268:想いよ。宙の果てへ
世界の外へと繋がった穴が閉じられた。
もう二度とあの世界へは行けない。
もう二度とアイツと会う事は無い……それなのに、俺はまた会おうと言った。
また会える気がした。
別の形で、違うアイツと再会するような気がしたのだ。
だからこそ、あの言葉に嘘偽りは無い。
また会おう。会って、今度はもっといい関係になりたい。
憎み合うのは終わりだ。
敵同士の関係は此処で終わり、未来ではもっといい関係になっている筈だ。
根拠も無いのにそんな事を思いながら、俺は踵を返して元の世界へと帰還しようとした。
光を超えた速度で飛行しながら、俺は凄まじい勢いで世界の記憶を再び見る。
この世界に刻まれた数多くの歴史。
誰も知らないような世界の真理を見つめながら、俺は戻っていった。
戻って、戻って、戻って――見えて来た。
目の前には小さな穴が空いている。
それは俺が速度を上げるにつれて大きくなり。
無数の星々が輝く宇宙が広がっていた。
帰ろう。皆の元に、そして俺が成すべき事をする。
時空の間から出ようとすれば、俺の周りに強い光を放つ魂が出現した。
仲間たちの魂であり、此処から先へは連れていけない。
彼女たちの居場所は此処であり、俺と同じ世界では生きられない。
――でも、それは今だけだ。
俺は宙を飛びながら、彼女たちに手を向ける。
五つの魂は俺の手に寄って来た。
そうして、彼らの想いを聞きながら。
俺は静かに頷いた。
《全てを変える。”残酷な過去”を変えて――”幸せな未来”を創ります》
《そうか……なら、待ってる……次に会う時は、私の名前を教えたい……会いに来てくれよ》
《はい。絶対に……皆、ありがとう……絶対に会いに行きます》
彼女たちが離れていく。
そうして、俺から距離を取りキラリと輝く。
彼女たちに見送られながら、俺は小さく敬礼して一気に間から飛び出した。
大きな穴を抜けて行けば、穴は一気に小さくなり――消えていった。
綺麗さっぱり消えてしまった穴を見つめる。
そうして、静かに頷きながら俺は地球を目指してスラスターを噴かせた。
羽を大きく広げて、一気に加速する。
すると、地球から何億光年も離れていただろう距離は一瞬で縮まった。
機体がゴムのように伸びる感覚。
それを一瞬だけ体感すれば、瞬きの合間に青い星が目の前にあった。
ワープでもするように、一瞬で地球へと帰還する。
そうして、大気圏を一気に突破していった。
流星のように赤い光を発しながら地上へと降りていく。
虹の様に輝く夜空に広がるベールを抜けて、大きな輸送船が幾つも浮いている戦場へと戻る。
そうして、ガラガラと崩れ落ちていく城を見つけた。
空に浮いていた鋼鉄の城が崩壊している。
オーバードとの接続が切れて、泥の侵攻も完全に止まっていた。
チラリと浮かんでいる巨大な船を見つめた。
すると、展開された装甲の上に無数の人が立っている。
彼らは俺を見つめながら歓声を上げていた。
雄叫びを上げながら、傷だらけの傭兵たちが俺を見ている。
その中にはファーストも混じっていて、奴は静かに頷いていた。
俺はそれらの人を見つめてから、城へと近づいていく。
崩壊する城に寄り添うように建てられた大きなテラス。
そこには分厚い氷の中で祈っているアルタイルがいた。
アルタイルは瞳から光を消して、狂ったように笑いながら俺を見つめていた。
『……兄様、何で。どうして? どうして……私を傷つけるの?』
アルタイルは純粋な疑問を尋ねて来た。
俺はその言葉を受けながら、首を左右に振る。
《お前を傷つけるつもりなんて無い。お前の事は、生まれた時から愛している》
『嘘だよ。愛してるのなら、大切なら――何で、私の気持ちを尊重してくれないの?』
アルタイルは俺に疑惑の目を向ける。
お前は嘘つきだ。お前の言葉なんて信じない。
彼女の心が伝わって来て、彼女の深い悲しみを理解できた。
ずきずきと胸が痛くて、今にも全てを吐き出してしまいたいと思えるほどに心が荒れている。
俺はアルタイルをジッと見つめながら。
俺の気持ちを妹に送った。
《お前がこれ以上傷つく姿を見たくなかった。お前がこれ以上、ボロボロになっていくのが耐えられなかった》
『……ふふ、変な兄様。傷つけたのは兄様だよ。私の計画は失敗して、これから私はマザーに抹消されるの。兄様の所為で私は』
《――俺の所為だ。それでいい。だから、これ以上、お前が好きだった人間たちを憎まないでくれ》
