2 これからのお話③
「お、やってる」
「先生。これ、ありがとうございます」
教室を覗き込んだ沢樫先生にお土産のお礼を言うと、先生はうっすらと笑った。
「どーいたしまして。なんだ、これで全員揃ったじゃないですか」
先生の気さくな物言いに、部長が目を細める。
「そして一人いなくなるところです」
そう言って廊下へ抜けようとする部長を遮りながら、先生は机の上に視線を向けた。
「片方はやっさんへのお土産だったのに。まぁいっか」
さらっとそう言って先生は部室に入る。先生は体形が緩めなので脇をすり抜けるのも難しく、押し戻された部長に続いて塚原くんも入ってきて、ドアを閉めた。
「さっきそこで塚原さんと会ったから、丁度いいと思って」
その塚原くんは、お土産ともわたしたちとも先生とも離れたところに座る。先生は出入口のドアに軽くもたれたので、戸が少し音を立てた。部長はため息をついて下がり、また座る。わざわざ後ろ側のドアから出ても今度は廊下で遮られるという判断のようだった。急いては事をし損じる、となっちゃんが呟き、部長が横目で睨む。なっちゃんは、開封済みの生六つ橋の箱を手で先生のほうに押しやった。
「お先にいただいてます。先生もどうですか。ブチョサンがいらないって言うんで」
「私は向こうでも頂いたし、それはお土産だから、皆さんでどうぞ」
先生は手を顔の前で振り、断った。なっちゃんが部長を仰ぐ。
「あんこじゃない方今ならまだお持ち帰りできますが」
「抹茶も正直苦手なんだ。置いていくから後はどうぞ」
「なんか、すみません」
沢樫先生が縮こまった。なっちゃんがよくわからないノリで拳を天に突き上げる。
「わーい、残りは争奪戦だヤロー共‼」
野郎共って二人しかいないじゃん、と思いながら様子をうかがう。塚原くんは遠巻きに無表情無感情で一連の様子を眺めていた。響くんは笑っているけど、目は先生を見ている。先生への挨拶とお礼を済ませて響くんは尋ねた。
「発破掛けにいらっしゃったんですか?」
「まあちょっとね。あんまり遊んでばかりいられても」
それから先生は部長を見て、困ったように微笑む。
「さすがにもう、一年生には慣れましたか?」
「課題研究が忙しくて部活どころじゃないです」
部長はつっけんどんに対応するけど、先生はにこにこする一方だった。
「でも、律儀に来てますね」
「今から病院に行くんで早く言ってください」
「12月23日に市民ホールで、志場高校演劇部として年の瀬文化交流会に参加してください」
言い合いが、一度途切れた。文化交流会ですか、と響くんが腑に落ちない表情で繰り返す。先生は音を立ててドアから少し前に出て、頷いた。
「塚原さん以外は地元民なんで知ってるでしょうけど、近隣の小中高の吹奏楽部や合唱部、ダンス同好会なんかの有志が集まって発表し合う会です」
「カオスですね」
「演劇部門でエントリーが通りました。あんまり大きなものではありません。今から2か月。平日週2日でも30時間ぐらい準備期間は確保できます」
すらすらと説明されるけど、部長は聞いている気配がない。でも記憶力がすごいので復唱できるのだろう。先生は続けた。
「参加申し込みがぎりぎりで間に合うので、確認に来ました。せめて今年度中に一度は舞台に立っておく方がいいかと思って」
「文化祭と合宿だけじゃだめですか」
部長が厭そうな顔をするけど、先生は気にしていない様子。
「合宿は対外的にはごみ拾いしかしてないのでだめです。文化祭も、外部の記録に残る活動とはいえないので、だめとは言いませんが数に入れません。文化交流会は、一応地域の方々やちっちゃい子たちがいらっしゃるそうですよ」
「…………地区大会はいいことになったんですね?」
「部員みんなで決めたことですから」
先生が頷くと、部長はため息をついた。たぶん反論の隙を探している。
「脚本は? 小道具やら衣装やら音響は?」
「小道具と衣装は、申し訳ありませんが、あるものでお願いします。もちろん部費で買ったり作ったりもできますけど、人数も少ないし、本番まで日数も少ないですし。音響と照明類は、市民ホールに機材はあるので、必要ならフリー音源サイトやプロジェクションマッピングのサイトを活用してください。脚本は、そうですね…………」
着々と話が進められていく。口を挟めないでいると、なっちゃんが手を挙げた。
「市民ホールって、先週の木曜日に芸術鑑賞会やった、あそこですよね」
二年生が修学旅行に行っていたため、一年生と三年生はロングホームルームでシェイクスピアの本格演劇を鑑賞したのだった。先生はそうですと頷く。生徒600人がゆうに入ってなお席が余る大きな会場を再び思い出して、ハードル高いなあ、と思っていると、なっちゃんは途中だったようで、続きを口にした。
