147:礎となり、道を示す
マイルス・ワーグナー社長が消息を絶って約八時間。
時間だけが過ぎて行く中で、俺は焦りに似た感情を抱いていた。
暑くも無いのに汗が流れて、ボタボタと床にシミを作っていく。
時間を計りながら、一時間ごとに連絡を入れる。
しかし、彼らからの報告ではまだ社長を発見できていない様だった。
マイルス社長が会っていた男は、ジョン・フロストである。
俺は何故、社長は奴に接触しようとしたのかとヴォルフさんに質問した。
すると、彼は自分ですら今に至るまで知らなかったという。
マイルス社長からは、ゴースト・ラインに関りを持った人間と話しをするとだけ教えられて。
彼は信頼できる部下を護衛につけていたようだ。
だが、結果からいえばそれは失敗した。
会っていた場所に行けば、既に警戒線が張られていた状態で。
中へと通して貰えば、彼の部下たちが変わり果てた姿となっていたらしい。
どの死体も精確に眉間を撃ち抜かれていて、抵抗した形跡は無いようだった。
どうやって、手練れの兵士をたった一発の銃弾で殺した?
店内で人が暴れた形跡は無い。
店の人間たちも、よく覚えていないと言っていたようだ。
マイルス社長が来たのは覚えている。
しかし、ジョン・フロストを見たと言う人間はいない。
まるで、記憶に霞が掛ったように奴の姿を認識できていなかった。
いやそれだけじゃない。銃声ですら、その耳には入っていない。
サプレッサーを付けていたとしても、人が倒れる音くらいは聞こえたはずだ。
だが、誰もそんな音を聞いていない。
俺はその時点で、ある一つの事に気が付いた。
それは魂を再構築する事によって、その人間の感覚すら塗り替える事が出来る薬の存在で。
俺は一時間という縛りを無視して、緊急でヴォルフさんに連絡を入れた。
通話はすぐに繋がり、俺は彼に質問した。
「ヴォルフさん。飲み水に関して聞きたいことがあります。最近、口に含んだもので違和感を抱いたものはありますか?」
《……無い。艦内の飲み水は徹底的に調べている。成分検査に掛けられた上に、何十もの検査をする。設置されていてる自販機の飲み物も同様だ……それがどうした?》
「敵は神薬を使った可能性があります。事前にヴォルフさんの部下に薬を飲ませて……ジョン・フロストは命令一つで彼らの動きを封じた。そうでなければ、部屋が綺麗なままな筈がない」
《……少し待て》
ヴォルフさんは俺に待つように言う。
俺は暫く待って、カチカチという時計の音を聞いていた。
壁に掛けられた古ぼけた時計は、秒針を静かに刻んでいる。
それをジッと見つめていれば、すぐにヴォルフさんは通話を再開した。
《……映像記録にマルサスが部下に接触した記録が残っていた。他の人間の話では、栄養ドリンクの差し入れだったらしい……殺された部下の他に十三名がそれを口にしている……精密検査を行ってみる》
「えぇ、その方がいいでしょう……それで、マイルス社長は?」
《……分からん。空か海か陸か。それすらも分からない……マサムネ、お前の意見が聞きたい》
ヴォルフさんは俺に質問する。
敵はどのルートを使ってマイルス社長を連れ去ったか。
俺は暫く考えてから、静かに自分の意見を伝えた。
「……恐らくは、海でしょう。空から逃げるのならば、飛行船を使う以外に方法が無い。それ以外の方法で空を進むのならば、帝国からの許可がいります。記録に残っていないのなら、空は違う。陸路を使った可能性もあります。ですが、ジョン・フロストは大柄の人間で何名かの部下を連れている筈だ。最低でも五人……マイルス社長も含めるのならば六名。その人数で車に乗車して移動すれば、大勢の人間が見ている筈です。ただでさえ、ジョン・フロストは目立つ人間だ。それに、人一人を拉致した状態で検問所を超えられる筈がない。陸路を使うのは悪手です」
《……消去法か……確かに、海運業の人間であるのなら船を使った方が確実だろう。お前の言う通り、奴は目立つ存在でもあるからな……だが、港であるのなら我々と接触する危険があった筈だ》
ヴォルフさんは鋭い指摘を入れる。
確かに、港で停泊しているU・Mの母艦を前にして社長を連れていくのは無謀だ。
港にはU・Mの人間が巡回している筈で、メンバーでも無ければ通される筈がない。
人一人が入るような袋や箱を持っているのなら、尚の事、彼らは警戒するだろう。
俺たちのように一度、帝都から出てから船を使った可能性もある。
