3 夢見る力⑤ ☆
投稿直前の微修正が長引いてしまい、お待たせしました。
今後半月以上投稿間隔が空く場合は活動報告に一言添えることにします。
ご迷惑・ご心配をおかけしました。
昨日はミスターに色々聞かれたのでつい私の方も色々聞いてしまって、思い返してみるうちに、よくなかったなぁと反省点が浮かびます。モテて困るみたいな反応に困る愚痴に始まって自分の結婚観や家庭事情を喋りまくったり、結局将来のことをしつこく聞いたり、演劇部の会議メモを押し付けた上に、こうして今、演劇部の歴代小道具の整理までさせてしまって……。
話しやすいから話してしまうとはいえ、自分の話もお節介も、節度は弁えねば、と自省しました。
「ミスター。昨日もそれも、ありがとね」
私の自責に付き合わせるのも悪いので、微笑みを作ってお礼だけを伝えます。ネガティブは伝染してしまいますから。
ミスターは昨夜、演劇部のグループメモに私との会話の中で出たキーワードを挙げ、展開・ジャンル・コンセプト等のやりたい案や、この発表で何を得たいかという大目標や大方針について考えてくるようにと副部長として指示してくれました。
そのミスターは、乾拭きしている小道具から顔を上げないまま呟きます。
「メモの礼は返信で見た」
「…………メモの他も、それも含めて、ね。あ、お父さんには一応、相談来るかも、とは伝えた」
才能を持て余した友人が将来何になりたいとも言わないから人生相談と進路相談に乗ってほしい、と伝えたところ、父は快く了承してくれました。男子と言うと怪訝そうな眼をしていたので、塚原影路氏だと言い添えると、難しそうな顔で頷いていました。
ミスターは顔を上げ、首を下げました。
「……ありがとう。草凪父の誤解を招いて、申し訳ない」
「…………相手がミスターだって言ったら、お父さんもお母さんも、大変だろうなって言ってたよ。誤解はしてないと思うから、嘘は言わないでいいよ」
何しろミスターは、訳ありですからね。訳あり云々に関しては私もひとのことを言えませんが。
職業柄、父の態度はニュートラルでしたが、母は叔母様の葬儀で生前の塚原進路氏と面識があるため、私とミスターが友人として話をしていることにも思うところがあるようでした。
いずれにしても、私が将来の婿候補として両親に紹介するわけではないと伝えると、ミスターは顔を上げて、表情を見せないまま頷きました。
第一声で生きていたくないと言えば誤解は解ける、と呟いたあの声がふと脳裏に蘇り、やっぱり踏み込まなきゃよかったかな、と反省する私をよそに、ミスターはもう少しで終わりそうな作業を再開しました。私はなんとなくその様子を見つめてしまいます。
誰かをじっと見つめるというのは、思い返すとなかなかないことです。じろじろ見られたりちらちら見られたり、私が美少女面を観測されることは多々ありましたが、それゆえに私の視線は影響力が強く、私が観測者として振る舞うのはもっぱら夢の中でした。
ミスターは金色の王冠をウエットティッシュで丁寧に拭っていて、その様子は寡黙な職人の姿を思い起こさせました。顔を傾けるとそのたびに印象が変わり、集中しているような、物思いにふけっているような、それでいてそこには何の感情もなく、見つめていても飽きの来ない、味わい深い横顔です。今日も目の下のクマと頬のこけが目について、せっかくの中性的で優しい顔立ちが妙に怖いものに見えます。
まだ睡眠不足で栄養不足なんだな、と思い、ふと尋ねました。
「ミスター、今日もお昼抜きなの?」
「食欲がない」
入学三日目に会ったときとまるっきり同じことを言います。あのときは何かの言い訳かとも思ってしまいましたが、夏休みの合宿のときに、カツカレーや残り物で作ったかき揚げを調理だけして自分の分はよそわなかったり、翌朝もお昼も食べようとしなかったりと、本当に食欲がないらしいのが心配になってしまったのを覚えています。
本当にいつ食べてるんだろうとまた心配になり、ふと一計を案じました。が、昨日の今日でお弁当を今度分けてあげようと言い出すのはさすがに友人のラインを超えている気がして、あえてカーチャンぶるに留めました。
「ミスター、健康な食生活は大事だから、体は大切にね」
ミスターはしばらく視線を落とした後に小さく頷きました。
一通りミスターの作業が終わり、私が話しかけようとすると、ミスターはさらに段ボール箱の内側をさっと濡れ拭きし始めました。私がタイミングを見失ってずっこけていると、ミスターの方から促してくれました。
「それで」
