第33話 生者に送る鎮魂歌
私の名前はモモカ、少し前に13歳を迎えた獣人族のメスだ。
人間の年齢で換算するとだいたい20から22歳あたりだと思う。
元いた村では誕生日が近い者には天から贈り物が与えられるという伝承があったが、私が今年受け取った物は「ベル様への憧れ」と「名前」だった。
私が最初にベル様の歌を聞いたのは、コウさんから名前を貰う前だった。
あの時の歌はまだ完成形ではなかったらしいけど、それでも私に人生で最大級とも言うべき感動を与えてくれたのは確かだ。
私はあの日からベル様に憧れと尊敬の念を抱き、あの人のようになりたいと思って行動した。
魔法を学んだり、薬師の真似事をしたり、歌も練習してるけど……まだ届きそうもない。
そういったことをしている内に、コウさんと話す機会が出来た。
どうやら彼が元居た世界では私のような者は「ファン」と呼称されるらしい。
そしてコウさんもまた、ベル様のファンだとはにかみながら言った。
彼と私は種族自体は違うものの、本質的には同族なんだと思う。
「いやあ、君ほど話の分かる子は初めてだ。そういえば、名前きいてなかったね」
「私は『桃色犬』です」
「それ……コードネーム?」
「いえ、私が住んでいた地方では見た目や性格等で名前を付けるのが一般的なんです。まあ、たまに変わる事もあるんですけどね」
「そっか、でもちょっと呼びにくいね」
コウさんはそこで一度会話を切り上げて、目を閉じた。
「うーむ、桃色、犬、モモ……よし! 今日から君の名前は――」
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それが起きたのはコウさん達が町へ行ってから、数日が経過した頃だった。
私はいつものようにベル様と共に山菜採りに出掛けていた。
そして、採った山菜や薬草等を仕分けていた所だった。
「これは火傷に効く草、これは食べなければ大丈夫なタイプの毒草、これは……」
ベル様はいつものようにテキパキと収穫物を裁いていく。
それを見て、私は一つの疑問が浮かんだ。
「ベル様、植物に対する知識はどこで学んだのですか?」
「……本で調べた。少し前まで野宿する事もあったし」
ベル様は仕分けのスピードを落とさず淡々とそう答えた。
過去に興味がないのか、それとも……どっちでもいいか。
「そろそろ戻りませんか?」
「うん、でも今は無理かもね」
ベル様は何故か遠くを見ていた。
私が同じ方向を見ようと振り返って、すぐにその意味が分かった。
「……! キラースパイダー、なんでここに」
八本の脚と黒い身体、そして毒々しい青色の模様、これはまずい。
キラースパイダーは肉食性で、特に人間やそれに近しい外見をした魔物を好んで食べる危険な魔物だ。
でも何故? ここは村からそう離れていないし、それに基本的に彼らのテリトリーに入らなければ大丈夫なはずなのに。
いや、そんな事よりも早く逃げないと。
「モモカ、危ない!」
「きゃあ!」
キラースパイダーが覆いかぶさるように私に襲いかかってきた。
目を閉じて痛みに耐える準備をしたけど、その痛みが来ることは無かった。
「怪我は無い?」
目を開けると、キラースパイダーは腹を見せて伸びていた。
声の主はモエギだ、彼女がやってくれたんだ。
「大丈夫だよ、ありがとう」
「よかった」
モエギはいつものオドオドとした様子とは違い、歴戦の猛者のような風格を漂わせている。
「二人とも、下がってください。すぐに駆除します」
「待って」
モエギが弾を打とうと構えたが、それをベル様が止めた。
「こんにちは」
理解が追いついていない私達をよそに、ベル様はキラースパイダーに干し肉を渡して会話をはじめる。
ベル様の考えはいつも理解不能、でも少なくとも今は何か考えがあるのだとおもう。
だったら、私はベル様とキラースパイダーの会話を見届ける事しかできない。
モエギも同じ考えに行き着いたのか、武器をおろした。
そして、ベル様は会話を終えると私達に向き直った。
「この先に治療が必要な人がいる。付いてきてくれる?」
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兄弟クモ達が運んできた食べ物をそのまま母の口に運ぶ。
これまで幾つもの栄養のある物を与えてきたけど、いまだに容態はよくならない。
もうすこしクモの探索範囲を広げるべきか。
だが、みんな少なからず傷ついている。
どうする、どうすればいい。
そう考えを巡らせていると、私の鼻が強力な魔物の臭いを感じ取った。
「ここがキラースパイダーの住処……ベル様! 人間、じゃなくて人型の魔物がいます!」
「あっ、私知ってる。あれ、た、多分アラクネっていう特別なキラースパイダー種、だと思う。なんか、私達と同等の知能があるとかないとか」
なんだこいつら、クモが連れてきたのか?
