258:俺の夢は叶ったよ
靄が消えて、黒き神と呼ばれた古代兵器が姿を現す。
白い空間にて、確かな存在感を放つそれはピリピリと空気を振動させているのかと錯覚してしまうほどで。
目の前に鎮座するそれは、神と呼ばれるだけの存在感を放っていた。
呼吸をするだけでも恐れ多い。容易く殺されてしまうと思えるほどの圧。
圧倒的なまでの力を感じて、気を抜けば気を失いそうだった。
漆黒の機体に、文様のように浮かび上がっている銀色のライン。
武装らしきものは見えないのに、これに勝てるメリウスが想像できなかった。
白鳥のように美しく思えた白い機体とは違う。これは鴉のように冷たい死を連想させる。
全ての命に死を届ける鴉であり、並び立つ物はアレ以外に存在しない。
冷たく孤高の神は、誰一人として隣に立つ事を許さないだろう。
見る者を虜にするのが告死天使の乗ったオーバードであるとするのなら――これは全てを畏怖させる存在だ。
相手を恐怖させて、相手を否定する存在。
誰も寄せ付ける事無く、唯一の存在として恐れ敬われるであろう機体だ。
黄金のような美しさをもっていたあの白い機体とはまるで違う。
黒く塗りつぶされて全てを否定するそれは、美しさを感じるよりも恐怖を抱いてしまう。
拒絶し否定し、前に立つ者全てを消し去るモノ。
惚れるのではない。相手が裸足で逃げるくらいに……こいつは冷たく、威圧的だった。
その青いセンサーはジッと俺を見つめている。
資格を手にした俺を認めて、機体に乗せようとしていた。
傲慢で、冷徹で、恐ろしく……不器用な奴だと思った。
俺はくすりと笑う。
「……初めて会った気がしないな……お前を、昔から知っているような気さえする……お前も、そうなんだろう?」
《――》
黒いオーバードは何も言わない。
しかし、奴の心が自然と頭の中に投影された気がした。
映し出されたのは遥か昔の記憶で、奴の目の前に立っているのは浅黒い肌をした青年だった。
顔中が泥だらけで、元は白かった筈のローブは血で赤黒く変色していた。
顔は痣だらけであり、歯も少し欠けていた。
天上から光が差す建物の中で、彼は笑みを浮かべながら”イザナギ”を見ていた。
彼だ。彼が――オーバードの最初のパイロットだ。
青年の名は、”バシム”。
世界から否定されて、奴隷として永遠に働かされる事を生まれた瞬間に決められた子共だ。
食事をする事も遊ぶ事も自由には出来ない。
国により管理されて、死ぬまで他の人間たちに奉仕する事を義務付けられていた。
人々から石を投げつけられて、理不尽な理由で殺されたとしても彼の一族は文句を言う事も許されない。
糞尿を掛けられ、気が済むまで殴られて。手足を折られたとしても真面な医者には見てもらえない。
迫害され冷遇され、人間たちにあらゆる権利を奪われた哀れな一族。
そんな彼をイザナギは何時も見ていた。
どうして、これほどの扱いを受けているのに――バシムは笑っているのか。
生まれた時から大罪を背負って。
死ぬという権利さえ剥奪されたのに、彼は何時も笑っていた。
――バシムには夢があった。
何時か自分が王となり国を作ると。
今は何も出来ないちっぽけな存在でも、仲間たちに勇気を与えて纏める事は出来る。
一人では弱い人間であろうとも、十人百人と集まれば大きな力になる
そうして、自分のように非道な扱いを受ける人間たちを救い導きたいと。
だからこそ、こんな所でくじける訳にはいかない。
あんな奴らから冷遇されただけで、笑うという行為すらも奪わせはしないと。
イザナギは、この瞬間より決めていた。
バシムこそが相応しいと。
彼は王になれるだけの器を持っている。
神になれるだけの素質を持っていた。
だからこそ、イザナミが”純粋な悪”と手を結んだ時もバシムの願いを聞いた。
バシムは、彼らを助けたいと言った。
自らがひどい仕打ちを受けていて。
食事に唾を吐き捨てるような下等な人間達をバシムは助けたいと言った。
『関係ないッ! どんな悪い奴でも、死んだら悲しむ人はいるんだッ!』
――完璧だ。完璧な程に、彼の心は清らかだった。
大罪を背負いながらも、誰かを想う強い心を持っている。
イザナギはバシムを受け入れ、共に戦ってイザナミに勝つ事が出来た。
ギリギリの戦いで、自らも大きな負傷を負いながらも勝つ事が出来た。
バシムは残された力を使い、たった一人の友人に全てを託した。
ボロボロの体で荒れ果てた大地に膝をつける。
そうして、彼を彼だと認識して手を伸ばす友人に対して彼は願いを伝えた。
『カルド……これから先の未来で、神は必ず復活する……悪しき人間から、この世界を、守ってくれ』
『バシム……分かった。お前の想いは決して絶やさない。此処で誓うよ』
小柄で小太りな青年カルドは誓う。