「へ? …………ああ、探してたって話?」
無言で首肯が返ってきます。
私は一瞬、この流れはちょっとまずいな、と考えました。交渉事やお誘いの前には前振りの質問でイェスや共感を何度か引き出しておいて、次の本命の質問にも自然と相手が親近感を持ってイェスと答えやすくなるように誘導するのが良い、と私の崇敬する『似姿のデュナ』のダブさんが仰っていたのですが……。でも、ミスターはそういう小技に揺さぶられるひとでもないし、誘う分には早い方がいいですからね。
「演劇部とは関係ない話なんだけどさ。来週の日曜日、31日って、何か用事ある?」
「…………前置きは必要ない」
「BABELのイベント、何人かでどうかなーと思って」
これも共通の友人と一緒に行く約束をしたついでというだけなのに、どうしてこう昨日も今日も下心があるみたいな誘い方になってしまうのでしょうか。他人をとやかく言えませんね。
クイズ研の三名とは先月末に出歩いたから今回は理数科コンビの名前を伏せてというオーダーだったので、それを踏まえた聞き方をすると、ミスターは言い淀みました。
「……………………時間帯による」
珍しい反応だったので、私は軽く引き気味に尋ねます。
「先約……?」
いつものように、何でもいい、のニュアンスでどうだっていい、と一蹴しなかったことから、何らかの事情があることが推し量れます。
家族仲がいいのか、万才の頃の友達がいるのか、それとも女の子にでも誘われたのか。私が出方を窺っていると、ミスターは手を止めて体ごとこちらを向いて、続けます。
「変人脈関連のメッセージが気にかかる」
「おおっと?」
思っていたよりきな臭い方に話が飛びました。
「それってあの、昨日の一斉送信の、主義者の一団の声明文?」
私は念のため問い返します。
第三現実礼賛をこじらせた三実主義者たちの中でも過激派の、主義者の一団と呼ばれる国際的な思想集団が、昨日の昼下がりに、犯行予告スレスレのメッセージを送りつけてきたのです。紹介制の半実名総合掲示板である変人脈のユーザーを対象に、無差別に同一文面をばらまいたらしい、とせんどぅーとD表がピリピリしながら教えてくれました。前にせんどぅーが私に簡易利用者枠で紹介してくれた際、万才養成所出身の生徒の中にも利用者がそれなりにいると言っていたので、ミスターが変人脈のアカウントを所持しているのは存じていますし、そこにメッセージが送られてくるのは想像できます。
ミスターは顔を上げ、私を見つめながら、呟きました。
「…………『10月31日』」
「…………ああ、うん、そうだよ。DR20周年の記念すべき日の到来を記念して、JST10月31日の終わり、日付変更イベントの前座として、主義者の一団が盛大にお祝いするとかなんとか」
私が思い出しながら胡乱な内容を要約すると、ミスターは食い入るように私を見つめていました。
「……ミスター、驚いてる? どれに?」
真剣な表情で私を見ているミスターの様子に、思わず腰が引けます。
変人脈にせんどぅーの紹介で入ったことは既に知っているはずで、知人リストに相互登録もしています。また、無作為抽出の一斉送信なら、ミスターに届く確率と同じ確率で、私に届いてもおかしくはないはずです。
虚飾も偏向も特にない今の情報交換に、何か不自然や不都合なことがあっただろうか、それとも、と私が口を薄く開けたままミスターを見つめ返すと、ミスターは探るような調子で聞いてきました。
「…………鴾野たちはそれに関しては」
「特に聞いてないよ。あ、ハロウィーンに一緒に行くメンバーは、D表&せんどぅーwithミー。……もしかすると他にも誰か声かけるかもしれないけど」
私は視線から逃れようと目を逸らしかけて、そのまま不自然に見つめ合いながら話を戻しました。
一応さっきの様子を見る限り、メリーさんは後で聞かせてねという口ぶりだったので、こちらからも特に何も言いませんでした。D表とせんどぅーがクイズ研繋がりのメリーさんではなく、演劇部繋がりの私にミスターを誘わせた以上、メリーさんも一緒に誘っていいのかわからなかったという事情もあります。なので一応、ミスターの返事を聞き次第、理数科の二人にもその辺りの確認、という想定ですが、以前メリーさんは家の通信環境の都合でDRのリアルタイムアクティビティはしないようにしていると聞いていたので、わかっていて誘うのもいやらしいかなとためらってしまった側面もあります。
ミスターが視線を外し、私はふっと肩の力が抜けるのを感じました。視線は権力であるとはパノプティコンの考案者ミシェル・フーコーの言葉ですが、私に言わせれば視線は暴力です。夢で振るう側です。
