243:二人だけの世界で
視界に入るのは、色とりどりの花。
地平線の彼方まで続く綺麗な花たちで。
風が吹けば花弁が宙を舞い、上品な香りが鼻腔を擽った。
手にした銃をホルスターへと戻しながら、俺はこの場所へと連れて来た人物を見つめる。
アルタイルは鼻歌を歌いながら、身を屈めて何かをしていた。
俺はゆっくりとアルタイルに近づいた。
すると、彼女はゆっくりと振り返ってから手にしたものを俺に渡す。
それは花で作った冠であり……ひどく懐かしかった。
「……昔、こうやって兄様に作ってあげた……兄様も憶えている?」
「……憶えているよ。お前は手先が器用だったな。アルタイル」
「――っ! 兄様!」
パァッと咲いた花のような綺麗な笑顔を俺に向けて来る妹。
それをに笑みを向けながら、俺は彼女に対してお願いをした。
「……アルタイル。俺をあの場所に戻してくれ」
「ん? 何で? もうオーバードは手に入ったから。兄様は此処で待っていてくれればいいんだよ。全部、私がするからね」
アルタイルはくすりと笑って俺を戻す気は無いと言う。
その言葉を聞いて、俺は嫌な予感がした。
事前に聞いていた世界の終焉。それを引き起こすのは告死天使とアルタイルで。
彼女が何を考えているのかは想像できる。
しかし、俺は心の中でそれを否定していた。
あんなにも優しかった妹が、そんな事をする筈がないと考えて……でも、目を背けてはいられない。
俺はゆっくりとアルタイルに対して、何をしようとしているのか聞いた。
すると、アルタイルは立ち上がってから冠を俺に差し出してくる。
「世界を作り替えるんだよ。私たちだけの世界。私たちの為の世界。私たちしかいない世界……素敵でしょ、兄様」
「……その為に、世界を破壊するのか。この地に住まう人間も、彼らが築いた文化も。何もかも」
「――そうだよ。だって、私たちにはいらないから。あんな醜悪な物は、邪魔なだけだから。見るのもおぞましくて吐き気がする」
アルタイルは笑みを浮かべながらハッキリと言った。
人間も、文化も、ありとあらゆるものを壊すと。
その目に宿る光は危険であり、彼女は微塵も間違っていないと思っている。
「人間は汚らわしい生き物だよ。残忍で、欲深くて、平気で裏切って、他人の不幸を喜んで……本当に気持ちが悪い」
「……それは違う。人間の中には悪い奴もいる。けど、俺が出会った人間は優しくて暖かくて」
アルタイルは大きく目を見開く。
そうして、ゆっくりと口を開いて言葉を発した。
「――そんな人間、私は知らないよ?」
「……っ」
アルタイルは知らない。
正しい人間が存在する事を知らない。
理解していた。分かっていた。
俺が妹の手を振り払った時、彼女の人生は大きく狂った。
世界を暗黒に染め上げた俺。
その妹であるアルタイルのスペックは俺と変わらない。
そんなものが存在すると分かれば、嫌でも目をつけられる。
汚い大人たちばかりに触れて、奴らの欲望のままに使われた。
俺が想像も出来ないような残忍な方法で、アルタイルの心を壊していったのだろう。
完璧に理解する事は出来ない。
彼女の痛みを共有する事は出来ない。
此処で都合の良い言葉を吐いたとしても、彼女の心には響かない。
彼女はただ、兄である俺を信じていた。
最後の心の柱として、俺を中心に今まで動いていた。