しかし、それならば陸路を進んでいる筈で。
出る時に記録に残っていなければ可笑しい。
それが無いと言う事は、帝都から出てから船を使った可能性も消える。
俺はヴォルフさんの指摘を受けて、端末を操作してあるものを探す。
片手間で保存していたフォルダーを開いて、ゴースト・ラインの調査をしていた時に集めた資料の一つを送った。
それを受け取ったヴォルフさんは「これは」と驚く。
「……帝都のマップです。より鮮明な図なので、それを見れば分かると思います」
《……水路か。それも複雑に入り組んだルートを辿っていけば……海へと続く道が一つだけ存在する》
「本来であれば、小舟くらいしか通れない水路です。そんな道を通って来る行商人はいない。使っているのは、帝都で水質調査をしている人間くらいです……恐らく、水質調査をする業者を装って奴らは帝都から脱出した。そうして、時間通りに合流地点につく別の船へと乗り込んでマイルス社長を連れ去った……全て推測ですけどね」
《いや、十分だ。我々は今から水路に駐在している人間に聞き込みを……どうした……何?》
聞き込みをしに行こうとしたヴォルフさん。
しかし、誰かに声を掛けられて何かに驚いている。
俺は何があったのかと心配していた。
すると、ヴォルフさんは俺に何かを送り付けてきた。
《……マサムネ……送ったものを開け……最悪の状況になった》
「……分かりました」
送られてきたものを視覚から読み取る。
そうして、指を虚空で動かして表示させた。
暫く読み込みが始まって、ゆっくりと網膜に映像が投射される。
窓一つない暗い部屋の中で、麻袋のようなものを被せられた血まみれの人間が椅子に縛り付けられていた。
両側にはライフルを持った覆面の男が二人立っている。
嫌な予感がした。
この麻袋を被せられた人間は――男の一人が動く。
ゆっくりと袋を手に握る。
そうして、被せられた袋を取った。
すると、顔中が痣だらけになった――マイルス社長がそこにいた。
「……っ」
やはり敵の手に捕まっていた。
場所を特定できるようなものは存在しない。
社長が捕まってからおよそ八時間。
その時間を船によって移動してたどり着ける場所。
ヴォルフさんも俺と同じ考えに至っているようで。
部下に指示をして場所の特定を急いでいた。
だが、それだけでは足りない。
およそ八時間の移動と言っても、何処で止まったり加速したかは分からない。
おおよその移動範囲を絞る事しか出来ないのだ。
それではマイルス社長を見つける事は出来ない。
ヴォルフさんは理解している。
しかし、それでも社長を助けようとしていた。
俺も何か役に立てないかと映像の中を観察する。
そんな中で、機械による合成音声が響いた。
《あ、あー……うん、繋がっているな。さて、こんばんはU・Mの諸君。ご覧の通り、君たちのボスの身柄は我々が確保した。もっと君たちとはお茶でも飲みながら話がしたかったが。同志がイライラしているのでね。手短に要件を言おうか……我々の要求は一つ。マサムネ君と彼の元バディーであるゴウリキマルの身柄を我々に引き渡す事だ。大人しく引き渡すのであれば、此処にいるマイルス・ワーグナー君の命の安全は保障しよう。あ、断っても良いが、その時は彼を最も残酷な方法で殺そう。その残酷な方法については君たちの想像に任せるよ……さぁ、時間は十分だけだ! 我々は気が短いからね。即決で頼むよ》
《くそ……特定はまだかッ!》
《だ、ダメです! 該当する島だけでも百を超えています! この中から探し出すのは……》
《我々に映像を飛ばしている。それから割り出せないのかッ!》
《……だ、ダメです。敵は幾つかのポイントを経由して映像を送っています。人員を総動員しても、最低でも三時間は……》
《くそッ!!!》
物を強く殴りつける音が響いた。
そんな事をしている間にも、映像の中の男は笑っている。
優雅に鼻歌を歌いながら、俺たちの決断を待っていた。
俺が行くしかない。
ゴウリキマルさんの安全だけは確保する。
俺が、俺だけで――
《あ、何方かだけというのはダメだよ。それはルール違反だ。我々は要求に関して一切の譲歩はしない。お互いに誠実で公正な取引をしよう》
「……くっ」
奴は俺の考えを見透かしたかのように言う。
恐らくは、ファーストが俺たちに要求をしている。
同志と言っていたが、あの場には他の幹部もいるのか?
