225:囚われの姫(side:ゴウリキマル)
意識が、ゆっくりと覚醒していく。
強い光が頭上から差していて、ひどく眩しかった。
最初に感覚が戻ってきたのは嗅覚で。
鼻を鳴らせば嗅ぎなれた臭いがしてきた。
オイルの臭いだったり、鉄のような臭いがする。
聴覚も段々と戻って来て、何かを弄る音が聞こえて来た。
ガチャガチャと音がしていて……誰だ?
ゆっくりと頭を動かして、横を向いた。
霞む視界の中で何がが動いているのが見える。
体を動かそうとするが、手に何かを嵌められて動けない。
頭がズキズキと痛むが、何かで頭を打ったのか?
「こ、こは?」
動いている人間が手を止めた。
そうして、此方に視線を向けて来る。
コツコツと靴を鳴らしながら近づいて来たそれがライトを背にして私の横に立つ。
体を揺らす度にガチャガチャと音が鳴る。
冷たい鉄枷を嵌められて、私は硬い台の上に寝かされていた。
ライトを背にしてそいつは私の顔を覗き込む。
その時に霞んでいた視界がハッキリとして――私は大きく目を見開いた。
「告死、天使ッ!」
「……」
奴の名前を呼ぶ。
しかし、奴は私の言葉に動じる事も無く私を見つめていた。
不気味なマスク越しに奴の視線を感じる。
敵意や殺意は無く、純粋に私の事を観察していた。
その視線を受けながら、私は必死に拘束を抜け出そうとした。
すると、別の人間の声が聞こえて来た。
「無駄だ。お前じゃそれは破れない」
「……お前、は」
「関係ないだろ? 俺とお前は敵だ」
壁に背を預けていた男が足音を鳴らして近づいてくる。
近くに立った男の顔を私は見た。
青みかかった髪を後ろへと流して、黒縁の眼鏡を掛けた青い瞳の男だ。
細めた目を私へと向けながら、背の高い男は私を見下ろしていた。
こいつも告死天使の仲間であり、顔は見たことは無いがかなりの手練れだろう。
何故、奴らが此処にいるのか。
何故、私はこいつらに捕まってしまったのか。
それはすぐに思い出した。
あの壊れかけのロボットを見て、マサムネの様子がおかしくなった。
そうして、サイトウの指示を受けて距離を取って。
そうして、あのロボットが爆発して私は爆風で吹き飛ばされた。
飛んできた残骸の一部が頭に当たって意識が朦朧として。
最後に見た光景は、空から深紅の機体が降りてきて私に視線を向けるところだった。
あのロボットは何だ。
いや、記憶の中には確かに存在していた。
アレはアルバムの中で見た大蔵研究所のロボットで。
あのロボットはマサムネを見ながら、確かに――”兄”だと言っていた。
何故、人間であるマサムネを兄だと認識したのか。
何故、マサムネはあのロボットを見て動揺していたのか。
いや、分かっている。
此処までの情報があって、マサムネがアルバムを見て意識を失ったのだ。
あり得ない事だと思ったが、それ以外に考えられない。
私は心の何処かで薄々は気づいていた。
しかし、それを聞く事を恐れていた。
戸惑うなと言う方が無理だろう。
理解しても、簡単にそれを受け入れる事は出来なかった。
聞くことが怖くて、事実であった時にどんな顔をすればいいのか考えた。
だけど、そんな事はどうでもいい。
アイツにどんな過去があったとしても。
アイツが人間じゃなかったとしても関係ない。
私の中で答えは出ている。
……けど、今はそんな事を考えている余裕は無いな。
状況は理解した。
今、私が置かれている状況はとてもまずい。
逃げる事も出来ず。帰る事も出来ない。
こいつらの目的はオーバードの封印を解く為の鍵だろう。
幸いな事に、鍵はマサムネが持っている。
私に何をしようとも、こいつらが鍵を奪う事は出来ない。
オーバードは破壊されて、こいつらやゴースト・ラインも勝手に消えていく。
私は強気な姿勢で鼻を鳴らす。
そうして、にやりと笑って言葉を発した。