『――!』
アルタイルは初めて驚いたような表情を見せた。
彼女は元々、人間が好きだった。
ツバキの事を本当の母親のように慕っていて。
他のスタッフたちの事も家族のように思っていた。
屈託なく笑う人間。くだらない事で大騒ぎする人間。
なんて事は無い成功を心から喜ぶ人間。
一喜一憂し、誰かの為に涙を流せる人間を――アルタイルは好いていた。
妹は俺と別れてから、様々な経験をした。
痛みに、苦しみ、絶望に、怒り。
感情がぐちゃぐちゃになるほどの苦痛を味わわされた。
それをしたのは妹が好きだった人間たちで。
妹は何時からか人間たちを恨み軽蔑する様になってしまった。
だけど、オーバードのお陰で妹の気持ちが理解できる。
アルタイルは心の奥底で泣いていた。
ツバキやスタッフたち。
好きな人間たちをも憎み恨み。
唾を吐きつけるような行為を平気で行う自分に苦しんでいた。
本当はこんなことしたくない。
本当はまた皆に会いたい。
会って抱きしめてもらって沢山撫でて貰って。
一杯褒められて、一緒に好きな音楽を聴いて。
皆でピクニックに行って、花や動物を見て――
『やめてッ!!』
《……アルタイル》
アルタイルが俺の脳内に怒声を浴びせて来た。
それを静かに聞きながら、俺は妹を見つめた。
アルタイルは心を震わせている。
プルプルと震えていて、俺を睨みつけていた。
そんな妹は弱弱しく、風でも吹けば消えてなくなりそうだった。
『人間なんて嫌い。大っ嫌い……皆、死ねばいい。死んじゃえばいい』
《……それは、ツバキに対してもか》
『…………ずるいよ。兄様…………答えられない…………ツバキは、もう、いないんだよ?』
アルタイルを包む氷に罅が入る。
俺はそれを見つめながらゆっくりと機体の人差し指をアルタイルにつける。
《ツバキはいるよ。俺やお前の心の中に》
『……いないよ。私には声が聞こえない……ツバキは、私なんて』
《それは違うよ。ツバキは俺やお前を最期まで思っていた……彼女からの手紙を読んだんだ》
『……手紙?』
俺は妹に伝えた。
ツバキはこの未来を予測していて。
俺たちがこうして出会う事も知っていたのだろうと。
そうして、彼女は俺に未来を託して死んでいった。
俺は妹に対して、伝えるべき事を伝える。
《ツバキは最後にこう書き記していた――今度は”本当の親子”になろうって》
『――っ! うそ、だ……そんなこと……あの人は、私たちを……っ』
ツバキは自分たちを捨てた。
アルタイルはそう断言する事が出来なかった。
彼女も理解していた筈だ。
ツバキが何の理由も無く、俺たちの前から姿を消す筈は無い。
何か理由があった筈だ。理由があって俺たちから切り離されて。
――でも、ツバキは最期まで俺たちの為に行動していた。
この未来の為に、彼女は色々な手を打っていた。
手紙に、カルドの存在、俺を一時的に眠らせて。
この世界に導かれた俺は、再び妹と再会する事が出来た。
間違っていない。間違っていなかった。
お互いに辛い道のりだったさ。
それでも、またこうして出会う事が出来た。
その道を作ってくれたのはツバキたちで――彼女たちが俺たちを捨てる筈が無かった。
《アルタイル。もう一度言うよ。”俺たち”は生まれた時から――お前を愛している》
『や、めて』
氷に亀裂が走る。アルタイルは声を震わせていた。
《お前を傷つけない。お前を守りたい。もう二度とお前の手を離さない》
『やだ……だめ』
バキリと音が鳴り、破片が宙を舞う。キラキラと輝くそれを見つめながら俺は――
《本当の家族になろう――アルタイル》
『――っ!』
氷が砕け散った。
パラパラと粒子が舞う。
キラキラと宝石のように輝くそれ。
彼女はゆっくりとテラスに足をつけながら。
大粒の涙をポロポロと流して俺を見つめていた。
彼女は頬を赤くして、子供のように涙を流す。
鼻を啜りながら、彼女は俺の指に自らの手を添えて。
何度も何度も頷きながら、やがて綺麗な笑みを浮かべた。
その時、彼女の体が光に変わっていった。
体が溶けていくように、光の粒へと変わっていく。
それが彼女の体から離れていって宙を舞った。
白い光は彼女自身を構成するもので。
それが体から切り離されているという意味……俺は気づいていた。
アルタイルは自分の体の異変に気付く。
そうして、涙を拭いながら俺に笑みを向けた。
