070:想いを伝える事
準備が整った。
後はオリアナの声を国民たちに聞かせるだけだ。
三年前、この国にやって来たイスラール。
奴によってこの国は狂わされて、国民たちは騙されてきた。
自分たちは救われるのだと信じ込まされて、裏で非人道的な実験が行われていると知らずに。
奴を倒さなければ、この国に未来は無い。
ずくずくと内部から国が腐り、この国の民は実験動物のようにされてしまう。
それだけは駄目であり、オリアナはマイクの前に立ちながら呼吸を整えていた。
彼女は目を閉じながら、何度も深呼吸をしていた。
見れば、その手は震えている。
俺はその震えを見て、彼女の傍に近寄った。
そっと手に触れながら、彼女を見つめる。
オリアナはスッと目を開けながら俺を見つめる。
その目には確かな光が宿っていた。
怯えはあるだろう。しかし、もう迷いはない。
俺は笑みを浮かべながら、彼女にエールを送った。
「お前は俺たちが守る。だから、安心して自分の想いを伝えてくれ」
「……あぁ、信じている。マサムネたちの事も、民たちの事も……私は前へと進む」
ギュッと手を握りしめてから、彼女はそっと手を離す。
そうして、仲間に指示を送ってマイクを起動させた。
ノイズが走る。しかし、徐々に音声は安定していった。
彼女は、しっかりと前を見ながら言葉を発した。
「……モルノバで暮らす民たちよ。私はオリアナ・ハーモニスク。亡き先王の娘だ……今更、お前たちに何と言葉を掛けたらいいのか、私には分からない……この放送を流すまで、私はずっと考えていた」
仲間たちは音声をチェックしながら、敵の追跡を妨害する。
カタカタと端末を操作しながら、ゴウリキマルさんは舌を鳴らす。
俺はそれを一瞥してから、オリアナへと目を向ける。
彼女は一瞬だけ俺と目が合う。しかし、彼女は優しい笑みを浮かべながら再び前を向いた。
「私は、誰も恨んでいない。王を殺したのが国民たちであったとしても。私はお前たちを愛している。市場で商売をしているお前たちが好きで、困っている人間に手を差し伸べることが出来るお前たちが好きだ。何もしていなくても、誰かに迷惑を掛けた人間であろうとも――私は、お前たちを愛している」
オリアナは自分の想いを話す。
国民を愛している事、誰も恨んではいない事。
それらを話してから、オリアナは今この国で起きていることを話した。
イスラールが来て、不死教が布教され。
奴らが裏で旅行客や身寄りのない子供を使って人体実験をしていた事を。
王はイスラールの策略に嵌り、その命を散らした。
王は最期まで、この国の未来を想っていたと。
偉大なる両親の背中を見てきたからこそ、彼女もその意思を継いだ。
「……お前たちは信じられないかもしれない。証拠となるものは持っている。しかし、それを見せたところで、心に根付いた疑心は拭えないだろう……それでも、私はお前たちに声を掛ける。信じなくてもいい、疑ったままでもいい。だが、この国を守る為にもう一度だけ力を貸してくれないか。無垢な命が穢され、お前たちの心が殺される前に。私と共に戦ってはくれないか……私は今から地上へと上がる。レジスタンスの仲間と共に、お前たちの前に姿を露わそう。それが私がお前たちに見せる最期の姿になろうとも構わない……私はもう逃げない。死ぬ時まで、お前たちと共にある」
彼女の演説は、そこで終わった。
放送権が奪われ、これ以上の声が届けられなくなった。
オリアナを見れば、ゆっくりとマイクから離れた。
そうして、俺たちに目を向けながら「行こう」と言う。
これで国民たちの心が動いたのかは分からない。
しかし、俺が聞いた彼女の声には、此処にいる仲間たちの足を動かすだけの力があった。
俺たちはオリアナを先頭にして歩き出す。
もう此処には返って来ないかもしれない。
短い間ではあったが、お世話になったアジトを見る。
そうして、ゆっくりとオリアナを追いかけて俺たちはアジトを後にした。
マンホールから出て外に出る。
そうして、オリアナは大通りへと歩いて行った。
ゆっくりとしていながらも、堂々とした姿で。
彼女が大通りに出れば、放送を聞いていたであろう国民たちは彼女に視線を向けた。
兵士たちはライフルの銃口を彼女へと向ける。
しかし、その手は震えていた。
照準を定めても、引き金を引くことは出来ない。
カタカタと手を震わせながら、兵士たちの瞳は揺れる。
そんな彼らを一瞥してから、彼女は王宮を目指して歩みを進めた。
「――止まれッ!」
ぞろぞろと兵士を引き連れた人間が現れる。
指揮官らしき男はにやりと笑いながら、オリアナを見ていた。
小太りのそいつは、ようやく姿を現したかと言って笑っていた。
「オリアナ・ハーモニスク。貴様にはイスラール様より討伐令が出されている。裁判を開く必要は無い。この場にいる兵士全てに、その場での処刑権が与えられているのだ。薄汚いネズミどもと共に、あの世に送ってやろう。くくく」
小太りの指揮官は、ゆっくりと拳銃をオリアナに向ける。
彼女は何も言わずにゆっくりと足を動かした。
恐れることなく、真っすぐに進んでいく。
それを見た指揮官は驚きながらも、引き金を引く。
乾いた音が響いた。
その弾丸はオリアナへと飛んで――その頬を掠めていった。
狙いが外れた。
それは意図的な物ではなく。
傍に立っていた兵士の一人が、彼の持つ銃を弾いたのだ。
「な、何をす――うごぉ!?」
兵士の一人は、指揮官の男を殴りつける。
ガタイの良い男が振るった拳の威力は相当なもので。
ゴロゴロと転がって、指揮官はばたりと地面に倒れた。
白目を剥きながら失神している様子のそれ。
兵士たちはライフルを降ろしてから、彼女に道を譲った。
全員が彼女に対して敬礼している。
言葉を介する必要は無い。
彼らはこの時を待っていたのだ。
イスラールを倒すために、王女が立ち上がるその時を。
「……ありがとう」
オリアナは彼らへと感謝の言葉を贈る。
国民たちを見れば、その瞳は揺れ動いていた。
未だにその足を動かすことは出来ない。
しかし、誰も彼女の道を阻もうとはしない。
彼らはオリアナを信じ切れていないのだ。
でも、心の何処かで誠意を見せた彼女に敬意を示している。
彼女の後ろには俺たちが付いていて。
その後を兵士たちが付いてくる。
そして、国民の中には彼女を追いかける人間たちも出てきた。
心を一つにして、俺たちはイスラールの元へと向かった。
奴は王宮で待っているのだろう。
誰も彼女を信じないと思い込んで、彼女が殺されに来るのを待っている。
だが、その結末にはならない。
彼女の後をついてくる仲間たちがこんなにいるのだ。
彼女は決して一人ではない。
オリアナを信じて、俺たちは彼女について行く。
彼女の通った道を、多くの民が進む。
指導者として前を歩く彼女はその瞳に強い光を宿していた。
その目が向くのは王宮で、彼女はしっかりとした足取りで進んでいった。




