079:やり場のない衝動
バチバチと線香花火のように視界が弾ける。
肉を打ち付ける音と共に頬に鈍い痛みを感じて。
よろよろとよろけながら、俺は二本の足で立っていた。
口の中が切れたようで、血の味が口内に広がっていく。
頭がぐらぐらとして、酒でも飲んだかのように視界が小さく揺れていた。
俺は頬から垂れる血を拭いながら、怒りの形相で俺を睨む男を見ていた。
殴って、蹴って、殴って、殴って、殴って、蹴って――ずっとだ。
男は休むことも無く俺への暴行を続ける。
拳を硬く握りしめて、歯を剥き出しにして怒りをぶつけてきた。
体中にあざを作らされて、痛みが全身を駆け巡っている。
俺はその全てにジッと耐えながら、呼吸を整えていた。
男は無言で俺に殴りかかってきた。
誰もいない倉庫の中へと連れ込んで。
ただ無言で殴る蹴るの暴行を加えてくる。
俺は抵抗する事無く、男からの暴力を受けいれていた。
浅黒い肌の男は俺の体を掴む。
そうして、遠慮なしに膝蹴りを鳩尾に打ち込んだ。
肺の中の空気が一気に外へと強制的に吐き出される。
そうして、首元に鋭い肘打ちを喰らわされた。
足元ががくがくと震える。
全身から痛みが発せられていて、 強い吐き気に襲われた。
それでも、俺は床に膝を付けることなく立っていた。
立っている事しか俺には出来ない。それが彼に対して俺が出来る最低限の誠意だから。
抵抗はしない、恨むこともしない。
だけど、倒れてやる訳にはいかなかった。
もしも此処で俺が倒れれば、俺は一生楽な道に逃げてしまう。
逃げては駄目だ、楽な道ばかりを選んではいけない。
俺は此処でこの男の怒りを受け止めてやらなければならない。
そうでなければ、この男は誰に怒りをぶつければいいと言うのか。
頭を掴まれて、再び頬を強打された。
視界がバチバチと弾けて、意識が飛びそうになる。
しかし、俺は足を地面に叩きつけて持ちこたえた。
ガクガクと足が小刻みに揺れて、気を抜けば今にも倒れそうだった。
呼吸を浅く断続的に繰り返しながら、俺は男をジッと見つめる。
男は呼吸を乱しながら、流れる汗を拭っていた。
かれこれ三十分ほどか。
殴り疲れてきた様子だが、怒りは全く収まっていない。
その表情から、彼の怒りは底なしである事が俺には分かっていた。
キッと俺を睨みつけながら、男は拳をゆっくりと構える。
俺はこの男の怒りの理由が分かっている。
しかし、俺から彼に質問をする事は無い。
まだ殴りかかってきそうな男。
それを止めるように、俺の前に二人の男女が立つ。
手を広げながら、これ以上は俺が死んでしまうと言う。
「構わねぇだろ。こいつは死んで当然だ。俺の故郷を奪った男だ。何回殺しても、殺したりねぇよ」
「で、でも! この人は英雄で」
「――英雄だったら、市民を虐殺しても許されるのかッ!?」
「……っ」
やはり、この男はモルノバの出身だった。
故郷が滅んだ知らせを受けて、それをした俺を恨んでいる。
だからこそ、誰もいない時を見計らって俺を呼びつけた。
やり場のない怒りを俺にぶつける為で。
この男は本気で俺を殺す気でいるようだ。
俺はそんな殺気を滾らせる男を見つめながら、何も言わなかった。
ただジッと見つめてくる俺を見て、男は舌を鳴らす。
そうして、ずかずかと二人を押しのけて俺の前に立つ。
彼は俺の胸倉を掴みながら、鋭い目を向けてきた。
「こいつが死んでもなんとも思わねぇ。ただ気に食わねぇのは、こいつが殴られるだけでやり返してこない事だ……おい、テメェ何を考えてやがる。化け物みてぇに強い雷が、何でただの傭兵にやられっぱなしなんだ。俺はテメェを殺そうとしているんだぞ? お前はただの自殺志願者なのか? 答えろよ」
男は俺を睨みつけながら、質問をしてきた。
俺はそれを受けながら、ゆっくりと口を開いた。
「死ぬ気は、ない……でも、君の怒りを、蔑ろにしたく、ない……俺が、モルノバを……消滅させたのは、事実だ……だから、気が済むまで、俺を、なぐ、れ……俺は、何も、しないから」
「……上等だ。テメェが泣いて慈悲を乞うまで痛めつけてやるよッ!!」
男は拳を振り上げて、俺に殴りかかってきた。
俺はそれを静かに受け入れる。
意識が朦朧とする中で、男の攻撃を受け続けた。
