121:阿修羅と結
輸送機の中で眠りについて暫く。
安全で最悪なフライトが終わり、俺は体中の痛みを無視して外に出た。
真っ暗な夜空には微かに星が見えて、着陸した基地内は無数の照明で明るさを保っている。
輸送機の開いたハッチから降りて、周囲に目を向けた。
すると、軍の基地には似つかわしくない黒塗りの高級車が一台停まっている。
車の前には狐のような顔をした男が笑みを浮かべながら立っていた。
黒い七三分けの線の細いスーツを着た男であり、十中八九が栗林重工業が寄越した迎えだろう。
俺はムスッとした顔で男の元へ歩いて行った。
男の前に立てば、静かに会釈をして挨拶をしてきた。
名刺を渡そうとしてきたので、俺はそれを断った。
男は少しだけ残念そうにしながら、ラボまで俺を送り届ける事を伝えて来る。
ガチャリと後部座席の扉を開けて、中に入る様に俺に促す。
俺は警戒心を抱きながらも、男に言われるがままに中へと入った。
高級な革張りのシートは座り心地が良い。
運転席との隔たりは無く、向こうは俺を警戒していない様子だ。
扉が閉められて、男は運転席に乗り込んだ。
発車する事を態々俺に伝えてきて、俺は淡白な返事を返しておいた。
エンジンが掛って、車はゆっくりと進みだす。
窓から輸送機を見れば、俺の愛機が運ばれて行っている。
メンテナンスをしてくれるのは有り難いが、何かされないかと不安にもなる。
俺は告死天使の事も東源国に住む人間も信用していない。
だからこそ、機体を預ける事は本当はしたくない。
だが、幾らパイロットとしての知識を持っていたとしても、メカニックとしての知識はあまり無い。
こんな時にゴウリキマルさんがいてくれれば――俺はハッとした。
また、彼女の事を思い出してしまった。
頼れる相棒の影がちらつく。
何時も俺を元気づけてくれた少女の笑顔が忘れられない。
大切な二人の仲間が、俺の心を揺さぶる。
ダメだ。何時も弱気になれば、二人の事を思い出してしまう。
こんな事ではダメなのに……俺は何時まで経っても弱いままだ。
窓に映った自分の顔はひどいものだった。
雨に濡れた犬の様であり、自分で自分に同情してしまう。
俺は見たくもない自分の顔から視線を逸らした。
前を見れば、バックミラー越しに運転手の男と目が合う。
彼はニコやかに微笑みながら、何を思い出していたのかと俺に聞いてきた。
「……何も」
「そうですか……よろしければ、足元のボックスに冷えた飲み物があります。ご自由にお飲みください」
「……ありがとう」
「いえいえ」
男からの提案に俺は礼を言った。
そうして、黒い蓋を開けて中を見た。
ひんやりとした冷気が溢れ出て、足が少しだけ涼しくなった。
俺は適当に赤いラベルの缶を手に取った。
キンキンに冷えた飲み物であり、プルタブを開ければ気持ちのいい音が鳴った。
匂いを嗅げば、ほんのりと果実の甘い香りがした。
嗅いだことのある匂いで……これはリンゴか?
まだ男への警戒心はある。
しかし、ボトルに入れた飲み物はサイトウさんが全て飲み干した。
アレから水は飲んでおらず、喉はカラカラに乾いていた。
毒が入っている可能性もあるだろう。
「……あり得ないか」
「ん?」
「何でもない」
東源国が俺個人を殺すメリットはない。
手配書に載っているだけであり、国のトップはそれで得られるはした金には興味は無いだろう。
今のところ裏切る素振りは見せていない。
犬のように従順に命令を遂行しているから、殺すよりも生かしておいた方がメリットがある。
それにこんな飲み物に毒を混ざて殺すのは……フィクションかと思ってしまう。
警戒のし過ぎだと自分に言い聞かせる。
そうして、ちびりと中の飲み物を口に含んだ。
口の中で転がしてから、ゆっくりと胃の中に流し込む。
爽やかな香りのシードルであり、度数も低く飲みやすい。
この程度なら酔う心配も無く、毒もどうやら入っていなかったようだ。
俺は少しだけ笑みを浮かべながら、中身をちびちびと飲み始めた。
基地内を出て、舗装された道を進む。
夜だからか人通りは疎らで。
厚手のコートを着た人間たちが、家路を急いでいた。
車はゆっくりと進んでいって、東源国の街並みを俺は観賞していた。
木造の建物が多く、看板なども他の国より奥ゆかしい。
威張っているような感じはしない。
それどころか背の低い建物が多くて謙虚さを感じた。
周りの景観を損なう事のない綺麗に清掃された道や建物が美しい。
公国の首都であるコーデリアも水の都のような雰囲気で綺麗だったが。
こういった静かな美しさも存在するのだと俺は思っていた。
ぼぅっと酒を飲みながら街を見ていく。
車は信号に捕まることも無く進んでいって。
体感で五分ほど進んでいけば、少しだけ開けた場所に出た。
あまり建物が無いエリアであり、すぐに禁止エリアであることを示す警告板が見えた。
