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145:裏切者の真の狙い

 刻々と時間が過ぎていく。

 俺は焦りを覚えながらも、必死に頭を働かせた。

 バネッサ先生の言葉を思い出していく中で。

 今までこの世界で読んできた本が、一つ一つ浮かんでは消えていく。

 先生が発した言葉の内容に合致する内容の本。

 いや、それに類似する内容の本かもしれない。

 何方にせよ、オッコは人類の歴史の中で彼女が発した言葉の内容を本に書き記した人間を探すように言った。


 名の通った著名人だろう。

 しかし、リアルの世界では過去の産物はほとんど存在しない。

 恐らくは本が作られてから百年以上は経過しているかもしれない。

 古い本は大体読んできたが、似通った本は数多く存在する。

 それはつまり、元となるものがそれらの類似品で隠されているという事だ。

 バネッサ先生の事だから、すぐに分かるような本をメッセージにする筈がない。

 裏切者に悟られないように、過去の歴史に存在した本を暗号として伝えてきた。

 しかし、その本を特定することは難しい。


「……違う……違う……もっと情報を、絞る必要があるのか?」


 俺がボソリと呟いた言葉。

 それを聞いたオッコは何かを送って来た。

 俺は何を送って来たのかとオッコに聞く。

 すると、奴は自分が絞り出した容疑者の名前をリストに纏めたものを送ったという。


《……これは俺の勘だ。当たってるかも怪しい……恐らく、容疑者の名前と著者……それが繋がっている可能性がある》

「……そうか。バネッサ先生の語った話の内容は、誰かの思想かもしれない。だったら、それを書いた著者とスパイに共通点が……待ってくれ。繋がりそうだ」


 バネッサ先生が話した内容を思い出していく。

 彼女は人口の増加と共に、この世界でのリソースの奪い合いが激化していくと言った。

 そうして、増えすぎた人口は悪徳によって減らされる。

 彼女はそれを容認せず、公正なる法の裁きの元によって――あった。


 過去の歴史に存在した偉人。

 人口論という本を書いた著者。

 細部は違っているかもしれないが、大まかな内容は一致している。

 バネッサ先生が語っていた内容と本の内容が類似していた。


 俺はもう一度、送られてきたリストを見る。

 

 心が冷たくなっているのに、額からは汗が流れていく。

 

 だらだらと汗が流れていって、俺はそれを片手で拭う。


 リストを見れば、確かにあった。

 

 何度見ても見間違う事は無い。

 

 人口論の著者とこのリストに載った名前の中で一致している人間。


 


 その人間の名は――マルサス。


 


「……君が、スパイだって言うのか。マルサス君」

《……それが正解なのか》


 オッコは疑いを持っていない。

 腑に落ちたように言葉を吐いて、ゆっくりと立ち上がった。

 その時に、誰かの怒声が聞こえた。

 それはトロイの声で、アイツは声を荒げながらそんな筈はないと言っていた。

 騒がしかった食堂はいつの間にかトロイの声だけになっている。

 苛立ちと焦りが混じった声のトロイを周囲の人間が押さえつけているのが分かる。

 俺はトロイへの謝罪を心の中でしながら、オッコにそうだと告げた。


《……アイツの端末から現在の位置情報を割り出す。俺の勘が正しければ……ビンゴ。奴はエンジンルームを目指しているぜ》

《いいいいい今すぐ取り押さえないと!》

《あぁそうだな――すぐに行くぞ!》


 レノアの言葉を肯定するオッコ。

 そうして、慌ただしく全員が動き始める。

 タイムリミットは迫っており、残された時間はあまりない。

 俺は間に合ってくれと心の中で願いながら、姿の見えない彼らの息遣いを静かに聞いていた。



 