「ミスターは……塚原くんは市民じゃありませんが、いいんですよね」
「もちろん。当日は演劇部員として入れますから」
なっちゃんがちらりと塚原くんを見る。塚原くんはなっちゃんを一瞬見て、また先生を見た。先生は部長を見ている。
「やっさんにはちょっと負担をかけることになりますね。課題研究も並行で。でも、理数科はみんな通る道ですから」
そう言われても、部長はまだあからさまに厭そうな表情を見せる。
「間に合わないでしょう」
沢樫先生はむっとしたように言い返した。
「来年引退なのに一度も舞台に立たずよその公演も観ずに演劇部の部長をやりましたなんて履歴書に書いたらあなた、肩書き泥棒ですよ。…………たくさんのグループが一日で出るんですから、長くて二十分のお話でいいんです。ピンマイクも貸してもらえるそうですし、滑舌さえよければ声を張る必要もありません」
「至れり尽くせりなこった」
響くんが茶化す。もはや、先生が部長の言い逃れをどう封じるかで今後2か月が決まるといってもいい。とはいえさすがに肩書き泥棒の汚名を浴びる気はないだろうし、もう先はなんとなく読めていた。
「脚本……というか題材はこれから話し合ってもらおうかと思っていたんですけど、明日以降のどこかお昼か放課後にずらしますか? それとも金曜日でいいですか?」
「月・水の放課後は課題研究があるんで無理です」
部長の発言で明日の放課後が除外されるとなんとなく、金曜日でいいかという雰囲気になる。なっちゃんが恭しく右手を胸に当てて頭を垂れた。
「具体的なことが決まったら、脚本は是非ともこのワタクシめに」
部長がなっちゃんを睨みつけて舌打ちすると、響くんが笑った。
「舌打ちはひどいな。文芸部員でご不満ならぼくでもいいですけど」
その言葉でわたしも、そういえばなっちゃんは文芸部員か、と思い出した。
「他に何か懸念事項はありますか?」
先生が訊ねると部長は大きくため息をつき、椅子を蹴って立ち上がった。
「…………じゃあ、そういうことで、さいなら」
そして荷物をひっつかんですり抜けるようにドアを開け、大きな音を立てて閉める。戸の向こうで看板をひっくり返す音が耳に残っている間に、誰かがため息をついた。
♢♢♢
お茶を飲みながら少し話した後、先生も戻って、食べ終えたみやこばぁむの箱を畳んで、最初に立ち上がったのは塚原くんだった。
「帰る?」
なっちゃんが声をかけると、塚原くんは黙って頷いた。響くんがあいまいに問いかける。
「ご同輩、どうする?」
塚原くんは立ち止まって視線を向け、外した。
「……どうだっていい」
塚原くんの口癖が出た。質問自体に興味がなさそうだった。
「ミスター、もうすぐ暗くなるから駅まで送ってくよ」
自転車通学のなっちゃんが電車通学の塚原くんに言うけど、普通は男女逆だと思う。
「なっちゃんももう帰る?」
一応聞くと、なっちゃんは自分の荷物をまとめながら頷いた。
「帰るけど、私一人で書くわけにはいかないし、演りたい話とかアイディアとかは、次回以降、日を改めて相談かな。一応帰ったら項目まとめてグループメモに貼っつけますね」
「わかった。なんか考えとく」
まあ、いくらなっちゃんでも、そうぽんぽんアイディアが浮かぶわけではないか。
よろしうす、となっちゃんが答えた後ろで塚原くんが静かにドアを開ける。それを追うなっちゃんを、響くんが引き止めた。
「じゃあわさなぎさん、三人でもできるものにしておいて、念のため」
見返り美人のポーズでなっちゃんが響くんを見る。
「キョーメイも実はあんまりやりたくない派?」
「何が起ころうとも対応できるように、一つのシーンに出るのは三人までにしておいて、って話。悪いね、今言うことじゃないや」
響くんの要領を得ない要望に、まあ心得た、となっちゃんは頷く。そして塚原くんを追って廊下を早歩きで行った。
「待てえええええぇぇぇぇぇぃぃぃぃ…………」
ドップラー効果ごっこをする女子高生を見送ってから、響くんも立ち上がった。
「さて、みこと。ぼくらも帰ろうか」
♢♢♢
街は丁度夕陽の金色に染め上げられていた。狭い歩道で前後に二人自転車を押しながら歩いていると、近くで金木犀の香りがした。
「もう秋かぁ。なんか早いなぁ」
なんとなく感傷的になってしまう。響くんは茶化さなかった。
「芸術の秋さ。部長には悪いけど、そろそろ動き出す時期が来たんだ」
響くんは空を見上げてから、私の方に振り返った。
「みことは、厭かい?」
「ううん。むしろ、今まで遊び過ぎてたぐらいだから。……けど」
「けど?」
なんとなく、言いたいことがまとまらない。
「文化祭の時も、合宿の時もそうだったけど、部長」
赤信号で停まり、もやもやしたまま話し出す。
「何が何でもやりたくないわけじゃなさそうなのに、ああいう言い方しなくてもって、いっつも思っちゃって」
