272:見えぬ心意を
株式会社王宮ホテルとは、東京に本社を持つホテル運営グループだ。
明治から続く歴史あるホテルとして有名なのが王宮ホテル東京で。
大阪や神奈川。北海道にも王宮ホテルは存在する。
日本を代表するホテルであり、国賓の宿泊先としては定番とされている。
国の重要人物が宿泊するのは当然で。
秘密の話し合いが行われるのも大体がそこだ。
盗聴の心配は無く、ホテルは最高度の警備システムにより守られている。
襲撃の心配も無ければ、情報が洩れる心配もほぼ無いだろう。
ツバキが運転する愛車を専用の駐車場に止めて。
外へと出れば、とても高級感漂うホテルが目の前に聳え立っていた。
地上から十六階建てで、地下は三階まで存在する。
レストランや診療所。ショップや美容室なども存在していて。
最近ではゲームセンターも作られたと聞く。
新社長の就任と共に、色々と取り入れようと合作しているようで。
不安や期待の声を受けながらも、一定の評価を受けているとも聞いた。
正面玄関から中へと入ろうとすれば、黒い制服を着たドアマンが扉を開けてくれた。
彼に礼を言いながら中へと入れば、煌びやかなフロントが俺たちを出迎えてくれた。
アルタイルは感嘆の息を漏らしながら周りをキョロキョロと見ている。
俺は妹に離れないように言いながら手を引いていく。
ツバキと共に並んで歩いていき、フロントの人間に沢渡長官の名を告げる。
すると、フロントの人間は笑顔で最上階へと行くように指示してきた。
案内人として若い日本人らしきベルボーイが横に立つ。
彼は柔和な笑みを浮かべながら「ご案内させて頂きます」と言う。
ツバキは静かに頷いてから、俺に視線を向ける。
ここから先は一人であり、彼女であろうともついては来れない。
向こうの指示は一人で来る事で。
彼女たちはこのホテル内にある施設で時間を潰してもらう。
他の人間にもその指示は通っているようで追い出される心配も無い。
「行ってくるよ」
「うん、行ってらっしゃい……何かあったら呼んでね」
「分かった」
「兄様、頑張ってね!」
「うん、ありがとう」
ツバキはアルタイルの手を引いて去っていく。
俺は二人に手を振ってから、ゆっくりと青年を見上げた。
彼は俺に対しても変わらず笑みを浮かべて丁寧に接してくれていた。
その心に感謝しながら、俺は彼の後を静かについて行った。
エレベーターに乗り込んで、軽い音が響く。
扉が開かれた先には、長い廊下が続いていた。
このフロア丸ごとがVIPの為に用意されたスイートルームで。
一般人では立ち寄れない特別室に続いていた。
彼はボタンの前に立ちながら「この先で沢渡様はお待ちです」と言う。
案内人である彼の仕事は此処で終わりで。
此処からは一人で行けと言う事だ。
俺はチップも払えないが、彼に対してお礼を言いながら出た。
彼はエレベーターから出た俺に対して、深々とお辞儀をしていた。
扉が閉まるまで礼儀正しい彼を見送ってから、俺はゆっくりと前を見た。
長い廊下の先には一つの黒檀の扉がある。
俺は赤いカーペットの上を歩きながら、扉の前まで近づいた。
一歩ずつ、一歩ずつ。前へと進み……この先にいるのか。
沢渡長官がこの部屋の中で待っている。
緊張は勿論しているが、それ以上に彼が俺の為に時間を作ってくれたことが気がかりだ。
確かに、彼の目には喉から手が出るほどの技術を無償で渡しはした。
しかし、それだけで俺を信用するほど彼は甘い男ではない筈だ。
長い間、政財界で戦っていた重鎮で。
そんな男がポッと出の奴の為に時間を割く可能性は低い。
彼は言った。見定める必要があると……つまり、俺はまだ信用はされていない。
その事を肝に命じながら、俺はゆっくりとドアを叩いた。
暫くすると、知らない男の声が聞こえて来た。
扉から離れるように指示をされて。
俺は言われるがままに扉から離れた。
すると、扉の横に取り付けられたセンサーから赤い光が出て来た。
それが俺の体をスキャンする。
黙ったまま立っていれば、ガチャリと扉のロックが解除される。