どんな事情であろうと、テリトリーに不穏分子を残す訳にはいかない。
「クモ、こいつらぶっ殺せ!」
「待って」
一匹の魔物が放った言葉に、クモ達も私もどよめいた。
あのベルサマ? という魔物の言葉はなぜか存在感があり、それでいて逆らってはいけない雰囲気をだしている。
だが、それは恐怖による強制というより、むしろ……
「いいや、騙されない。おまえ、敵だ!」
「……」
ベルサマという魔物は私の言葉に反応せず、眠るように目を閉じた。
チャンスだ、今のうちにやってしまおう。
「あわわ、ベル様! まずいです、逃げましょう!」
「あっ、か、囲まれました。ムリ、無理ですこれ」
クモに攻撃命令をしようとしたその時、ヤツが声を出した。
「嵐を往く者に 追い風の加護を
雷雨に抗う者に 奇跡の導きを
鐘を打ち鳴らし癒しが降り注ぐ
音が走り出す 命が輝く 祈りが満ちる」
それは歌だった。
だが、ただの歌と評するには、あまりにも、美しすぎた。
「私のオリジナル曲、上位全体回復魔法の一番。
十分に効果はあるはずだよ」
周囲を見ると、兄弟達は受けたはずの傷がいつの間にか完治していた。
「な……なんで私達を回復させた?」
「傷ついた姿を見るのは嫌だから。
それに、味方だって知ってほしかったから」
ヤツは当たり前のように言った。
まるで、敵という存在を知らないかのようだ。
”ウゥ……アラクネ”
母が私を弱々しい声で呼んだ。
「母! 治ったのか!」
”いや、私は手遅れだ。だから、お前が子供たちを……”
そこまで言うと、母は力尽きた。
そして、まるでそれに呼応するかのように最後に遺された卵らが一斉に孵った。
「キラースパイダーの母親は何回か産卵を繰り返した後に絶命する。
そして、その亡骸は子供が食べる」
「……自然の摂理ですね」
産まれてきた子を筆頭に、クモ達が群がる。
そして最初にその亡骸にクモの歯が当たった時、私の身体が動いた。
「だ、だめっ! 食べちゃだめだから!」
私にはなぜかそれが悪い行為だと思えたから、子クモたちを母の身体から払った。
訳もわからず、目から水がとめどなく流れてくる。
「これは、君の気持ちだけで止めちゃいけないよ」
「ぐ……うぅ」
私はヤツに優しく引き離された。
何かを言おうにも、喉が潰されたかのように声が出なかった。
しばらくして気持ちが落ち着いてくると、ようやく冷静に見ることが出来た。
見ていて気持ちのいいものでは無い、でもここで目をそらしてはいけない。
これこそが母が最後に望んだことだから。
……望んだことと言えば、これからは私が母の代わりにクモ達の世話をしなければいけないのか。
「ねえ、よかったら仲間になってくれない?」
「仲間というのは、群れを共有するという事か?」
「そうだよ。仲間になってくれるなら、食料や住処は保障する。
そのかわり、色々やってもらうけど」
「ふむ、良い提案だ。長はお前か?」
「違うよ、私達のリーダーはコウ。
今はいないけど、もうすぐ帰ってくるはずだから」
こいつが長だったら快く了承する所だったが、他の者であるなら慎重に決めなければ。
「分かった。仲間というのはそのコウという長を見てからにしよう。
そして、もし相応しくないと私が思ったなら、
そいつを殺して喰らってやるからな」