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2 これからのお話②

 机の上には銘菓、ニッキ味の生六ツ橋と抹茶味のみやこばぁむが一箱ずつ無造作に置かれている。ウェットティッシュのボトルが隣の机に置かれ、三人の生徒がそれを取り囲んでいた。

 なっちゃんは電気ポットのすぐそばで、お湯が沸くのを待ち遠しそうに見ながら踊っている。腕を前後に振ったり手拍子をしたり、ステップを踏んだり不思議なパントマイムをしたり独りバレエをしたりと、二本の三つ編みが揺れて忙しい。かすかに聞こえる鼻歌に合わせて、右足を軸に一回転した。濃紺のプリーツスカートがふわりと膨らむ。


「草凪。うっとうしい」


 部長が目を閉じた。すぐさまなっちゃんは、はい、と気をつけの姿勢になる。けだるげな返事とは逆に、ぴしっとしていて、背筋も真っ直ぐ。空手経験者だけあってこういうところはしっかりしている。

 なっちゃんが落ち着いたところで、部長が話し出した。


「さっきあたしは『土産だ』と言ったな。あれは嘘だ」


 なっちゃんが吹き出した。(ひびき)くんが笑いながら、虚構ですか、と相槌を打つ。部長は少し考えて続けた。


「厳密に言うと、あたしの土産ではない」

「沢樫先生のですか?」


 わたしが確認のために尋ねると、答えは、そう、とシンプルだった。演劇部の顧問の先生の名前が出ると、なっちゃんも紙コップを準備しながら話に入ってくる。


「そういえば、やっさん先輩のクラス担任でしたね」


 部長は物憂げに頷いた。


「で、土産販売店で宅配サービスやってたから、あたし宛に、お前らと分けろってことで、送られてきた」

「なぜ御前は自分で持ってこないで一旦部長に送ったのか、聞いてますか」


 響くんの問いに部長は俯く。


「最初は、学年でただ一人行かなかったあたしへの嫌味かと思った」


 真顔で言う部長に響くんが、子供じゃないんですから、と笑った。部長は思慮深く続ける。


「ただ、全員集める以上、そういう理由はまずない。となると、まぁ、やっぱり大会地区予選に出とけばよかったのにとか、そういう愚痴を聞かされる気がして」


 部長が暗い顔をするので、わたしは今更ですかと首を傾げた。去る9月に行われた高校演劇大会の地区予選に出場しなかったのは、夏休みの合宿で全員で話し合って決めたことだった。現二年生が今の部長一人きりで三年生の代は誰もいない上、一年生六人という人数不足と実力不足が決定的だったので、顧問の沢樫先生もその時は厳粛に受け止めていた。

 その前からも、まず夏休み前の文化祭をどうにかすることを最優先に活動していたけれど、そちらも部としてのまとまった活動にはならず、何人かが落語や講談でお茶を濁して終わってしまった。演劇部の大会も実質的に一年に一度しかないため、一年生のあと二人はこのまま何もやれないならいても仕方ないと退部してしまったので、あれからさらにできることは少なくなっている。そんなことを思い返しながら、もう10月も下旬なんだなぁと改めて思う。


「働かざるもの食うべからず。したがって、食わせるから働け」


 口を挟んだ響くんが言い当てるように目配せすると、部長は頷いた。


「それもある。わざわざ部員全員に配る分の土産を持たせれば、あたしはばっくれるわけにはいかないし、貰う方だって顔を出す。エサ撒いて確実に全員集めるのは、真面目なお説教があるからだと考えるのも自然だろう」