「誰かというのは」
「まぁ、共通の知り合いだと、メリーさんとか、演劇部の誰かとか? ミスターが呼びたい人がいたらその人とか」
ようやくいつものような雰囲気を取り戻して会話をすると、ミスターは少し思案気に応えました。
「……………………午後11時の10分前までであれば」
「そこまで遅くはならないと思うけど、まぁ、日付変更イベントもあるみたいだし、そっか。伝えとくね」
私は緊張が解けて、思わず腕を上げて伸びをします。腕を下ろした後で、男子の前でそんなこと、と思いましたが、ミスターはもうこちらを見てすらいませんでした。……まぁ、セクシーポーズというにはあんまりスタイルがいいわけでもないので、見ても面白いものではないでしょうが。
ミスターはいつもの声の調子のまま、静かに言います。
「…………当日と前日は、家にいた方がいい」
「来週の土日?」
「…………予報次第では、大きな台風になる」
「そうみたいね。ありがと」
特に重要事項ではないとみて、私は立ち上がりました。
「じゃ、31日の件は聞いたし、戻……るけど私も何か、演劇部に貢献したいな。何だろ、会議の項目のリマインドとか?」
「今のうちであれば事前誘導もできる」
「事前誘導って」
「言及しておくだけで心の準備はさせられる」
不和や対立の対策といい、根回しや釘差しへの着目といい、そういうのにきちんと気を配るのがミスターの見かけによらないところです。万才ではD表やドラゴンさんたちと共に生徒会みたいなクラブにいたそうですし、身に染みているのでしょう。
「そうねぇ。いきなり思ってもないものに決まるより、選択肢から決まる方が納得はしやすいよね」
ミスターは小道具箱の内側を乾拭きしながら頷きました。
「何て書こう?」
「高校生らしいもの、15~20分間、五人で表現可能なもの、とは既に書いた」
「じゃあ例えをいくつか出すくらいでいいかな。……テーマとかコンセプトによって変わりすぎる」
私が考えている間にミスターは、演劇部の歴代の小道具を箱に詰め、教室のドアを開けました。箱を持って廊下に出ると察し、私は慌てて反対側に回り、ミスターの手に触れないよう上下を押さえて2人で定位置まで運びました。
「いやーいつも助かるよあんちゃん」
私が現場作業員のおっちゃん風にお礼を言うと、ミスターはスルーしました。
「例えは『話を合わせろ』方式で、テーマとコンセプトを何パターンかずつ挙げて、組み合わせれば早い」
「……家族の絆とか学生の恋愛とかでもいいと思う?」
「家族の恋愛よりは」
吹き出しました。
「それは……あ、でも変人の姉に恋人ができた、果たして何者、みたいなコメディ方面にできそうで、ありかもね。採用1」
2以降は未定です。家族ネタがタブーっぽいメンバーが少なくとも3名いるので、アイディア止まりでしょうけど。
「…………これ以上は口出ししない」
ミスターはそう言って制服を軽くはたき、中身を書き出した更紙とペンを取りに再び教室に入りました。
「わかった。ありがとう、ミスター、今日中に考えるね。じゃ、二人に報告しに戻るよ。また」
私はあえて一足お先に教室に戻ることにしました。帰りの通学路ならまだしも、校内でこれ以上一緒にいるところを見られると、本気で冷やかしがひどくなりかねないからです。
私が背を向け、そのまま4歩ほど歩いたところで、声が聞こえました。
「……………………答えのない問いを一つ」
呼び止められた、のでしょうか。無視もできないので振り向きます。
「ほほう?」
「小枝がクローンなら、種子は何か」
クローン。
一瞬どきりとしましたが、なぞなぞか何かのようでした。小枝がクローンというのは、確か……。
「禅問答じゃないなら、普通にギリシャ語翻訳? それとも何かの引っかけ?」
あれラテン語だったっけ、と頭に疑問符を浮かべていると、ミスターは顔を背けました。
「…………答えはない」
「そうだったね。じゃ、ミスター。食欲なくても、食べないと体によくないからね。ばはーい」
私は今度こそ、昼休みが終わる教室へ戻りました。
♡♡♡
「私何か変なこと言ったかな」
次の休み時間、せんどぅーとD表に詳しい経緯を報告した私は、色気のない見つめ合いのことを蒸し返しました。D表は精巧な美男子顔で小さく苦笑します。
「気にかかるってほど大した内容じゃなかったと思うけどね、あれ。ぎりぎり警察も動かないくらいのラインだ」
「あいつがなっちゃんを見つめてたって話の方が気にかかるわ」
