3 夢見る力⑦
帰宅して巫女装束に着替え、竹ぼうきでお寺の境内の銀杏の葉っぱを掃いている間も、頭はずっと同じことばかりぐるぐると繰り返していました。
ミスターと主義者の一団とグレナさん。
メリーさんと献血と母の怒り。
お寺と私自身の将来。
それでも慣れたもので、背筋はきちんと伸び、掃く手の動きも規則正しく、澄ました表情を保っています。
ミスターの先約相手が本当は誰なのかとか、献血に行けない理由をいつまでごまかしていられるのかとか、婿入りしてくれるようないい人が見つかるのだろうかとか、そういう思考が、一掃きごとに頭から追い出されていくイメージで、落ち着きを取り戻していきます。
竹ぼうきの一振りごとに、手に伝わる感触、耳に心地いい音が、私の逸る心をリラックスさせてくれます。
勉強も演劇もゲームも絵も小説も好きですが、こういうのんびりした時間も好きです。
自分ですぐにどうにもできないことは、考慮はしても悩み苦しむ必要はないと祖父も言っておりました。今は一旦、目の前のことに集中しましょう。昨日の帰り以降、どうも心が乱れていけません。
ふと顔を上げると、青空に雲が散らばって、風に流れているのが目で追えました。日が傾く西の空に厚い雲が見えます。明日は雨かもしれません。今日の掃除は明日の分までしっかりしておきましょう。
壁際に寄せた銀杏の葉を熊手で集めていると、ふと壁の向こうから、聞き覚えのある男女の声が耳に届きました。他愛ない会話をしながら門の前を通り過ぎる声の主をそっと窺おうと待ち構えていると、門の中を覗き込んだ女子と目が合いました。茶色に染めたショートカットの髪が彼女の耳の向こうでさらさらと揺れます。
「…………なっちゃんいた」
「久しぶり~、ってほどでもないか」
私が控えめに手を振ると、ひー子からも返ってきます。中学時代の同級生でした。今は西高のブレザーを着ているので、学校帰りのようです。ひー子は肩の力を抜いて笑います。
「お彼岸も会ったもんね。元気?」
「元気元気」
熊手を持った方の腕で力こぶを作ってみせますが、白衣越しなのでまったく見えません。
「ひー子も元気かい?」
「うん、いい感じ」
ひー子が親指を立てると、その向こう隣りにいた男子がこちらを覗き込みました。同じく西高のブレザーを着た彼は、私を見つけると口を開けて少し止まりました。
「……………………すげえ久々に会ったけど…………マジで巫女なんだ」
「嘘じゃないよまったく。久しぶり」
私が巫女らしからぬテキトーな態度で挨拶すると、固まっていた村永は動き出し、意外そうに私の頭から草履まで視線を往復させます。
「…………久しぶり。だって、いや、寺なのに巫女って」
「明治前まではお寺も神社もごっちゃだったからねぇ。詳しくは神仏習合とかで検索して」
寺生まれの巫女を名乗るとよく聞かれるので、テンプレートに則って答えます。
「せっかくだからお参りしてく?」
「今日はろうそくだけ」
ひー子は右手の人差し指を立てました。その動作でひー子の右肩の鞄がずり落ち、キーホルダーが目に入ります。村永のスポーツバッグにもお揃いのキーホルダーが見えていました。まだ仲が続いているようで、恋愛相談に乗った身としては嬉しいですね。
「そ。寺務所はおばあちゃんいると思う。案内はいいね」
「うん、ありがと」
私はざっくばらんな対応をして、片手を挙げて離れました。邪魔しないようにクールに去るのがいい友人というものです。ひー子と村永が手を振り返してくれるのを視界の隅に捉えて、また落ち葉掃きを再開しました。
ひー子と村永が向かった寺務所の前にはお賽銭箱があり、QRコードが張り付けてあります。これはお寺とか決済会社にもよりますが、お賽銭は寄付扱いになって、未だに対応していないシステムがあるため、キャッシュレス派の方は寺務所でろうそく1本やお線香一束などを購入してお賽銭の代わりとする、というマナーが定着しています。
寺務所は母と父方の祖母が交代で詰めていて、この時間帯は母が近隣中高の空手部の委託顧問として道場に行っているので、祖母が担当です。たまに予定のない日に父や私が交代で入ったり、正座できなくなって早期引退した父方の祖父もたまに交代で入ります。