「な、なんだってー、そんな策略があったなんてー」


 なっちゃんが人数分の緑茶のスティックを並べながら棒読みで言った。


「秋の地区大会には出ないって合宿で決めてたのに、なんてこったい」

「それに今になって、わざわざそんな回りくどい呼び方しますかね……」

「普通に集まれって呼べばそれで結構でしょうね。隠すような理由でもないし、どっちみち毎週火・金は活動日ってことになってるんですし言うは易し」


 わたしの疑問に響くんが同意する形になって、たたみかけられた部長は苦い顔をした。


「内容の不明瞭な呼び出しって普通嫌だろ」

「わかるぅ~」


 なっちゃんが両手の人差し指を部長に向けてぴこぴこさせながら応えた。なっちゃんはモテるからそういう苦労もあるかもしれないけど、わたしにはわからない。

 部長はなっちゃんをスルーして、壁にかかっているアナログ時計を見ながら鼻を鳴らした。


「どっちにしろ今日は病院に行かなきゃなんねーから、16時10分までに来なかったら帰るんでよろしく」

「あと10分じゃないですか。それになんで今日……」


 つい責めるような言い方になってしまったわたしを遮って、響くんが笑った。


「『話を合わせろ』はあれで打ち切りかぁ。色々やりたい放題できて楽しかったんだけどなぁ」

「お前はな」

「キョーメイはね」

「響くんはね」


 女子三人の総突っ込みが入って、響くんが苦笑いした。

 あの練習即興劇は、誰か一人が『話を合わせてくれ』と仲間にささやくところから始まって、事前に決めた勝敗条件と簡単な配役・シチュエーション以外の設定は全て劇中の言動が反映される。毎回組み合わせと役のゴールと状況をくじ引きで決めてチーム対戦するから、運と機転がものを言う。とはいっても、理数科の一年生カップルが辞めちゃってからはほぼ響くんの言った者勝ちになっていた。


「響くんは楽しかっただろうけどさー……」


 自分たちに有利な設定を考え出して乗せたり相手の設定にかぶせたりと、いかにその場を掌握してゴールするかがカギで、駆け引きを通じて演技することに慣れながら、実践的な形で想像力や頭の回転、演技力、腹黒さを鍛える、というのが趣旨だった。それら全てに元々長けていれば勝率が圧倒的に高くなるのは当然で、一年生の成績ツートップの片方がいなくなってしまってからは、もう勝率のバランスが崩れてしまっていた。なっちゃんは演技はすごく上手だけどアドリブには強くないし、塚原くんは演技もアドリブも意外とうまくこなすけど真面目なのでこのゲームでは輝かなかった。わたしと部長は、そもそもこういうゲーム自体向いていない。


「本番の舞台で台詞ど忘れしたら嫌でもできるよ。やめてほしいが」


 なっちゃんが不吉なことを言う。


独白(モノローグ)だと詰むよな」


 部長がもっと不吉なことを言った。


「まぁあたしには関係ねーけど」

「超天才美人役者の(ワタクシ)にも関係ありませんわね」

「お嬢さん方、誰か忘れちゃいませんかね」


 なぜか張り合う二人を見てわたしは呆れた。


「今塚原くんいないからね。わたしつっこまないからね」


 途端に三人がため息を漏らす。


「え、ねぇ、なんでそういう反応になるの」

「んだーってすわーん……」


 言葉を伸ばしながら、なっちゃんがぐにゃりとしゃがみ込む。


「現実逃避くらい、したいじゃない?」


 じゃない? って聞かれても……。

 なっちゃんはそのままスカートが床に着くぎりぎりで両腕をぐーるぐーると水平に回す。


「……だってあと一年何も無いんだよ? ろくに合わせたりもできないままぶっつけ本番で大舞台とどっちがよかったかって言われてもそれはそれで困るんだけど」

「しかもあの時点で誰一人ろくに演技の稽古してないからな、あたし含めて」


 なぜか演劇部の部長が胸を張る。


「沢樫先生もあれ以来何も言ってこなかったし、思い過ごしかな。そもそも顔見にすら来ないし」

「…………それは…………」


 こんな、遊んでばっかりで怒られないのか、と正直に聞きたいけど、憚られる。先生が言うには何年か前までは、夏に文化祭と合宿があり代替わりをして、秋冬の大会で地区・県・ブロックと勝ち進めればいい方で、翌夏の全国大会には届かず、春の新入生歓迎会、というのが志場高校演劇部の典型的な活動サイクルだったらしい。

 あとは放送部の映像コンクール作品などに友情出演したり、地域の発表会があれば参加したり、という話だけど、二代前に先輩方が揉めて演劇部員が放送部にごっそり異動し、友情出演の話もなくなって、演劇部は今の人数不足に至ったと聞いている。四年以上ずっと五人以下の部は同好会に格下げされるという生徒会則があるので、割と現状はぎりぎりだったりする。