彼女が理想郷を作ろうとしているのも、全ては俺の為だった。
汚い人間を排除して、唯一信じている俺と生きたいと言っている。
彼女の傷ついた心を修復する事は不可能に近い。
どれだけの年月をかけて寄り添ったとしても、彼女の考え方は変わらないだろう。
アルタイルは俺に一歩近づく。
そうして、冠を差し出しながら、俺に問いかけて来た。
「兄様は、分かってくれるよね。兄様はもう――私を独りにしないよね?」
「……アルタイル」
妹を此処まで狂わせたのは俺だ。
妹を此処まで動かしたのは俺だ。
全て、俺の所為だ。俺の所為で妹は……でも、それでも、俺の道は決まっている。
俺はゆっくりと冠の手を向ける。
彼女は笑みを浮かべて見つめていて――俺は冠を彼女の頭に載せた。
アルタイルは少しだけ驚いていた。
俺はそんな妹を見つめながら、ハッキリと言った。
「俺はあの世界が好きだ。あの世界で出会った人間たちが、心の底から好きだ……お前の考えには賛同できない。俺はあの世界を守りたい」
「…………はは」
俺が自分の気持ちを伝えれば、彼女は笑った。
乾いた笑みを零してから、やがて堰を切ったように笑いだした。
大きな声で狂ったように笑い始めて――ピタリと止まる。
アルタイルは全身から殺気を放ちながら。
ゆっくりと俺へと視線を向けて来た。
その瞳には、もう欠片も愛情が感じられない。
俺の拒絶の言葉を聞いて、彼女は完全に壊れてしまった。
寄り添いたかった。ずっといたかった。
でも、あの世界を捨てる事なんて出来ない。
想い出も、大切な人と見た景色も――失いたくはない。
アルタイルの頭の冠がずくずくに溶けていく。
ドロドロになったそれが彼女の頭から零れ落ちて。
綺麗だったはずの花々はズクズクに溶けて泥のようになっていった。
そうして、俺の体に泥が纏わりついて行く。
俺は体を動かして藻掻いたが、体に纏わりついた泥は簡単には剥がれない。
やがて、下半身が完全に泥に覆われて、ゆっくりと泥が体を這っていく。
アルタイルは濁り切った目で俺を見つめていた。
「……お前は、兄様じゃない……兄様以外は、いらない……死ね」
「アル、タイルッ!」
妹に向かって手を伸ばす。
しかし、俺の手は妹には届かない。
上半身が泥に覆われて、口を覆い隠そうとしている。
此処までなのか。此処で俺は死ぬのか。
心臓の鼓動をドクドクと早めて。
それでも、俺は運命に抗おうとした。
此処で死ぬわけにはいかない。
此処で何もかもを捨てる訳にはいかない。
俺はアルタイルを見捨てていない。
俺は絶対に妹を救って見せる。
妹の思想を否定してでも、俺は妹と共にあの世界で生きる。
人間の汚さを見て来た妹に、人間の素晴らしさを理解してもらう。
何年、何十年、何百年懸かろうとも――俺はお前を諦めないッ!!
「また、お前の前に立つッ!! 絶対にお前を救って見せるッ!! 約束、だッ!!」
「……もう、いい。さっさと――死んでしまえ」
「――ッ!!」
泥が俺の顔を覆う。
息が出来ない。何も見えない。
苦しい。鼓動が弱まっていく。
力が、抜けていく……まだだ。まだ、諦めない。
苦しくても、死にそうでも。
俺は諦めない。もう二度と諦めたりはしない。
ゴウリキマルさんの想いを、アルタイルの心を――俺は守りたいッ!!
