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180:誓いを此処に

「クソッたれがァ!!」

「――ぅ!」


 大きく振りかぶった拳が頬に当たる。

 乾いた音を響かせてジンジンと頬が痛みを発していた。

 よろよろと後ろへと後退して、鉄製の棚に持たれかかる。

 棚がギシギシと揺れて、積まれていたファイルがばさりと落ちて来た。

 天井の灯りがチカチカと点滅して、紙の匂いが染みついた部屋で俺たちは向き合う。

 頭に被さったファイルを払いのけながら、俺は指で口から流れる血を拭う。


 目の前で、かつての戦友が呼吸を整えている。

 硬く握った拳を解いて痛そうに振っていた。


「……よし、これでスッキリした。お前たちも、これでチャラでいいよな?」

「……いや、別に俺たちは殴れなんて言ってないけど」

「なななな何してるんですか!? ち、ち、ぃ、血がぁ!!?」

「え? こういうのは拳で解決じゃないのか?」

「……これだから脳筋は」

「はぁ!? 何だよそれ!!」

「……ぷ」


 トロイやオッコが口喧嘩を始めた。

 レノアは俺の傍に寄って来てハンカチを差し出してきた。

 俺は思わず吹き出してしまう。


 笑みを浮かべた俺を見て、トロイは気まずそうに頬を掻いていた。

 俺はレノアからハンカチを受け取って、彼女に礼を言った。

 レノアは口をあわあわさせながら、両手を顔の前で振っている。

 柔軟剤のいい香りがするハンカチで口元を拭って、俺はオッコに手を差し出した。

 奴はキョトンとした顔で俺の差し出した手を見ている。


「……仲直りの握手、ってやつか」

「……はは、何だよそれ……また会えて嬉しいぜ。マサムネ」


 トロイががっしりと俺の手を握った。

 男同士の握手であり、オッコも俺たちの手に自分の手を重ねた。

 レノアに視線を向ければ、彼女は顔を赤くしながらも自分の手をちょこんと重ねる。

 後はジェスラやメリドがいれば完璧だったが……アイツ等には会えないだろうな。


 ヴォルフさんが気を利かせて、人のいない場所にトロイたちを呼んでくれた。

 それは、公式では俺が戦死している事になっているからで。

 トロイたちは護衛としてついてきてもらうからこうやって顔を見せているが、メリドやジェスラは今回は関係ない。

 あまり多くの人間に俺が生きている事を知られるのはまずいだろう。

 そう考えて、俺自身も他の関係ないスタッフへの挨拶は控えていた。


 ヴォルフさんは使われていないこの部屋にトロイたちを招集して。

 彼は俺が帰って来た理由やこれからについて簡単な説明をしてくれた。

 そうして、後は任せたと言い残し、バネッサ先生と何処かへ行ってしまった。

 恐らくは、此処に来るまでに他のスタッフとは会わなかったことから、彼が既に色々と手を回してくれたのだと思った。

 

 本当は他の仲間にも会いたい。

 会って話をしたいが、今は我慢しなければいけない。

 ゴウリキマルさんを安全な場所へ移送して、全てが片付いた時に会えばいい。

 その時の楽しみ取っておく事にしようと俺は決めた。


 仲間と硬い握手を結んでから、俺たちはゆっくりと手を解いた。

 そうして、オッコは今までどんな事をしてきたのかと聞いてくる。

 俺は目を細めながら色々な事があったと伝えた。

 地獄のような光景を何度も見て、大切な人も失った。

 命を狙われて賞金狙いの傭兵と戦ったり治安部隊と戦った事。

 辛い事は多かった……でも、幸せな時間もあった。


 俺が辛い事を話せば、トロイたちは表情を曇らせる。

 これ以上は止めておこうと思って、俺は楽しかったことを伝えた。


 帝都で出会った元少年兵の話。

 かつて俺は彼の指揮官として共にレジスタンスの拠点を叩く任務を受けた。

 あの戦いで多くの少年兵が死んで生き残った彼は俺を恨んでいたとその時までは思っていた。

 そんな時に、帝都へと足を運べば偶然彼と再会して、彼が生きていた事を知った。

 多くの修羅場を潜り抜けていたが、その目は優しく温かった。

 そんな彼は、家庭を持って立派な軍人に成長していた。

 元少年兵だった彼は俺の事を覚えていて、何故か感謝の気持ちを抱いていた。

 とんでもない事を彼に約束して、彼はそんな俺を目標にして生きていた。

 その目標があったから、彼は今まで生きてこれたと言っていたのだ。

 

