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209:純粋な愛

 彼女の部屋へと真っすぐに向かう。

 コツ、コツ、コツと足音が静かに廊下に響いて。

 一歩進む事に心臓から嫌な痛みが発せられている気がした。

 気が重い。こんな状況で、彼女に会おうとは思えない。

 何故ならば、俺が彼女に会いに行く理由は……くそっ。

 

 重い足を動かして、彼女の元へと移動していた。

 彼女の部屋が近づくにつれて、彼女への疑念が膨らんでいくような感覚。

 忘れようとした。必死に彼女は違うと否定した。

 やっぱりそうだった、彼女は濡れ衣だった……そう思っていたかった。

 

 何度も助けてもらって、カルトペグニオでのオッコの件でも彼女の助言は役に立った。

 帝国が公国に侵攻して来た時も、彼女は俺の窮地に駆けつけてきてくれて。

 俺がモルノバから帰還した時も、彼女は俺の味方であると態々言ってくれた。

 信頼してもいい。信じていてもいい筈だ。

 俺は彼女から数えきれないほどの恩を受けていて……だが、彼女は秘密を抱いている。


 どんなに助けてもらおうとも、どんなに信じていようとも。

 彼女と同じ顔をした人間と会った事実は変わらない。

 ゴウリキマルさんは間違いなく、その人物と会っていた。

 俺自身もあの島で、彼女と似た顔をした人間を見た。

 そして、ショーコさんもその存在を認知しているような話し方をした。

 嘘ではない。真実であり、彼女は何かを隠している。


 何を隠している。

 その瓜二つの人間は、彼女にとって何だ?


 ゴースト・ラインから送られたクローンではない。

 奴らが彼女の立場を危うくさせる為に仕向けた敵ではない。

 ゴウリキマルさんとそれが出会ったのは、全くの偶然だろう。

 そうでなければ、その出会いにおいてほぼ何も無かった事の説明が出来ない。

 敵であれば何かを仕掛ける。

 それだけの準備をして、もしもゴウリキマルさんが気づかなければ何も無かった。

 彼女が”偶然”気づいて、その道を”偶然”通りかかったそれと話をしただけだ。


 

 だったら、アレは、敵では無いのなら……何だって言うんだ。


 

 たった一度の会合。

 たった一度の不可思議な出会いが、俺たちの歯車を狂わせる。

 今までの信頼が揺らいで、彼女が怪しく見えて来る。

 ゴウリキマルさんを信じている。そして、ショーコさんの事も信じている。


 俺はどうすればいい。

 どうすれば、この形容しがたい不気味な流れを断ち切れる。

 ミリーが死んで、サイトウさんが行動不能に陥り。

 敵がまだこの船に潜伏して行動している事が分かってしまった。

 姿の見えない敵。何処に潜んで何処から襲って来るかも分からない。

 男か女かも分からないそれが不気味であり、心を恐怖で染め上げようとしてくる。

 

 分からない。何も、分からない。

 俺の行動が未来に繋がっている。

 最良の結果を得られるか。最悪の結果を招いてしまうのか。

 自分自身がキーとなっていしまっているように錯覚した瞬間に、心臓の動悸が激しくなっていく。

 ドクドクと脈打つ心臓を片手で強く抑えながら、俺は床がぐにゃりと歪んでいくような幻覚を見る。

 

 気が可笑しくなりそうだ。

 頭が混乱して、敵に心の底から怯えている。

 仲間を信じようとする俺の気持ちが、不安や恐怖で塗り替えられていく。

 サイトウさんは言った。最後に信じられるのは己だけだと。

 それはそうかもしれない。だけど、仲間を全て切り捨てて……本当にそれが俺の望みなのか?


