221:貴方だけを想って(side:アルタイル→告死天使)
兄様は、ようやく全てを思い出してくれた。
あの日、私を置いていった兄様。
あの日から、私の人生は一変した。
醜い人間たちに連れていかれて、汚い言葉を浴びせられて。
殴打されて、手足をもぎ取られて、電流を浴びせられて。
蹴られて転がされて、痛みを味あわされて、屈辱を体験させられて。
何度も何度も何度も何度も……心も体も破壊された。
壊して直して、壊して直して、壊して壊して壊して直して壊して壊して――でも、もうどうでもいい。
兄様がこの世界にいる。
兄様は私を思い出してくれた。
兄様がいれば、他には何もいらない。
私たちを裏切った大人たちも。
私たちを見捨てたツバキも、何もいらない。
兄様だけでいい。兄様さえいればもう何もいらない。
だから、だからだから――早く、戻ってきて欲しい。
この世界で存在して良いのは私と兄様だけ。
他のゴミは存在してはいけない。
この世界をゴミ共から奪い取って、この世界から汚物共を消し去る。
あんなものは邪魔だけだ。
視界に入れるだけでも吐き気がする。
不快感しか感じない劣等種で、今すぐにもぐちゃぐちゃに潰してやりたい。
でも、今は我慢する。
だってそうでしょ?
此処にはまだ兄様が来ていない。
早く、兄様をお呼びしなければいけない。
穢れの無い世界で、兄様の為だけにお茶やお菓子を作る。
これから全ての事は、私がやってあげる。
どんな事だって兄様が望むのなら、私は何でもしてあげる。
死ねと言うのなら、喜んで命も捧げられる。
それだけ私は兄様を愛していて、兄様だけを想っていた。
何年何十年も、兄様の事だけを考えて生きて来た。
どうすれば、この世界を私たち二人だけの世界に出来るかと考えた。
その結果、あのマザーが生み出した”玩具”を見つけた。
オーバード何て名前で、気に入らないとは思う。
でも、その兵器の力に関しては認めている。
願望を叶える魔法の如き力で、大地を創造し命をも作る事が出来る。
それはつまり、この世から人間たちを――全て駆逐する事も出来るのだ。
罪に染まった魂を一掃し、穢れ無き楽園を創造できる。
この世界で不純物は存在してはいけない。
兄様がこの世の神と成り、私が兄様の傍で兄様を支える――あぁ、素敵。
夢のような世界。
今まで味わった屈辱も、殺意を覚えるような記憶も。
この大願を成せばこそ、報われるだろう。
あぁ、恋しい。
兄様を想うだけで、胸がはち切れそうだった。
早く会いたい。会って昔のように抱きしめて欲しい。
以前とは違って、私と兄様には人の体がある。
きっとあの腕で抱きしめられれば、私の心も温まるだろう。
冷え切った氷のように冷たいこの心も、熱を感じる事が出来る筈だ。
会いたい。会いたい。
会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。
会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい――はぁ。
奴が帰って来た。
成果を持ち帰る事が出来なかった”出来損ない”が帰って来た。
気味の悪い子が帰って来て、私の心はより一層凍える。
ゆっくりと振り帰って見れば、マスクをつけた子が立っていた。
――褒めて欲しいの? 撫でて欲しいの?
無感情で、不愛想で、不細工なそれを見つめる。
子は何も言わない。ただ黙って私の命令を待っていた。
自分が作り出したものとはいえ、此処まで神経を逆なでするような存在を作り出した覚えはない。
どうして、アレだけの素材でこんな出来損ないが生まれるのか。
理解に苦しむ現象であり、深く考えたくも無い事だった。
私は奴への興味を失くした。
そうして、ゆっくりと指を庭へと向けた。
そこには一つの朽ち果てる寸前のロボットが立っていた。
現実世界での私の姿を模した機械体。
記憶もほんの少しだけ分け与えている。
その機械体には、ある”特別な処置”を施していた。
今からこの機械体を――潰す。
「あぁ兄様……喜んでくれるかなぁ?」
兄様の為に用意したサプライズだ。
入念に準備をしたサプライズであり、きっと兄様も喜んでくれる筈だ。
私は頬に熱を宿しながら、破顔した顔に手を添えて笑う。
兄様の為に、兄様の為に……私が邪魔な女を始末する。
鍵を持っている可能性があるからと生かしていた。
しかし、これ以上兄様の心を弄ぶなら生かしておく理由も無い。
鍵は奪う。そして、鍵を持っていないアイツはいらない。
殺してやる。殺して、苦しめて、絶望して――死んで行け。
私はくつくつと笑う。
兄様の傍にいるのは私一人で良い。
他の女はいらない。他の人間も必要ない。
私と兄様が理想郷で、新たな世界を作る。
人が介入する事が出来なくなった世界で、私たちは生きるのだ。
それはとっても素敵な事で、きっと兄様も喜んでくれる。
「……兄様、兄様……早く、会いたいなぁ」
「……ふっ」
出来損ないが笑った。
しかし、その笑いは聞かなかった事にする。
今はとても気分がいい。
ようやく準備してきた全てが起こせる。
私の願いが叶って、この世界を二人だけのものに出来るのだ。
楽しい、楽しい、楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい――楽しい!!