 一応、演劇部が人数不足の理由はわかっている。恋愛禁止のせいだ。何年か上の女子の先輩が、演劇部と放送部の両方で、男子をとっかえひっかえしたんだか何股もかけたんだかで、放送部との確執が生まれ、演劇部にはそういうルールが暗黙の裡に制定された。裏方志望なら別だけど、男女問わず外見に自信があって情熱的なひとたちが集まりやすいという性質上、そういうリスクはどうしてもつきまとう。でも人間関係をぐちゃぐちゃにされた上に稽古もままならなくなるのでは困るから、多少才能がある程度なら最初からいない方がいい。そういうことらしい。

 だから今演劇部にいる五人は、わたしを含めて、恋人を作らないというルールを受け入れて入部している。一番モテるなっちゃんは中学でも高校入学してすぐでも男女関係のデマに苦労していて、実際なっちゃん目当てに演劇部に興味を示す男子たちが大量にいたけど、部長と沢樫先生に追い払われていた。そのなっちゃんは、恋愛はしないけど家庭の事情で婚活はする可能性があると予め言っていて、これは黙認ということになっている。別れたり二股かけなきゃいいという部長の言で理数科の一年生カップルも入っていたので、恋愛禁止は金科玉条というほどの扱いではない。

 もめごとの種がなきゃいいんだよという一言は、雑だけど切実で大事だと思う。

 ちなみに、DRが普及して、夢の街で色んな格好をできるようになって、普通の人も何かに扮し演じることへの心理的抵抗が薄れたから、演劇界隈は盛り上がった、とよく勘違いを受ける。誤解されがちなんだけれど、正確には盛り上がったのは演劇ではなく扮装(コスプレ)だけで、それも別に手段が演劇でなくてもいい人たちが多く、その手の人たちが目立ってしまった結果、一括りにされているのだった。

 純粋に私は演劇をやりたいんだ、という、なっちゃんや響くんのような人は、全体の母数が増えても残念ながらあまり多くはならなかった。どこも趣味の延長でやっている人たちと本気でやっている人たちとで意見が合わなくて、全体としてはどうしても受けのいい派手な方へ流れてしまう、というのは高校演劇に限らずどこも同じだった。特に外見に自信のある女子なんかは、いい役はやりたがるけど汚れ役・笑われ役は馬鹿にしたり遠ざける傾向があるらしいので、なっちゃんのように突き抜けて真に迫った演技をできるまでに深められる人は、見た目に恵まれている子ほど少ない。どろどろしたものを抱えている方が昇華しやすくいいものができるとよく言われているので、そう考えると、良くも悪くも現状に甘んじてしまえる、それなりでいいわたしには演劇って実は合わないのかもな、と思ってしまったりもする。

 何にせよ、演劇自体は地味だ、あまりぱっとしない、という認識が拭いきれていないのが現状で、先週の演劇鑑賞にしても、前の席の男子が開始数分で船を漕いでいたのが印象的だった。シェイクスピアの名前がいくら有名でも、興味がなければ始めから見ないで寝る、というのもひどい話だと思う。

 そんな、吹けば飛びそうな演劇部の顧問の先生は何を思って皆を集めたのか。部長は毒づいた。


「そもそも意思確認すっ飛ばして無理やり合宿させる時点で、顧問としては雑なんだよあのひと」

「それはちょっと斜に構えた見方ではないでしょうか」


 なっちゃんがゆったりと立ち上がって訂正すると、部長は即座に切り返した。


「じゃ今から10か月かけてちまちま脚本音響衣装小道具準備してみんなでがんばるのか?」


 言い返されてなっちゃんが言葉に詰まる。響くんがのんびりと手を振った。


「みんなでがんばりましょうよ」


 紳士的に口を挟んできて、今度は私が脱力してしまった。


「なんでそこで笑うんですか、みことさんや」

「笑わせないでよ……」


 わたしがまだ笑っている中、なっちゃんが紙コップを配りながら話を戻す。


「んー、でもまあ、ただでさえ人数少ないというすさまじいハンデを背負ってる以上、ゆっくりじっくりできるくらいがちょうどいいのかもしれませんなぁ」

「こっちは課題研究で忙しいけどな」


 部長が言うと、響くんがまた笑い出した。しかも、大きな声で。響くんは途中で顔を逸らし、口元に手をやると、むせた。部長が忌々しげに目を細めて、うるせえと舌打ちした。

 各自で緑茶の粉を入れた紙コップになっちゃんがお湯を注いでいき、そっと響くんの座る席に置く。小声で落ち着けと言われて、響くんは、あ、どーもと肩を震わせながら返事をして、紙コップに触れるぎりぎりで手を止めた。