 過去でも今までも、これからも仲間と共にいると思っていた。

 俺一人では乗り越えられない障害も仲間となら乗り越えられる。

 ショーコさんが俺の味方でいると言ったように。

 ゴウリキマルさんも俺を信じて、秘密を離してくれるまでずっと待つと言ってくれた。

 俺は彼女に仲間を信じていると言ったのに……もう何も、分からない。


 

 俺はゆっくりと、足を止めた。


 

 徐に自分の手を持ち上げて、静かに見つめた。

 そこには人間の手がある。

 肉があって皮膚がついて、体温だって感じられる人の手だ。

 しかし、この手は俺の手じゃない。

 俺はただの機械であり、人間の手なんて持っていなかった。


 同じだ。同じなのだ。

 ショーコさんが秘密を抱えている様に、俺も秘密を抱えている。

 誰にも言えない秘密であり、彼女も俺と同じ気持ちだろう。

 話しておいた方が良い。でも、一度全て話してしまって――拒絶されるのが怖い。


 仲間たちから軽蔑されたくない。

 仲間たちから無視されたくない。

 今まで築いた信頼を、たった一つの秘密でぶち壊したくない。

 俺は恐れている。話す事によって起こってしまうだろう”変化”を。


 現状を維持する事が最も望ましい。

 変化が常に素晴らしい事だとは限らない。

 変化によって不安や恐怖が生まれる事もある。

 今まで向けられていた愛情が、憎悪に変わってしまうかもしれない。

 俺はそれが溜まらなく怖くて、怖くて……ダメだ。俺には出来ない。


 サイトウさんが調べてくれたお陰で、犯人の影が掴めそうになっている。

 あと一歩と言う所であり、鍵を握っているのは彼女から貰った端末だ。

 72時間後に解かれるスリープ。そうして、彼女が調べていた事を閲覧できるようになる。

 それはこの件を片付けられるほどの情報なのか?


 そうであったとしても、俺には閲覧する勇気が無い。

 俺が恐れる変化が、そこにはあるのだ。

 仲間を疑うだけでも苦痛を感じるのに。

 もしもその仲間が敵であったとしたら……俺は銃口を向けれるのか?


 仲間に対して敵意を抱いて。

 今までお互いを助け合って生きて来たのに。

 命を預け合った戦友に対して、冷たい銃口を――っ。


 俺の足は、もう動かなくなった。

 よろよろと壁に背を預けてずるずると床にへたり込む。

 嫌な考えが頭を過って、最悪の未来が見えてしまった。

 進もうと決めたのに、足は思うように動いてくれない。

 仲間たちの言葉で温かかくなった心が、再び氷のように冷えていく。

 この感覚は嫌だ。何者も寄せ付けない壁が出来たような感覚が溜まらなく嫌だった。

 俺は苦しさを口から吐き出して、誤魔化すように薄い笑みを浮かべた。


「……ダメだな。本当に……何、やってんだよ」


 片手で顔を覆い隠す。

 こんな情けない姿は誰にも見られたくない。

 一人で抱え込んで、一人で思い悩んで……馬鹿みたいだ。


 こんな筈じゃなかった。

 もっと、もっと上手く立ち回れると思っていた。

 ゴウリキマルさんの話を聞いて、俺は彼女にとってのヒーローになりたいと思った。

 だからこそ、どんなに辛く困難な道であっても進んできた。


 戦って、戦って、戦って、戦って……でも、仲間となんて戦いたくない。


 この世界で出会った友人たち。

 皆、良い奴ばかりでそれぞれの信念を持っていた。

 軍人として傭兵としてメカニックとして君主として社長として――皆、凄い奴らだ。


 尊敬している。憧れていた。

 俺も彼らのように信念をもって行動したい。

 本物の人間になれるように……結果が、この様だ。


 俺はロボットだ。人間じゃない。

 見てくれは人間でも、現実世界ではロボットだった。

 そんな奴が本物の人間になれる筈がない。

 本物を目指すよりも前に、俺は彼らと同じ土俵にすら立てていなかった。


 笑い話だ。笑えるほどに……俺は滑稽だ。


 世界を混沌に陥れて、現実世界を灰色に染め上げた。

 狂った人間の意思とは言え、同胞を先導したのは俺だ。

 俺が、俺こそが、終末を作り出した元凶だ。


 忘れたい。この世界だけで生きていた。

 現実は非情で、過去の記憶が俺を苦しめる。

 こんな筈じゃなかった。俺の物語がこんなに苦しい物であると最初から気づいていれば。

 俺は、俺は……最初から、何も求めはしなかった。

 