街灯だけが等間隔で設置された道を進んで、ゲートらしきものの前に車が停まる。
警備員らしき屈強な体の男たちが近寄って来る。
運転手の男は窓を開けて、首から下げた社員証のようなものを提示していた。
俺も端末を操作してから、開発主任から送られてきたコードを表示する。
窓を開ければ、男がぬっと顔を出す。
ぎょろりとした目にぷっくりとした唇。
角刈りの黒髪にゴリラのような体で、いかにもといった感じだ。
「認証コードの提示を」
「……」
無言で端末の画面を見せる。
男は腰に下げたスキャナーのようなもので画面のコードを読み取った。
何かを確認している様子で、俺は暫く待っていた。
十秒ほど待てば、男はニコリと笑う。
「ご協力感謝します。どうぞ、お進みください」
「……あぁ」
窓が自動で閉められた。
そうして、ゲートを守っていた扉が開かれる。
分厚い扉が開かれて、車は再び進み始めた。
俺は缶の残りを飲み干して、空き缶を適当に置いておいた。
ゲートの先では、広い空間が存在した。
適度に自然があり、噴水らしきものもあった。
白衣を着た研究者たちがぞろぞろと歩いている。
幾つもの白い建物が混在していて、カーテンも閉めていない部屋の窓から明かりが見えた。
人々が寝静まっているような時間でも、こいつらはまだ働いているのか。
勤勉な人間たちを珍しそうに見ていれば、車は一つの建物の中に入っていった。
小さな明かりが灯る室内で、円形の台座の上に車を停止させる。
すると、台座がゆっくりと動き出して地下へと潜っていく。
秘密基地のようなギミックであり、少しだけワクワクした。
チカチカとライトが緩やかに点滅していて、暫くの間車は下へと向かう。
ゆっくり、ゆっくりと降下していって――ピタリと止まった。
「到着しました。お降りください」
「分かった」
扉が自動で開かれて、俺は言われるがままに車から降りた。
周りを見れば、地上よりも数を増した研究者たちが動き回っている。
ガヤガヤと声が響いていて、夜なのに賑やかだと思った。
白い壁や床であり、建物の輪郭が分かるように細く黒いラインが真っすぐ描かれていた。
不思議そうな光景を見ていれば、運転席から男が降りる。
そうして、俺が出てきた扉を閉めてからついてくるように言ってきた。
無言で頷いて、男の後をついていく。
コツコツと靴の音が響いて、難しい話をする研究者たちを避けていく。
碌に前も見ていない彼らだが、器用に人の波をかき分けて歩いている。
慣れているのだろうと勝手に思いながら、俺は黙って歩いて行った。
狐顔の男は一つの扉の前で止まる。
何人かの人間も扉の前で待っていた。
エレベーターか何かかと思っていれば、ちんと音がして扉が開かれる。
やはりエレベーターだと認識して、俺たちは中へと入っていった。
「Aー12」
「Cー05」
「Yー23」
「Z-00」
男たちが順番に何かの数字を発した。
パネルには男たちが言った数字が刻まれて。
扉が閉められた瞬間に、部屋が僅かに揺れた。
ゴロゴロと音がしており、この音はまるで……転がっている?
俺が不思議そうな顔をしていれば、狐顔の男はくすりと笑う。
「これはエレベーターではありません。球体状の移動ポッドです。施設内に張り巡らせたレールを通って、上下左右関係なく移動する乗り物です」
「……そうか」
男からの簡単な説明を受けて納得する。
そうして、ゴロゴロとポッドは転がってまたチンと音がした。
何名かの研究者が降りていき、扉は閉じられる。
再びゴロゴロとポッドは移動を始めて、暫くの間は同じ光景を見ていた。
やがて、全ての研究者が降りていった。
ぽつんと二人だけになった空間で、俺はパネルに目をやった。
それにはZー00とだけ表示されていて、そこが俺たちの目的地なのだと理解した。
ゴロゴロとポッドは進んでいって――チンと音が鳴った。
「どうぞ、此方へ」
男は優雅に手招きしてきて、俺は無言でついて行った。
行きついた先は誰かの個室で。
広い部屋の中には無数の本やファイルがうずたかく積まれていた。
壁は存在するが、ポッドから降りて目に映ったのはガラス越しに見える魚たちで。
巨大なアクアリウムのようなそれは、この個室の主の趣向で作らされたのか。
考えても仕方のない事だが……その主は机に突っ伏して動かない。
年季のある黒檀の机と同じく黒檀の椅子。
ボロボロの白衣を身に纏うのは長く立派な白い髭を生やした老人だった。
がぁがぁと煩いいびきを掻きながら、口から涎を垂れている。
手にはボールペンが握られていて、顔の下には涎がべったりとついた何かの紙が置かれていた。
俺は冷めた目で眠っている老人を見ていた。
「はぁ、全く……起きてください。主任、主任!」
「ふがぁ!? あ、あぁ……あ、もう来たんだ」
「もうって……既に五時間以上経っていますよ?」
「え、そんな筈は……あぁ、アラームをセットし忘れていたようだな。失敬失敬」