日が落ちるのが日に日に早くなっていって、秋の深まりを感じます。
2人が帰って、8割方きれいになった頃、参拝者らしきご年配の男性の方がいらっしゃいました。門を通る前に一礼の後、ご丁寧に手水へ向かわれます。手や口を清める細かい順番の作法は聞かれまくるので、手水舎に看板があります。手水が終わって、遠目に視線が合い、会釈を交わしました。本堂の前まで来て、一礼。懐から取り出した小銭を浄財箱にそっと落として、合掌、一礼。お寺は手は叩きません。その後もう一度会釈を交わし、今度は寺務所へ向かわれました。地元密着型の家業ですので、挨拶や連絡やらあるのでしょう。
最後の一山を掃き集めていると、にゃーにゃーと黒猫が忍び寄ってきました。猫はかわいいですね。でも閉門前に出て行ってもらうため、竹ぼうきで猫の周囲を掃いて遠ざけます。先週近所で落ち葉焼き芋をやっていたところがあるので、味を占めたのでしょう。私のほうきディフェンスが成功し、猫は軽やかに四つ足で走り去っていきました。
……そういえば、四つ足で思い出しましたが、ケイシューもしばらく遊んでいませんね。まだあの親戚ギルドでは、元仮許婚やその現婚約者が暴れているのでしょうか。急にハロウィーンの出張イベントに呼び出されてもいいように、私も暗黒鎧殴り騎士としての勘を取り戻しておかないと。一応DRオンは引退したとはいえ、放置でアカウントが自動削除されるのは惜しいですし、たまにはログインくらいしましょう。同世代組との交流も大切です。
どれだけ学校で友達ができようとも、いくらモテたり好かれようとも、私の真の理解者は、結局、あの血族だけなのですから。
♡♡♡
「ただいまー」
庫裏に戻って私服のスウェットに着替え、お仏壇を拝んでからお台所に向かうと、祖父が作り置きしてくれたたこなしたこ焼きがまだ残っていました。一人4個と書置きもあるので、一瞬で食べ終わります。定期的に出てくるので、お礼を言うたびに、たこのないたこ焼きはたこ焼きとは言わないんじゃないのと聞くんですが、じゃあ何焼きかと問い返されると困ります。
昨日ミスターに話したときは、家ではさも基本肉・魚NGかのように言いましたが、たこパ先代住職Tuberは肉食OK派で、現住職である父がそれに難色を示している形です。色々と理由はありますが、一番大きい点は、祖父の場合は生まれた息子がそのまま継げば済んだので大らかだった一方、父の場合は生まれたのが娘な上に訳ありなので、他所から来るであろう娘婿に求めるものが自然と増える、だから事前のふるい分けも厳しくなるといった事情です。前から知っている人にはお父さんが継いで方針が変わったと言っていますが、代替わり後にうちのお寺に興味を持った人にはそこまで言う必要もないので、省略してああいった言い方をしています。
祖父が父にかつて言いました。抑圧すれば性根が歪むし弾圧すれば地下に潜る、だから誰かの目の届くところで、ある程度自由にさせてやりなさい。そして少しずつ言い聞かせて、自然と卒業できるように導くのが親の務めだ。
よくあるカリギュラ効果の話を父は聞き入れ、娘の私に肉・魚を食べさせたり、習い事で興味を持った英語劇クラブに入る許可をくれたり、ネットやレイヤード、親戚とのDRオンゲームなんかをある程度好きに遊ばせてくれたりして、おかげで私自身はのびのびと過ごさせてさせていただきました。その甲斐あってか、同級生から親の言いなり人生で悔しくないのと聞かれても、いや別に、と即答できるようになっていました。逆らって家から逃げてまで得たい幸せがありませんし、あったところで、この顔も血も死ぬまでついて回りますから。
私の自己実現欲求はただ、優しくてかわいらしいおばあちゃんになりたい、そのために幸せで安らかな結婚生活が欲しい、そのくらいです。だから、真面目で口が堅くて話が合う男子が婿に来てくれないものかとたまに考えます。……親戚同士で同い年だからと又いとこが仮許婚として候補に挙がったことがありましたが、オンゲにハマって夜更かしして学校にたびたび遅刻しまうところがちょっと危ぶまれていたので、大前提として早寝早起きや共同生活を営める協調性が必須ですが。彼も、性格自体は穏やかで器がでかくて非常にいいやつなんですけどね。彼の今の婚約者である“祥”ねえさんにこれ以上にらまれないためにも、私もとっとといいひとを見つけて親戚連中を安心させたいものです。
