第42話 うねりと台風の目
大陸北東の国ルガルバンダ。
そこのある会議室では、異様な空気が漂っていた。
部屋の中央には円卓が置かれ、それを囲むように六つの椅子が用意されている。
しかし、座っているのは三人だけであった。
「……定刻になったが、空席が目立つな。
いないのはメルル、サツキ、レインか」
第三十六代目勇者、シャマル・ギルガムはゆっくりと言葉を吐く。
落ち着いた言動とは裏腹に、その内心は穏やかではない。
すぐにでも本題に入り『コウ』についての情報を共有しなければ。
彼はそれだけを考えていた。
「レインはどうせ遅刻です、いつも通り。
でもメルルとサツキは既に来ていますよ」
シャマルの呟きに答えたのは、勇者候補序列四位アルフレッド・オルタ。
『煉獄』の二つ名を持ち、勇者候補の中で最年長である彼は誰よりも早くこの会議室に来ていた。
「なら、何故ここに居ない?」
「……ちょっとした事件が起きまして。
勇者様が来る前、メルルがなんかの紙を見て唐突に泣き初めて、それを見かねたサツキが彼女を外に連れ出したんです」
「その紙というのは、あれのことか?」
シャマルは、円卓の上に一つだけ置かれてある伏せられた紙を指さす。
「ええ、それです。プライベートに関わる事なんで詳しくは見てないですけど」
「そうか」
シャマルは短く返事をして、瞬時に紙を取った。
「ちょっ、ちょっとシャマル様」
勇者候補序列一位、『啓発』の二つ名を持つグレゴリオ・ガライがシャマルを諌める。
勇者シャマルを師と仰ぎ、剣技を教わることで最速で序列一位まで上り詰めた彼であっても、その行動は納得できないものであった。
「なんだ?」
「アルフレッドさんが言っていたようにプライベートな物なので……」
「だからといって無視は出来ない、私にはこれを見る権利がある。
それに、口裏を合わせて見なかった事にすればいいだけの事だ」
人類の希望にして正義の象徴、それこそが勇者ひいてはシャマルという男の存在意義である。
しかし、彼もただの馬鹿正直では無い。
時には大いなる正義の為に小さな悪を見逃す事の必要性も理解しているのだ。
「アルフレッド、いいな?」
「……俺は何も聞いていないし、何も見てません」
シャマルは「それでいい」と言うように小さく頷く。
そして、紙を裏返した。
「これは……冒険者の死亡報告書?」
横から紙を覗き込んだグレゴリオが呟く。
「……『メルケル・ユングストレーム』ここに何度も線を引いたような跡がある」
指で紙をなぞり、シャマルは答えを導き出した。
「メルルさんはその人と親しかったのでしょうか?」
「ああ、そうかもな」
シャマルは知らない風を装ったが、実は彼には心当たりがあった。
ルガルバンダの暗部組織から収集された情報と共に思い返す。
メルルというのは本当の名では無い、彼女の本名は『メルザルーサ・ユングストレーム』
経歴は把握できていないが、家族を捜索している事、何らかの理由で素性を隠したがっている事が判明している。
メルケルというのは、年齢から考えて彼女の実の兄だろう。
苗字も一致している。
家族の訃報を聞き、彼女がどんなに悲しんだことか。
そして、勇者候補としてどんなに魔物への怒りを抱いたことか。
それを想像するだけでも恐ろしい。
メルルは勇者候補序列三位にして『光輝』の二つ名を持つ者……にしては感情的になりがちだ。
