4 天の光はおよそ偽⑧
連載1周年を迎えました。
次々話以降は本筋関連の回が多くなる予定ですので、今後ともお付き合いいただければ幸いです。
ここまでの評価・感想・ここすきなどお待ちしております。
帰ろうと思ってポケットから取り出したホログラスを起動させると、メッセージが一件入っていた。星野恵からだった。五分前、件名は『今どこ?』。
「悪いな、義姉さん」
あたしは独りごつ。そして夜空を仰いだ。駅前にいるせいで、電灯が眩しい。星は見えなかった。
「…………帰るか」
誰に言うともなく言い、元来た道を引き返す。
多分近くに、義姉の車が停まっていると思った。
***
「夜宵ちゃん、乗る?」
途中で義姉の恵さんにサイドウィンドウ越しに声をかけられて、路上駐車した白い軽自動車に乗った。ドアを閉めると家への自動運転が開始され、向こうから話しかけて来た。
「珍しいね、今日はこっちまで歩いたんだ。散歩?」
「……部活の後輩と、少し話してて」
あたしは窓の外に視線を向け、眼鏡型端末越しに偽りの星空を見上げる。
「そうだったんだ」
義姉は納得したらしかった。
「珍しいね。いっぱい話せた?」
「多少は……」
話は弾まないどころか、地面に穴を開ける勢いだった。そして、義姉はお構いなしに真新しい傷を抉ってくる。
「どんなこと話してたの?」
「…………理想と現実について」
無軌道な会話の一つのテーマを、やや歪曲して伝える。義姉はへーっと声を上げた。
「青春だねえ」
……別に、義姉さんだって、そんなに歳は離れていないが。
「他には? どんなこと話したの?」
「……幸福と絶望について」
「難しいね。でも、話が合うんでしょ」
「そうでもなかったかもしれない」
「後輩ちゃん? 後輩くん?」
「くん」
あたしが適当に答えると、義姉は少し嬉しそうにこちらを向いた。
「どっちから話しかけたの?」
ゴシップの予感がした。
「……あたしからだよ」
「へーっ」
義姉はさらに嬉しそうな声を出した。つくづく、ゴシップを食って生きる女は好かないと思わされる。千道にしろ恵さんにしろ、この手の反応は心底不愉快だ。
「仲いいの?」
「ゼロから悪化した」
「あらー」
義姉は残念そうに言う。
「後輩だからってあんまりぞんざいにしたり、いじめちゃだめよ。夜宵ちゃん、けっこう言葉きつい時あるから」
「反省はしてる」
そして見事にやりかえされた。それはもう、傷口同士で触れ合うようなコミュニケーションだったといえる。というかむしろ、奴が自身に向けた刃であたしまで斬られた気分だ。
「私もあんまり人のこと言えないけどね」
義姉がふっと遠くを見るように笑った。
「夜宵ちゃんも、悪気はないのかもしれないけど、気を付けてね」
夜宵ちゃんも、か。
「気を付けます」
悪いのはあたしなんだけどな。
***
雪子さんに呼ばれる前に土日の分の宿題は片付いてしまった。元々自主勉強を尊重する校風なので、新しい単元に入らない時期に科目担任が課題を出すことはあまりない。今回は実力テストが近づいてきたので、主要3教科からちらほら復習用課題が配布され始めていた。せめて赤点を取る生徒が一人でも減るようにとの温情だが、高得点を狙うなら失点防止は言わずもがな、習っていない範囲や単語への対応力がものを言う。前後関係からの類推、予習による解法や文法の理解、分野融合問題への適切なアプローチなど、基礎の上に何を積んだかを試される。それだけに、学年上位連中はこれからの緊張感を楽しんでいる節があった。
何しろ、実力テストは上位50位の点数が名前と共に張り出される。
塚原のように名前を伏せながら存在感を示す者もいるが、大半は名前を伏せない。あたしも本間も島津も、一年生では鏡名も鴾野も草凪も、自分の学内での位置を堂々と表している。
印刷された数学公式導出50選を机に置き、行儀の悪い姿勢で目で追っているうちに、部屋の外で恵さんが、ご飯よー、と控えめに声を張った。
夕飯はシーザーサラダとクリームシチューとガーリックトーストだった。