さて、考え込むのはそのくらいにして、宿題と予習と演劇部のリマインドに取り掛かりましょう。
集中するのは、昔から得意でした。
やるべきことを片付けている間に、祖母が寺務所から戻って夕飯の仕込みを始め、祖父が膝の調子がいいからと出ていた軽い自転車散歩から帰り、父は今日も早めに帰ってきて、一緒に食卓を囲めるようでした。母は平日夕方はほぼ道場なので、母が帰宅次第夕ご飯となります。
宿題も予習もだいたい済んだので、演劇部の会議で話し合う内容の例をいくつか考えましょう。まず作風は笑える軽い感じなのかシリアス系なのか、ハッピーエンドなのかちょっと考えさせるラストなのか、ジャンルや舞台設定はどんな風か、テーマやメッセージ性を大事にするか娯楽・エンターテインメント性を重視するか、あとは……。
色々考えて一通りまとめ、グループメモに貼り付けました。王道なら絆や愛、ダーク系なら復讐や裏切り、といった例の中に一応、ミスターと話した、家族の恋愛というアイディアも書くだけ書きました。定番を茶化すのも定番という意味では分かりやすいと思ったからです。
母も帰ってきたので、家族五人で精進料理を頂きます。雑談や明日の予定、連絡事項の確認、日々のたわいない出来事など、穏やかな時間です。
食器を下げていると、洗い物係の母がこちらをじっと見てきました。
「あんまり喋らなかったけど、何思い悩んでるの?」
その顔立ちは整っていて、眼は私の眼の奥を見据えています。私は体ごと顔を背けました。
「明日になれば解決しそうなことだから、いいよ別に」
「そうなんだ」
母はなおも私を観察し、呟きました。
「────先約?」
一言もヒントすらなかったキーワードを、ピンポイントで。
「思春期の娘の心を勝手に見るんじゃないよまったく」
私が軽く唇を尖らせると、言い当ててみせた母は、含み笑いをしました。
「お母さんの人生を何千回と夢に見た子の言うこと?」
いつものやりとりですが、今日はちょっと茶化されたくなかったので、私は思考に意図的にノイズを混ぜるイメージを浮かべました。具体的には、母と父が毎朝毎夜おはようのちゅーとおやすみのちゅーをしている場面とかです。
「この子は……」
母が頬をつつこうとしてくるのを私は回避し、気を緩めて、また見透かされてしまいました。
「影路くんとグレナちゃん」
…………考えないようにすればするほど、カリギュラ効果。塚原進路氏と面識のある母がミスターを影路くんと呼んだことはスルーします。
「ミスターがハロウィーンにBABELで会うかもって。ほんとにその子かわかんないけど」
母はそれ以上の説明を必要とせず、理解しました。
「中学の後輩ねー……あ、幼小中一貫の後輩か」
「しかもただの後輩じゃないだろうしね……」
特異な出自と特殊な閉鎖空間で十年以上となると、幼馴染みたいなものでしょうか。パラジナムは生まれた時から万才で育ち、クローン2名の片方である塚原影路氏の方は生後間もなく万才に引き取られたと聞いています。どちらかというと家族ですかね。境遇の面でも年の近さの面でも、並々ならぬ絆が容易く想像できます。特に昔は、パラジナムという存在への正しい理解の普及が遅れていた時代で、代理出産ガイノイドへの風当たりも強く、代理出産ガイノイド生まれへの差別感情が凄まじかった頃です。その差別の最前線で、肌の色が人と大きく異なる遺伝子改造少女が、年回りのほど近いクローンの男子とどのような距離感にあったかは、想像に難くありません。
母は、一応会話するポーズを取って尋ねました。
「ちなみにその子は、影路くんと万才でどのくらい仲良かったとか、万才の二人は言ってた?」
「かげみーパイセンって呼んで慕ってたって」
私の声は無意識に拗ねたような調子になっていました。グレナ・グレートグロウンさんの性格と二人の距離感が窺えます。
「あの影路くんが?」
