137:囚人を探して
端末に入っていた情報を元に移動した。
そうして、帝国内にある小さなホテルの中に足を踏み入れる。
フロントにいたのは、ニコニコと笑っている眼鏡を掛けた細長い男で。
先に来ている先生の名前と俺の名前を伝えれば、先生の部屋の番号を教えてくれた。
俺は礼を言ってから、エレベーターに乗って三階に行く。
暫く待ってチンという音が聞こえて扉が開いて、緑色のカーペットが引かれた廊下に出る。
ゆっくりと移動してから、俺は307号室の前に立つ。
そうしてトントン、トントンときっちり四回戸を叩いた。
覗き穴から視線を感じている中で、暫く待てば戸が開かれる。
扉の先にはナイフを持ったサイトウさんが立っていた。
「……遅い」
「すみません……帝国兵士への通報ありがとうございます。何とか脱出できました」
「別に……入って」
サイトウさんに言われるがままに部屋の中に入る。
部屋の中を見れば苦笑するアサギリ先生がいた。
汗を掻いており、大急ぎで移動してきたのが伝わる。
ゴースト・ラインの接触。それによって急遽、宿泊予定だったホテルを変えた。
事前に、敵に居場所がバレた時の為に、別の宿も抑えていた。
変更前も後も、東源国にとって信用できる人間が支配人を務めるホテルで。
恐らくは、ゴースト・ラインもこのホテルは突き止めていない筈だ。
尾行を警戒しながら、態々遠回りして此処まで来た。
つけられていた気配はしなかった。
安心は出来ないが、アサギリ先生は帰る日までこのホテルにいてもらおう。
俺とサイトウさん以外の人間はこのフロアに通さないように言い渡している筈だ。
不審な人間が来れば、すぐに俺たちに連絡が来る。
そんな事を考えながら、俺はアサギリ先生に声を掛けた。
体調は大丈夫か、不安な事は無いか。
彼は笑みを浮かべながらハンカチで汗を拭う。
「えぇ大丈夫ですよ……いやはや、こういう経験はあまり無いので。ドキドキしますね」
「……脅かすつもりはありませんが、外は危険です。外出は控えてください」
「分かっていますよ……天子様から聞いてはいましたが、貴方方は私の想像以上に危ない事をしているのですね」
「……貴方に危害は加えません。大丈夫……とは言い切れませんが、無事に帰国できるようにベストを尽くします」
頼りの無い言葉で安心させようとした。
すると、アサギリ先生は温かな笑みを浮かべながら言葉を発した。
「はは、信頼していますよ……不思議ですね。貴方からは悪人特有の空気を感じない。危険な事をしているのに、人を威圧するような空気を発していない。修羅場は潜っている。でも、貴方からは優しさを感じる」
「……俺が、優しい? それは違う。俺は罪人ですよ」
俺が優しい人間である筈がない。
多くの人間を殺し、子供ですら手に掛けた。
仕方なかったと言えばそれまでだ。
俺は理由があろうとも、多くの命を奪った。
多くの人の人生を狂わせた。
そんな人間が優しい筈がない。
どんなに相手を気遣おうとも、俺の罪は消えやしない……あぁ、そうか。
ファーストの考えを此処で理解した。
奴がオーバードに選ばれる人間が俺に近いと言った理由。
それは俺が多くの罪を犯した人間だからだ。
多くの命を奪い、世界の敵となった今。
俺は誰よりも罪深い存在になっていると言える。
しかし、俺は自分の罪を――受け入れられない。
どんなに自責の念に駆られようとも。
どんなに殺した人間たちに悔恨の念を抱こうとも。
俺はこの大罪を、受け入れるだけの心構えが出来ていない。
もしも、この罪を認めた時。
俺は今まで感じた事の無い苦しみを味わう事になるだろう。
俺は怖い。認めた時に襲い来る痛みや苦しみが怖い。
だからこそ、俺は自分の犯した罪を受け入れられない。
どんなに後悔しようとも、心のどこかで遠ざけていた。
先生と俺の間に沈黙が流れる。
すると、先生はゆっくりと手を伸ばして俺の手を握った。