響くんは思慮深げに頷いた。
「そうだね。現場の士気を下げるのは長として良い振る舞いではないと思う」
「ああいう人なのは、わかってるけどさ。もうちょっと」
わたしが言い淀むと、響くんは視線で続きを促してくる。
「理想としては?」
「…………なっちゃんみたいに盛り上げたり、響くんみたいに前向きに考えたり、塚原くんみたいに何かあったときフォローに回ったり、そういう風にやってもらえたらなって……」
わたしが思いつくまま言うと、響くんはゆったりと頷く。
「なるほどね」
「そう思わない?」
「不満の出し方がよくないなとは思うよ」
含みのある言い方だった。こういう言い方のときはわたしもちょっと言われるんだ、と身構えていると、響くんは穏やかに言った。
「でも、みことが挙げてくれたような役回りは、既にぼくたちがそれをこなせるんだから、部長には別の役割をきちんと果たしてもらえたらそれでいいと思う。もちろん、みこともそう」
「う…………うん」
ひとにばっかり文句を言うのはよくない、と年少組にお説教してるのをよく見ているので、いざ自分が言われる側になると恥ずかしくなってしまった。響くんは続ける。
「リーダーシップ自体は発揮できる人だからね。真面目だし、年長者として自分がしっかりしなきゃって思わせたり、かわいいかわいいって適当に褒めて機嫌を取っておけば、うまく誘導できると思う」
「後半は余計じゃないかな……」
信号が青になり、横断歩道を手押しで渡る。
「まぁどっちかっていうとかわいいより凛々しい系だよね」
「そこじゃなくて」
女子の機嫌を何だと思ってるんだ、と呆れるけど、響くんは心にもないことはあんまり言わないタイプなので、実際言われたら部長も悪い気はしないだろうと想像してしまう。……たぶん、わたしも。
「みことも、自分に何ができるか、考えておいてね。稽古の進捗管理でも部長のフォロー係でも、誰かがやった方がいい役回りは必ずあるから」
響くんは自転車にまたがって、少し心配そうに微笑んだ。
「バイト増やしたくて大変なのはわかるけどね」
「えっ!?」
わたしは驚いて足を停める。
「な……なんで、さっき声に出てた?」
「いや? でも、さっきは話の流れでお金かなぁと思って。元手が必要なら無利子でいくらか貸せるけど、みことにとってそれがいいことじゃないなら、ぼくは応援だけするよ」
こういうときは鋭いんだよなぁ、響くん……。
「……………………18歳までにお金貯めないと、学校卒業できても、生きていけなくなっちゃうから」
つくづくわたしの人生、生まれも育ちもお金に呪われている。
わたしがまた重苦しい気分になり始めると、響くんは軽い調子で言った。
「そのときはルームシェアでもしようか」
「…………え?」
思わず見つめ返すと、なんてことないような顔で響くんは笑う。
「生きていくのも幸せになるのも、確かに難しいかもしれないけど、難しく考えるともっと難しくなるよ。楽しいと思った時に笑える余裕がないと、泣いてる子供の前でもしかめっ面の保育士さんになっちゃうよ」
「…………うん」
「みこともなんか特許取ったら? 不労所得はいいよ」
思わず吹き出してしまった。
「簡単に言わないでよ」
「そういう方法もあるってこと。思い詰めると視野が狭くなるからね」
これがお金持ちの余裕か、と心の格差を思い知らされる。でも、いやな気分ではなかった。
「……………………ありがと」
わたしがお礼を言うと響くんは微笑み、自転車にまたがったまま両腕を伸ばした。
「はーあ、今日の夕飯何かなー」
「響くん毎日言うよね」
「ぼくの幸せなんておいしい食事だけで手に入るものだよ」
簡単だなぁ、と笑いそうになるけど、初めて響くんに会ったときのことを思うと泣きそうになった。
「医者か宇宙飛行士かなんて言われてたけど、料理人いいかもなぁ」
「そんなの考えてたの?」
確かに成績トップだからなろうと思えばなれるんだろうけど、と思っていると、響くんは苦い顔をする。
「医者は職業倫理とか血が平気かとか適性あるし、宇宙飛行士は閉鎖空間での協調性と判断力が問われるしで、どっちも緊張感あふれる職種だから」
そして、顔をわたしから背けた。
「ぼくはなるべきじゃないと思って」
「そう……かな」
そんなことない、と言えなかった。響くんがどうしても許せなくなるとブレーキを手放してしまう性質なのは、忘れられない。
響くんはハンドルに両手をかけ、明るい声を出した。
「つまんない話して悪かったね。帰ろう」
「うん。帰ろう」
わたしたちの家に。
掲載日 2023年 11月07日 12時00分
修正 2023年 11月07日 19時15分
修正 2023年 11月10日 04時50分
修正 2023年 12月01日 02時35分