入っても良いのだろうと思って、ゆっくりと扉に近づく。
すると、扉が開けられて中へと若い男が導いてくれた。
黒いスーツを着て、耳にイヤホンマイクがつけられれている。
スーツの内側のふくらみを一瞬で見抜いて、彼らがSPである事を認識した。
鋭い目の男は中へ入った俺を確認して扉を閉めた。
そうして、中へ進むように指示される。
頷いて部屋の中へと入れば、広々とした綺麗な部屋で。
防弾ガラスらしきものが取り付けられた窓に、高級そうな家具の数々。
窓辺に設置された白い椅子に座りながら、初老の男が笑っていた。
整えられた白い髪は七三分けで、顔には髭らしきものは無い。
柔和な笑みを浮かべるその男こそ、沢渡友則その人で。
俺がこれから交渉する事になる大物だった。
ゆっくりと彼の元まで歩く。
そうすれば、彼は俺に席に座る様に勧めて来た。
俺はそんな彼に対して、この椅子はロボットの重さに耐えられないのではないかと聞く。
すると彼はハッとした顔で、それはそうだと笑った……わざとらしいな。
まるで、最初からロボットだと知らなかったような反応だ。
しかし、これは演技だとすぐに分かった。
何故ならば、この男は俺が部屋に入って来た時にまるで驚きもしなかった。
それはつまり、此処に来る者が人ではないと理解していたからだ。
俺を試しているのだろう。
此処で目の前の人間をただの老人だと侮って。
ボロを出させようと考えているのかもしれない。
抜け目のない人間であり、俺は改めて用意された椅子に座る。
見たところ、部屋の中にはSPは三人ほどだ。
彼の近くに一人、扉の近くに一人。
そうして、俺の後ろに一人……妙だな。
部屋の中には確かに三人だ。
しかし、複数人の気配を感じる。
まるで、忍者のように隠れ潜んでいるようで。
それらの気配を感じながらも、俺は対面に座る彼を見ていた。
彼は優雅に目の前に置かれた紅茶を飲んでいる。
温かなそれからは湯気が昇っていて。
彼は笑みを浮かべながら、話しを急くことも無く茶を楽しんでいた。
ことりと彼はカップを置く。
そうして、俺に視線を向けながら言葉を発した。
「紅茶はお好きですか?」
「……飲めると思いますか」
「はは、これは意地悪でしたね……質問を変えましょう。これはどのように見えますか?」
彼は俺を試すように聞く。
俺はジッと目の前のカップを見つめる。
俺の前に置かれたカップの中には、彼と同じ紅茶が注がれていた。
飲めないと分かっていながら、それを俺の前に置いている。
それは無理やり飲ませる為ではなく、純粋に意見を聞きたかったからだろう。
俺はゆっくりとカップに指を通す。
そうして、それを回しながら匂いを嗅ぐようなしぐさをした。
「……温かくて綺麗で、とても美味しそうです」
「そうですね。紅茶はとても美味しいです」
「……でも、これを好きになれるかは分かりません」
「ほぉ、と言いますと?」
彼は驚くことも無く質問する。
俺はゆっくりとカップを皿に置く。
ことりと音がしたそれはゆらゆらと揺れていた。
「見かけだけです。見ただけの情報では何も分からない。その本質を見極めたいのなら、味わう必要があります。匂い、味、温度、食感。口に含んでから胃に流し込むまでの情報で、それが好きかどうかをようやく判断できる……今の俺たちのようですね」
「……そうですね。私たちと同じです……貴方も私も、互いに何も知らない。紙に書かれた情報。人づての情報だけだ。それだけでは相手を知れない。その人の本質を知るならば、会って話をする以外に道はありません。多少のリスクがあったとしてもです」
彼はビジネススマイルでそう答える。
俺はそんな彼を見ながら、少しだけ揺さぶりを掛けようとした。
「多少のリスクですか……ふむ、ざっと数えて……十人ですかね」
「――ッ!」
彼の後ろに立つSP。
彼が少しだけ動揺した。
それだけで読みが当たったのだと理解できた。
沢渡長官はぴくりとも動かない。
まるで動揺しておらず。俺の話にも首を傾げるだけだ。
「十人? はて、何の話でしょうか」