「残念だけど、鍵は此処には無いぜ? 今頃はマサムネがオーバードを破壊している頃だろうさ。お前らの計画は、ぜーんぶパーってこった。はは」
「……良い事を教えてやる。オーバードは既存の兵器では”破壊できない”」
「……何?」
既存の兵器では破壊できないとは何だ。
どんな兵器であっても無敵である筈がない。
頑強な装甲をしていたとしてもダメージが蓄積すれば破壊される。
特別製の鋼材を使って作られたものであっても、何十年も経てば劣化する。
それなのに、眼鏡の男は破壊できないと言った。
態々、既存の兵器と言ったという事は……そういう事か。
オーバードは破壊できない。
可能性があるとすれば、"同じ兵器"を使った場合だろう。
つまり、オーバードはオーバードでしか破壊できないという事か……ふざけていやがる。
規格外の力とは認識していた。
しかし、真面に破壊する事も出来ないのか。
恐ろしいほどの物であり、絶対にこいつらには渡してはいけない。
私は今から何をされるのか。
鍵の居場所を吐かせる為に拷問をさせられるのか。
何か器具を弄っていたように見えたが……上等だ。
怖いと言えば怖い。
何をされるのかも分からない状況だ。
手足は拘束されて身動き一つ出来ない。
そんな中で、こいつらが私に痛みだけを与えて来ると想像すれば……震えちまうな。
隠そうとしても恐怖で体が震える。
私は必死に笑みを浮かべて虚勢を張った。
そんな私を見ながら、眼鏡の男は軽く息を吐いた。
「……今は何もしない。鍵は、手に入るからな」
「……は? そんな訳――ッ!」
何かが落ちる音がした。
金属の音であり、眼鏡の男は拳銃を抜いて構える。
しかし、告死天使は男に拳銃を降ろさせた。
そうして、奴はコツコツと靴の音を鳴らして歩いて行った。
視界から消えて、奴がその場にしゃがんだ。
立ち上がった奴の手を見て――私は再び驚いた。
「何で、それが……?」
「……なるほど。これだったか……上手く、偽装させたな」
私の”スパナ”を、アイツは持っていた。
しかし、それは機械たちの墓場にある筈で。
机の上に置いてきた筈のそれが、何故か、奴の手に握られていた。
いや、そもそも、奴は何故アレを持って嬉しそうにしている?
ふと思い出したのは、マサムネが言っていた言葉。
スパナが光っているように見えたとアイツは言っていた。
最初はただの勘違いだと思っていた。
でも、スパナが何処からともなく表れて、奴はそれを手に取ってこれだと言った。
やばい。やばいやばいやばい――危険だ。
私は必死になって体を藻掻いた。
ガチャガチャと手枷の音が鳴り響いて。
眼鏡の男は眉を顰めていた。
しかし、そんなのは無視して私は拘束を抜け出そうとした。
無駄だとは分かっている。分かっているが、アレを奴の物にさせてはいけない。
――でも、私の努力は報われなかった。
告死天使はゆっくりとスパナに力を込める。
すると、頑丈な筈のスパナに亀裂が走る。
バキバキと音を立てながら、私の愛用のスパナが破壊されそうになって。
私は必死に奴にやめるように叫んだ。
しかし、奴が私の声に応える筈も無く――スパナが砕け散った。
パラパラと粒子が舞い。
奴はゆっくりと手を広げた。
すると、スパナが形を変えて真っ白で赤いラインが入った鍵が現れる。
奴はそれを見てくつくつと笑う。
やはり、私のスパナが鍵だった。
奴はそれを手に入れて笑っている。
不気味な笑いであり、私は心が凍えるような恐怖を感じた。
「……遂に、我が手に……これで、願いが果たされる」
「……次に進めるのか?」
「あぁ、”天霊地”にある”箱舟”に乗り込む……任務が果たされれば、お前も自由だ」
「……それならいい。金は使えなくなるが……楽園での生活も悪くない」
天霊地、箱舟……何を企んでいる?