「食前だし手ぇ洗ってくる」


 響くんは立ち上がってそのまま教室を出た。三棟はどの階にも水道が備え付けられているので、ただ手を洗うだけなら廊下に出るだけで事足りる。部長が思い切り冷たい声で呟いた。


「また発作か、笑い袋の」

「やっさん先輩もこのくらい笑ったほうが健康にいいですよ」


 なっちゃんが受け流し、そのまま湯沸かしポットを抱えて部長の紙コップに視線を落とす。


「そういえばそろそろ帰るんでしたっけ。飲んでいかれます?」


 聞かれて部長は無言でスティックの封を開け、紙コップに粉末を流し込んだ。それを受けてなっちゃんは部長の分もお湯を注ぐ。


「お熱いのでお気をつけてお召し上がりください」


 わざとらしくかわいい声の一言と共に湯気の立つ紙コップを置かれた部長は、ん、と首だけ少し下げた。素に戻ったなっちゃんに、ん、と返されるのを部長は無視して、戻ってきて深呼吸している響くんを横目で見る。


「先生が来る前に早いとこ退散するかな」


 わたしも給仕され、ありがと、と微笑むと、どーいたしまして、と眩しい笑顔が返ってきた。自分の顔の良さを自覚して使いこなしているなっちゃんがうらやましいような、こういう性格でほっとするような、毎回複雑な気分になる。

 響くんは席に着いて湯気の立つ緑茶を無言で軽く掲げてから飲み、ふーっと息を吐いた。


「で、部長、お土産はどうすんですか」


 響くんが話を戻すと、部長は目の前に置かれた紙コップから立ち上る湯気を眺め、片手で頬杖をついて、視線だけ響くんに向けた。そして目を閉じ、深い深呼吸を一つして、目を開く。


「有意義に始末してくれ。先生は先に食べていていいとさ。あたしはお茶飲んだら帰るよ。乾杯は各自で」

「もう飲んじゃいましたよ」

「知ってる」

「塚原くん来るまで待つ?」

「ご同輩のクラスメイトがここの掃除をもう終わらせたんなら、ご同輩も掃除はもう終わってるだろうし、食べ始める頃にちょうど来るんじゃない?」


 じゃあ遠慮なく、となっちゃんが呟いた。


「手と手を合わせて、いただきます!」


 なっちゃんが歌うように言って、わたしと響くんもそれにならう。なっちゃんが箱に手を伸ばしかけて顔を上げた。


「どっち先に開けます? 皆の者」


 響くんが視線を巡らせた。


「バームクーヘンはどうやって取り分けようか。多分切り分ける黒文字だかピックは入ってるだろうけど」

「気が利かなくてすまんね」


 部長が低い声で謝ると、わたしが熱いお茶を飲み込んで口を開けるより先になっちゃんが歩きながら応えた。


「こういうのは頂戴する側が準備するものなんで、お気になさらず」

「そういうもんか」

「……今後紙皿ってあったら使う機会あるかなぁ」


 わたしが一段落<イチダンラク>してから提案すると、響くんがやんわりと待ったをかけた。


「少なくとも今は、生六つ橋の空いたパックを受け皿扱いできないこともないと思う」


 日頃の節約術が光ってしまうのはいいんだか悪いんだかな、と複雑な気分になる。電気ポットは型落ちのお下がりを先生が貰ってきてくれたものだけど、本来演劇部に必要ないものが増えてしまうのも確かにどうかと思うし、使用頻度が多くないなら要らないかなぁとも思う。