優しく柔らかい。温かな掌が、俺の手を包みこんでくれた。
先生はくしゃりと笑って、ゆっくりと言葉を発した。
「この世界に、間違いを犯さなかった人間はいない。間違いを受け入れられない人間も沢山います……でも、人間は成長する。その時に出来なかったことを、未来の自分は出来る。今の貴方が出来ない決断を、未来の貴方はきっと決断します。信じましょう。自分自身を」
「……それは現実逃避です。未来の自分に縋っているだけで」
「――それの何がいけないんですか? 未来とは明るいものです。見えないからこそ、人は希望に満ちた世界を想像する。今じゃなくてもいい。十年後、二十年後、三十年後……貴方の欲した答えが見つかっている筈です」
アサギリ先生は、まるで本物の教師の様であった。
優しく手を包み込んでくれて、子供に言い聞かせるように自分の考えを話してくれた。
その考えは、俺にとって希望に思えた。
現実逃避だろう。でも、悪いものではない。
何十年後の自分は、今の自分が見つけられなかった答えを見つけている。
そう考えれば、鉛のように重たくなった心が幾分か軽くなった気がした。
我ながら単純な性格かもしれない。
赤の他人に言われた言葉で、心が軽くなるのだから――俺は笑う。
「……ありがとう」
「……いえいえ……さ、仕事が残っているのでしょう? 天子様への報告を済ませましょう」
アサギリ先生はパンと手を叩いて通信機に視線を向けた。
盗聴される心配のない特殊な通信機器。
信頼できるホテルに配備されているものであり、此処にも勿論備えられていた。
俺はゆっくりと頷いてから、通信装置に近寄って起動させた。
スイッチを押して周波数を設定して、回線を繋ごうとする。
暫くの間、ノイズが走っていた。
しかし、徐々に通信が安定して相手と繋がった。
出てきた相手はミネルバではなく、天子自身だった。
奴は大きく欠伸を掻きながら、俺たちの報告が遅かったことを怒っていた。
《こんなに我を待たせるとは、斬首されても文句を言えんぞ?》
「……古文書の解読が出来た。それと、ゴースト・ラインの幹部と接触した」
《……ほぉ、ゴースト・ラインが……理解した。報告を続けよ》
天子の言葉を聞いて、アサギリ先生が立ち上がる。
俺は通信機を渡して彼に説明を委ねた。
先生は簡潔に今回手に入った情報を天子に伝える。
オーバードの姿形や、オーバードが求める人間について。
それらの歴史や、実際に使用できた人間の特徴など。
黙って聞いていた天子。
先生の説明が終わると、天子はゆっくりと息を吐いた。
《……まぁ想定の範囲内だ。特殊な条件だと思ったが、また難しい条件だなぁ……メリウスのような人型で、オーバードは二機存在すると》
「……お前は何を知っている。古文書を調べさせたのには理由があるんだろう」
《……まぁそうだな。条件が分かった今なら話しても良いだろう……我はオーバードの在り処を知っている》
「……それは以前聞いた。なら、何故、こんな回りくどい事を」
《まぁ待て。在り処を知っているとは言っても……ざっくりとだけだ》
「……は?」
在り処を知っていると確かに言った。
しかし、奴はその後にざっくりとと付け足した。
その意味は何だ。曖昧な答えでは納得できない。
俺は更なる説明を要求した。
《……古い言い伝えだ。子供に聞かせる空想とされた話……深い深い神殿の中で眠る神。そして、罪人の心と共に存在する神。神殿に祭られし神は理想郷を求め、罪人の心と共にある神は呪いを植え付ける。勇者となりて神殿へ行く者、罪人となり永遠に呪われる者……良い子にしていれば神が祝福を授け、悪い子は永遠に呪われる……本当にざっくりだろ?》
「……在り処を知っているとは言えない」
《ははは! 期待させて悪かった! だが、お前たちには有益な情報を渡す》
「……何だ?」
これ以上何を聞かせると言うのか。
俺は眉を顰めながら天子に聞く。