《はぁ、はぁ、はぁ。追いついたぜ――マルサス》

《……皆さん、どうかしたんですか?》


 端末越しに声が聞こえる。

 オッコは端末を操作してカメラを起動させた。

 そこにいるのは巨大なエンジンを背に首を傾げるマルサス君。

 何故、食堂にいた人間たちが此処へ来たのか分かっていない表情……それも演技なのか。


 オッコは一歩前に出る。

 そうして、マルサス君に対して静かに言葉を発した。


《……もう終わりだ。お前の正体は分かった……お前が、スパイだったんだろう。なぁマルサス》

《違うッ!! 弟は関係ないッ!! そうだろ、マルサスッ!?》


 トロイが叫ぶが、マルサス君は応えない。

 顔を伏せながら何かを言っている。

 オッコは何かを取り出そうとしていた。

 カチャリと小さく音が鳴って――マルサスが叫ぶ。


《動くなッ!!!》

《……っ》


 彼は手にした端末を掲げる。

 怪しげな数字の羅列と共に、中央には一つのバーが表示されていた。

 彼は静かに、これは爆弾の起爆スイッチであると説明する。


《……もう少し、だったんですけどね……あの女の言葉、やっぱり意味があったんですね。ふふふ》

《……無駄な事はするな。お前には逃げ道は無い。死ぬつもりか?》

《死ぬ? 誰がですか? 僕は死にませんよ。死ぬわけがない》


 狂ったような笑みを浮かべながら、マルサスは笑う。

 追い詰められた筈のマルサスは、やけに落ち着いていて。

 逃げ場のない筈の彼は、爆弾を起爆しても死なない自信があるようだった。

 俺はゆっくりと彼に対して一つだけ質問をした。


「……何故、俺たちを裏切った。初めから、騙していたのか?」

《……えぇそうですね。初めからです。初めから僕は貴方たちを――ただの道具だと思っていましたよ》

「道具?」

《えぇ、兄さんを輝かせる為の道具です。貴方たちの情報を渡していたのも、全ては兄さんの為です》

《俺の、為? 何を、言っているんだ?》


 困惑しているトロイ。

 恐らくは、トロイは演技をしていない。

 裏切っていたのはマルサスだけで、肉親であるトロイですらそれを知らなかった。


 マルサスは頬を紅潮させながら弧を描くように笑う。


《兄さんは、僕にとってヒーローなんですよ。ヒーローはどんな逆境も乗り越えなければいけない。ボロボロになっても立ち上がって、どんな強敵にも立ち向かっていく……僕は、兄さんの為に舞台を整えただけです。U・Mという悪の組織と戦う正義の味方たち! 帝国と協力して生み出された大量の無人機たち! 魔神という最大の敵を前にして散っていく仲間たち! 兄さんはそれでも生き残って、多くの戦場を生き抜いてきたッ!! 戦って戦って傷ついて絶望して――兄さんは輝いていたぁ》


 うっとりとした表情でマルサスは語る。

 トロイは何も言う事が出来ない。

 奴は今、何を思っているのかは想像できる。

 弟の狂気に満ちた思想を目の当たりにして、奴は恐怖や戸惑いを感じているだろう。


 このまま奴の話を聞いていても時間の無駄だ。

 どうにかして奴を取り押さえなければいけない。

 しかし、マルサスまでは距離が離れている。

 銃による狙撃も考えたが、目の前で怪しい動きをすればすぐに気づかれるだろう。

 一か八かの賭けに出るしかないのか。

 だが、それを出来る人間はこの場には……ん?


 視界の端で何かが動いたように感じた。

 マルサスに気取られないように見ていれば、誰かが上に昇っている。

 上へと昇った人間が手信号を誰かへと送っていて。

 注意深く周りを観察すれば、何名かの人間がマルサスの周囲を包囲していた。

 誰が彼らをこの場所へ――そうか、オッコか。


 此処へと移動する時に、片手間で誰かに連絡をしていた。

 話し声が聞こえなかった事から一方的なメッセージであると分かる。

 それを受け取った誰かは、船に存在する部隊を展開して、裏切者であるマルサスを包囲した。

 逃げ場はなく、その手にはライフルが握られている。

 暗闇にまぎれる様に移動して、その銃口をマルサスへと向けていた。


 やるのか、あの場所からマルサスを狙撃するのか?