せんどぅーが軽口を叩きます。私は冷やかされる前に先手を打ちました。
「まぁこれでも? 顔だけは美少女で通ってるし?」
「それだけだと思う?」
半笑いで聞かれました。……やむを得まい。
私は落ち着いてにっこりと笑みを浮かべ、女神のように凪いだ心でじっとせんどぅーを見つめます。
そのまま少しずつ顔を近づけ、黙って見つめ合いました。
せんどぅーが息を吞んだところで私は顔の力を抜き、姿勢を戻しました。この手に限る。
「ミスターの名誉のために言うけど、それだけだと思うよ。人によっては、女神に見紛うこの美貌は見る者の目を清め心を洗い流し魂を浄化するらしいから」
日常でも恋文でも顔貌を褒められることはよくあるので、単にふと改めて直視して目が離せなくなってしまっただけ、というのも考えられます。個人的には生まれつきの顔立ちより、努力して手入れしている肌とか髪を褒めてもらえる方がポイントが高いのですが、その辺は褒めてもらっている手前あんまり言えないのでなるべく黙っています。
私を見つめる視線に恋愛感情があるかどうか云々は、それで今まで数々のトラブルや誤解や思い込みが発生しているので、その話もういいよ、という気分です。そのせいで失恋した同級生が私がいるせいだと騒いだり、茶道部の彼氏持ちの先輩に目を付けられて出て行かざるを得なくなったりしたんですから。
「だからあんまり、言わないでおいてよ」
私はせんどぅーを諭すように言いました。
仮に私に気があったとしても、私が応える相手の条件は寺生まれの巫女を僭称して知らしめている以上、該当しない人たちの気持ちに応えるわけにはいきません。それでも好きだと言われたら誠実にありがとうでもごめんなさいしますし、お付き合いしたいと言われたら条件満たしたらまた来てくれと丁重にさよならします。
冷やかしも度が過ぎると、冗談のつもりでも真に受ける人が出てきたり、その気がなくても思い込まれたりと本当にうんざりなので、恋愛禁止の演劇部に所属する友人同士として接してるつもりなんですけれど……。だからこうして時々注意するようにしています。さっきのインレンみたいに、毎回注意すると逆効果になるタイプの相手もいるので、難しいところですが。
D表は空気を換えるように明るい声を出しました。
「視線にもいろいろあるよね。僕が彩音を見つめたとして、ああ僕の彼女は今日も可愛いなぁなのか、似顔絵を描きたいから記憶に焼き付けようなのか、何じろじろ見てんだよこいつなのか、嘘ついてないか隠し事してないかと心配や不安なのか、どこかで前に会った気がするけど誰だっけなのか、ほっぺに米粒ついてるなぁなのか、草凪さんに配慮できない軽率な子という憐憫や侮蔑なのか」
D表が偽装恋愛相手をためらいなく褒めた直後に迷いのない罵倒を並べて最後にあてこすると、せんどぅーは米粒のついていない頬を軽くこすった両手を下ろして、鼻白みました。
「アタシが軽率だったのはわかったから」
「本当に? エイジをからかうのと草凪さんを巻き込むのは違うんだよ」
D表は正論で詰めて、今度はD表がせんどぅーを間近で見つめる番でした。気が強いせんどぅーはまっすぐ見返す一方で、普段気さくなD表のサディスティックな視線に晒されるうちに、何か期待しているような表情を浮かべます。
……ひとをダシに教室でそういうことやめてほしいな……。
私は視線を逸らし、ふと思い出したことを二人に聞くことにしました。
「そうだ、クイズ研のお二人に、クイズ? を一つ」
「解散したから元だけど、聞こうか」
D表はぱっとこちらを向き、せんどぅーも物欲しげな余韻を残したままこちらを見ます。私はミスターに聞いたことを復唱しました。
「クローンが小枝なら、種子は何か」
クローンという言葉で冷静になったのか、せんどぅーはいつも通り眉を寄せた表情に戻りました。D表が冷静に尋ねます。
「草凪さんが考えたの?」
「いや、ミスターが今さっき別れ際に」
D表が考え込むしぐさを見せ、せんどぅーは眉を寄せたまま呟きます。
「日ギ翻訳? メタファー? 属性?」
せんどぅーは少し考え、D表を肘でつつきました。
「ねぇ」
「DNAかな」
D表が立ち上がり、せんどぅーが虚を突かれたようにしばらく見上げます。
「…………どこ行くの?」
「エイジに質問する必要ができた。……僕とエイジは細部を省略しすぎた。草凪さんのような丁寧なコミュニケーションが大切なんだよ」
そう言うとD表は教室を出て、隣のクラスへ向かいました。何かわかったらしい、ということだけは伝わりましたが、はて。