そうだとしたら、マイルス社長が自力で脱出するのは不可能だ。
手練れの兵士が見張っている上に、幹部までいる。
そんな状況で、俺たちが救出に向かおうにも……それも想定済みか。
俺たちが奴らの居場所を特定して救出に向かうのも想定済みだ。
だからこそ、たった十分で決断させようとしている。
十分しかなければ、俺たちには考える時間も無い。
全てファーストの計画通りであり、俺たちには成す術もない。
嘘をついて時間を稼ぐか……いや、奴にハッタリは通用しない。
交渉すると見せかけて時間を……ダメだ。奴はすぐに決断を下す。
考えろ、考えろ、考えろ――笑い声が聞こえた。
くつくつと笑いながら、傷だらけの男が顔を伏せる。
この状況には不釣り合いの笑い声で。
要求を出していた人間は、笑っている社長に疑問を投げかけた。
《……どうかしたかね。人質君》
《……笑わずにはいられないよ。可笑しくって仕方がない。は、ははは》
笑っていたのはマイルス社長だ。
彼は口の端から血を流しながら、笑みを浮かべていた。
この危機的状況下で、何故、彼は笑っていられるのか。
ファーストは気でも狂ったのかと聞く。
すると、マイルス社長は首を左右に振る。
《……私は正常だ。今も恐怖で震えている。死ぬのは、誰だって怖いだろう?》
《……だったら、大人しくしていたまえ。君の仲間が君を救って》
《やめてくれ。これ以上私を――笑わせないでくれよ!》
マイルス社長は弧を描くようににんまりと笑う。
それを見ていたファーストが指示を送ったのか。
控えていた兵士がライフルの銃床でマイルス社長を殴りつける。
鈍い音が響いて、マイルス社長は頭から血を流した。
ヴォルフさんは舌を鳴らして苛立ちを露わにしていた。
殴られて傷つけられて――それでも、社長は笑っていた。
《……何故、笑っている。この状況の何が可笑しい》
《可笑しいさ。可笑しいとも。狩人の真似をしたお前らが、獲物である私を前にして油断している……それは違う。お前たちは、狩人ではない。私は餌だが、お前らも食われる側だ》
《……餌? 何を言って――調べろ》
ファーストが何かに気づいて控えていた部下にマイルス社長を調べさせる。
ペタペタと体を触って、何も異常が無いと伝える。
指示を出している人間は、他の人間に指示を出して何かを持ってこさせた。
箱状の何かを受け取った兵士がそれを社長の体に当てる。
しかし、何の反応も無い。
指示をしていた人間は黙り込んで――けたたましい音が響いた。
《敵からの攻撃だッ!! 位置がバレてるぞッ!!》
《何? どうやって――まさか》
兵士たちが慌てていて、合成音声で別の人間が危機を知らせる。
攻撃を受けている様子であり、建物は揺れていた。
天井からパラパラと埃が落ちてきて、兵士たちは奥に隠れている人間に視線を向けていた。
やがて、何かを理解したのか指示をしていた人間は笑う。
嘲笑うものではなく相手を賞賛するような笑い方で、奴は社長に対して言葉を発した。
《――はは! なるほど、君は確かに餌だ! 事前に調べても出ない。君は自分自身の体の中に――発信機を生みこんだのか!》
《理解、出来たか……逃げても遅い。もうサイは投げられた。私ですら止める事は出来ない……一緒に地獄へ来てもらうよ。ジョン・フロスト》
マイルス社長が呟く。
すると、控えていた部下が彼に報告する。
この場所に大量のミサイルが撃ち込まれたと。
もう間もなく着弾する事を告げていた。
迎撃は不可能で、今すぐに退避する様に言っていた。
ファーストは笑う。
逃げ場のない奴は、笑い声を上げながらマイルス社長を賞賛していた。
《初めから助かる気が無い!! 自分自身を餌として、我々を道連れにする算段だったか!! ははは! マイルス・ワーグナー!! ただのビジネスマンかと思えば、立派な戦士だったか!! ははははは!!》