 熟練の狙撃手であるのならば可能だ。

 しかし、エンジンから吹き出す蒸気などで視界が不良だ。

 敵は小刻みに体を揺らしている状態で、精確に撃ち抜けるのか。

 俺は彼らの腕を信じながら、その時を待った。


 ゆっくり、ゆっくりと時間が流れて――マルサスは笑う。


 

《タイムオーバーですね。それでは皆さん――さようならぁ》

《やめろッ!!!》


 

 マルサスの言葉と共にトロイが駆けだす。

 そんな兄を見つめながら、マルサスはゆっくりと端末を指で触れようとしていた。


 時がゆっくりと流れていくような感覚。

 全てがスローモーションに感じる中で。

 トロイは必死になってマルサスに手を伸ばす。

 奴はそんな兄を見ながら昂然とした表情で目を細めている。


 決着がつく。

 全てが終わる。

 最悪の展開が頭の中に流れて、俺は歯を強く噛みしめる。


 何も救えないのか。

 また、大切な仲間を失うのか。


 俺が目を瞑りそうになった時――乾いた音が響く。


 一発の銃声と共に、マルサスの腕から血が噴き出す。

 弾丸が当たった衝撃で半ばから手がもがれて。

 端末がコロコロと転がった。

 そうして、オッコの後ろから大勢の人間が駆けだして。

 瞬く間にマルサスの身柄を拘束した。


《良くやった。オッコ。そして、マサムネ》

「……ヴォルフさん」


 オッコの肩を叩いてから現れた男。

 その後ろ姿は何度も見てきた。

 間違う筈も無く、ヴォルフさんであると分かった。

 彼が部隊の展開を指揮して、マルサスを取り押さえたのか。

 熟練の兵士だけあって状況判断は上手く。

 今回もそれによって全員が助けられた。


 俺はヴォルフさんに感謝しながら、ジッと床に押さえつけられているマルサスを見ていた。

 奴は捕まった今でも不敵に笑っている。

 ヴォルフさんはそんなマルサスの前に立って、質問をしていた。

 それは誰からの指示で、U・Mの母艦に爆弾を取り付けたのかで。

 俺はファーストの作戦であると分かっているが、ヴォルフさんは知らないだろう。


 マルサスはにやりと笑う。


《ゴースト・ラインに決まっているじゃないですか。これも作戦の一つですよ》

《……何? どういう事だ。お前は爆破を失敗した……待て。まさか!》

《ふふ、気が付きましたか……えぇ、捕まるのも作戦の内。僕の役割は、陽動です……さぁ、貴方たちのボスは、今、何処でしょうねぇ》


 ヴォルフさんは舌を鳴らす。

 まんまとしてやられて、急いで何処かへと連絡を繋いでいた。

 しかし、連絡は繋がらなかったようで。

 ヴォルフさんはマルサスに、社長を何処にやったのかと問いかけた。

 マルサスはそれに応えない。顔を伏せたままでピクリとも動かず――まさか!


「ヴォルフさん! マルサス君は!」

《――くッ!》

 