俺が想像できる限りで、彼女が次に起こす最も恐ろしい行動は……
シャマルが考察を巡らしていると、不意に廊下から足音が聞こえ、彼はすぐに紙を戻した。
「いやー、ほんまに申し訳あらへん。ちょい遅れてもうたで」
会議室の扉を開け、あっけらかんと言い放ったのは、勇者候補序列五位『浄化』のレイン・クラシキ。
訛りのせいか、それとも時間にルーズな性格のせいか、その謝り方には反省の念が込められていないように見受けられる。
「貴様、なぜいつも遅刻する。それにいつも思うがその喋り方はなんだ、何故普通に話さない」
「遅刻については反省すんで。そやけどウチのこの訛りは親譲りやさかい、しゃあないやろ」
アルフレッドの詰問に、これまたあっけらかんと返すレイン。
事実、彼は転生者と共和国の現地民の間に産まれたハーフであり、その訛りも母親譲りなのである。
「そないな事より全員集まったんや。ちゃっちゃと会議を始めてまいましょ」
レインがそそくさと自分の席に座ると、後ろから二人が新たに入室する。
それは先ほどまで退室していたメルル。
そして自由転生者にして勇者候補序列二位『大地』のサツキ・イナナエであった。
「ごめんなさ~い、外してました~」
「いい、早く座れ」
サツキとメルルが着席したのを確認したのち、シャマルはゆっくり語りだした。
「……全員の出席が確認できた、これより会議を始める。
今回の議題は、この手紙についてだ」
シャマルはポケットから手紙を取り出した。
「これは、勇者候補序列二十位ジョセフ・ガスコインから緊急用転送魔法によって送られた手紙だ。
前提として彼には今、Aランク冒険者と共に力の魔王を調査する任務が与えられている」
「どんな事が書かれているんですか?」
「重要な部分だけかいつまんで話す。
力の魔王を監視していた所、魔王よりも脅威度の高い『コウ』という男を発見した。
コウは力の魔王をたった一撃で倒し、その後力の魔王を配下にした。
我々もコウに戦いを挑んだが、返り討ちにあい、現在軟禁されている。
コウは、特異転生者や勇者の様な特別なスキルを所持しており、また常人離れした狡猾さとカリスマ性がある。
コウを放置すれば、今後未曾有の脅威になりうるかもしれない」
シャマルが一度手紙から目を離して辺りを見回すと、部屋が重苦しい雰囲気に変わっている事に気が付いた。
「魔王をワンパン? ありえるんか? いや、ありえへん」
「レインの意見には賛成だが、あのジョセフが噓をつくとも思えない。
なら、いや……うーむ」
レインとアルフレッドは、その不可解さに頭を抱える。
「すごいですね~そのコウって魔物。もしかして今からブチ殺しに行くんですか~」
「……! なるほど、確かに私達全員で行けばどんな魔物だろうと絶対に勝てます」
遠足にでも行くかのように言うサツキと、早合点するメルル。
そんな二人とは違い、グレゴリオはある事に気が付いた。
「シャマル様、その手紙まさか平文で書かれてるんですか?」
「そうだ、暗号文もSOSのサインもない。つまり非常事態では無いという事だ」
その発言に、会議室の空気が一変する。
「んなアホな……どっからどう考えても非常事態やろ。
ソイツ洗脳されてんとちがうか?」
「もしそうだとして、この手紙を送るメリットはなんだ? 私たちをおびきだす為か?