あたしが手を洗っているうちに恵さんが壁掛けモニターを操作したらしく、愚にもつかないバラエティ番組の再配信は教養解説動画に変わっていた。例によって、塚原進路と榊詩織がミニキャラと化して、身振り手振りを交えてテーマを紹介している。
『第2回大統領選挙が話題になっているので、今回はインディア連邦シリーズ第1弾と題しまして、連邦の成立とその背景について解説していきましょう』
『僕の死後に起きた重大な政治的転換ですね。中立で体系化された分析がまだ多くない現代史ですので、今回も、あくまで現時点でわかっている大きな流れとして、学んでいきたいと思います。よろしくお願いします』
女神と死人のブラックなりきりジョークをかましながら、いつものように解説が始まる。今回のキーワードは、「ヴァルナとジャーティ」、「マインディズム」、「パラジナム」。
義姉と義母とあたしが着席し、揃って手を合わせる。父は今日は遅い。
インディア連邦は多様な宗教・文化・民族・言語から構成され、元々連邦共和制国家であったインド共和国が、都市部と地方・伝統勢力間の軋轢を解消するため、行政構造再編による地方分権改革を行ったことから始まった、という基本的なおさらいから入る。かつてのインドという名前は国外からの呼称で、インド憲法ではバーラトというのが正式名称だったらしく、それは新憲法にも引き継がれている。インディアは今も昔も、対外的な名前扱いらしい。呼び方問題では他に、かつてカースト制度という名で有名だったヒンドゥー教の身分制度が、ポルトガル語による西洋的概念であるとして、言い換える流れが起きていた。それが、インド国内で呼ばれていた、階級制のヴァルナと世襲共同体のジャーティだそうだ。こちらは、再編よりずっと前から言い換えが進んでいたらしい。
そういった説明が対話形式で、図示を挟みながら進む。
レタスをちまちまかじるあたしの正面で、恵さんが体を60度ほど斜めに向けながらスプーンを口に運ぶ。雪子さんが器用にパンを切りながら呟いた。
「インディアかー。ドロイドで疑似観光したことあるけど、都市部はどの国も似たり寄ったりでそんなに面白みなかったな。ちょっと外れた自然の残ってる辺りは楽しかった」
本人の言う通り、どこの国にでも言えそうな感想だった。文明による画一化や均質化は、固有の土着文化を奪っていく。動画ではまさに、その話をしていた。
『そのIT大国だったインドでも、DR文化とレイヤード研究開発の波がやってきます』
『なるほど。それが次のキーワード、マインディズムですね』
『その通りですけど、話が早すぎてこの動画を見ている視聴者さん、追いついているでしょうか』
淑やかな美女は楽しそうに微笑み、お人好しの好青年は爽やかな笑顔で親指を立てた。
『マインディズムについては、以前の動画で学びましたからね』
この和やかで知的な雰囲気は、見る者に居心地の良さと安心感を抱かせる。それは、人格関数エンジンで可能な限り再現されたこの天才2人が、社交性とユーモア、良好な関係の全てを兼ね備えていたことを意味する。同じ顔の草凪和沙と塚原影路が、このようなやりとりをできるかと考えれば明らかだ。……いや、あいつらもやろうと思えばできるだろうが、もう少し空気感が違うはずだ。
オンラインDR、通称集合夢は、多重の階層による入れ子構造で構成される。そのレイヤード構造と呼ばれる領域における、意識の器、電脳体は、夢の中で着る体、あるいは入り込む体、というのが一般的認識だった。
集合夢においては、外見差別も人種差別も、義体や五感障害、半身不随といったハンディキャップも存在しない。夢の中では幻肢が本物であり、6本脚にもなれる。そのレイヤードでは、生身を反映したRealAvatarのレイヤーとNonRealAvatarのレイヤーが存在する。NRAでは、美男美女が8割以上を占める。理想の外見に全身整形できると言われれば、当然ではあるだろう。誰もが息を呑む精緻な人形細工の如き美貌、どんな人間さえ惹き付ける魅力的なスタイル。それら全て金で贖えるなら、人は欲を隠さない。
だが、欲深き人はいつかその刺激的な環境に慣れる。適応してしまう。