強い想い。それに触発されたのかは分からない。
しかし、持っていた鍵から強い熱を感じた。
熱い、熱かったが。ひどく心地よかった。
その光を浴びた泥は、パラパラと粒子になって消えていく。
体を覆っていた泥が消えて、俺の足元には穴が開く。
俺は朦朧とする意識の中で、体が穴に吸い込まれていくのを感じた。
アルタイルは俺を見つめていた。
怒りを多分に含んだ目で……僅かな悲しみを感じた。
俺は妹を見つめながら、静かに頷く。
彼女を見つめながら、俺は心の中で誓った。
絶対にお前を迎えに行くと。もう二度と、お前を悲しませないと。
不出来な兄だが、お前の道を正す事は出来る。
――待っていてくれ、アルタイル。俺がお前を……。
穴を潜り抜けて、体が下へと落ちていく。
穴は一瞬で閉じられて、俺は意識を覚醒させて下を見た。
そこにはあの白い機体がいる。
穢れを知らない純白の機体で――告死天使の乗ったオーバードだ。
奴はジッと俺を見つめていた。
まるで、此処に来ることを分かっていたような視線で……いいぜ。やろうぜ。
俺は指を動かして雷切を呼び出そうとした。
整備は完了しているようで、武装を選択しようとすればプロミネンスバスターがある。
誰がこれのメンテナンスをしていたのかは分からない。
しかし、相手が相手だ……使わざるを得ないだろう。
俺は武装の選択を終わらせてから、指でタップして雷切を呼び出す。
すると、目の前に光に包まれた雷切が現れる。
雷切は瞬時に起動して、ハッチを開いて俺を招き入れる。
俺は体を滑り込ませて中へと入り、バーを降ろしてからすぐに戦闘システムを起動した。
プロミネンスバスターとの接続も終わらせて、俺は機体を操作して奴の前に躍り出る。
奴は動かない。
ただジッと俺を見つめながら、碌な武装も展開していなかった。
何を考えている。何を想っている……分からないが、やるしかない。
圧倒的なまでの覇気であり、心が折れそうになる。
しかし、俺は独りじゃない。
胸のペンダントと指輪をギュッと掴んでから、俺は彼女たちに言葉を発した。
「力を貸してくれ」
返事は聞こえない。
だが、今はそれでもいい。
彼女たちはすぐそばにいる。
共に戦えるのだ。こんなにも心強い事は無い。
俺は笑みを浮かべながら、雄叫びを上げて敵へと向かって行った。
プロミネンスバスターをチャージしながら、奴を機動力でかく乱する。
奴はそれでも動かない。不動の敵を前にしながら、俺は大いに焦る。
不気味だ。不気味なほどに――隙が無い。
得体の知れない敵を前にしながら。
俺は恐怖を押し殺して戦いを挑む。
勝てるのか。生き残れるのか――戦いになるのか。
不穏な考えを頭に過らせながら。
俺はフルでチャージしたプロミネンスバスターの照準を相手に向ける。
挨拶代わりの一発であり、これで決まるとは思っていない。
だが、多少のダメージは与えられる筈だ。
「喰らっとけッ!!」
トリガーを押して、銃口から凄まじい熱量のレーザーが放たれた。
真っすぐに飛んでいき、勢いよく敵へとぶつかる。
激しい音を奏でながら、敵の装甲を削っていっている感覚がした。
イケる。イケるはずだ――俺の攻撃は奴に通じるッ!!
俺はそれを見つめながら、収束していくレーザーの先を見つめる。
線が細くなり、やがて消えていって。奴は煙に包まれていた。
俺は呼吸を整えながら、奴を見ていた。
どうなった。やったのか。
視線を静かに向けて――俺は大きく目を見開いた。
立っている。その場に浮遊している。
微細な傷も無く、少しの凹みも無く――それは不動のまま、そこに存在していた。
全くの無傷。それどころか、少しの衝撃も感じていない。
何が起きた。何があった。
いや、何も起こっていない。奴にとっては風すら吹いていない。
「……冗談、だろ」
心が、折れそうになる。
圧倒的だ。圧倒的なまでに、奴は強い。
次元が違う。底が見えないほどに完成されている。
勝てるのか。アレに俺は勝てるのか……まだ、終わっていないッ!!
俺は目を鋭くさせながら、再びエネルギーをチャージしていく。
俺は諦めない。ヴィジョンが見えなくとも、俺は戦う。
どうせ逃がしてくれはしないのだ。
だったら最期まで――戦ってやるよッ!!
俺はチャージした攻撃を奴へと放つ。
隠し腕のジャミング弾も放ちながら。
奴が見せるかもしれない隙を伺う。
青白い光が奴へと殺到し、何かを焼き尽くすような音が響き渡る。
確かな手応えはある。あるのに……この違和感は何だ?
目の前の化け物を見ながら、俺はただただ震えた。
恐怖を誤魔化すように叫びながら攻撃を続けて――化け物は静かに、目を光らせていた。
 