 なっちゃんがわたしたち二人を交互に見て、一度リュックに手を入れ、フリーザーバッグに入った紙を取り出す。


「茶道部で使ってるお懐紙と同じものがこちらにありますが、いかがなさいますか」

「なんでわさなぎさんそんなもの持ってるの?」


 響くんが呆れたように笑った。


「いや、想像はつくけど」

「たまに先生がいない日にこっそり遊びに行くから買ったんどす。それで、これは使いますか。しまいますか」

「あたしはいらねーや」

「ぼくもいいや。せっかくの機会だけどとっときなよ」

「そうだね、わたしもいいや。ありがとね」

「空回りの草凪の称号を獲得しました」


 呟きながらなっちゃんはお懐紙をもう一度しまった。


「じゃあ生六つ橋から開けますよー」


 どうぞ、と部長が言うとなっちゃんは早速ニッキ味の包装を丁寧にはがし始める。響くんが机のウェットティッシュのボトルを取って、蓋を開けて一番近いこちらに向けてくれた。ありがと、とわたしは一枚抜き取って、手を拭いていく。部長に向けると首を横に振った。


「飲まないんですか?」

「猫舌なんだよ」

「待ってる間に先生来ちゃいますよ」

「用件の途中で帰ることになっても、どうせ明日の朝直接呼ばれるだろうしな」


 でけたー、となっちゃんが開封すると、響くんとわたしがもう一度いただきますと口にして、一つずつ手に取った。なっちゃんも手を拭いていただきますと手を合わせてから一つつまむ。

 三人が一口目を口に含む様子を、部長は観察していた。何となく、試されている気になる。なっちゃんが小さく一口、歯型をつけるように。響くんは一気に半分食べた。わたしは、二人の中間。

 三人が一つ目を食べ終わるまで、沈黙が続いた。部長はお茶だけを一口飲んだ。

 四人で一段落すると、なっちゃんがしみじみと呟く。


「やっぱり定番になるものって安定した味わいがあるよね」

「昔からあるだけあって美味しいよね」

「ともすれば時代遅れになりかねない危うさが付きまとうけどな。大したもんだ」


 嫌味ではなさそうに部長がわたしに応え、響くんがまた長広舌を広げ始めた。


「そういう老舗も、気付かれない程度に少しずつ味付けを現代的に変えたり、時代に取り残されないように色々やってるところもあるそうですよ。伝統はただ愚直に守り続けるだけじゃいずれ本末転倒に陥るから、新しさを取り入れる柔軟さも大切なんだとか」


 聞いていた部長が視線を上げ、昔と今じゃ原料の作物の味も違うんだろうしな、と呟いた。わたしは難しい話になりそうな気配を察知して様子見に回る。わたし以外三人とも成績上位だから下手に口を出せない。

 と思ったけど議論になりはせず、響くんが微笑みを浮かべて感心の表情を浮かべた。


「王道と陳腐は紙一重とも言いますし、ずっと同じことやり続けてなおかつ、古臭くて芸がないと言われたり飽きられないようにもするって、匠の業ですよね」


 響くんらしいなぁと思っていると、なっちゃんが、そういうことなのかな、と首を傾げた。


「私はどちらかっていうと、じいさまばあさまが世代の歌とか生まれる前の時代劇を好むみたいに、めまぐるしく変わっていく世の中だから昔のまんま変わらないものが懐かしくなる、そういうことかと思ってた」


 この意見もなっちゃんらしいなぁと思う。部長が、話全然噛み合ってねぇじゃねーか、と笑う。噛み合ってるからこそですよ、と響くんが反論した。


「時代は進む。人もお店も成長する。その大前提は一緒で、草凪さんは顧客の視点から、ぼくはお店の視点から、それぞれ思ったことを言っている」


 いやそれは言われるまでもなくわかるさ、と部長が応えたところで、なっちゃんが話をまとめに入る。


「うむ。幅広い層の支持を得る裏には、多面的な意見を読み取るバランス感覚が必要なのでしょう。もちろん簡単には左右されない盤石な基礎と実力あってのことですが」


 こういう時になるとなっちゃんはいい声といい顔で言う。やっぱり役者向きだなー、とわたしが感心していると、部長がこちらに視線を向けてくる。


「なんか言ってやれよ」

「え。でもなんか、真面目な話になってくから口を挟みづらくて」


 別に反対意見もないし、と思っていると、響くんがにっこりと笑みをこちらに向ける。


「大手や人気者についてなら、バンドワゴン効果とかWinner takes allとか判官贔屓とか、時代を超えて云々なら適者生存とかおばあちゃんの知恵袋とか実るほど(こうべ)を」