終わりが見えない怒り、それを受ける俺は――
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……何、なんだよ……お前は、何で、死なねぇんだよ」
前が見えていない。
全身の感覚が薄く、痛みすら感じない。
一瞬でも気を抜けば、体から力が抜けていきそうだった。
殴る蹴るの暴行を受け続けて、全身があざだらけになっている事だろう。
それでも俺は、ずっと立ち続けていた。
一瞬でもあろうとも膝をつくことなく、彼の前で立っている。
か細い呼吸を繰り返しながら、俺は意識だけを繋ぎとめる。
そんな虫の息の俺を見ながら、彼は困惑したような言葉を吐いていた。
「も、もういいだろ? この人は、もう」
「そ、そうよ。こんなところ見られたら、私たち」
「……くそが……ムカつく野郎だ。次は絶対に、殺してやる」
満足したのか。
男は舌を鳴らしてから、俺への殺意を口にしていた。
そうして、コツコツという靴の音が倉庫内に響く。
遅れて扉が開く音がして、誰もいなくなったと理解した。
名も告げずに去っていった男たち。
誰もいなくなった倉庫で、俺はよろよろと歩き始めた。
ゆっくり、ゆっくりと歩いていく。
そうして、扉を開けて外に出た。
痛みは薄れている。しかし、力も抜けていきそうだ。
意識は朦朧としていて、前も良く見えない。
此処で倒れれば、それこそ一大事だろう。
俺に怒りをぶつけてきた彼らに、罰を与えてはいけない。
ヴォルフさんに知られないように、早く、部屋へと戻らなければならない。
足を引きずりながら歩いていく。
時折すれ違う人間は、俺を見て短い悲鳴を上げていた。
そんな人間など気にせずに、俺は自室を目指して歩いて行った。
ボヤケル視界の中で、足元だけを見る。
うろ覚えの脳内マップを広げながら、自分の部屋を目指して歩いて行った。
息を吐く度に、力が抜けていくような気がする。
ダメだ、まだ、此処で意識を失う訳にはいかない――っ。
壁に手を当てながら、苦しい吐息を零す。
意識が薄れていっているが、今はまだ倒れる訳にはいかない。
ずりずりと足を引きずりながら歩いて行って――何かが落ちる音がした。
袋が落ちるような音がして、聞き覚えのある声が響く。
「マサムネッ! おい、お前どうして……歩けるか? いますぐ医務室に行くぞ」
「ごう、りき、まる……さん」
「喋るな……くそ、私が目を離した隙に……ぶっ殺してやる」
ゴウリキマルさんが俺の体を支えるように動く。
しかし、身長差もあって足を引きずるような体勢になってしまう。
彼女は俺の体を心の底から心配していて。
俺は申し訳なさを感じながら、薄く笑みを浮かべた。
彼女と共に歩いていく。
一歩ずつ歩いて行き、医務室を目指した。
ゴウリキマルさんは何も言わない。
俺を喋らせない為に黙っていて。
しかし、背中に当てられた手に力が込められているのが分かった。
彼女の手の平を通して、彼女の感情を感じ取れる気がした。
怒りや後悔、悲しみに殺意……彼女は俺を想ってくれている。
本当に優しい人だと俺は思った。
俺なんかの為に怒ってくれて、こうして世話を焼いてくれて。
彼女とバディーになれたのは、一番の幸運だったとすら思えた。
薄く笑みを浮かべながら、チラリと彼女を見る。
すると、薄っすらとではあるが彼女の辛そうな顔が見えた気がした。
また、彼女に心配を掛けてしまった。
彼女の悲しそうな顔は見えない。
でも、絶対にそんな顔をしていると分かってしまう。
心配を掛けて、世話を焼かせて……バディーなのに頼りっぱなしだな。
俺は小さな声で彼女に対して謝罪を口にした。
彼女は聞こえていないふりをして何も言わない。
いや、何も言わないんじゃない。何も言えないのだ。
こんなになるまでボロボロになった俺を見て、彼女は何と言えばいいのか分からないのかもしれない。
重い沈黙が続いて、俺は気まずさを感じていた。
彼女が言う言葉を迷っている様に、俺も何と言えばいいのか分からない。
ずりずりと足を引きずる音だけが響く。
俺たちは互いに黙ったまま足を動かして。
俺は痛みに意識を集中させて、彼女の事を考えないように努めるだけだった。




