187:人間でも機械でも無い歪な存在
久しぶりの戦闘を終えて。
それを見ていた仲間たちは俺を賞賛してくれた。
無数の敵を退けて、強大な敵を単機で相手取った。
そうして、無事に帰還して船を守り切る事が出来たからだ
惚れ惚れするような動きで、まるで鳥のように空を飛んでいたと整備班は言っていた……鳥、か。
船内に当てられた自室のベッドに腰を掛ける。
無事に戦線を離脱して、今は機械たちの墓場を目指して航行している。
敵の追手は無く、ヴォルフさんたちは大丈夫なのかは気がかりだ。
しかし、彼は俺たちに進むように命じた。
ならば、後ろを振り返っている暇は無い。
時計を見れば時刻は既に夜の時間で。
広い海の中で一つの船を探し出す事は不可能に近いだろう。
夜更けに奇襲をされる恐れもあるが、障害物がほぼ無い海の上で見つからずに近づくことは出来ない。
光学迷彩でも、ステルス機であろうとも、この船の広域レーダーは見つける。
東源国の技術力の高さは身に染みて分かっていた。
それに全幅の信頼を置く……事は出来ないが、今だけは気を緩めておこう。
緊張の糸を張り巡らせていても、いざという時に疲労が出れば命取りだ。
万全な状態で戦いに臨むのなら、気を緩めておく時も必要だ。
俺は静かに息を吐きながら、ゆっくりと手を動かした。
両の掌を広げて静かに見つめながら、俺は考えていた。
戦闘中に我を忘れたかのように夢中になって敵を殺しに行く感覚。
闘争本能を剥き出しにして、ただ相手を倒す為だけに俺は動いていた。
何も間違っていない。
敵を倒さなければ、船を守る事は出来ないから。
闘争本能に従って、敵と対峙する事に間違いなんて無い……でも……。
俺は、不安だった。
戦う事に喜びを見出す自分は、果たして本当の自分なのか。
オリジナルの俺は、ただ純粋に家族に褒めてもらいたいだけのロボットだった。
色々な事を学習して、色々な人間と触れ合って。
自然で遊び、大人たちの研究の手伝いをして……俺はそれらの知識や経験を全て忘れている。
記憶の中では、そういう事があったと覚えている。
しかし、肝心の学んだ内容が頭に思い浮かばないのだ。
どんな魚を釣ったのか、どんな料理を作ったのか。
どんな事を学習して、どんな事を大人たちと話したのか。
全部、全部……思い出せない。
俺が記憶しているのは、戦いに関する事だけだ。
強化外装の操作方法に、敵のコンピューターへのハッキング方法。
格闘戦術に銃器の扱い方、バトロイドの利点と弱点。
相手を確実に殺し、相手を一撃で仕留める方法だけを覚えている。
それは記憶ではない。体が憶えているのだ。
今に思えば、それは確かな違和感だとは思う。
何の記憶も無かった俺が、たった数回シミュレーターでメリウスを操作しただけで。
まるで、手足のように巨大なロボットを操縦出来たのだから。
熟達した兵士のように状況を判断して、最適な動きを体現する。
簡単ではない。普通ならそんな事は出来ない筈だ。
俺は覚えていた。
体が戦闘の仕方を覚えていた。
アザーロフからの強制プログラムが、それほどの効力を持っていたのかは知らない。
強化外装の操作方法を記憶していたからこそメリウスお操作にも順応できた。
目まぐるしく変わる戦況の中で、体が勝手に動いて敵を殺していった。
まるで、頭で理解していなくても心がそうしろと命令しているようで。
ハッキリとしていた違和感の正体にも、俺は気づいてしまった。
俺が天才だった訳じゃない。
特別、物覚えが良かった訳でも無い。
俺は現実世界で実際に機械を操作して、そこに生きる人間を大勢殺していた。
知識だけでなく経験としても……道理で上手く扱えるはずだ。
こんな力を欲していた訳じゃない。
誰かを殺す為の術を学びたいと思った事なんて無い。
俺はただ、仲間を守る為の力を。この世界で生きる力を欲していたのに……。
俺は家族との大事な思い出よりも……命を屠る方法を記憶する事を選んだ。
最低だ。最低な男で、同情の余地は無い。
俺は自分自身が血に飢えた獣のように思えた。
自分の事なのに、俺は何も分かっていなかった。
能天気なマサムネは記憶を失くしていただけの姿で。
その本性は戦いを求めるケダモノで……言える訳がない。
俺の過去も、俺の本性も、言える筈が無いのだ。
ゴウリキマルさんやショーコさんにこれを話せばどうなる。
優しい彼女たちならば、受け入れてくれる筈だろう。
だが、ほんの少しでも恐怖を覚えない保障は無い。
俺は彼女たちを守ると誓った。
ならば、護衛の途中で彼女たちに不安や恐怖を与えてはいけない。
ゴウリキマルさんには何時か必ず話すと言ったが……今はダメだ。
まだ、己の心なんて分からない。
戦闘を求める己を認める事なんで出来ない。
だが、アレも俺自身であり、何時かは認めなければいけない日が来る。
例えそれが、世界を混乱に陥れた――恐怖の象徴だったとしてもだ。
「……受け入れろ。受け入れるんだ……目を逸らしちゃいけない」
拳をギュッと握りしめながら、俺はそれを額につける。
硬く強く結んだ拳をつけて、俺は静かに目を閉じた。
瞼の裏には今は亡き戦友たちの顔が浮かんでくる。
彼らは暗闇の中で俺に笑いかけてきて――目を開けた。
「……外に出よう。閉じこもっていたら、皆に心配を掛ける……機体を確認しに行こう」