違うな、いくらこのコウという者が強くとも、私達とルガルバンダが結託すれば負けるはずはない。
向こうもそれは分かっているはずだ」
「なら、勇者はんはどう考えてるんどすか?」
「……これを見ろ」
シャマルは、一枚の紙を取り出した。
「……? 二枚目?」
「これはジョセフの手紙と共に同封されていたもう一枚の手紙。
我々が今議題に挙げている『コウ』本人より送られた手紙だ」
「な、内容は? なんと書かれてあるんですか?」
動揺するメルルを手で制し、シャマルは手紙を広げた。
「落ち着け、今読み上げる。
『前略、これを読んでいる貴方はおそらくジョセフより地位の高い者、少なくとも人間でしょう。
私はコウ。人間と魔物、その両方が共存する国を作ろうと画策している者です。
我々は武力衝突ではなく、和平による共栄を願っております。
訳あって今ジョセフ・ガスコイン、およびルイ・サシダを拘束していますが、すぐに解放し、ルガルバンダに無傷の状態で送ることをお約束いたします。
末筆ではございますが、なんか書くの面倒くさくなってきたのでこれにて筆を置かせていただきます』
勇者候補らは、さらに頭を抱えた。
「あっかん、頭痛なってきた。悪夢見てるみたいや」
「う~ん……なんだか高校生が初めて書いた手紙みたいですね~」
サツキは知らず知らずのうちにコウの本質を突いていたが、それが彼らに新たな知見を与えることは無い。
それぞれが独自に思惑を働かせる中で、シャマルは大きく咳払いをした。
「今回君たちに集まってもらったのは議論をする為ではない、警告をするためだ。
コウは危険だが、同時に千年以上続いたわだかまりに決着をつける可能性も秘めている。
故に、私が許可するまでコウおよびコウに関連する全てに接触する事を禁ずる」
シャマルは勇者候補らの前できっぱりと言い放つ。
しかし、この中の一人が図らずもコウに危害を与える事になるとは、この時の彼はまだ知らなかった。
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ソレは退屈していた。
城の最も高い部屋に住み、山のような果実と宝石に囲まれてなお退屈していた。
なぜなら、つまらないから。
ソレは、何故つまらないかをまた考えだした。
『長寿というのは、ありゃあ良いってもんじゃない』
結局、ソレは理由を考えるといつもその結論に到達する。
勉学も、魔法も、芸術も、最初は時間を忘れて熱中できるが、百年も経つと飽きてしまう。
一度だけ世界最強を目指した事もあるが、天龍という強大な壁に当たり、その夢も捨ててしまった。
故に、それはいつも停滞していた。
「ひm――」
ソレが「暇だ」と声に出しかけたところで自分の口を抑える。
口に出したところで虚しくなるだけ、八十二年前に学習したばかりだ。
ソレは違う言葉を探して、再び発声する。
「なーんか、面白いこと起きないかなー」
「仕事なら溜まっていますよ」
独り言に、誰かの小言が挟まる。
ソレが部屋の扉に目を向けると、魔物が立っていた。
山羊のような角と、灰色がかった髪が特徴的な初老の男性の姿だった。
「そうゆうのじゃなくて、もっとワクワクしそうなのがいいんだけど」
「……ワクワクするかは知りませんが、可及的速やかに対処して頂きたい案件がございます」
ソレは椅子に座り直し、男に目を合わせる。
男の言葉に、興味を持ったようだ。
「ヌイコを覚えていますか?」
「…………ああ! 思い出した! 力の魔王やってる子だよね。
最後に会ったの十年ぐらい前だっけ、懐かしいなあ。
もしかして、もう倒されちゃった?」
「いえ、そうではありません。
いや、ある意味ではそうとも言えるのですが……」
「なに? どうしたの?」
男は要約する事が難しいと考え、一から説明することにした。
「結論から言うとですね、ヌイコがコウという種族不明の存在に倒されて……」
男は出来るだけ私情を挟まず、事実だけを話す。
ソレは静かに男の話を聞いたあと、一度だけ頷いた。
「なるほどねえ、それはまた特殊なケースだね」
「どういたしますか?」
「……余の考えは決まっている」
ソレは一つ深呼吸をした後、口調を変え、雰囲気を変えた。
先ほどまでのダラダラとした姿とは異なり、まるで威厳のある賢王のようだ。
「コウを見定めに行く、すぐに出立の支度を整えよ」
「……仰せのままに」
男は恭しく頭を下げる。
ソレは、魔王よりも強き魔物『大魔王』
そして男は最古の魔王、知の魔王。
全ての魔物が畏敬の念を抱くそれらは、再び表の世界に足を踏み出すのだった。
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勇者と大魔王、彼らがコウについて危機感を募らせていた頃、当の本人はというと……
「主様? こちら次の業務になります」
「……返事がしたくない、ただのしかばねのようだ」