 こんな俺に対して、温かい気持ちを持ってくれていた。

 自分自身をその時の指揮官とは明かせなかったが。

 彼は何となく俺がそうではないのかと気づいていたと思う。

 あの時に彼の口から聞いた言葉で、俺の心は軽くなった。


 モーランバレスで再会した赤髑髏の兄妹。

 名付きの傭兵であり、現世人の兄妹で。

 初めて彼らと会ったのは戦場であり、俺は彼らを一度は倒していた。

 まさかあんな形で再会するとは思っていなかった。

 彼らも最初は俺に対して敵意を持っているんじゃないかと思っていたが、実際には違っていた。

 あの二人は気持ちのいい性格をしていて、自分というものを持っていた。

 妹とは約束もしていて、再び会えた時は旅の話をするように言われている。


 アサギリ先生に、帝都博物館の案内人であるマイク・カッター。

 酒場で出会ったディーノに、闘技場で戦った元傭兵のアリ。

 謎の多い裏社会の大物であるディアブロ……本当に色々な出会いがあった。

 

 辛い事は沢山あった。

 でも、それ以上に価値のある出会いがあった。

 それを三人に伝えれば、彼らははにかみながら喜んでくれた。


「……そっか。なら、安心だ。俺はてっきり、死んだ魚みたいな目をしたお前と会う事になるんじゃないかと思って――ふぐぅ!」

「あ、悪い。手が滑ったぁ」

「お、オッコぉ。てめぇ」


 笑顔でとんでもない事を言おうとしたトロイ。

 そんな奴は手を滑らせたオッコにより制裁された。

 トロイは顔面蒼白で腹を抑えていて。

 俺は顔を左右に振りながら「変わってないな」と呟く。


「……何年経とうとも、本質は変わりはしない。ちっとは俺たちやお前も成長しているだろうけどさ。ここは同じだろう?」

「……そうだな。お前たちは昔と変わらずに、温かいよ」


 オッコはニヤリと笑い心臓を親指でつく。

 俺は奴の考えに同意を示しながら頷いた。


 仲間たちと笑い合う。

 またこうして話が出来るなんて夢みたいだった。

 ゴウリキマルさんを守る為に此処へ来たが、会えることが出来て本当に良かった。

 俺は仲間たちの顔を眼に焼き付けながら、ゆっくりと頷いた。

 そうして、彼らに対して頭を下げる。


 突然、頭を下げた俺に対してトロイが動揺する。

 頭を上げるように言われたが、俺は頭を下げ続けた。

 そうして、彼らに対して言わなければいけない言葉を言う。


「……お前たちの前から去って、突然また現れて。許してくれたからと、思うような事はしたくない……本当にすまなかった。何度謝っても足りないくらいだ……虫のいい話だとは思う。でも、もう一度だけでも良い。もう一度だけ、俺に力を貸してくれないか」

「……水臭いじゃねぇか。そんな改まって言う事かぁ?」

「……もしかしたら、死ぬかもしれない。ゴウリキマルさんを狙っているのはゴースト・ラインだけじゃない。告死天使も彼女を狙っている……ハッキリ言って、俺は奴に勝てるヴィジョンが見えない。ゴースト・ラインの幹部の中にも、奴の力に匹敵すると思えるような奴もいた。そんな奴らが襲ってくるかもしれないんだ……俺やオッコなら、死んでも蘇るかもしれない。だけど、お前やレノアは違う。無理強いはしない。だから――ッ!!」


