159:悪魔からの取引
コロッセオでの試合に勝った。
負傷したチャンピオンはタンカーで運ばれて行った。
奴を殺さなかった俺は会場にいる人間全員からブーイングを受けた。
狂った人間の指示なんて受ける筈も無い。
俺はそれらの声を無視してコロッセオを後にした。
案内をしてくれた男は俺を見てごくりと喉を鳴らした。
その目にはありありと恐怖が出ている。
目の前の何処にでもいるような男が、あのチャンプを負かした。
その事実が認識できていない様であり、俺は笑顔で男に声を掛けた。
すると、奴はびくりと肩を動かす。
怯える事は無いと言いながら俺は目を細めて――ディアブロに会わすように命令する。
男は体を小刻みに震わせながら連絡を繋げる。
電話を繋いだ主はすぐに出たようで。
男は口元を手で隠しながら、コソコソと話をしていた。
俺はそれを黙って見つめて待ちながら、どう出るのかを観察していた。
すると、意外にも男の通話はすぐに終わった。
男は顔を強張らせながら、顎を動かしてついてくるように指示する。
俺はそれに黙って従いながらついて行った。
サイトウさんと合流できた。
彼女は何故か袋を持っていた。
それなりの大きさの袋であり、カサカサと音が鳴っている。
大量の紙でも入っているような音で、ジャラジャラという音も聞こえた。
何が入っているのかと聞けば金が入っていると彼女は答える……賭けたのか?
人を殺して、裏社会のボスから試されていたのに。
彼女は平常運転であり、俺に金を賭けていた。
儲けた彼女は喜んで踊り出すでも無く。
手に入れた金を俺が持ってきたナップサックに詰め込みながら、しらっと前を見ていた。
案内された城の中を歩きながら、俺は彼女の強かさに舌を巻く。
そうして、これからも彼女のそんな精神力が強い味方になるのだろうと思っていた。
カツカツと靴の音が反響する城内で。
窓から差す光が置かれた調度品の壺に反射する。
高そうな絵画や壺、動物の剥製などが飾られている廊下を歩く。
この城の先で、ディアブロが待っているらしい。
ディーノは何処かと男に尋ねれば、彼は別室で待つように指示したと言う。
ディアブロは俺たち二人にだけ会うようで。
彼は所謂、人質のようなものだろうと理解した。
奴はコロッセオでチャンプに勝利した俺を信用したのか?
実力を示し、敵の首を供物として捧げた。
信用を得るには十分だが、如何せん時間が短すぎる。
本来であれば、誰かから信用されたいのであれば長い時間を掛けなければいけない。
長い時間を費やす事によって、人は心の壁を溶かしていくものだ。
しかし、生憎と俺たちにはそんな時間は無い。
U・Mの母艦がとある島に寄港する日数は長く見積もっても一月。
それ以上の時間を掛ければ、また、彼らが何処に行くのかを調べなければいけない。
幾ら時間を掛けて元職員である彼女と接触しても、保有する島以外に行くとなれば分からなくなるだろう。
元職員であっても全ての情報を持っているとは限らないからな。
いや、そもそもマイルス・ワーグナーが保有している島の情報を持っているかも定かではない。
こんなにも苦労してディアブロに接触したとしても、全てが無駄に終わる可能性だってある。
そうなればまた振り出しに戻り、ゴウリキマルさんの身の危険も高まっていく。
何とかして彼女の元へと行き、彼女の身の安全を守る必要がある。
鍵を狙ってるのはゴースト・ラインと告死天使の陣営で……U・Mの人間だけでは防ぎ切れない。
彼らを信頼していない訳ではない。
だが、相手は最強の称号に相応しいような人間だ。
告死天使だけでも脅威なのに、あのファーストも襲ってくるのだろう。