「やめろよ収拾付かなくなるわ」


 部長がひきつった半笑いで遮ると、響くんは固まった。


「身近でありふれた話だから、口はいくらでも挟めるよ、と、みことに、伝えたかった……ぐはっ」


 元気に親指を立てたかと思うと、なぜか机に倒れ伏す。そのまま両手の人差し指で口元にバツを作ったので、自重して黙りますのサインらしい。ずっと黙ってろよ、と部長が響くんの目の前で手を振るので、わたしもなっちゃんも吹き出してしまう。響くんが目線だけを動かして笑わせようとしてくるのを見ないようにしながら生六つ橋の残りに目をやると、なっちゃんが話を続けた。


「まぁブランドを維持することとかの話はだいたい『デュナ』で語られてるよね」


 言われてみるとそうだなぁと思い出す。なっちゃんは中神内人作品のオタクを公言していて、代表作の『似姿のデュナ』も印象深いのだろう。すごく流行ってたからわたしも図書館で読んでみたことがある。世界史ネタとオタク文化と宗教戦争と経済学がミックスされた、女子にも読みやすくて面白い少年漫画だった。響くんがさっき言っていた、固有性を喪失した本物の行方、というフレーズも、そういえば『デュナ』の映画か何かの話だったと思う。

 あれも大概いろんなネタ拾ってるよな、と部長が呟いて、腕組みした。


「つっても味覚触覚嗅覚は深く語られてなかったけどな。食文化ネタはあったけど、読者視聴者なんて基本的には第四の壁の外の存在だから、映画でもせいぜい観て聴けるものしか伝えようがねぇし」

「まぁそれは最高原作者が反省会で言ってた、漫画という媒体の限界の一つってことでどうか」

「媒体の限界か」


 部長が唸るように反復した。

 漫画で表現できることには限界がある、というのはわかる。音楽や声、動きなんかの魅力は観てわかるものから想像するしかない。昔と違って今は、五感をそのまま録覚再生したり配信する追感技術があるし、夢動画はアニメや映画を内側から楽しめるコンテンツだから、最近の若者は想像力や共感能力を失っているという偏見をよく聞く。逆に、生み出す方は想像力単独で芸術作品や売り物が作れてしまうからむしろ想像力豊かなのでは、という反論もある。まぁその二つが昔の素人web小説とかの地位を引き継いでいるそうなので、昔を知っている人には嘆かわしいのかもしれない。今では小説も漫画も作り手受け手両方に特殊技能が必要だから高尚で下火という扱いを受けているけど、そんなこともないと思う。

 追感も夢動画も、対応機器がないのでわたしはどちらも手を出したことがない。電脳化している響くん曰く、追感は製作者の価値観や嗜好が表れるため、感性やツボがずれるとすごく気持ち悪くなるらしい。食事追感配信で配信者とリスナーの好き嫌いが真逆だと、味覚に対する脳内感覚の齟齬で気分が悪くなると説明されて納得した。夢動画は想像力と集中力で細部の出来が左右されるから、短く作ってある続き物を連続再生するのが主流と言っていた。

 響くんが復活して、にやりといつものいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「じゃあ次の演劇部の目標は、語り得ぬものを伝える、で」

「スケールが大きすぎる……」


 なっちゃんが呆れ気味に笑った。部長がため息をついて机に肘をついた。


「たった今草凪が言ってたの聞いてたか。盤石な基礎と実力もねぇ奴が左右から違うこと言われて間取ってたら土台から崩れるって意味だよ」


 そりゃーもちろんわかりますけど、と響くんが口答えする。


「せっかく草凪さんとご同輩とぼくという演劇の天才が三人揃ってる千載一遇の好機なんですから」

「自分で言うのかよ」


 部長が突っ込んだ。実際三人ともすごく上手いので、実力自体は部長も認めているっぽい。その天才三人の一人、なっちゃんは言葉を選ぶように響くんを諭した。


「キョーメイ、演劇は団体競技なんだよ。独りじゃできないんだ」

「だから三人…………まぁいいや、この話は合宿でもしたし」


 響くんが口を閉じると、静かになってしまった。ここはグラウンドからも校庭からも遠いので、放課後の喧騒とは無縁だと思い出す。

 なっちゃんがお茶を少し飲んでから口を開いた。


「…………まぁ、あの時は人数不足とか稽古不足以上に何より、とにかく発表までの時間がないっていうのが決定打だったから、そこが大きく違う以上、やりようはある、とは思うけど」