 頭を下げていれば、ぐいっと胸倉を掴まれた。

 強制的に視線を上に向けられれば、鋭い眼をしたトロイが立っていた。

 その青い瞳からは強い怒りを感じる。

 俺に対して明確な怒りの感情を向けながら、奴は低い声で言葉を発した。


「お前の前にいるのは、誰だ?」

「……トロイだ」

「そのトロイって奴は、お前が哀れむほど弱いのか?」

「……弱くない」

「だったら、その弱くないトロイは――お前の目には頼りなく映ってるのか?」

「……違う。トロイは、ここぞという時に頼りになる男だ」


 俺の友達は決して弱くない。

 トロイはファイアボルトに乗って戦えば一騎当千の力を誇る。

 無数のメリウスを前にしても一歩も引かずに立ち向かう事が出来る強い戦士だ。

 レノアも、普段はおどおどしているが、メリウスの操縦はピカ一で。

 周りの状況を冷静に分析して、敵の足を止めたりして俺たちが戦いやすい環境を整えてくれる。

 オッコだってそうだ。奴が狙った獲物を逃す事はほぼ無い。

 奴の目は誰よりも優れていて、その勘の良さもずば抜けている。

 メリドもジェスラも、どんな戦場からでも生き残って来た強者だ。


 弱い奴なんてこの場所にはいない。

 俺の友達は、仲間は、誰一人として弱くない。

 皆、俺が誇れるほどの強さを持っている……でも、それでも……。


 トロイは俺の服から手を離す。

 そうして、俺の肩に手を置きながら静かに質問してきた。


「お前が俺たちを信じてくれているのは俺たちだって分かってる……お前は何を怖がっているんだ」

「……」


 トロイは優しい声色で問いかけて来た。

 それは悪戯をした子供に対して親が質問するような声で。

 怒りも悲しみも無い。純粋に俺を心配している人間の言葉だった。

 だからこそ、俺はゆっくりと自分の心の中にある不安を吐露した。


「……失うのが、俺は怖い……俺がもっと強ければ、大切な人を死なせずに済んだ……俺は、自分の行動……判断で、恩人や友人、戦友を失うのが怖い……もう俺は、何も失いたくない」


 ゆっくりと自分の手を見つめる。

 不安を吐露すれば、俺の手は小刻みに震え出した。

 隠していたものが表層に現れたかのように俺の手は震える。


 モルノバの未来を想って戦ったオリアナ。

 彼女は信じていた仲間に裏切られて、俺の目の前で殺された。

 彼女の形見である指輪は肌身離さず身に着けている。

 瞼を閉じれば、彼女の顔が瞼の裏に焼き付いていた。


 公国の平和を願って、国にその身を捧げたマクラーゲン中佐。

 彼女は俺に未来を託して、自らの身を挺して国を守り散っていった。

 彼女の願いは裏切られ、公国の人間たちは彼女を悪者に仕立て上げようとした。

 想いを踏みにじり、命を賭してまで守った者たちに裏ぎられる。

 俺は彼女の願いを無駄にしない為に、自らを悪に仕立て上げた。


 多くの仲間たちを導いて、強大な敵と戦ったマイルス社長。

 彼は自らが捕まる事を想定し、自らの命を代償に敵に一矢報いた。

 彼は自らの死が迫っている中でも動揺する事は無かった。

 最初に会った時のように笑みを浮かべながら、彼は俺をヒーローだと言った。

 マクラーゲン中佐のように俺に想いを託して、彼は壮絶な死を遂げた。


 彼らだけじゃない。

 俺が告死天使の仲間になった時。

 アジトとして使っていた村で出会った子供がいた。

 純粋無垢で、英雄に憧れていた少年は俺に自らの夢を聞かせてくれた。

 彼の夢はキラキラと輝いていて、彼の何気ない言葉が俺の心に響いていた。


『――!』


 太陽のような笑みを浮かべていた少年。

 霞掛った記憶の中で、彼の言葉が思い出せない。


 多くの人間と出会って言葉を重ねて。

 俺は多くの思い出を記憶していった。

 全てを完璧に覚えている訳じゃない。

 死んでいった人間たちの記憶は、所々が欠けていた。


 まるで、海辺で作った砂の城のように。

 時が経つにつれて、大切な人たちとの思い出が消えていく。

 失くしたくない筈なのに、憶えていなければいけない事なのに……俺はひどい人間だ。


 俺は自嘲的な笑みを浮かべた。

 そうして、トロイに対して今の言葉は忘れてほしいと言おうとした。

 しかし、彼に視線を向ければ、彼は歯を出してニカりと笑う。



 