”肉体を失った”バシムはゆっくりと頷いて過去へと向かう。
そうして、誰も搭乗していないオーバードを破壊できるだけの力が残されていない事を悟り封印した。
一つは深く暗い海の底へ。そしてもう一つは、人が入れない機械の墓場へ。
役目を終えたバシムは、最期の力を振り絞り、自らの剣を己に突き立てて静かに眠りについた。
多くの時間軸が存在して、無数の未来が存在している。
彼が改変した過去により、未来は修正された。
完全なる眠りについた彼の機体は長い年月により朽ち果てて消えた。
そうして、残された二つのオーバードは人が見る事も無く最初から封印されて、誰もが存在を知らぬままに太古の世界は終わりを迎えた。
魂は浄化されて、新たな未来で生まれた人間たちが国を作り……たった一人の魂が、全てを知っていた。
バシムのたった一人の友人カルド。
彼だけが全てを覚えた上で、行動を起こしていた。
知識を蓄えて、多くの先人から技術を学び。
自らがオーバードに関する事を記録として残して多くの布石を打っていた。
東洋で得た魔術を使い、彼は何度も何度も生まれ変わっては戦った。
少しずつ少しずつ、彼は多くの成果を残して財を成していった。
富を築き、人脈を築いて、彼はゴースト・ラインと呼ばれる事になる秘密組織を発展させていった。
何代も、何代も、何代も――彼は別人としてこの世に生まれる。
多くの仲間の最期を見届けて。
心の水が枯れ果てるまでに涙を流した。
足が止まりかけそうになった時はあった。
しかし、バシムの言葉を思い出して再び未来に進んでいった。
進んで、進んで、進んで――彼は自らの作り上げたシナリオの通りに歩いて行った。
全ては起こり得る未来を阻止する為で。
彼は”全ての過去”を見ながら、未来を予測して行動していた。
常に最良の一手を、常に最善の行動を。
――が、どれだけ計算しようとも最悪の未来を防ぐ事は出来ない。
どう足掻こうとも、最悪を引き起こす存在を消す事は出来なかった。
どれだけの手練れでも、どれだけの武装を持ってしても。
アレは殺す事が出来ず。生まれる事を阻む事すら出来ない。
全てのシミュレーションが終わりへと繋がり、彼は深く絶望していた。
このままでは彼の想いが無駄になる。このままでは、終末を止められない。
だからこそ、彼は最後の望みを一人の”青年”に託した。
人間じゃない、機械でも無い。
ひどく曖昧な存在で、生まれて来るであろうそれは頼りないだろう。
人としての常識は欠如して、戦闘以外のスキルを持たない男。
マザーからのメッセージを確認して、まだ生まれていないそれを見つけた。
この世と現実の間で浮かんでいるそれは、ひどく頼りない。
だが、その男は――バシムと同じ”光”を宿していた。
何度も何度も人生を送り、男が身に着けた技術。
命あるモノの魂の色を見る事が出来る彼は、生まれて来る男の魂に光を見出した。
間をさ迷う小さな光。大罪を背負ったそれをマザーは人としてこの地に呼び覚ました。
それが正しい。それが運命で――バシムという人間を”プログラム”したツバキの願いだった。
迷い、決断し、戸惑い、打ちひしがれて。
多くの困難が降り注ぎ心が砕けそうにもなった。
それでも進み続けて、彼はいまこの地に立っている。
全てはこの瞬間の為に。役目を果たし、案内を終えるその時まで――”私は”眠る事は出来ない。
「……そうか。貴方が……カルドさん」
「……懐かしい名ですね……えぇ、ひどく懐かしい……貴方の声でさん付けされるのは、少々むず痒いですがね。ふふ」
後ろに立つ老人。
しわがれた声からは優しさと少しの悲しさを感じた。
彼に目を向ければ、遠い目で過去に想いを馳せていた。
オーバードが俺に見せた記憶。それは途中から彼の記憶に変わっていて。
恐らくは、眠りについたオーバードの魂は彼の中にいたのかもしれない。
彼を通して多くの人間を見て、世界を旅して……途方も無い時間だろう。
何十年、何百年と。彼はたった一人の友人の想いを守り続けてきた。
例えそれが多くの人間を不幸にしたとしても……彼は最初から茨の道だと分かっていたんだろう。
理解する事は出来ない。受け入れる事も出来ない。
どんな理由があろうとも、ゴースト・ラインはマクラーゲンさんたちを殺した。
多くの罪の無い人間を殺した俺と同じだ。
恨んでいないかと聞かれれば恨んでいると答える……でも、彼の友への想いは否定できない。
固く何よりも強い友情は、何百年という長い年月でさえも壊させなかった。
色褪せる事無く、風化する事も無く彼の心の中で輝いていた。
それだけで、彼の想いは本物だと分かる。
それを否定する事は俺も、他の人間ですらも出来ない。
俺はゆっくりと彼から視線を逸らす。