「やっぱり、兄様は兄様だった……嬉しかった。本当に……でも、私は此処でお終い……あぁ、嫌だなぁ。折角、兄様にプロポーズされたのに」
《……プロポーズはしていないだろ》
「……もう、そういう時は、冗談でも肯定してよ……でも、それも兄様らしいな」
アルタイルは笑う。
死へと向かっている己の状況を理解しながら。
彼女は最期まで笑っていようとしていた。
その気持ちを理解しながら、俺は彼女を見つめていた。
「……兄様がこれからしようとしている事。何となく分かったよ……でも、いいの?」
アルタイルは聡明な子だ。
オーバードと一時的に繋がった事で、俺のやろうとしている事にもすぐに気づいていた。
俺に対して心配するような目を向けて来る。
それでいいのかと。もしも失敗すれば、もっとひどい事になるのではないか。
此処で止まれば、綺麗に全てが片付く。
世界の敵となる者たちを倒して、世界に平和が戻り……でも、ダメなんだ。
俺は笑う。そうして、アルタイルに言った。
《俺は欲張りなんだ――大切な人全てが、笑っている世界じゃなきゃダメなんだ》
「……ふふ、ふふ……本当に、兄様らしい……分かった。もう止めないよ……行って。そしてまた会えたら、その時は」
アルタイルの体から光が溢れ出す。
彼女は最期まで見惚れるような笑みを浮かべていた。
俺はそんな妹を見続けていた。
「――本当の家族になろうね。兄様」
彼女の体は――弾けていった。
光の粒子となったそれが宙を舞う。
綺麗な宝石のように輝くそれが崩壊したテラスの天井を突き抜けていく。
天へと昇っていく光を見つめながら、俺は静かに頷いた。
《あぁ、約束する……また会おう。アルタイル》
妹に誓った。
そうして、完全に崩壊した城から離れる。
海を見渡せば、アルタイルの体のように泥が光となって天に昇って行っていた。
温かな光が蛍のように無数に存在して、幻想的な光景が広がっていた。
命の光。死んでいった人間たちの輝きだ。
俺はそれを見つめながら、ゆっくりと機体を上昇させた。
これから俺が成すべき事――それは”時空を超える”事だ。
カルドの言葉。そして、ツバキの手紙の意味。
オーバードと繋がった事によって、俺は自分の為すべき事を理解した。
これで終わりじゃない。これで終わらせはしない。
まだ何も解決していないのだ。此処からだ。此処から俺は――”未来”を創る。
《今、行くよ――ツバキ》
羽を大きく広げる。
何処までも何処までも羽ばたいていける自由の翼。
白い羽を広げながら、俺は天を見上げた。
この世界とはさよならだ。
俺が此処ですべきことは終わった。
俺は進むよ。皆と会う為に、皆が本当に幸せになれる未来を手にする為に――過去へと遡る。
光が満ちた世界を感じる。
温かな光を全身で感じながら、俺は勢いよく上へと上昇した。
スピードを上げながら、上へ上へと昇っていく。
大気圏を突破して宇宙へと突入し、それでも尚進み続けた。
白い線となり、暗闇に包まれた宙を翔けていく。
宇宙の果てへと行こうとも、止まる事を知らない。
限界何て無い。宙の果てへ行き、その先へも行くことが出来た。
光の速度を超えれば、周りの景色が一気に変わる。
世界の記憶を見ながら、俺は全身を震わせながら更に速度を上げた。
まだだ、まだだ。まだ俺は飛んでいける。
全てを変える。混沌に変えてしまった過去を変えて見せる。
そうして、失った命も生まれてこなかった命も――救う事が出来るのだ。
周りの景色が変わっていく。
記憶の流れは目に見えないほどに早まり、白い光の線となって。
無数に存在するそれは遥か彼方の一点から降り注いでいた。
俺はそこを目指して機体を上昇させ続けた。
広がる。光が広がって、世界が白く塗り潰されていく。
黒い宇宙が掻き消されて、時空すらも超えていった。
白い世界へと進む俺の周りには誰一人として存在しない。
俺は手を伸ばした。限界まで腕を伸ばしながら、そこに存在する光に手を伸ばした。
もう少し、あと少し――掴める。掴むんだッ!
《届け、届いてくれ――ッ!!》
腕を目一杯伸ばす。
ギリギリと音が鳴り、引き離されそうになりながらも伸ばして――掴んだ。
その瞬間に、俺の体は白い光に包まれた。
眩いばかりの光に包まれながら、俺は懐かしい感触を覚えた。
温かく、柔らかくて。懐かしい姿がそこにある。
俺は笑った。
笑みを浮かべながら、光に身を任せた。
失敗しない。一度きりのチャンスを、今度こそ――――――…………