整備班が新たに船に乗船していた。
それはきっとヴォルフさんが手配したのだろう。
かつての仲間たちには既に再会の挨拶を終えていて。
彼らは俺が死んでいる筈は無いと信じていたと言っていた。
ゴウリキマルさんと共に長い間、機体のメンテナンスをしてくれた人間たちで。
彼らの事は信用している。この旅でも、彼らはきっと俺たちを助けてくれる。
あまり多くの人間は載せられなかったが、彼らは一流のメカニックだ。
少ない人数であったとしても、完璧な仕事をしてくれるだろう。
今も俺の機体を修理していて、何時でも出撃できるようにしておくと言ってくれた。
俺は彼らに頼りにしている事を伝えてその場を去った。
時間にして、まだ三時間ほどしか経っていない。
修理は完全に終わっている事は無いだろうが、気晴らしに見に行こう。
ミネルバから渡された資料だけでは分からない部分もあった。
あの雷切・弐式にはまだ隠された機能があるかもしれない。
追加された隠し腕と、強化されたスラスター周り。
それ以外にも、まだ何かある筈だと俺は感じていた。
「……あの時の不思議な高揚感……赤い光は……結エネルギーに近かった……ミネルバは俺に黙ってアレを雷切に積ませた……危険なものに変わりは無い。でも、アレのお陰で命が繋がった」
彼女を責める事はしない。
雷切・弐式のスペックを上げる為であり、俺自身の生存率を上げる為の追加だ。
それならば、俺が彼女に文句を言う事は出来ない。
実際にそのお陰で命が助かっているのもあるが……整備班は気づいているだろうな。
彼等ならば機体を解析しただけで気づくだろう。
何と言われるかは分からないが、彼らに説明できるほど詳しくも無い。
高揚感を覚える事と機体のスペックが底上げされる事だけしか知らない。
後は、俺だけが心をかき乱されて別人のようになる事だけだ。
結をこれから使って行くとして、俺自身に問題はないのか。
白狼とは違うものの、何時、仲間に牙を剥くかは定かではない。
その時に誰が俺を止めると言うのか。
トロイやオッコにレノア……サイトウさんもいるから問題ないかもしれない。
しかし、少なからず双方にダメージが残るだろう。
ゴウリキマルさんを安全に運ぶ上で。
何時爆発するかもしれない爆弾を抱えていくのは危険すぎる。
今回は命を救ってもらえた。しかし、次もそうなるかは誰にも分からない。
取り除くべきか。それとも、このままつけたままでいるか。
何方が正しいのかは分からない。
整備班の意見を聞くべきか……いや、それならゴウリキマルさんに聞いた方が早いだろう。
敵との戦闘が終わった後、俺は彼女の様子をすぐに確認しに行った。
すると、彼女はジッと椅子に座って待っていた。
俺がホッと胸を撫でおろせば、彼女はすぐに格納部に向かったのだ。
彼女の事だから、俺の機体を他の人間に弄らせたくなかったのか。
良く分からないが、今頃は整備班の仲間と一緒になって機体を修理している筈だ。
つまり、格納部に行けば必然的に彼女もいる。
俺はゆっくりとベッドから腰を上げた。
そうして、カーキ色のジャケットを羽織りながら歩いていく。
コツコツと靴の音を鳴らして扉の前に立つ。
そうして、手を翳して開ければ――何かが通り過ぎていく。
一瞬だけ人影が見えた。
俺は驚きながらも、顔を出して何者かが走り去った方向を見た。
すると、そこには誰もいない。
「……誰だ……いや、気のせいか……まぁ、いいか」
疲れが溜まっていて幻覚が見えたのか。
俺は頭を左右に振ってから、ポケットに手を突っ込んで歩いて行った。
ゆっくりと足を動かして格納部を目指して――足を止める。
後ろへと振り返った。
しかし、やはりそこには誰もいなかった。
視線を感じた気がした。でも、何も無い。
真っすぐに伸びている通路の天井からは白い光が灯っているだけで。
等間隔に設置された扉は硬く閉ざされて開いた気配は無い。
誰もいないし、何も無いただの廊下だ……本当に疲れているのか。
心が休まる日はあまり無かったが……メディカルチェックを受けるべきか?
あまり利用したことは無いが。
この船には簡易的な診断装置があるらしい。
怪我や不調などをスキャンして簡潔に纏めた結果を教えてくれるのだ。
使う事は無いだろうと思っていたが、使った方が良い気がしてきた。
重く残酷な真実を知って、戦いに次ぐ戦いの連続で。
多くの大切な仲間を失い、彼らから託された想いを背負ってきた。
言葉に表せば簡単だ。しかし、それらの一つ一つの事象が俺の心や体に疲労を溜めていったのかもしれない。
俺は強い人間じゃない。
いや、人間ですらなく……人間の形をした弱い機械だ。
人間のように自由に生きる事も出来ない。
人間らしい生活を送る事も出来ない。
機械のように適切な行動を取れる訳でもない。
機械のように感情などを消して一貫した行動を取る事も出来ない。
人間でも、機械でも無い……俺はひどく歪な存在だった。
「……分かっているさ。自分が歪んでいる事なんて……でも、どうする事も出来ない」
誰に言うでも無く零した独り言。
それに応えてくれる人間は此処にはいない。
俺はガシガシと頭を掻いてから、大きく息を吐いた。
そうして、再び格納部を目指して歩き出す。
もう振り返る事はしなかった。
視線を感じる事は無くなって――俺は床を見つめて歩いて行った。