 非情な過去も、別れる事になる仲間たちとの出会いも。

 全て思い出す事も、経験する事も無ければ――それは、違う。


 罪は消えない。

 全てを忘れて生きていても、何時かは報いを受ける。

 別れる事になるであろう仲間との出会いを否定すれば、それは死んでいった戦友への冒涜だ。

 俺は人間じゃない。自分が傷つきたくないから、こんな最低な考えを思い浮かべる。

 全部、忘れてはいけない事だ。

 忘れるという行為は簡単だ。

 しかし、それをしてしまえば全てが消えてしまう。


 大蔵研究所での生活も、妹であるアルタイルとの生活も。

 マイルス社長との記憶も、オリアナの夢の話も。

 マクラ-ゲン中佐の決意も……全部、全部。俺にとっては大切な思い出だ。


 辛い事ばかりだった。

 涙が枯れるほどに泣いていた。

 しかし、その中にも喜びは確かに存在していた。

 忘れるという事は、そんな綺麗な思い出すらも消してしまうという事だ。


 俺は、我が儘だ。

 自分の罪は、忘れたいと心の奥底で願っている。

 でも、幸せな思い出は消したくないと思っていた。


 子供だ。何時まで経っても子供のままだ。

 見てくれは大人であっても、俺の心は童心のままだった。

 暗闇の中で自分自身を責め続ける。

 情けなく、心の弱い化け物を否定して……痛みすらも感じなくなっていく。


 

  

 本物の人間にはなれない。


 本物の人間を夢見る資格はない。

 

 俺はただ人間を夢見るだけの機械だ。


 多くの命を屠った化け物なんて、存在してはいけない。




 ――音が、聞こえてきた。

 

 パタパタと走って来る人間の音で。

 此方へと真っすぐに向かってきている。

 その人間は息を荒げながら走って来て……俺の前で止まった。

 

 誰かが走って来て、俺の目の前で止まる。

 荒い呼吸であり、その誰かは俺を見下ろしていた。

 俺は自分の手を除けて、光の中へと戻る。

 眩いばかりの光の中で、彼女は堂々と立っていた。

 ゆっくりと視線を上に上げれば――ゴウリキマルさんが笑みを浮かべて立っていた。


「……何してんだ。こんな所で」

「……さぁ、何でしょうね……はは」


 乾いた笑みを零しながら、俺は立ち上がろうとした。

 しかし、彼女はそんな俺を止める。

 座っている様に言われて、俺は言われるがままに座った。

 彼女はそんな俺の横に腰を下ろして「で、何だよ」と言う。


 俺は黙っていた。

 何も話せない。

 話そうとも思わない。

 彼女に情けない姿を見られただけでも恥ずかしかった。


 言える筈が無いのだ。

 自分の秘密も悩みも、彼女に打ち明ける事は出来ない。

 男として彼女に重荷を背負わせようとは思えなかった。

 言えば変化が起きて……どうなるか分からない。


 怖い。怖い。無性に怖かった。

 俺は顔を伏せながら、何も話すことなく床を見つめていた。


 そんな俺を見る事なく。

 彼女は息を吐くように自然に優しい言葉を呟いた。

 

「……怯えるな。私は此処にいる。ずっと、ずっと、傍にいる」

「…………自信が無いんです。本当の自分は、貴方の想像とは違う……格好悪くて、醜くて、邪悪で……何もかもが、怖いんです……友人の秘密を暴くことはしたくない。自分の秘密も話したくない……でも、それじゃ、何も解決しないのに……俺は、どうすれば」


 俺は自らの心の弱さを吐露する。

 全てを吐き出すように呟けば、ゴウリキマルさんは静かに息を吐く。

 そうして、俺へと視線を向けながら満面の笑みで答えた。


 

「――そんなの知らねぇよ」

「…………ぇ」


 

 ハッキリと彼女は知らないと言った。

 てっきり何かアドバイスをするのかと思っていた。

 思っていた言葉じゃなくて面食らってしまう。

 間抜け面を晒す俺を見ながら、彼女は言葉を続けた。


「難しい話は抜きだ。仲間の秘密を暴きたくないなら暴かなくていい。自分の秘密を言いたくないのなら言う必要なんかねぇよ。言っただろ? 話したくなるまで待つってさ……それと、どうすればいいかって? さっきも言ったが私は知らねぇ。どうするべきかは、お前が決めろ」

