058:裏切りは誰が為に
ざわざわと仲間たちの話し声が聞こえる。
雑音が響く食堂の中で、俺はオッコから聞いたことに耳を疑った。
しかし、先ほどの話の内容は本当であるようだった。
裏切者を捕まえた、奴は確かにそう言った。
仲間たちの中に本当に裏切者がいた事に驚いていた。
いや、それよりも捕らえられた人間の名簿を見て俺は更に驚いていた。
端末の中に表示されているのは男女五名の人間の名前で、その中には――バネッサ先生の名もあった。
何故、彼女が裏切者なのか。
何故、彼女は俺に相談をしてくれなかったのか。
何故、何故、何故――考えたって答えは出ない。
俺は端末の電源を落としてから、ゆっくりとそれをオッコに返した。
「此処だけの情報だからな。他の奴には」
「分かってる……分かってるよ」
眉間の皺を揉みながら、俺は考えた。
バネッサ先生は拘束されてしまった。
しかし、まだ裏切者であると確定はしていない筈だ。
何故ならば、噂程度に広まっているだけで、ヴォルフさんやマイルス社長も公言していないから。
もしも確たる証拠があるのならば、彼らの口から明かされているだろう。
嫌疑が掛けられている状態か……厄介だな。
俺個人の気持ちとしては、バネッサ先生は白だと言いたい。
彼女が裏切るメリットが今一つ分からない事。
そして、彼女が裏切ってまでしたかった事が分からないからだ。
ゴースト・ラインと繋がっていたとして、何故、彼女はこの船の情報を渡さないのか。
座標に関しては秘匿されていて、ビーコンを使えばすぐにバレる。
唯一外と通信が可能な通信室を使ったとしても、許可なく不明なコードで通信は出来ない。
しかし、一瞬であろうとも座標を教えることは出来た筈だ。
それこそ、俺たちが魔神との戦いでほぼ全ての戦闘員を出撃させた時。
あの時こそ、この船を襲撃するチャンスであった筈だ。
それなのに、バネッサ先生も他の人間も船の座標を送っていない。
裏切者がいなかったのならそれまでだが、そう簡単には話は終わらない。
裏切者は確実に存在していて、島の情報を流したりしていた筈なのだ。
もう既に戦死したか離脱したのか。いや、それも違う気がする。
名簿を見れば、書かれていた名前の人間はほとんどがメカニックの人間たちで。
裏切者の中にパイロットはおらず。比較的、安全なメカニックの技師として潜入していると判断できる。
バネッサ先生は、メカニックでは無いが医療スタッフの一人で。
彼女に嫌疑が掛けられているのも、他から信頼されるような立場であるからだと思う。
カウンセリングと言って、パイロットや他のスタッフから情報を聞き出せて。
尚且つ、疑われにくい人間として彼女は動いていた。
こうやって考察していても、バネッサ先生を黒だと思えない俺がいるのがその証拠だ。
恐らく、ヴォルフさんたちはバネッサ先生の何かしらの行動によって嫌疑を掛けた。
確かな証拠でないものの、疑うだけの材料となる何かで。
それさえ分かれば、彼女の疑いを晴らす手助けが出来るかもしれない。
俺にとってバネッサ先生は恩人のような存在だ。
そんな彼女を助けられるのなら、俺は今すぐにでも行動を起こせる。
「……面会は出来るのか?」
「ん? さぁ……監視付きでも良いのなら。出来るんじゃねぇか?」
「よし。それじゃ話を聞きに行こう。俺たちにもその権利がある」
「おいおい急だなぁ。まぁいいけどよ」
ガタリと椅子を引いて立ち上がる。
そうして、俺たちはバネッサ先生が拘束されている部屋へと向かう。
恐らくは、船の中にある懲罰房に入れられている筈だ。
警備の人間がいるだろうが、オッコもいるから何とかなるだろう。
俺は足早に歩きながら、オッコと共に懲罰房へと向かった。
「何で駄目なんだよ!」