 部長が椅子にもたれた。


「だとしたらあたしはパス。もうすぐ課題研究の県発表だし、来年の秋は引退して受験勉強シーズンだし」

「引退するほど打ち込んでない上に学年一位のひとが言う台詞とは思えませんね」

「お前に言われたかねぇよ」


 一・二年生の学年一位同士が言い合う。この二人が本気で言い合い始めるとわたしは隅っこで縮こまるしかなくなってしまうので、なっちゃんに視線で助けを求めると、なっちゃんは部長を見てにやりとした。


「そうだ、やっさん部長。なくなっちゃう前に、どうぞ」


 生六つ橋を指さす。甘いものを食べれば落ち着くかと一瞬期待したけど、部長は疲れた声で断った。


「いらない」


 けど、なっちゃんは退かない。


「あーんしましょうか」

「だからいらない。そもそもあんこだから、どっちにしろ食いたくない」


 部長はあからさまに厭そうな表情で拒んだ。


「あんこがだめなら仕方ないか」


 なっちゃんは小首を傾げた。


「それは残念。じゃあこっちは山分けすることになりますが」


 部長はお茶の残りを一息で仰ぐと、音を立てて紙コップを机に置いた。


「好きにしな。あたしはもう帰るだけだから」

「こっちはいいんですか?」


 未開封のみやこばぁむを見てわたしが聞くと、部長は顔をしかめた。


「食えばうまいんだろうけど、時間がな」

「一口くらいどうですか? 厚意はありがたく受けておくものですよ」


 響くんが言うと部長はうっとうしそうな表情を見せる。なっちゃんがとっさに部長に耳打ちした。


「あいつお土産貰っておいて偉そうですよね、叱ってくださいよ」


 とっさにこういう風にガス抜きができるのは、なっちゃんだけだなぁと思う。響くんは苦笑いした。


「気持ちや生ものは、ありがたく受けておくものですよ。でいいかな」

「気持ちだけを受け取る方法は確立されてないもんなー」


 なっちゃんはそう言ってそっぽを向く。部長が素で聞いた。


「追感は?」

「データとして何回もリピートできちゃうと別の意味を持っちゃうかなって。主観ですけど」

「主観だな」

「主観ですね」

「…………主観?」


 意見が一致した部長と響くんにわたしもよくわからないまま合わせると、なっちゃんはいたずらっ子みたいに笑った。


「へっへっへ。聞いたか皆の者、ひとまずそういうことだ」

「どういうことだ……」

「話は聞かせてもらったナーギー。このお宝はおれたち三人で山分けといこうじゃないか」


 また響くんが悪乗りする。わたしは確認せずにいられなくなって、部長に聞いた。


「いいんですか? 取っておけませんけど」

「いいよ。実際もう用は達成したし、今帰って怒られる筋合いもまだない」


 部長は学生鞄を肩にかけながら淡々とそう言った後、かっと両目を開いた。そして視線を下げ、表情をゆがめて呟く。


「…………来た」

「タイミングいいなまた」


 響くんが言い終わる頃にはもう足音はわたしにも聞こえていた。部室の前でシルエットが停まる。がらりとドアが滑った。


「…………おや」


 なっちゃんが呟く。来たのは塚原影路くんだった。洒落っ気のない黒髪、ホログラスの下の目の隈、驚きのない表情。響くんが露骨に嬉しそうに笑って声のトーンを上げる。


「ご同輩じゃないか。今丁度お土産に群がってるところなんだ」


 塚原くんは無反応に一歩大きく右にどいて、後ろにいる二人目に道を開けた。ひょこっと顔を見せたのは、やや大きめのカーディガンと膨らんだセミロングパンツ、福々しい童顔の輪郭を隠すウェーブヘア。沢樫静先生だった。

掲載日 2023年 11月05日 21時32分

修正 2023年 11月08日 00時20分

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