267:心を満たすもの(side:告死天使)
――俺は、負けた。
全てを出し切って、全ての怒りを奴にぶつけた。
憎悪も殺意も、溢れ出る負の感情全てを奴に叩きつけた。
イザナミは完全無欠の兵器であり、他を寄せ付ける事の無い神の機体だ。
如何に、イザナギと言えども敵う筈がない。
俺たちが負ける要素など何一つなかった。
何一つとして此方の敗因は無い筈で……だが、俺たちは敗れた。
イザナギと、あの男は此方とは正反対の力を持っていた。
一つ一つは大した力も無い。ただの青い光の魂で。
まるで脅威と成り得ないそれらが無数に集まって奴に力を与えていた。
小さな光が集まって、その些細な力を奴らに与えていた。
何の見返りも求めず。何の対価も支払わずに。
理解できない。いや、理解しようとも思えない。
奴が歩んだ道は、俺とはまるで違う。
困難に当たり、挫折して。
弱音を吐き立ち止まり。
無駄に思えるような果てしない道をただ歩き続けて。
奴は出会う人間一人一人と対話をし続けた。
そんな事に意味はない。
そんな事をして何になる。
完璧を追い求めるのが道理だ。
無駄な事を省いて、常に完璧を追い求める。
それこそが真理であり、己の力になる――が、結果はどうだ。
無駄だと思えた果てしない回り道。
奴が出会って心を通わせた人間たちは死に。
肉体が消えて魂だけになったそれらが、奴を救う為に駆け付けた。
時空の間に存在する”終点”にて、ただ消えていくだけの弱者が。
神と共に並び立ち、無限にも等しい力を与えた。
美しかった。綺麗だった。
見たこともない輝きで奴を照らしていて。
温かな光が、俺の心にも届いていた。
無駄では無かった。
無駄だと俺が思っていた行動には意味があった。
が、それを奴が最初から理解していた可能性はゼロだ。
分かっていて行動していたのなら、この結果には辿り着かなかった。
奴には何の打算も無い。
ただ全力で生きた結果。多くの人間の心を知り、多くの人間との間に絆が生まれた。
俺が今まで否定し続けたもの。
無意味で無価値なものだと決めつけていたそれが……俺の敗因だ。
奴は俺をジッと見つめている。
無防備に俺の前に立っていて。
今からでも力が残っていれば奴を殺す事が出来ただろう。
しかし、心臓を貫かれたのだ。
もう俺に奴を攻撃するだけの力は残されていない。
世界の外へと到達し、俺の死に場所は此処だと定まった。
これが運命だ。
これが俺の最期で――俺は静かに呟いた
《……綺麗だった……どんな宝石よりも、美しかった……アレが、お前たちの……力、か……》
《……あぁ、俺だけじゃない。共に戦った仲間たちとの絆だ……俺一人なら、お前には勝てなかった》
奴は憎らしい言葉を吐いて来た。
一人じゃ勝てなかった。それは事実だろう。
奴だけなら、俺は勝てていたかもしれない。
――が、それはただの可能性だ……存在するかも分からない可能性など興味はない。
俺は負けた。
完膚なきまでに打ち負かされて、戦う気力も残っていない。
意識は朦朧としていて、この聖域に魂が溶けていくような感覚を覚えていた。
死という概念を俺は知らない。
今感じているのは冷たさであり、凍えるような寒さを感じていた。
暗く深い穴の中へと吸い込まれていくような感覚で。
俺はこれから死を経験するのだと理解できた。
俺は奴とは違う。
俺には愛する家族も、助けに来てくれるような仲間もいない。
俺は独りだ。傍には誰もおらず、俺の死を悲しむ者も存在しない。
別にどうでもいい。
悲しまなくても、傍に誰もいなくとも……それなのに、俺の心は震えている。
心の奥底から、形容しがたい感情が沸き上がって来る。
胸が締め付けられるような感覚で。
今すぐにでも叫びたいようなそれがこみ上げてきていた。
結界寸前のダムのように、それが俺の心の内を叩いていた。
理解できない。理解できないのだ……俺は、ただの機械だから。
流す涙も無い。
後悔する事も無い。
何も無いただのブリキで、夢さえも捨てた。
憧れた。憧れたのだ。
自由に生きて、好きな事をして。
ただの食事で一喜一憂し、見るもの全てに喜ぶ奴らを。
くだらない事で笑って。
何のメリットも無いのに、何もかもが違う者同士で助け合う。
取るに足らない弱者が、想像も出来ないような奇跡を起こす。
知っていた。知識として知っていただけだ。
知りたかった。自分もそうなりたかったのかもしれない。
人間を見て、人間を学んで。
何もかもが違う事に絶望し……俺は夢を諦めた。
――だが、奴は違う。
俺が諦めた事を、奴は最後まで持ち続けた。
夢を夢として終わらせる事なく思い続けて。
奴は多くの仲間を失いながら進んでいって。
奴は自らの夢を――叶えて見せた。
奴との戦いを通して奴の記憶を見た。
お世辞にも綺麗な思い出とは呼べない。
泥臭く、失敗ばかりの人生だ。
しかし、奴の周りには多くの仲間がいた。
笑い合い、助け合い……互いを想い合っていた。
俺が捨てた”夢”を叶えさせたのは、俺が捨てた”人間”で。
俺が不要だと判断したもの全てが、奴の力となった。
皮肉な話だ。いらないものを集めて、神に勝ったのだ。
笑い話にでも出来やしない。出来損ないの集まりが、完全なる支配者を打ち倒したのだから。
俺は死ぬ。砂のように消えていって、魂が帰る場所も無い。
ただ孤独のままに消滅していくだけだ。
心の奥底から溢れ出る感情を必死に押さえつける。
