汚れを拭き払った後にメモ書きしているようですね。ふむふむ、昨日の帰りにお願いしてしまった会議の項目リストアップと共有に加えて、今ある小道具のリストアップとその手入れまでしてくれてるとは、マメです。草凪ポインツ加算。

 何してるのとも聞かずにしゃがんだまま間近でじろじろと見ていたせいか、作業を続けながらミスターが淡々と声を発しました。


「何か」

「…………あ、いや、部室に用があるわけじゃなくて、ただミスターを探して歩いてて」

「何か」


 抑揚も感情も数秒前と同一の、平坦な声音です。この静かな雰囲気が三棟の静謐さをより際立たせるのですが、質問はしているのに手も目も作業に向かったままです。ええい話しづらいな。私はしゃがんだまま両手でスカートを押さえつつすり足でミスターの左手側に回り込み、横顔を覗き込みました。


「ちょっと予定がどうかなーと思って聞きたかっただけで、そっち優先するならそれでいいよ。っていうか手伝うよ」

「じきに済む」

「さいですか」


 お断りされてしまったので私はせめて邪魔しないように少し空けて座り、上から作業を見守ることにします。ミスターは今拭き終えた物を机に置き、次の模造短剣を箱から出して、表面を撫で拭き始めました。時折ペンを走らせながら掃除とチェックを淡々としていくので、メモぐらいはお手伝いをとも思いましたが、もうこれとあと二つなので押しつけがましいことはせず、お行儀よくお膝に手を乗せてじっと待ちます。一年生用の緑の内履きを爪先立ちさせて美脚アピールしようか迷いましたが邪魔になりそうなのでやめました。

 黙ってミスターの横顔を眺めていると、なんだか、昨日の帰りに話していた内容を思い出して気恥ずかしくなってきてしまいました。昨日はいつものお喋りだけでなく、ミスターと進路相談の話もしたのです。思い切って実家のお寺のPRもしました。

 私はあえて大学に進学はしないとはっきり言って、ミスターはどうするのかと質問を投げかけました。ミスターはただ、何も決まっていないと答えました。そこでの一部始終は、およそ次のようなものであったと草凪和沙容疑者は供述しています。


掲載日 2023年 12月09日 12時00分

修正 2023年 12月09日 13時25分

修正 2023年 12月09日 13時50分

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