Prologue
名付けられた物事には始まりと終わりがある。
始点を定めた時終点は自ずと明らかで、結末に至り初めてテーマは完成する。
あらゆる理論は反証可能性を抱え、あらゆる物語の主題は暫定に留まる。
区間を切り取るのは主体の恣意であり事象の歪曲である。
一部を見て全部を知ることは偽なるも、逆は真たりうる。
顕微鏡で見ることができるのは海ではなく砂である。
望遠鏡が見せるのは過去の光であり今の自分ではない。
過去と未来は現在に重なり合い、記憶と想像は現実と混成する。
虚実入り乱れる世界を現実と呼び、その全ては情報の知覚である。
織られ重なり合う現実と現実の境に、未知なる存在が横たわっている。
中神内人『蝶番の被告』
「ホロン・フラクタル氏の挨拶」より
何になら手が届くのだろうか。
果てしなく湧き現れては過ぎる泡の音に意識を傾けて、ふとそう思った。
この一つ一つの泡に世界がある。
それらは押し潰され一つになりながらも、決してその外には出られない。
ああ、水面から差し込む光がちらちらと反射して、眩しい。
沈むとも浮くともつかない波に揺られながら、たわいないことへ意識が向かう。
泡が浮かんでは、弾ける。泡が生まれては、浮かんでゆく。
終わりのないこの循環は、どこか、穏やかな焦りを引き起こすようだ。
繰り返される。少し違うだけの、無限。ただ変わってゆくだけの、永遠。
この中に時間など、空間など、確かに、何の意味も持たない。
すべては今ここで、始まりが終点なのだ。
こんなにも満たされているのに、虚しい。
過去も未来も、この泡一つの中に閉じ込められる、運命。
本当に閉ざされているのだろうか。
この泡たちは、解き放たれつつあるのではないだろうか。
自らに束縛されない、外へと運命を投げ出す、自由。
もはや見ることのできないそれは、地獄でも楽園でもなく――――。