いざ自分の肉体に戻ったとき、自分の外見と肉体に絶望する。あるいは恋人や伴侶を求めたとき、生身の人間が魅力的に思えなくなってしまう。そういう、"アバターうつ"なる問題が、社会現象として中学の公民のテキストにも載っている。
それでも一縷の望みを託し、こぞって端麗な容姿を求め、わずかでも見目麗しく、蠱惑的にと理想を追う者は後を絶たない。そして、想像力の無い人々はようやく気付かされた。容姿の上限が人間の想像力によって頭打ちになるなら、事実上DRは外見至上主義が大前提と化す。一方で外見格差は、介在する余地を失う。
では代わりに台頭する思想は何か。それが、マインディズム──性格差別だった。
結局は、中身が伴わない人間は価値がない。
コミュニケーション能力の明確な表出。あるいは技能や知識の格差。いわゆる教養、育ち。持って生まれた感性、センス。そして、絶対的な自信の差。
画面の前でこの2人がそれを話題にするのは、持たざる者からすればあまりに残酷で、無慈悲に過ぎる、というのが率直な感想だった。『存在の痕跡』自体、冷徹な内容だったので今更ではあるが。
DRユーザーの動向に目を戻す。マインディズムが広まると、ルッキズムは加速していく。ここぞとばかりに美容整形外科医が増殖し、天然美人への逆恨みは強まる。ならば天然美人を作ればいいと、当時技術として確立を目の前にしていた遺伝子治療・ゲノム操作技術に目を付ける国が現れるのは時間の問題だった。
我が子をパラジナムに──ゲノムを編集してでも、病を遠ざけ強く賢く美しく。親心というよりも、本能だろう。不安定な情勢の社会では、優れた者ほど生き残る可能性が高まる。自分の子供がモテればモテるほど、自分の遺伝子は後世に受け継がれる。
画面の中の榊詩織は、彫刻のような美しさを持った夢の塔の女神R.E.M.を、柔らかくマスコット化している。夢や動画の中ならば、かわいいね綺麗だねと微笑まれるだろう。しかし、この美しさが現実に現れれば、人の視線と感情がどう蠢くか、想像したくはならない。神のごとく崇められ敬遠されるか、人として人気を集め嫉妬と怨嗟の渦に巻き込まれるか。
あたしは、トーストの何も塗られていない部分を、シチューに浸して口に突っ込む。温かくてうまい。
レイヤード・テックでGONSに後れを取った技術国のアメリカと東中華、遺伝子整形を謳う朝統がパラジナム方面へ先んじると、同じく技術国のインドでも波紋が広がる。先行した3国とインディア連邦は後々義体・サイボーグ方面にも触手を伸ばしていくが、ここではそれは深入りしない。
インド国内では、一部の都市と地方・伝統勢力による極端なスタンスの違いが顕在化していく。一つのジャーティ内で結婚相手を決めて代々同じ職に生き、ジャーティの内側で生涯を終える。その慣習が強く残る地方の人々にとって、技術と自由を求める都市部の変革政策は、さぞ眩しく魅力的に映ったことだろう。夢見がちな若い世代は故郷を捨て、都市部への人口流出は留まるところを知らない。結果的に都市部は人口過密と就職激化、貧困問題の加速も生じる。一度そういう流れができてしまえば、過激派同士の潰し合いか大規模な転換のどちらかを迫られる。
結局、産み手が減ればいずれ社会は立ち行かなくなる。地方の若い世代を都市部に人質に取られる、という未来図が明確になると、代理出産ガイノイドを大々的に導入するか否かの議論が始まる。急進的な解決策である以上、当然感情的・宗教的反発や技術への無知・恐怖などを招く。特に女性の大半が大反対するので、国民の半分を敵に回してまで導入するのは感情的に旨味がない。さらには、アメリカが米帝へと大変革を遂げ、西中華と台湾共和国に核支援を行い始めた時期で、国際的な緊張状態を前に内紛の余裕はなかったという事情もあった。かくして、諸国の少子高齢化や無子超高齢社会の反省から、インド国内では与野党の垣根を超えた地方分権改革が急速に進んでいった。権力の集中が弱まると、地方独立の機運が高まる。かくして、世界史上稀なまでの穏便かつ迅速さで、インド共和国はインディア連邦へと生まれ変わった。