もしも、あの二人が同時にU・Mの母艦を襲撃すれば全滅すらあり得る。
そんな最悪の未来を回避する為に、俺はU・Mの情報を手に入れようとしていた。
告死天使の事は常に考えていた。
奴は氷結地帯に行って、覚醒者を探しに行った。
天子は嘘の情報を話したと言っていたが、奴がそんな情報に惑わされるとは思えない。
恐らくは、覚醒者は本当にそこにいる可能性が高い。
そして、その覚醒者は遥か先の未来を見る事が出来る可能性がある。
もしも、遥か先の未来を見てゴウリキマルさんの位置を突き止めたとしよう。
そうなれば、俺が今している事も全て無駄になる。
だが、それはあり得ないと断言できる。
俺自身が少し先の未来を見えるから断言できるのだ。
どんなに先の未来が見えようとも、それで全貌が見えるとは限らない。
未来を見るというが、それは視覚的な情報を得るだけだ。
木々が生い茂っていたり、川が流れていたり、人が住んでいるなど。
その場所の風景しか覚醒者は見る事が出来ない。
特徴的な地形をしているのなら判別はつくだろう。
しかし、マイルス社長がそんな分かり易い場所にU・Mの拠点を作るとは考えにくい。
恐らくは、他の島と何ら変わりないようなごく普通の島で。
如何に未来が見えようとも、奴らは場所を特定できない筈だ。
時間はある。
奴らがU・Mが寄港している島の情報を得るまでには。
それまでに、俺も情報を集めてゴウリキマルさんの元へと行かなければならない。
その為にも、ディアブロと接触をして奴と取引をする必要がある。
奴が取引に応じるかは賭けだ。
全てが賭けであり、確証なんて何一つない。
だが、俺たちはその賭けを行わなければならない。
そうでもしなければ、ディアブロと対等に話すことは出来ないのだから。
俺たちは城の中を歩いていく。
やがて、案内人の男が止まる。
目を向ければ大きな扉があった。
両側には武装した兵士が立っており、彼は自分が案内できるのは此処までだと言う。
「いいか良く聞け。ボスには絶対に舐めた口を利くな。ボスは無礼な人間が嫌いだ。その場で射殺されるかもしれねぇ。絶対に敬語で話せよ」
「……アンタ、優しんだな」
最初に会った時は俺たちを軽く見ている男だと思っていた。
しかし、今は律儀に忠告までしてくれている。
何故、そこまでして世話を焼いてくれるのかと俺は疑問の思った。
すると、彼は待機している兵士をチラリと見てから小声で言葉を発した。
「……お前に賭けてた。お前のお陰で、俺はちょっとだけ金持ちになった……ちょっとは感謝してるんだ。死ぬなよ」
「……分かった」
男は頬を赤く染めながら咳ばらいをする。
そうして、彼は何も言うことなく俺たちの前から去っていった。
俺とサイトウさんんは重厚な扉の前に立つ。
この先にディアブロが待っている。
彼は一体どんな人間で、俺たちに何と言うのか。
俺は裏社会の大物の人相を想像しながら、対面するその時を待った。
両隣に待機している兵士が唐突に動き出す。
片手で重い扉を開ければ、扉は音を立てて開かれて行った。
俺は開いていく扉の先を見つめながら足を動かす。
前へ前へと進んで、広い玉座の間を進んでいった。
途中で止まり足を止める。
視線を上に向ければ、幻想的なステンドグラスから光が指している。
黄金の玉座に座っている人物は、俺たちに目を向けていた。
狐のように赤い目を細めながら、その口は弧を描いている。
綺麗なプラチナブロンドの髪は腰まで伸びていて、女かと錯覚してしまいそうだった。
しかし、豪華な青い服を身に着けるその男の骨格は男だ。
頬杖を突きながら、玉座に座る男は俺たちに跪く様に言う。
俺は片膝をついて座り、サイトウさんは不服そうにしながらも片膝をついた。