天霊地は知っている。
遥か昔に、大国同士の戦争で使用された第一世代のメリウスが眠る場所。
廃棄され、使用できなくなったメリウスたちが投棄される場所でもある。
歴代の傭兵たちが、役目を終えたメリウスを眠らせる場所としても有名だ。
怨霊が住み着いている呪われた地でもあり、その怨霊の嘆きや苦しみを和らげる為に。
天高く聳え立つ白銀の塔が建てられていたと思う。
誰の管轄でも無い不可侵の領域で、あそこには隣接する海岸があった筈だ。
船に乗ると言う事は、何処かを目指しているのか。
確か、マサムネはオーバードは海底神殿にもあると言っていた。
つまり、箱舟と奴らが呼んでいるものに乗り込んで、そのまま海底神殿を目指すつもりか。
鍵を手にした今、猶予はあまり残されていない。
マサムネの事だから、私を助ける為に追いかけて来るだろう。
しかし、今、私が何処にいるのかも分からない状況だ。
端末さえあれば、私の居場所も分かった筈なのに……私物は全部、置いてきてしまった。
「……鍵を手にしたなら。私をどうするつもりだ」
奴らに私は問いを投げた。
鍵を手にした今、私はもう用済みだろう。
今は何もしないと言ったが、何かをさせるつもりなのは確かだ。
殺すのか、拷問をするのか……まさか、神薬を使うのか?
次々と嫌な未来が浮かんでくる。
私は歯を強く食いしばって恐怖に耐えた。
必死になって体の震えを誤魔化しながら、私は告死天使を睨む。
すると、奴はゆっくりと腰から何かを抜く。
眼前に掲げたのは黒い拳銃で。
奴はそれをスライドさせてから、ゆっくりと私の眉間に向けて来た。
「……死ぬのは怖いか。生きたいのなら、質問に答えろ」
「……お前、昔は私に興味無かった癖に……発情期か?」
私が揶揄うように発言すれば――銃声が響く。
撃ち込まれた弾丸は、私の頭の横に命中した。
耳がキーンと鳴って、奴の銃口からは煙が出ていた。
それでも、私は笑みを絶やす事なく奴を見ていた。
目を逸らしてはいけない。此処で恐怖に屈してはいけない。
マサムネや仲間たちを守る為にも、私は奴の脅しに負けはしない。
互いに黙ったまま、睨みあう。
奴は何かを悟ったようで、ゆっくりと拳銃を下ろした。
そうして、奴は私に一つだけ質問をした。
「……お前は、あの男を愛しているのか」
「……当然だろ。世界で一番、愛しているよ」
「……世界を混沌に染め上げた大罪人。人でも無い化け物であってもか?」
「――関係ない。マサムネはマサムネだ」
私は奴の質問に対してハッキリと答えた。
誰に聞かれたとしても、私の答えは変わらない。
どんなに脅されて、命が掛っている質問であったとしても。
私は今と同じようにハッキリと答えるだろう。
それほどまでに、私はアイツを信じている。
アイツと同じ世界で生きる事を望んで、私はアイツを追いかけた。
この答えで死んだとしても――悔いはない。
私が自分の答えを言えば、奴はゆっくりと息を吐く。
重く、辛そうな吐息であり、奴は首を左右に振る。
そうして、ぼそりと言葉を発した。
「……理解、出来ない」
そう言って、奴は去っていく。
扉を開けて部屋から出ていった告死天使。
残ったのは眼鏡の男だけで。
奴はその手にホースがついたマスクを持っていた。
「……所詮は機械だ。心は分からないか……悪いが、眠ってもらうぞ」
「おい、ちょっとま――……っ」
マスクを強制的に嵌められて、何かのガスを注入される。
一呼吸しただけで意識が微睡んで。
二呼吸すれば意識が闇へと沈んでいく。
私は心の中で、マサムネたちの無事を祈りながら。
成すがままに、意識を闇の中へと沈めさせられていった。