そうして、俺をジッと見つめるイザナギへと一歩進んだ。
カルドは静かに、言葉を発した。
「……決断する時です、マサムネさん……呪いを受け入れ、先へ進みますか?」
彼は重い口調で尋ねて来る。
俺は静かに頷いて、また一歩イザナギへと進む。
「貴方は人になる事を望んでいた。その願いはこの世界でなら叶えられます。現実では冷たい金属でも、この世界では血の通った温かい肉の体が得られます……オーバードに乗ると言う事は、人の体を……貴方の願いを”捨てる”という事です」
「――!」
俺はぴくりと眉を動かす。
前へと進むとした足が止まってしまう。
それを後ろから見ているカルドは、ゆっくりと真実を告げた。
「人間を辞める事。全てのしがらみから解放された”化け物”になる”呪い”……本当に、オーバードに乗りますか」
「……」
彼の言葉は、とても重いものだった。
重く、重く。俺の足を止めるほどに心に響いた。
俺は現実世界で生きていた時から人間になる事が夢だった。
ツバキたちのように柔らかい手で多くの命に触れたかった。
柔らかい毛並みの動物、つるつるとした肌の魚。
さらさらとした手触りの植物。冷たく綺麗な雪……知識だけで知っているそれらを感じたかった。
雪の冷たさを感じて、ツバキが得意としていたスープの温かさを知って。
赤ちゃんの小さく強い心臓の鼓動を聞いて、四季の移ろいを肌で感じて。
海や川の流れを感じて、雨の降った後の匂いを嗅ぎたくて……。
――その願いは、この”世界でなら”叶えられる。
まだ、俺は全てを知らない。
まだ見ぬ出会いがあり、多くの事を経験したかった。
この世界でなら、俺は紛う事なき人間で。
この手があれば、多くの命と触れ合う事が出来る。
今まで感じる事も経験する事も出来なかった未知と出会える。
見て、感じて、共感して、味わって、体験して――俺は、笑う。
夢は大きい。
何時まで経っても色あせる事なんて無いほどに美しいものだ。
俺は、本物の人間に憧れた。
彼らのような気高い存在になりたいと心の底から願っていた。
例え叶う事が無いと分かっていても、俺は夢を追い続けて――彼女が夢の果てに、俺を連れて行ってくれた。
凍えるような寒さの中で、彼女の掌の温もりを覚えている。
何時もキラキラと宝石のように輝く青い瞳で俺を真っすぐに見つめて。
彼女は世界で一番美しい笑みを俺に見せながら――こう言った。
『お前は、本物の人間だ。私がお前を認めてやる――胸を張って、生きろ。マサムネ』
俺は、笑った。
彼女の言葉が、俺に再び進む為の力を与えてくれる。
もう迷わない。もう止まらない。
「俺の夢は――もう、叶いましたよ」
一歩、大きく進む。
そうして、ゆっくりとイザナギを見上げた。
イザナギはセンサーを強く発光させて俺を迎え入れる。
体がパラパラと光の粒子になっていき、イザナギへと吸い込まれていく。
俺はそれを拒むことなく受け入れていった。
「……やはり、貴方はバシムと同じだ……貴方ならきっと良き未来を創れるでしょう。私は信じています」
カルドの声を聞きながら、ゆっくりと目を閉じる。
そうして、体の重みが消えていき羽のように軽くなっていく中で。
胸のペンダントが揺れて音が鳴る。
俺は静かに胸に手を当てて、彼女たちを優しく撫でた。
「大丈夫……一緒に行きましょう」
彼女たちは傍にいる。
置いていく事はしない。
ずっと一緒で――共に戦おう。
さらさらと体が消えていって。
俺はイザナギと一体化した。
手足のように機体を動かせる。
いや、機体そのものが俺の体になっていた。
視線をカルドに向ける。すると、彼の体も砂のように消えていっていた。
俺は彼の身を心配した。
すると、彼はそれに気が付いてゆっくりと首を左右に振る。
「――」
彼の最期の言葉。
それを聞き届けて、俺は静かに頷く。
そうして、スラスターをばさりと展開した。
心地良い白いエネルギーの粒子がぱらぱらと舞って。
最期まで優しい笑みを浮かべながら――カルドは消えていった。
《……イザナミを止める。力を貸してくれ、イザナギ》
《――》
彼の鼓動を感じながら、俺は勢いよく飛び立った。
凄まじい速度で飛行しながら、俺はこの世界の境界を超えようとした。
限界まで――いや、限界何て無い。
何処までも羽ばたけると思えるほどの力。
それを感じながら、俺は更に機体を加速させて上へと進んでいった。
真っ白な筈の空間で、無数の光が輝いて勢いよく後ろへと流れていく。
線香花火のように弾ける小さな光が、その輝きを増していって。
無数の光が線となって、俺の目に星の大群が降り注いでいくような光景を見せてくれた。
俺は笑みを浮かべながら、星の先へと飛んでいく。
何処までも、何処までも――羽ばたいていって見せるさ。