「――だったら、俺はお前に約束する! 俺は絶対に死なない! お前が死ぬ時まで、ずっっっっっと生きててやるよ!」

「……何、言ってんだよ」




 トロイは満面の笑みでそう言った。

 俺はそんな約束に根拠は無いと思った。

 奴がこれから先で生き残れる保障なんてどこにもない。

 俺自身も告死天使と戦って一度は死んだのだ。

 全員で戦って勝てるかどうかも分からない――でも、不思議と不安が消えていった。


 オッコもニヤリと笑う。


「それじゃ、俺も約束しないとなぁ……ま、俺は生き返れるけどねぇ」

「わ、私も、わた、わたた、わた――生き残ります…………たぶん」

「……レノアちゃんよ。そこはもっと自信を持ちなよ」

「だ、だってぇ」


 オッコとレノアも勝手に約束をした。

 オッコはおちゃらけて、レノアは自信なさげだった。

 しかし、彼らの目には確かな光がある。

 その場しのぎの言葉じゃない。彼らは本気で、俺と約束をしてくれた。

 

 

 絶対に死なない。絶対に生き残って見せると――俺の心から迷いが消えた。



 俺は自分自身の口角が自然に上がっていくのが分かった。

 そうして、俺は彼らに対してもう一度頭を下げた。

 先ほどのような重いものではない。

 心からの感謝と、彼らへの誠意を込めたもので――


「ありがとう。一緒に、戦ってくれてありがとう」

「……あぁ、ダメだ! 俺こういう空気はダメなんだ! ど、何処かに酒はねぇのか!? 何でもいいから飲まねぇとこのムズムズは収まらねぇよ!!」

「……此処、資料室ですよ? お酒は無いんじゃ」

「――あった!!」

「えぇぇぇぇ!?」


 バサバサと乱暴にファイルをかき分けたトロイ。

 彼はその奥に何故か眠っていた酒瓶を取り出した。

 レノアが目を丸くしながら見ていれば、ご丁寧にグラスまであった。

 三人で近くによって見れば、小さな隠し扉のようになっている。

 偶々発見できただけであり、これは誰かが隠したものじゃないのか?


 ラベルを見れば、ワインのようだった。

 高そうなワインであり、勝手に飲んでいいのかとレノアが聞く。

 トロイは「こんな所に隠す奴が悪いんだよ!」と言う。


 トロイに座る様に言われて、俺たちはおずおずと座る。

 そうして、埃一つない綺麗なグラスを床に並べて。

 トロイは栓抜きでコルクを取った。

 気持ちのいい音が鳴って、隠されたお宝は意図も容易く封印を解かれてしまう。

 トクトクと赤い液体がグラスに注がれて、全員の前に酒が置かれた。


 トロイは早速飲もうとして――俺に視線を向けた。


「……俺たちは約束したんだ。お前も俺たちに約束しねぇのか?」

「……そうだな。それが筋か」


 俺はゆっくりとグラスを取る。

 そうして、目の前にそれを掲げながらハッキリとした言葉で言った。


「――俺は死なない。そして、お前たちも死なせない。今度こそ守ると誓う」

「……かぁ! カッコつけやがって! さぁ飲め! 乾杯だ!」


 ワイングラスを鳴らして乾杯をする。

 そうして俺たちはグラスに口をつけて静かに飲んだ。

 長い年月をかけて熟成されたワインの味は美味しい。

 しかし、この美味さはワイン自体の味だけではなかった。


 仲間と一緒に飲むから美味い。

 仲間と一緒に笑い合うから心が豊かになる。


 また一つ、記憶のアルバムに思い出が出来た。

 これから行われる戦い。

 嵐の前の静けさの中で、俺たちは笑い合った。

 また一緒に、美味い酒を飲む為に――俺は心に誓いを立てた。

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