「一応ミスターも昔は割と明るかったらしいから」
以前聞いた話では、D表が義体化するきっかけとなった10歳頃の探検事件で、D表は生身の体を失い、一つ年上のドラゴンさんは血と生肉がダメになり、ミスターも人格面で変化があったそうです。今思うと、ミスターの絶食もその辺に原因があったりするのでしょうか。だとすると今後はあまり指摘するのもよくないのかもしれません。
お悩み相談配信を始める前から祖父はたびたび、他人事だから言えることもある、親身に寄り添うのが必ずしも互いのためとは限らない、と口にしていました。それは、私と母が体質上感化されやすいことを踏まえての忠告で、弔うのも愛するのも一線を引いてから、まず自分の足元を固めなければ破滅を招くという警告でもありました。溺れる者に手を差し伸べたらしがみつかれて共に沈むなんて目も当てられない、そういう話です。実際、私が力になれる状況なんてごく限られているのも確かなので、基本的には見守る方針ですが。
母は私の言葉を復唱して笑いました。
「かげみーパイセンねー……ふふ」
「まだその子かはわかんないけどね……」
クローンとパラジナムとはいえ、ただの先輩後輩としての再会なら心配もないんですけどね。パラジナムの一人が亡くなって一年が経った今、ふと急に慕っていた先輩が元気にしてるか気になって仕方がなくなったとしても、おかしくありません。万才の外を知らずに生きているなら、彼女にとって外は、先輩のもう一人のクローン氏が義両親殺人冤罪事件に遭った世界ですからね。差別や偏見や逆恨みが怖くて当然です。
本当にそういう話だけなら、いいんですけれど。パラジナムに過激思想の持ち主がいてミスターを取り込もうとするような展開は避けてほしいところです。そもそもグレナさんと会うという確証もまだないんですよね。
これ以上気になるならミスターに聞いてしまおうかな、と何度か考えたのですが、D表の言い方からして、ミスター自身から情報は聞き出させないという意思を感じました。まぁ、D表の方で彼女に連絡を取って、ミスターにそういうメッセージを送ったか裏を取れるまでの辛抱です。
……それにしても、ミスターはなぜ、私に教えてくれなかったのでしょう? また、D表にも先約相手を言わなかったのは、なぜでしょう? 隠したいのか、言える情報がないのか。
答えのない問いを気にかけながら、私は自室に向かいました。
食べてすぐ横になるわけにもいかないので、畳の上の文机で文芸部のハロウィーン号のイラストをちまちま描き始めます。私は家で自主的に、イラストはデジタルで手描きの上から補正やら修正やらを繰り返していき、小説は人格関数エンジンに頼らず思い付きで色々試しながら書き進めます。PerFEは便利ですが、二次創作向きなんですよね、根本的に。会議や多数決で出てきた意見をとりあえず全部採用したらこうなるという例示には非常に有効ですが、自作のオリジナル短編に対しては、入力項目の多さと手間を考えると自力で書いた方が楽なことが多いです。
イラストの見栄えをよくする方法や小説の構成などの記事や動画像をよく参考にしますが、たまにふと、これは上手く見せかける技術であって、私自身の上達はしていないのではないか、と思うことがあります。もっと無駄のない線を引けるはず、もっといい色の組み合わせがあるはず、もっとスマートに書けるはず、と自分の限界にぶつかるたびに、基礎的な画力や文章力の向上のために模写や写本を高速世界で始めて、ついのめり込んで気付いたらすぐお風呂に入って寝ないといけない時間、ということもしばしばです。早すぎると思考もそれだけ抽象化されて持ち帰れなくなってしまうのが難点ですが、体感1時間と実時間1時間とでは大きな差があるため、ありがたいものではあります。
今日は早めに切り上げてお風呂に浸かり、敷いた布団に潜り込みました。
かぶった帽子型ヘッドギア『ギアプラス』の電源をオンにして、瞼を下します。かんたんパス、937g。ホーム画面で、よく移動する界層のショートカットリンクから、インナースを選択。利用設定を高速世界(Low)に変更。
そのままおねむの時間と洒落込みます。