「……俺が? でも、それじゃ」

「怖いんだろ? 失敗するのが。最悪の結果が待ってるかもしれないって怯えてんだろ?」

「……っ」


 図星だった。彼女にとっては全てお見通しだった。

 俺は言葉を詰まらせて視線を泳がせた。

 そんな俺の顔を彼女は思い切り両手で挟んできた。

 ギュッとパンでも潰すように押されて、俺は変な顔をしてしまう。

 そんな俺の顔を見ながら、彼女はニカッと笑った。


「嫌な未来なんて見なくていい。あるかもしれない可能性なんて捨てちまえ。今を生きろ。私と一緒に、今っていう時間を生きようぜ」

「……でも」

「でもは無しだ! あぁこの際ハッキリ言うぞ……私はな。お前を……あ、あ、あ……す、好きなんだよッ! だからぁ! お前がどんな奴で、どんな姿をしていたってな! そう簡単にこの気持ちが消えたりなんてしねぇよ! うじうじするな! 嫌な未来が見えるっていうのなら、私だけを見てろってんだ!!」


 彼女は顔を真っ赤にしながらハッキリと言った。

 俺はそんな彼女の顔を見て、心の中のもやが晴れていくような気がした。

 彼女の想いは本物で、真っすぐに俺を見つめる瞳には俺の顔だけが映っていた。

 迷いは無い。打算も無い。彼女の言葉には、混じりけの無い”愛”があった。

 

 

 彼女の瞳の中。

 そこには他の誰でも無い、俺自身が――そこに映っている。


 

 彼女はゆっくりと両手を離す。

 そうして、笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。


 

 

「責任も、後悔も、悲しみだって私も背負ってやるよ……だから、喜びも幸せも一緒に感じよう。お前は、私のヒーローだ。今も、これからも。ずっとな」

「――ッ!」

 



 彼女の言葉がスゥっと心に届いていく。

 真っすぐで温かな思いが俺の迷いを断ち切ってくれる。

 重かった足が今なら動いてくれる気がした。


 彼女の笑顔が、彼女の言葉が、俺を奮い立たせる。

 彼女が俺をヒーローと言うのなら、彼女は俺にとっての”ヒロイン”だ。

 かけがえのないパートナーであり、人生を捧げてもいい大切な人。

 その存在を改めて認識して、俺は真っすぐな目で彼女を見つめた。


 何時だってそうだ。

 彼女は傍にいて、俺を奮い立たせる言葉を言ってくれる。

 いたんだ。すぐ近くに。

 こんなにも温かくてこんなにも強い女性が、目の前に――俺の心に強い火が灯る。

 

 俺は笑う。歯を見せて笑いながら親指を立てた。


「ありがとうございます。ゴウリキマルさんのお陰で、道が見えました。俺がやるべき事が、ハッキリと」

「……そうか。なら、良かったよ……はぁぁ、まさか、こんな所で言っちまうとはな……ムードもくそもねぇよ。たく」

 

 彼女はボリボリと頭を掻いてため息を零す。

 本人は隠しているつもりだろうが、まだ頬は少し赤い。

 俺はそんな彼女を愛しく思いながら見つめて――瞬間、船が大きく揺れた。


 何かが船に当たった音が響いて、船体が激しく揺れる。

 俺は咄嗟に彼女を抱き寄せて、その身を己の体で守った。

 体が壁に当たって少しだけ痛みを発した。

 ゴウリキマルさんは俺の身を心配したが、俺は虚勢を張って笑みを浮かべた。


《敵メリウス接近。総員戦闘準備。繰り返す。敵メリウス接近――》

「敵だって? どこで情報を……すみません。俺は」

「行ってこい! 行って憂さを晴らしてこい!」


 ゴウリキマルさんは拳を作って俺の胸を小突く。

 彼女から勇気を貰い俺はしっかりと頷いた。

 警報が鳴り響く中で、俺は格納部を目指して走って――足を止めて振り返る。


「おい! どうして足を」

「――愛してます!! 俺もゴウリキマルさんが好きです!!」

「――っ!!?」

 

 警報にも負けない声で、俺は気持ちを伝えた。

 すると、彼女は顔を真っ赤にしてパクパクと口を動かしていた。

 俺は彼女のその表情を記憶に刻む。

 そうして、もう振り返ることも無く走って行った。

 

 迷いは無い。後悔もしない。

 俺の傍には彼女がいる。

 仲間を疑うのはやめだ。

 俺は俺を信じてくれる人たちを――全力で信じる。

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