「……コロッセオでの試合、見事だったよ。惚れ惚れするような操縦テクニックだ。もしかして、初めてでは無かったのかな?」
「……いえ、第三世代には乗ったことがありません」
「ほぉ、それであれだけの……うん。流石だ。流石は――公国の英雄殿かな」
「……誰ですか」
公国の英雄と言われて心臓が跳ね上がる。
しかし、表情には出さない。
男はけらけらと笑いながら隠す必要ないと言っていた。
「君が入国して来た時から、君の事は監視していた。何せ、この島にやって来るような人間は真面じゃないからね。顔写真が送られてきた時に、どうにも見たことがあるような気がしていたけど……コロッセオでの戦いで合点がいったよ。どうりで強い筈だ。ははは」
「…………」
「怯える事は無いよ。別に君を捕まえようなんて思っていない――その体に巻き付けた爆弾も使わなくていいよ」
「――ッ!」
正体を見破られただけならまだいい。
しかし、奴は俺の切り札をも見破って見せた。
信号は出ていない筈だ。
俺の心臓の鼓動が停止した瞬間に起爆する様に設定してあるから。
バレる要素は何一つない筈だ。
それなのに、奴はあっさりと俺の切り札を見破った。
奴はケラケラと笑いながら、言葉を続けた。
「見破ったのはほぼ勘だよ。前に、君と同じ事をした人間がいてね。それ以来、用心しているんだ。あの時は、沢山人が死んでね。困ったものだよ……だから、君には彼と同じ事をしないで欲しいと思っている。ほら、これでそれが無駄な行為だって分るだろ」
玉座に座る男はわざとらしく手を掲げる。
そうして、己の手に手を翳して――突き抜けた。
立体映像。
そこには誰もおらず。
ディアブロは初めから俺たちに会う気など無かった。
心臓に氷柱を刺されたかのような薄ら寒さを感じる。
サイトウさんを見れば目を細めながら動こうとしていた。
どうする、どうする――ディアブロが言葉を発する。
「言っただろ。君たちを捕まえる気は無いって……取引をしないか?」
「……取引とは?」
藁にも縋る思いとはこの事か。
最早、俺たちに選ぶ権利など鼻から無い。
ディアブロのペースであり、奴の取引の内容を聞くしかなかった。
「マサムネ君。君には治安部隊と戦ってもらいたい。我々の国に干渉してくる虫を駆除して欲しいんだ。アレ等は我々にとっては目の上のたん瘤の様な存在でね。早急に消しておきたいんだよ。君ほどの腕を持つパイロットなら可能だろ?」
「……取引というのなら、此方も見返りを求めても良いのですか」
「はは、勿論だよ……この島に来てまで君が欲したものは何かな。是非、聞かせてくれ」
ディアブロが俺の話に耳を傾ける。
俺は奴に視線を向けながら、此方の要求を伝えた。
「U・Mの元職員。その身柄を此方に渡して欲しい」
「……あぁなるほど。彼女はこの日の為に……うん。いいだろう。このディアブロの名に懸けて、約束を果たしてくれた時はすぐに君に彼女の身柄を引き渡す……取引は、成立だね」
ディアブロが手を叩く。
すると、陰からぬるりと武装した兵士が現れた。
周りを取り囲まれて、奴らは俺たちに鋭い視線を向けて来た。
警戒心を跳ね上げながら見ていれば、奴らはサイトウさんの腕を拘束する。
「あぁ、治安部隊への襲撃は君とあと二人の人間に任せるからね。そこの彼女は、人質として預からせてもらうよ」
「……クソ」
全て奴の思い通りであり、俺は思わず悪態をついた。
サイトウさんを見れば、何もせずにいた。
俺の意思を汲み取ってくれたのか。
それとも、彼女なりに何かを考えているのか。
何も分からないが、ディアブロの要求に従うしかない。
どうなるのかは神のみぞ知る世界で――俺はギュと唇を結んだ。