「だから! 規則だからだよ! 誰もいれるなって命令されてるんだ! 分かったら帰ってくれ!」
「こんなにお願いしてるんだ。少しくらい話を」
「あぁダメダメ! 俺が怒られちまうよ!」
メットに防弾チョッキを着て、ライフルを携帯する男。
懲罰房へと繋がる廊下の途中でシャッターが下ろされていた。
そのシャッターの前で、警備をしている男に足止めされていた。
規則だから通せないと同じ事を聞かされて、無理は承知でお願いをしているのだ。
しかし、規則にうるさい男は頑なに道を開けてくれなかった。
オッコは何処かへと連絡をして少し離れていて、俺は必死になって頭を下げる。
困ったような顔でため息を吐く男。
俺はやっぱり駄目なのかと思った。
そんな時に、連絡を終えたオッコが帰ってくる。
その顔にはいやらしい笑みが張り付いていて、彼は無言で端末を男に渡した。
胡散臭いものを見るような目でオッコを見ながら端末を受け取った男。
ぶっきらぼうな声で応対したかと思えば、急に背筋を伸ばしてペコペコし始めた。
やがて、話しを終えた男はゆっくりと端末を切って丁寧にオッコへと返却する。
オッコがにたにたと笑いながら見ていれば、警備の男はいそいそと防火シャッターを開けた。
ぎこちない笑みで「どうぞ!」と言われて俺は怪訝な顔をした。
しかし、通してくれるのなら良いかと思って潜って抜けていく。
男は最後までぎこちない笑みを浮かべながら、再びシャッターを下ろした。
閉ざされたシャッターを見つめてから、俺は口笛を吹きながら歩いていくオッコを追いかけた。
「なぁどんな手を使ったんだ?」
「ん? これよこーれ」
オッコはゆっくりとした動作で端末を操作した。
そうして、それを俺へと渡してくる。
耳に当ててみろという彼のジェスチャーを受けて耳に当てて――驚いた。
《話は聞いた。その二人を通せ。質問は受け付けない。いますぐに通せ》
「……何でヴォルフさんの声が?」
「ふっふっふ。端末で通信するフリをして、声を録音してーおっさんからサンプリングした声に変換させれば、手品の完成ってねぇ」
「……バレたら、俺たちも懲罰房行きだろ」
「そん時はそん時さ。後ろ何て見ないで進みましょーってね」
気楽に欠伸をしながら足を進めるオッコ。
俺は冷や汗を流しながらも、それもそうかと納得した。
そうして、二人で長い廊下を進んでいく。
オッコはバネッサ先生が拘束されている部屋を知っているようで。
ピタリと足を止めてから、無言で一つの部屋を指さした。
名札も何も無い白い扉の部屋。俺はその覗き戸を開いて中を見た。
すると、バネッサ先生らしき人物がベッドに腰を掛けながら背を向けていた。
「先生! 先生!」
「……君か」
振り返った先生は微笑みながら俺を見る。
元気そうな彼女に安心していれば、彼女は立ち上がって扉へと近づいてきた。
ゆっくりと扉の前で立ち止まって、視線を向けてくる。
俺は悩んだ末に、先生はどうして拘束されたのかと聞いた。
すると、彼女はくすりと笑い「疑わしい行動を取ったからだろうね」と言う。
「疑わしい行動って……心当たりは?」
「……君は、私をスパイだと思っていないのかな?」
「え、いや、それは勿論」
「……あぁどうりで……君は純粋な人間だ。真っ白なキャンパスでも見ているようだ。色を持たない、何色にも染まれる……ハッキリ言おう。私はゴースト・ラインと繋がっている」
「――!!」
彼女は眼鏡を取ってレンズを拭く。
そうして、事も無げに自らがスパイであると明言した。
オッコは何かを考えている様子で、俺は信じられないと思っていた。
「嘘だ。バネッサ先生がスパイだなんて」