元々ジャーティによる縛りが強力で、大半のジャーティ内に所属する一般市民の生活は大きくは変わらなかった。それが結果として安定を保つ要因になったのかもしれない、というのがこの動画での分析だった。次回は各地域ごとの分権と、地域独自の特色を解説するらしい。
動画が終わり、手を振る榊詩織と塚原進路のミニキャラの止め絵で、画面は動かなくなる。
草凪と塚原を、また連想してしまう。
こいつらもあいつらも、オリジナルとはよく似て非なる。こいつらは二次創作で、あいつらは、生き写しと血の双子。それは、言葉を選ばなければ、マイナーチェンジ。
一生誰かのそっくりさんで、死ぬまで誰かの二番煎じ。
「……夜宵ちゃん、こわい顔してるよ」
恵さんに言われて気付く。知らず、あたしは顔をしかめてしまっていたらしい。
「別に……」
スプーンを持つ手の力を緩めて、タンブラーに注がれた水に視線を落とす。インディア連邦の成立も、帰り道のやりとりも、何もかもがオーバーラップして、切実でひりついたものに思えてくる。
代々この繁原で過ごし、自らもこの地で骨を埋めんとする寺生まれの草凪。
万才から転学して外を見て、都市へと舞い行かんとするクローンの塚原。
一方では、相容れない出自と期待を背負う、他者。また一方では、余人の想像を許さない同じ呪いをかけられた、仲間。
そして、言葉を弄び時に腹を割る、友人。
境遇に思いを馳せれば馳せるほど、傍から面白おかしく茶化したり、下手につついていい代物ではないと身に染みる。あれは、いつバランスを崩して粉々に砕け散ってしまうとも知れない、硝子細工のような繋がりだ。
恵さんが画面を切り替え、次の動画探しに移る。あたしはため息をついて、最後の一口を流し込んでいく。
どうせ全部、あたしには関係のないことなんだけどな。
恵さんはあれこれとサムネイルを滑らせながら、何かを思い出そうと呟いていたが、すぐに顔を上げた。
「そうだそうそう、志場高の一年生! インタビューあったって話、聞いた」
「ああ、今日収録があったらしいのはあたしも……」
恵さんの情報源は深く聞かず、食器下げに集中する。去年志場高校を卒業したOGなので、大方、カメラを見かけた3年生か誰かの自慢でも聞いたのだろう。
放送は来週の金曜夕方頃になるらしい、とあたしより詳しい義姉が話を続けているうちに、我が実父が帰宅した。
「おかえり、暁さん」
「ただいま、恵さん。雪子さん、夜宵。今帰りました」
父はジャケットを脱ぎながら挨拶し、クローゼットへ向かう。
「おかえりなさい。シチュー温め直しますねー」
「ありがとうございます」
義母と父のやりとりを傍目に、あたしは丁度いいタイミングなので、自分の部屋に戻ることにした。
習慣で机に向かって耳栓をしてから、天文台カレンダーに目が留まる。今年のオリオン座流星群の極大は、今日の深夜1時だ。
サイドテーブルに置いてあるギアプラスに目をやり、仮眠を取るかインナースに引きこもるか、一瞬考える。心を休めようと思い、前者を選んでそのままベッドに倒れ込む。髪に癖が付きそうで、まとめ直すのが面倒だが、どうせ深夜に気にする人もいまい。
電気を消すのも億劫で、枕元のアイマスクを手探りで掴み、瞼を閉じて装着する。
食後すぐだからか、まだ眠くならない。もう30分か1時間してから血糖が効いてきそうだな、そういえば今日保健室で昼寝もしたんだよな、と益体もないことに思いを巡らせるうちに、部屋のドアがノックされた。
「夜宵。今日は映画一緒に見る気分?」
「……3人でどうぞ」
うめくように答える。リビングで家族が集まって映画を見るのが、金曜日の星野家の一家団欒となっていた。だが、義母が凝っているサラウンドのスピーカーだの大音響の迫力だのは、はっきり言って嫌いだった。うるさいのは嫌いだ。
父が返事をして去っていくと、結局起き上がって手探りで消灯した。
改めてベッドにもそもそと入ると、張り詰めた心は急速に緩む。今度こそ、一人静かで穏やかな、眠りの中へ。
目覚まし時計のアラームは、と思い至り、今朝起きた時に深夜に設定し直したんだった、と思い返す。我ながら、そこそこ期待していたらしい。
通信衛星で埋め尽くされた空を見上げて、それでも流星群を見たかったとは。