 急いで顔を持ち上げた。

 すると、口から泡を吹いて白目を剥いている。

 苦しみを味わった顔であるものの、笑みを浮かべていた。

 まるで、地獄からお前らを見ているぞと言わんばかりの顔で……自決したのか。


 ヴォルフさんが脈を計る。

 しかし、スッと手をのけて静かに首を左右に振っていた。

 トロイはよろよろと足を動かしながらマルサスに近づく。

 崩れるようにマルサスに覆いかぶさって、彼は周りの目も気にせずに泣き始めた。

 どんなに悪人であろうとも、彼にとっては最愛の弟で。

 叫ぶように泣いているトロイに掛ける言葉が見当たらない。

 俺は唇を噛みしめながら、最悪の結末に心を曇らせた。


 ふつふつと沸き上がって来る怒り。

 しかし、この怒りは誰に向けるものなのか。

 マルサスは自らの意思で裏切者となった。

 その言葉に嘘偽りは無く、洗脳されていた様子も無い。

 しかし、トロイの悲しみに満ちた声を聞いて、マルサスを恨むことは出来なかった。

 だったら、俺は誰に怒りの矛先を――ヴォルフさんが目の前に立つ。


 オッコから端末を奪って、俺に鋭い視線を向けてきた。


《感動の対面とはいかなかったが……無事で良かった》

「ありがとうございます……それで、社長は」

《……分からない。帝都にあるレストランである人物と話をすると言って出かけたっきりだ……連絡が途絶えてから、三時間ほどか……気づくべきだった》

「……護衛の人間は? まさか一人で?」

《いや、数名を護衛につけていた。手練れの兵士で、敵に後れを取るような奴らではない……我々は今から、話合いが行われた場所に向かってみる。何か分かれば連絡を……いや、これは特殊なコードを使っているのか……すまんが、お前から一時間ごとに連絡を繋いでくれ。出来るか?》

「えぇ問題ありません……巻き込んでしまってすみません」


 俺は迷った末に、謝罪を口にしてしまった。

 こんな言葉に意味は無いと分かっている。

 しかし、言わずにはいられなかった。

 ヴォルフさんは静かに息を吐く、そうして、ジッと俺を眼を見つめて来る。

 

《……巻き込まれた訳じゃない。初めから、俺たちは共に戦っている。それを忘れるな》


 ヴォルフさんの言葉を静かに聞く。

 根は優しい彼からの言葉で、俺は少しだけ気持ちが軽くなった。

 そうして、通信が切断されて俺はゆっくりと息を吐いた。

 帝都にて行われた極秘の会談で、社長であるマイルス・ワーグナーの消息が絶たれた。

 マルサスの狙いは初めから、U・Mの母艦の爆破では無く。

 俺たちの目を自分に向ける為で、俺たちはまんまとそれにのせられてしまった。

 一時間もあれば、敵は既に現場から離れており、何処に向かったのかも分からない。


 何処へ社長を連れ去ったのか。

 いや、そもそも社長の身は安全なのか――端末から音が鳴る。


 ピリピリと機械音が鳴って、再び周りの時間がゆっくりになっていく。

 そうして、虚空から現れたファーストは残念そうに首を左右に振っていた。


「残念だよ。実に残念だ。君は私の期待を裏切った。これほど、悲しい事は無い」


 嘘をついている。

 奴は俺が誘いに乗らない事を分かっていた。

 その上で、マルサスという人間を使って陽動までさせた。

 全ては計画の内であり、奴はまだ何かを企んでいる。


 奴はゆっくりと顔を上げた。

 そうして、ニコリと笑いながら言葉を発した。


「君には報いを受けてもらう。勧誘を断わった報いではない。犠牲失くして新たな解を得た報いだ……存分に、苦しんでくれたまえ」


 何を言っているのか。

 そう聞こうとしたが口は動かない。

 奴は不敵に笑いながら、ゆっくりと体を消していった。


 奴は指をピンと立てて呟く。


 

「決断の時が来た。マサムネ君」


 

 その言葉を残して、奴の体が完全に消える。

 そうして、時間は再び動き出して。

 俺は端末を取り出して睨みつけながら、何が起こっているのかと考えた。


「……ファーストは何を考えている……奴は一体何を」


 俺の呟きに応えてくれる人間はいない。

 ただ静かに時が流れて、俺は揺れる船内の中で一人先の見えない不安を感じていた。

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