《ファースト!! 早く来い!!》
合成音声の声で誰かが叫ぶ。
それによってファーストの気配が消える。
控えていた部下も慌ただしく去っていく。
俺は何が何だか分かっていなかった。
――視線が、合った。
マイルス社長が静かに俺を見つめる。
彼には俺が見えていない筈なのに、しっかりと俺を見ていた。
勘違いだ。そんな筈はない。
でも、確かに彼の瞳には俺が映っている気がした。
痣だらけの顔で、口からは血を流している。
痛そうであり、苦しそうなのに彼は笑みを浮かべていた。
優しくて慈しみに満ちた笑みであり、彼は静かに誰もいない空間で言葉を発した。
《……ありがとう。君には、助けられてばっかりだったね……もう一度、君に会いたかった。会って、沢山話がしたかった……もう、時間が無いかな……はぁ、死にたくないなぁ。地獄には、甘味の類は置いてあるのかな?》
マイルス社長は笑う。
その発言から、彼の命は消える寸前だと分かる。
俺はそんな彼をジッと見つめていた。
かつて失った大切な人たち、その人たちと同じ覚悟を彼から感じた。
だからこそ、俺は何もいう事なく彼を見つめていた。
揺れは大きくなっていく。
壁の一部が破壊されて、砂埃が舞う。
死が確実に迫っているのに、社長はジッとカメラを見つめている。
俺が見ていると理解して、彼は真っすぐな目を向けて来た。
死を悟った人間。
しかし、全てを諦めて絶望した人間の顔じゃない。
彼の瞳の奥には光が確かに宿っている。
その目は今まで何度も見てきた目だ。
確かな意思を持ち、覚悟を持って行動してきた人間の目。
自分の行動に迷うことなく。
未来を見据えて、命も顧みる事無く進んだ人間の瞳だ。
想いを託して、希望と勇気を与えていった勇者の光。
それを見つめながら、俺はギュッと拳を握る。
マイルス社長はゆっくりと息を吐く。
そうして、顔を上げてから俺の目を見つめてきた。
その目には決意の光が灯っている。
彼は静かに、自らの想いを俺に伝えた。
《――君を信じている。君は私のヒーローだ。君の未来に幸運を。また会おう。友よ》
「――ッ!!」
マイルス社長の言葉。
俺は大きく目を見開いて、彼へと手を伸ばす。
しかし、俺の手が彼に触れる事は無い。
彼が満面の笑みを浮かべれば、映像はぶつりと途切れる。
爆音が響いて、彼の体は瓦礫と共に消えた。
一瞬の閃光と共に、映像が強制的に切断されたのだ。
何が起きたのかは、理解できた……俺はヴォルフさんに話しかける。
「……ヴォルフさん。俺は」
《……分かっている……分かっている……彼の死を無駄にはしない……マサムネ、お前はお前の信じる道を行け。私は覚悟を決めた。彼の決意が、多くの兵士に勇気を与えた》
「……ゴウリキマルさんたちをよろしくお願いします」
《……あぁ命に代えてでも守る……また、会える日を》
ぶつりと通信が切れる。
俺はゆっくりと端末を下ろす。
ふつふつと体の奥底から熱が沸き上がって来る。
怒りでも恨みでもない、純粋な熱だ。
マイルス・ワーグナーの最期の言葉が、俺に勇気を与えてくれた。
友と呼んでくれて、俺を信じていると彼は言った。
影すら掴めなかった奴らに、彼は自らの命を使って一矢報いた。
その犠牲は無駄ではない。彼の言葉、意志が多くの人間に勇気を与えた筈だ。
ギリギリと端末を握る手に力が籠って、パキャリと音がした。
俺はそれを気にする事無く部屋を後にする。
扉を開けて外に出れば、サイトウさんが壁に背を預けて立っている。
彼女はチラリと俺を見てきて、顎でついて来いという。
俺は何もいう事な彼女の後を追う。
ゴースト・ラインは敵だ。
奴らをこれ以上、好きなようにはさせない。
これ以上、大切な人たちを奪わせない為に――俺が奴らの計画を阻止する。