すると、奴は自信満々に言葉を発した。
《オーバードの在り処を知っている人間がいると言っただろ? それも脳内に情景が浮かんだという者が》
「……何故、そこまで知っているのに情報を渋る。最後まで言え」
《あぁ? 渋ってなどいない。我の僕が突き止めたのは、オーバードの在り処を見たと思わしき人間がいるということまでだ。その者は現在、帝国内にある刑務所にて収監されている。役人への傷害罪で禁固刑を言い渡されている。僕の話では、人が変わったように狂暴となり暴れたそうだ。面会をするのなら注意をしろ》
「……つまり、その人間から話を聞けと?」
こいつは情報を出し渋っていた訳ではない。
一つ一つの情報を俺たちに片付けさせようとしている。
オーバードが力を貸す人間の条件を突き止めて。
次はオーバードの在り処を知り得た人間へと聞き込みをするように命令してきた。
天子の話が本当なら、話を聞きに行く人間は犯罪者で。
真面に話が聞けるかも怪しいだろう。
他に情報が無いのかと聞けば、天子は首を捻って考え始めた。
《……その男は元は孤児院を経営していた。捕まってからは、その孤児院出身の人間が経営を変わっている。もしも、男から話を聞けないのなら、その孤児院を尋ねると良い。正確な場所は、端末に送っておく。くれぐれも、ゴースト・ラインには気取られるな》
「……分かった……俺たちからの報告は以上だ。次はその男への聞き込みで良いんだな?」
《あぁ、それでいい。アサギリの護衛は我の部下に一任する。気兼ねなく向かうと良い》
「……あぁ、それじゃあな」
《期待しておるぞ? マサムネ》
通信を切断する。
最後に聞こえた奴からの言葉。
期待している、何て都合の良い事を言う……俺は小さくため息を零す。
「……だ、そうですよ。行けますか?」
「問題ない」
「……アサギリ先生。すぐに別の人間が来ます。恐らくは信頼できる人間でしょうが……万が一の時は」
「はい、分かっています……頑張ってください」
アサギリ先生を心配すれば、逆に元気づけられてしまった。
俺は薄く笑みを浮かべながら、次の目標を定めた。
ゴースト・ラインも帝国内にいるのであれば油断は出来ない。
奴らと争う事は避けながら、オーバードの情報を集めなければいけない。
難しい任務だと思いながら、俺は送られた情報に目を向ける。
「……孤児院の名前は……セラフィアか」
此処を頼る事になるかはまだ分からない。
しかし、恐らくは出向くことになるだろう。
一株の不安を抱きながら、俺は端末を仕舞う。
そうして、サイトウさんを連れて部屋を出ようとする。
アサギリ先生をチラリと見れば、彼は笑みを浮かべていた。
次の任務に集中しよう……俺は、オーバードを知りたい。
奴らが求めるその機体を知りたい。
それを手にして奴らは何をしようと言うのか。
ゴースト・ラインのボスはオーバードに詳しいと言ったが……違和感を覚える。
オーバードに詳しいのなら、居場所も知っている筈だ。
古文書を調べもせずに、条件をファーストは知っていた。
いや、ファーストは既に古文書を調べていたのか?
何も分からない。
奴の組織のボスの事も、奴自身の事も。
不明な情報のせいで、判断を誤りそうになる。
不明な事は、今はまだ分からない……だったら、進むしかない。
次の任務を言い渡された。
だったら、俺たちはそれを突き止める他ない。
オーバードをゴースト・ラインのボスが知っていたとして。
何故、俺たちよりも先に行動しないのか。
在り処を知らないのか、それとも、探さない理由があるのか。
ファーストの行動を許しているのも気がかりだ。
黙認しているのか。それとも認識していないのか。
不明な事を考えて、一瞬で頭の隅へと追いやる。
服役中の囚人へと面会をする為の手続きが必要となる。
サイトウさんと一度話し合って、面会の手続きを進めよう。
俺はアサギリ先生の部屋の扉を閉めて、別の部屋へと移った。




