177:彼が描くシナリオ(side:ヴォルフ)
すれ違う職員が私に頭を下げようとする。
私はそれを片手で静止して、足早にとある場所へと向かう。
全体が機械化された島にある地下施設で、メリウスの整備をするドッグから隔絶された場所。
此処で問題を起こしたスタッフやパイロットを一時的に拘束する為の部屋がある。
反省部屋、営倉、呼び方は何でもあるが……そこにバネッサを監禁している。
その部屋に行く為の通路は一つだけで。
抜け出したとしても、通路に配備している防衛装置を突破する事は不可能だ。
一つ一つのセキュリティーに対して、常に持ち歩いている端末を翳す。
すると、扉は開かれて私は奥へ奥へと進んでいった。
暫く歩けば、目の前に一つの扉が現れる。
硬く閉ざされた鋼鉄の扉であり、この先に奴らがいる。
その重厚な扉の前に立って、私は扉のパネルに手を置いた。
手早くスキャンを終わらせれば、声紋の確認を求められた。
「A13、開錠」
《声紋識別完了。ロックを解除します》
鋼鉄の扉からガチャリと音がした。
そうして、ゆっくりと扉が開かれていった。
完全に扉が開かれて、私は部屋の奥へと進む。
部屋の中に入れば、強化ガラスを隔てて収容されている人間たちが座っている。
白い壁に白い床、簡易的なトイレや洗面器だけがある部屋で。
此処で生活する人間には、残念ながらプライバシーの類は存在しない。
これほど厳重なセキュリティーを施しているのは理由がある。
それはこの施設の情報を絶対に外部に漏らさない為であり、もしも外部に情報を流そうとしている人間がいれば此処で一時的に身柄を抑えておく必要がある。
この島は我々にとっての最期の砦であり、絶対に敵に知られてはいけない。
だからこそ、疑わしい要素が一つでも確認されれば、誰であれ此処に収容される。
袋を被せられて前に手錠を嵌められた人間たち。
何名かは震えており、マサムネの事を良く知らないのではないかと思った。
恐らくは、東源国の人間であり、マサムネは今まであの国の援助を受けていたのだろう。
未確認の白いメリウスに乗って我々と戦ったマサムネ。
オッコや他の諜報班に調べさせてみれば、我々に偽の情報を渡してきた人間は東源国の人間で。
名前や所属する組織などは明らかに出来なかったが。
十中八九が、国からの任務であのメリスウに乗っていたと考えていいだろう。
世界の敵となったマサムネが告死天使の仲間と共に姿を消して。
各地で目撃情報は上がっていたが、雲のように姿を消していた。
それは何も、告死天使たちが姿を眩ます術を熟知しているだけではない。
強力な後ろ盾があったからこそ、マサムネたちは今まで裏で活動を続ける事が出来ていた。
このスタッフたちからも話を聞きたいとは思うが……今は、優先すべきことがある。
震えているスタッフたちを見ていれば、後ろで扉が閉まった音が聞こえた。
私はそれを見る事も無く歩いていく。
袋を被せられた状態で震えている人間たち。
強化ガラスの前で足を止めながら、広い部屋の中を見渡した。
そうして、端末を取り出してから指で操作してマイクを起動した。
「袋を取っても構わない。君たちの身の安全は保障する」
牢屋に入れられた人間たちがびくりと肩を震わせる。
声がちゃんと届いたようであり、震えていた人間たちはおずおずと袋を取った。
若い男女が数名に、それなりに歳を重ねているであろう人間が数名。
単純なスタッフだけで……十五名ほどか。
船を調べた人間からの報告を此処に来るまでに聞いた。
すると、船内にはメリウスを収容するスペースも存在した。
マサムネの雷切の他に、黒く禍々しい紋様のメリウスが一機。
収容可能なメリウスの数は推定で五機であり、アレほどの大きさの船を操作していた人間がたったの十五名だ。
見かけはただのクルーズ船のように見えるが、それはただの偽装で。
簡易的に調べただけでもかなりの技術力で生み出された船であるようだ。
完全な自動制御も可能の様であり、あのスタッフたちはあくまで補助の役割を担っている。
かねてから東源国は何かあるとは思っていた。
しかし、東源国の当主である上浦白狼=天子の情報は何一つ得られなかった。
不自然なほどに彼女の経歴には”汚れ”が無いのだ。
まるで、初めから理解していて自分の手が汚れるような行動を取らないのか。
いや、彼女の手は汚れているのだろうが、我々がそれに気づかないだけなのだろう。
どんな人間にも知られたくない過去がある。
彼女はそれを隠すのが上手いだけだ。
私も、バネッサでさえも隠せない物を、国の当主は隠せる。
「……恐ろしいな。権力とは」
震えながら此方を見ているスタッフたち。
その中で、他とは違って落ち着いている人間が二名。
一人は考えるだけでも恐ろしい体験をしたかのように濁り切った瞳をした女で。
奴の顔には覚えがあり、手配書に載っていたサイトウであると理解した。
告死天使側の人間であり、何故、此処に奴がいるのかは分からない。
しかし、帝都で変装したマサムネの他に眼鏡を掛けた女がいたとショーコから聞いている。
恐らくは、それは変装したサイトウであり……奴はマサムネの味方。或いは、協力者だろう。
濁った眼の女は手枷をジッと見つめていた。
そうして、おもむろに両手に力を込めて――破壊した。
意図も容易く、常人では破壊できない枷を破壊して見せた。
汗を流しながら、腰の拳銃に手を伸ばす。
幾らマサムネの協力者であろうとも奴は一般人も殺してきた傭兵だ。