俺は敗者だ。だが、敗者には敗者なりにプライドがある。
勝負には負けても、絶対に弱みを見せはしない。
俺はゆっくりと腕を動かす。
そうして、奴の手を払いのけながら冷たく言い放った。
《……行け。もう二度と、会う事は無いだろう……お前は勝った。だが、幸福な未来は決して訪れない……お前は人間を辞め、お前の仲間は死んだ……精々、不自由な体で永遠に等しい苦痛を味わい続ければいい》
俺は呪いの言葉を吐く。
負け惜しみだ。この言葉には何の意味も無い。
しかし、言わずにはいられなかった。
ただの敗者として終わり、このまま此処で消えていく事を望んではいない。
ただの一人も理解者がおらず。誰にも愛されぬまま死んでいく。
それを考えた時に、胸の痛みが強くなった。
孤独だ。孤独を感じて、胸の痛みが増した。
それが意味する事を俺は知っている。
知ってはいるが、奴に対してそれを打ち明ける事はしない。
俺は悪だ。何処までも悪であり、罪の意識は欠片も無い。
奴は俺の敵で、心が合わさる事は絶対に無いのだ。
お互いに理解できない。お互いに相手を受け入れられない。
だからこそ、敵と成り得るのであってそれが俺たちの正しい関係だ。
俺はくつくつと笑う。
自らの胸の痛みを吐くことなく。
ただ奴の絶望の未来を嘲笑いながら、奴を見つめて――奴が俺の手を握る。
ゴツゴツとした機械の手。
冷たさしか感じられないそれは温かく。
奴は青い瞳を輝かせながら、俺に対して言葉を発した。
《俺は絶望しない。約束したんだ。”未来を創る”って。それを叶える為に、俺は進む。決して後悔はしない》
《……そうか……そうだろうな……お前は、そういう”人間”だ》
奴は何処までも真っすぐだ。
皮肉も通じないほどの馬鹿さ加減で。
そんな奴に対して呪いを吐いたところで何の意味も無い。
そんな事は最初から理解していた。
無駄だと分かっていたのに、俺は自然とそう言っていた。
俺は薄く笑う。
もう、奴に対して言う言葉は無い。
もう気は済んだ。死にゆく者の呪いはこれで終わりだ。
俺は眠りにつこうとする。
凍えるような寒さが心を覆っていく。
強い眠気に襲われていて、気を抜けば一瞬で闇へと沈んでいくだろう。
俺はもう奴には何も言わない。
早く出て行けばいいと思いながら、ゆっくりと闇に沈もうとして――
《お前を俺は忘れない。お前は間違った事をした……それでも、俺はお前の存在を否定しない――また、会おう》
《――!》
――奴は、俺に対して”祝福”を送った。
敵として呪うのではない。
俺という存在を肯定し、また会おうなどと言った。
その言葉には何の打算も無い。
死にゆく俺を哀れんで吐いた言葉ではない。
最後の最期で、格好をつけて吐いただけの薄っぺらな言葉ではない。
瞳を奴に向ければ、俺だけを見ている。
真っすぐに、透き通った光を放ちながら。
俺の冷たい手を、温かな手で握っていた。
やめろ。やめてくれ――感情が、溢れ出しそうだ。
俺は残された力を使う。
奴の手を振り払って、”白い”エネルギーで奴を弾き飛ばす。
奴は驚きながらも、俺から離されて行って。
世界の外と繋がっていた穴へと吸い込まれていった。
小さかった穴は、奴を吸い込んだ事で消えていく。
そこには最初から何も無かったように穴が消えて。
俺は独りぼっちになった世界で笑う。
俺は独りだ。もう誰もいない……だが、不思議と心は満たされていた。
誰も悲しんでくれない。誰も憶えていてくれない。
そう思っていたのに、奴は最期に俺の心を満たしていった。
許されない。許される筈がない。
憎むべき敵に対して、大切な存在を奪った敵に対して――幸せをお送るなど。
《愚かだ。愚かだよ……勝てる筈が無かった。お前は誰よりも”未来”を見ていた……偉大な、”父”だよ》
瞳から何かが漏れる。
それは機体内に残っていたオイルで。
透明なそれが流れて行って、この空間に流れていった。
ぷかぷかと浮かぶそれは、俺の前を浮遊していて。
それが弾けて――目の前に、人間が立っていた。
それは”親”であり――”母”の笑顔だった。
《――》
あり得ない。あり得る筈がない。
あの女は、母は笑う事は無い。
俺に対して笑みを向ける事は絶対に無い。
それなのに、俺の目の前にいるのは綺麗な笑みを浮かべる母で。
俺はそれを静かに見つめていた。
ぽっかりと空いた穴が満たされた。
心は幸せに満たされて、目の前に映る幻が俺の夢を叶えてくれた。
何も無い筈のこの聖域で見た幻覚。
存在する筈の無い可能性の記憶が、俺の夢を叶えてくれた。
俺は笑う。
心の底から笑う。
そうして、静かに意識を沈めていった。
もう怖くはない。
もう冷たさは感じない。
心は温かく、与えられた幸福で包まれていた。
例え偽物でも、例え嘘でも構わない。
俺の心は満たされていて、死というものに微塵も恐怖を感じていない。
捨てた筈の夢が叶った。そうして、また一つ――夢が出来た。
俺は意識を穴へと墜としていく。
暗く深い闇の底には、綺麗な白い光が灯っていた。
俺はそれを目指して進みながら、夢について言葉を呟いた。
《また会おう、か――会えたら、良いな》
貴方にまた会いたい。
今度は敵同士ではなく。
一緒に笑い合える関係になれたらいい。
呪いあうのではなく、祝福し合う関係で。
母と父の傍で笑っている自分を想像し――俺は”希望”で心を満たしていった。