「……いえ、此方の話なので……そういえば、先日送った情報はお気に召しましたか?」
「ん? あぁアレですか。えぇ、大変貴重なものですね……一体どうやって”机上の空論”とされたアレに辿り着いたのか。まるで……そうですね……貴方が”未来から”来たような感じです」
「……ふふ」
沢渡長官は何かを察している。
この時代にも、生命維持庭園の元となる技術は研究されていた。
だが、上手くいかなかったからこそ時間が掛かったのだ。
開発された生命維持庭園にも問題は多かった。
莫大なエネルギーを必要とされる上に、それに必要となるフィルターは一年ほどで使い物にならなくなる。
おまけに、セクター内全ての空気を浄化できる訳では無く。
下層部に至ってはまだ汚染が残った状態の空気が回っていたと聞く。
それを改善させたのは十代の青年で、発展した生命維持庭園によりセクター内の空気は浄化された。
フィルターの交換に関しても、それをリサイクルする技術を確立し。
エネルギーの供給問題も、彼の所属する企業との連携もあり新エネルギーの導入が可能になった。
まぁ、沢渡長官に渡したものはそれよりはレベルが低いものだ。
生命維持庭園のように巨大な物ではなく。
新エネルギーを導入する必要があるような複雑な機構でも無い。
一般家庭に普及できるような技術だ。
彼が驚いているのは、机上の空論とされた全ての物質に有効とされる除染機能だろう。
設定さえちゃんとすれば、あらゆるウィルスへも有効で。
これさえあれば人が踏み入る事が出来ないような危険地帯へも行くことが出来る。
それだけではなく、彼らが極秘裏に開発しているセクターの発展にも大きく貢献できるだろう。
俺が渡したものは、彼らが成長できるだけの余力は残している。
全てを開示すれば色々と簡単だろうが、それでは意味が無い。
文明レベルを一気に引き上げれば、それだけ後の未来にも弊害が出る。
少しずつだ。少しずつ、身の丈にあった分だけ成長できるのがベストだろう。
そうしなければ、幸福な未来を手にする事は出来ない。
俺がそう言った意味で、アレを渡した。
すると、彼は俺が思っていた以上の情報を手に入れた様だ。
この世界で生み出さる技術ではない。
何の功績も無く、生まれたばかりの赤子のようなロボットが。
僅かな時間でそれを見つけ出した。
彼は言った。見定める必要があると。
彼の目には今、俺がどのように映っているのか。
国家転覆を狙うテロリストか。
将又、世界を救う事が出来る救世主か。
何方でも構わない。
彼に俺がどのように映っていようとも、彼の協力は絶対に得る。
その為の準備はしてきた。
俺はゆっくりと彼を見る。
そうして、腹の探り合を止めて俺はハッキリと言う。
「俺には世界を終わらせるだけの力があります」
「――ッ!」
初めて沢渡長官が反応した。
面食らったような反応であり、傍に控えていたSPが銃を抜く。
問答無用で俺へと銃口を向けてきて――彼が下げるように指示する。
「ですがッ!」
「……結論を急くな。彼はただその力があると言っただけだ……驚きましたよ。私の目の前で、それを言うんですからね」
「すみません。ですが、最初に伝えておくべきかと判断したので……貴方の勘も、強ち嘘ではないとも言えますよ」
「……えぇ、そう思えてきました……ですが、はったりの可能性もまだありますから。よろしければ、根拠を提示できますか。話しはそれからでしょう」
「……そうですね……では、紙とペンを頂けますか。それと世界地図も」
「……すぐに用意を」
「……畏まりました」
彼は俺の指示通りに用意するように言った。
SPが耳に手を当てながら誰かに指示をする。
それを聞きながら俺は真っすぐに彼を見つめる。
ニコやかに笑っている。しかし、その目には明らかな警戒がにじみ出ていた。
必要な事ではあったが、ひどく警戒させてしまったようだ。
後悔はしないものの、この先はより慎重に話を進める必要があるだろう。
俺はそう思いながら、少しだけ重くなった空間でジッと冷えて来た紅茶を見つめていた。