油断するどころか、警戒心をゼロの状態で対面していいような奴ではない。
女がゆっくりと手を挙げて、私は拳銃を掴み――女が大きく口を開けた。
「……眠い」
「……」
女は欠伸をしてからごろりと横になった。
まるで、目の前の人間に興味などないと言わんばかりで。
サイトウは静かに目を閉じながら、呑気に眠り始めた。
舐められている。
完全に此方を脅威として見ていない。
余裕の態度の傭兵には言いたいことがある。
しかし、此方を襲う気が無いのなら無理に突く必要は無い。
私はゆっくりと視線をバネッサへと向ける。
彼女は壁に背を預けながら、私に視線を向けていた。
あの時と変わらない。
処罰を言い渡して、記憶処理を施す時。
奴は最後まで笑っていた。
また会える、そんな顔をして記憶を消されたのだ。
バネッサがゆっくりと口を開く。
「また会えましたね。ヴォルフさん」
「……バネッサ……お前がどうやって記憶処理を逃れたのかは聞かない。その質問に意味は無いからな」
「……ほぉ、では、態々私に会いに来た理由は?」
バネッサは揶揄うように私に問う。
私は奴の挑発を無視して、聞きたいことを質問した。
「――お前はどうやって。我々がこの島に来ることを見抜いた」
「……はは、それ簡単だ。貴方たちの巡航ルートを記憶していて、帝都から行くのであれば必ずその島に行くと」
「――たった数日。長くて一週間ほどだ」
「……あぁ」
奴は知らないだろう。
この島の重要性を理解していないからこそ分からなかった。
この島の秘密を明かされない為に、この島へは長く滞在しない事を。
滞在しても数日で此処を発つ決まりであり、これほど長く此処にいる筈がないのだ。
帝都や他の港であれば一月以上の滞在もあり得ただろう。
しかし、この島の重要性に気が付いているのなら、まずあり得ないと考える。
我々にとっての最期の砦で、これ程までに長く滞在するなど考えられない。
だからこそ、奴が巡航ルートを記憶していたとしてもあり得ないのだ。
「……そもそも、巡航ルートはお前が去った後に書き換えられている。お前が知っているのは過去の情報で、今の情報とは何の関連も無い……答えろ。何処で、情報を掴んだ」
「……それは、返答によっては殺すと言う事かな?」
「……好きに解釈してもらって構わない。ただ親切心で言うが……嘘はつかない方が良い」
「それはどうも……では、正直に話そうか……その情報は知っていた。ずっと前にね」
「ずっと、前だと……何を言って……」
バネッサの言葉に驚く。
あり得ない事だ。ずっと前と言うがそれは何時だ?
この航行ルートを定めたのは無人機の襲撃を受けたからだ。
敵の攻撃を受けて、予め設定した航行ルートを避けて最短距離で此処まで来た。
その航行時間も、此処での滞在日数も――限られた人間しか知り得ない。
あり得ない。あり得ない事だ。
しかし、バネッサの言葉は自信に満ちていた。
嘘を言った人間特有の焦りなどが挙動に現れていない。
それが真実であると疑っていない人間の言葉で――奴は目を細める。
「驚く事は無い。彼らは不可能を可能にしてきた。何年後の未来を言い当てる事なんて造作も無い」
「彼ら、だと……待て。お前が我々の情報を得たのは――ッ!」
気づいてしまった。
奴はゴースト・ラインに協力していた。
それは事実であり、処罰される事も奴は予め知っていた。
記憶処理を施されるのは調べれば分かるかもしれない。
しかし、ただ一つの可能性だけに手を打つものなのか。
この女は、記憶処理という方法で自らが処罰されると理解していた。
それは、それしかあり得ないと言わんばかりで――奴は、知っていたのだ。
幾つもの枝分かれした未来が存在する中で。
自分はこの道を進むと理解していた。
だからこそ、記憶処理を逃れる方法にだけ手を打っていた。
その結果、それは見事に的中して奴は五体満足で船から脱出できた。
そして、姿を眩ませた数年間。
奴は墓場で何をしていたというのか。
虚数の世界に存在する島では、外の情勢何て分からない筈だ。
しかし、奴は我々の航行ルートを知っていた。
それは自分で計算して予測した訳じゃない――未来を、知っていた。
奴がゴースト・ラインと手を組んでいたのは理由がある。
それは奴が現実世界でテロリストとして活動していた事に関係する。
奴らの活動理念は、腐敗しきった世界をあるべき姿に戻す事。
飢えや貧困、人間たちの格差を無くし全ての人間が幸福な人生を送れる未来――考えれば分かる事だった。
ゴースト・ラインが処罰されるだけの人間を送る筈がない。
無能なスパイの為に、組織を危険に晒す筈がないのだ。
奴らは最初から”知っていた”のだろう。
見つかり処罰される事を想定した上で、計画を練っていた。
奴らは”シナリオ”を描き上げて、その通りに動く”駒”を配置した。
利害が一致する人間がいれば、協力を申し出る。
目の前の女に利用価値があると判断して、ゴースト・ラインは手を差し伸べた。
その結果はどうだ。我々は奴らの想定した通りに動いている。
バネッサが知っていた未来の通りに我々は動いているのだ。
恐怖を全く感じないと言えば嘘になる。
自分たちがただの駒で、目の前の女ですらただの駒なのだ。
動悸が早くなり、汗が頬を伝っていく。
動揺を気取られたくない。
しかし、動揺を完全に隠す事は出来ない。
それほどまでに、奴らの底の見えない恐ろしさが心を凍らせた。
一体、何が狙い何だ。
何の目的があって、マサムネをこの島に連れて来た?