「……私はね。生まれ育った環境を憎んでいた。灰の振る世界に自由何て無い。貧しいものは飢えをしのぐために配給された硬いだけで味のしない合成食品を食べる。水も浄化されていない汚染された物を飲まなければならない。そんな生活を続ければ、体は破壊されて病魔にむしばまれる。何時だって富のある人間だけが生かされてきた。私はそんな世界が嫌でこの世界に来た」
「何を、言って」
「この世界は素晴らしいよ。緑に溢れて合成されていない純粋な食べ物に溢れて。貧富の差があろうとも、人間たちには平等に死が与えられてる。老いて死に、病気で死に、事故で死に、戦争で死ぬ――人間本来の生き方をしているじゃないか」
ニコニコと笑いながら、彼女は自分の考えを話す。
俺は彼女の目を見つめながら、その話を黙って聞いていた。
「……でも、この世界にもバグは存在する。それは何だと思うかね?」
「――俺たちって言いたいんだろ?」
「そうさ。現世と呼ばれる現実世界で生きている人間たち。不自由な世界で生きながら、この世界でも体を持って生きている人間たち。平等な筈の世界で、自分たちの欲求を満たす為だけに存在するバグだ。完璧に近い世界で、故郷を捨てる覚悟も無い人間たちがこの世界を壊そうとしている」
「壊す? 何を言ってるんですかねぇ。此処は仮想現実世界で、破壊された地形データは」
「――その考えが間違いだよ」
ドアを強く叩きつけて、彼女の顔が接近する。
目を大きく開きながら、ジッとオッコを見つめていた。
オッコは無表情で目を細めながら、どういう意味なのかと彼女に問いかけた。
「仮初の世界、破壊された街や環境はすぐに戻せる……君たちは神にでもなったつもりかい?」
「……違います。死んだ人は蘇らない。失ったものは戻ってこない。だから」
「違う違う違う違う。この世界では死んだ人間の数だけ、新しい命が生まれる。破壊された街が出てくれば、発展する都市が出てくる。君たちがどれだけ破壊しようとも、本物の神様はそれをすぐに埋めてくる。千年先の未来を見て、アレはこの世界のバランスを保っている。人口が減る事は無い。しかし、一定の値から増えることも無い……私が言いたいのは、その神の設計の枠組みから外れてうじゃうじゃと入ってくる君たち。まるで、自分たちは特別で、どれだけ資源を使おうとも無関係だといいたげな君たちだ」
「……まどろっこしいねぇ。何が言いたいんですかぁ?」
オッコはにへらと笑って問いを投げかける。
すると、彼女はくつくつと笑いながらゆっくりと真実を話した。
「これは選別だよ。完璧な世界で生きられる人間は僅かだ。外部から来る君たちは着実に数を増やしていく。それだけの人間をこの世界で受け入れることは出来ない。リソースは限られていて、それを奪い合う事になる。今起きている戦争のように……増えすぎた人間は減らさなければいけない。この世界の人間たちが貧しさに身を落とし、犯罪に手を染めないように。悪徳によって人を減らすのではない公正なる審判によって選別する。平等に人々が生きられる世界を作る為に、ゴースト・ラインは存在する」
「――おい、ちょっと待てよ。それは」
オッコが口を挟もうとする。
しかし、その瞬間に警報が鳴り響いた。
真っ赤なランプが点灯して、バネッサ先生の扉を別の扉が覆う。
俺は扉を叩いて、彼女に声を掛け続けた。
「――短刀は、何時でも心臓に突き立てられている」
かすれ気味の声で、彼女の言葉が聞こえた。
短刀とは何か、心臓に突き立てられているとはどういうことなのか。
俺は何度も彼女に声を掛けたが反応は返ってこなかった。
その瞬間に、何者かが走って来て俺は床に押さえつけられた。
手足を拘束されて、もがきながら見ればオッコも同じように拘束されている。
カツカツと音を鳴らしてやって来たのは、ヴォルフさんであった。
「……連れていけ」
「待って、下さいッ! まだ、話は――ッ!?」
頭を強く殴打された。
俺は意識を朦朧とさせて――そのまま気を失った。