「ふ、ふふふ、あはははははははは!!」
大きな声で笑い声を上げた。
久方ぶりに心から笑える日が来た。
その記念すべき日を記憶に刻みながら、私は指を振るう。
すると、機械体の体がべこりと歪む。
「に、い……ま……――」
空き缶でも潰すように私のコピーが潰された。
ぐしゃりと潰れたそれが、さらさらと砂のように溶けていく。
そうして、何処かへ向けて流れていった。
その残骸を見る事無く、私は大きく欠伸をした。
少し疲れた。準備を進める事に夢中になって力を使い過ぎた。
私は出来損ないに視線を向ける。
そうして、念波にて次の任務を言い渡した。
出来損ないは静かに頷いてから去っていく。
私はそんな奴を眺めて、消えていったことを確認してから足を動かす。
「もうすぐ、もうすぐです……待っていて、兄様ぁ」
愛しい人を思い浮かべながら、私は空間を裂いて別の空間に飛ぶ。
恋焦がれる私の気持ちを受け止められるのは――兄様ただ一人だけだ。
〇〇〇
不可侵領域から出て、輸送機の中に置いた機体に乗り込む。
メンテナンスは完了していて、控えていた機械体は機体から離れていった。
俺は通信を繋いで、ゼロ・ツーを呼んだ。
明かりが灯って、ディスプレイに奴の顔が表示された。
奴は眠っていたのか微睡んだ表情をしている……まぁいい。
「……座標が示された。ポイントに移動する」
《……俺は何を?》
「待機していろ。俺一人で十分だ」
《……了解》
通信を切断して、俺は機体のシートに体を預けた。
人が乗る事を想定していない硬いだけのシートで。
何も感じる事の無い体で、俺は静かに自分の手を見つめた。
人間のように五本の指が生えている。
熱も多少は感じる事が出来るだろう。
だが、この体では――痛みを感じる事が出来ない。
自分の痛みも、他者の痛みも分からない。
痛みに関する事を、俺は何一つ理解できない。
理解するための努力はした。
解体し拷問し、痛めつけて恐怖心を煽り。
痛みというものを理解しようとした。
しかし、俺は今でも理解できていない。
何故、人は痛みを感じれば絶叫を上げるのか。
何故、人は苦しみを感じ続ければ死を懇願するのか。
何故、何故、何故、何故――が、それも理解できる日が来る。
オーバードは全ての願望を叶える事が出来る。
それは遥か昔から現在に至るまでの知識を得る事も可能という事だ。
知識さえあれば、俺であっても痛みを理解する事が出来る。
痛みさえ分かれば、この身も人に近づく事が出来るであろう。
親からの蔑むような視線。
哀れむような視線にも慣れた。
アレは最初から俺には期待していない。
ただ道具のように俺を使い潰す気だろう。
だが、それでいい。
俺は最期まで、子としての責務を果たす。
そして、死ぬ間際に己というものを理解するだろう。
人は死ぬ時に悟りを開くという。
欲望も、恐怖も捨て去って、全てを乗り越えた先に悟りはある。
俺も、オーバードを手にすればその境地に至れる。
全ての知識を手に入れて、全ての力を奪い取り。
己が神と成る時に、俺は全てを理解できるようになるだろう。
楽しみだ。素敵だ――操縦レバーを握る。
ガチャガチャと動かして、戦闘を想定して動かす。
ゆっくり、ゆっくりと己のイメージを体現していく。
敵がこう動けば、こう動かして、攻撃をしてくればこうして……戦いが、今の俺の生きる場所だ。
出来損ないの自分が、最も活躍できる場所は戦地で。
親からの微かな期待を達成できるのは、血潮が舞う戦場だ。
殺して、奪って、殺して殺して奪って殺して――何時もの事だ。
なんて事は無い。赤子の手を捻るようなものだ。
何時ものように殺せばいいだけだ……が、今回は少し違う。
あの男を殺してはならない。
あの男を生かしておかなければならない。
兄様だから、愛する者だから……理解に苦しむ。
愛とは何だ。
血を分けた存在が何だ。
知らない。そんなものは知らない。
「……殺すだけだ。親の命令は絶対……だが、生かしておけば計画に支障が出る」
初めての感情だ。
どす黒い感情が渦を巻いているようで。
知らない感情への考察を無視しながら、俺は初めて親の命令を逆らう事を決めた。
理想郷には紛いモノは存在してはいけない。
アレは紛いモノだ。何者にも成れない、俺と同じ出来損ないだ。
もしも親が兄を求めるのであれば、作り出せばいい。
オーバードの力があれば、死んだ兄を蘇らせる事も可能だろう。
アレは存在してはいけない。
アレは理想郷には不要だ。
俺がこの手で、消し去らなければいけない。
奴を殺す事が出来る”武器”を俺は持っている。
”バックアップ”も機能出来なくなる武器を使用する。
本来であれば、奴の言葉を聞くまでは待つように言われていた。
だが、時間を掛ければ掛けるほど奴の危険度は上がっていく。
最初に相対した時から感じていた。
奴には何かがあると。
奴の報告をした瞬間に、あの女の顔色は変わった。
予感は正しく、今も強く警鐘を鳴らしている。
取るに足らない男で、路上に転がる鼠と同じだと思っていた……が、今は違う。
奴は成長している。
それも此方の認識を上回る速度でだ。
そして何よりも、奴には”資格”がある。
オーバードの主たり得る資格が、奴にはあった。
奴をオーバードに近づけさせはしない。
祠は確実に破壊する。そして、鍵も奪い取る。
レバーを強く握る。
そうして、敵を見据えながら俺は心の中の黒い感情を焚きつける。
――奴は殺す。生かしてはおかない。
レバーから鳴る音を聞きながら、私は口角を僅かにあげて――笑った。