オーバードか。
いや、オーバードが欲しいのなら未来を知っている奴らが先に動く筈だ。
この島に来ることも、航行ルートでさえも知っていたのだろう。
それならば、何故、此処を襲撃せずにマサムネを……いや、まさか。
「……お前が知っていた未来……それを知る人間は限られている。違うか?」
「イエス」
「……未来の情報を知る人間たちの本当の目的はオーバードじゃない」
「……イエスかな」
段々と読めて来た。
オーバードを狙っている訳じゃない。
オーバードはあくまで副産物で、それが生み出す結果を奴らは求めている。
その為に、唯一欠かせない存在がいる。
私が知っている人間の中で、最も注目を集める人間。
ゴースト・ラインと戦って、奴らからの”試練”を乗り越えてきた男。
まるで、奴を試すように数々の困難を与え続けてきた。
騒動の渦中で、成長していった男の名は――
「計画の中心にいるのは――マサムネか」
「…………イエスだ」
バネッサは笑う。
しかし、私は奴のように笑う事が出来ない。
マサムネが危険に晒されて、今も奴らの計画の通りに動かされている。
本人に自覚は無く、私自身も今の今まで気づけなかった。
最早、バネッサを生かして返す事は出来ない。
私は端末を操作して、強化ガラスで隔てられた部屋の中に催眠ガスを流そうとした。
奴らの動きを封じて、身動きが取れない状態で始末する。
そうすれば、奴らの計画は此処で終わり――バネッサが手を差し伸べる。
「取引をしよう。疾風のヴォルフ――君も一緒に世界を救わないか?」
「世界を、救うだと? 何をふざけたことを」
「君が望むのなら、”彼が”描いたシナリオの一部を教えよう……辿り着く”最悪の可能性”についても」
「――っ」
私は奴を睨みつける。
断ればいいだけだ。
断り奴を眠らせて始末すれば、その筋書きも台無しになる。
もう、マサムネが奴らの思い通りに動くことも無い。
奴らにとっての最悪がどんなものかなど考えたところで……クッ!
判断が出来ない。
此処に来て迷いが生まれる。
ゴースト・ラインは我々の敵だ。
信用する事なんて到底できない。
奴らの筋書き通りに動くこともしたくない。
それなのに、奴らは、協力しろと言うのか?
ふざけている。
仲間たちを殺した人間の言う事を誰が――バネッサが呟く。
「アリーシャに会いたくないかい?」
「――ッ!!!!」
何故、その名を知っている。
その名は、その名前は――バネッサは笑みを深めた。
「知りたいのなら、此処から出してくれ。先ずは、それからじゃないかな?」
「…………っ」
バネッサは完全に上に立ったつもりでいる。
私がその名を言えば断れないと考えているのだろう。
私は怒りで端末に込める力を強める。
今すぐに奴の口を黙らせてやりたい。
心がやれと言っている。しかし、体が動かない。
力を込めた筈なのに、力が抜けていく。
そうして、私は端末を操作して――強化ガラスを排除した。
上へと上がっていき、障害が無くなった。
我々を隔てるものは無くなって、私はゆっくりとバネッサの前に立つ。
奴は狐のように笑いながら、私を見上げていた。
私は震える手で端末を操作した。
すると、短い機械音が鳴って奴の手錠が床に転がる。
奴は手首を確かめてからゆっくりと立ち上がった。
そうして、手を差し出しながら笑う。
「取引、成立だね」
「……ついて来い。話しを聞かせてもらう」
「はいはい……彼女はいいのかな?」
「……何かをするつもりなら、既に襲われている」
バネッサが寝ているサイトウを見る。
私は無害な女を無視して、バネッサを連れて行った。
他の人間たちは震えるだけで何も行動しない。
私はバネッサだけを連れ出して再び牢屋を戻した。
強化ガラスで隔てられた部屋を一瞥して、私は敵の手先を案内する。
この選択は正しかったのか。
私は判断を誤ったのか……私の疑問に答えてくれる人間は誰一人としていなかった。