男は服の袖で涎を拭う。
そうして、乱雑に置かれていた端末を取ってタイマーを確認していた。
男は豪快に笑ってから、ゆっくりと俺に視線を向けてくる。
下から上へと眺めてきて、くしゃりと笑った。
「何だ。思ったよりも普通じゃないか」
「……悪かったな」
「ははは! いや、いい。普通に見えるくらいが丁度いい。派手な奴も地味過ぎる奴もいらん。場に溶け込めるような人間が、今は必要だからね」
男はゆっくりと椅子から腰を上げる。
そうして、ボキボキと骨を慣らしてからスッと手を差し出してきた。
「私が栗林重工業の開発主任クロウ・ハシマだ。君の活躍は耳にしている。何でも、稲妻よりも速く機体を動かせるとか……本当かね?」
「……」
「ははは! 寡黙な男だ! 益々気に入ったよ。それでは、これを見てもらおうか」
握手に応じる事はしなかった。
態度の悪いであろう俺を見ても、クロウ・ハシマは嫌な顔一つしない。
それどころか気に入ったと言って笑っていた。
男は机に積まれていた紙を一枚抜き取る。
その瞬間に書類の束が雪崩れて。
ばさりと広がって散らばるが、クロウ・ハシマは全く気にしていない。
俺は何も言うまいと紙を受け取って内容を確認した。
「……これが新型か?」
「そうだ。東源国のエースパイロットに支給される予定の新型メリウス。SSM―05X、機体名を”白狼”という。新エネルギーの導入によって短期決戦時の戦闘力の向上を目指して作られた機体だ。データ上では、瞬間的な加速力においては君の愛機である雷切をも上回るだろう。また、これからの戦いの流れの変化を予想して、実体弾ではなくエネルギー兵器への耐性を強化している。並みの兵器ではこの機体に傷をつけることすら出来ない……どうかね。そそるだろ?」
「……」
資料に描かれた機体の全体像。
眉間からブレードアンテナが伸びて、センサーは線のようになっている。
胴体部は少しだけ丸み帯びて突き出していた。
スラスターは腰から延びる二つと膝裏に二つ。そして腰の両脇に二つある。
スカートアーマーを採用しており、脚部の関節部分は隠されている。
脚部の付け根から下へといくと装甲は厚みを増しているが、これはスラスターを膝裏に取り付けているからだろう。
基本的なカラーリングは白で、黒いラインが引かれている。
可変式の装甲と書かれていて、”阿修羅”と呼ばれる戦闘システムが起動すると展開される様だった。
「……阿修羅とは何だ。それと、新エネルギー何て聞いたことがない」
「ははは! やはり気になるかね? そうだろそうだろ。阿修羅というシステムは、新エネルギーである”結”を使う事によってパイロットの精神面を強化するシステムだ」
「……結? 精神面の強化?」
訳の分からない事を言われた。
精神面の強化と新エネルギーに何の関係があるのか。
俺の怪訝な顔を見て、主任は薄い笑みを浮かべた。
「まぁ新エネルギーによるパイロットの精神面への影響はあくまで副次的なものだ。結の本当の素晴らしさは、従来のエネルギーと比較した時に、それが与えるあらゆる機械のパフォーマンスの向上にあるのだよ! 結を使用すれば、メリウスの性能は飛躍的に上がり、三倍まで性能を引き上げる事が出来る。エネルギー兵器に使用すれば、出力が向上し一発の威力が上がる。スラスターやブースターなどの推進装置に使用すれば、より少ないエネルギーで持続的な戦闘を可能に出来るのだよ……あぁ素晴らしいねぇ。実に、良いものだよぉ」
うっとりとした顔で主任は笑う。
そんな男を見つめながら、俺はこの兵器に不安を抱いていた。
結と呼ばれる新エネルギーは確かにメリットが多い。
機体のパフォーマンスを向上させる事が出来るのなら、それだけで価値がある。
しかし、メリットだけのもの何てこの世に存在しない。
旨い話には絶対に何かがある。
今回、俺がこの男の説明で引っかかった部分はパイロットの精神面の強化だろう。
メリットのように話してはいたが、これはこのエネルギーの欠点であることは間違いない。
隠すつもりか。それとも、本気で利であると考えているのか……直接聞くか。
「……精神面の強化とは、具体的には何だ」
俺は端的に質問した。
すると、主任は我に返って視線を向けてきた。
そうして、興味なさげに髭を撫でながら言葉を発した。
「……あぁ、それはね。まぁざっくり言うとだ――闘争心を掻き立てるのだよ」
「闘争心を?」
闘争心を掻き立てるとは何だ?
俺が詳しく説明するように言うと主任は言葉通りの意味だという。
戦闘への意欲が増して、戦いに対する集中力が増すのだという。
それはつまり、狂戦士のように戦い続けるのではないかと考えた。
俺の表情を見て主任は何かを察した様だった。
奴はへにゃりと笑ったかと思えば俺の肩を叩く。
「心配は無い。阿修羅には予めリミッターが取り付けてある。パイロットの命の安全を保障しなければ、幾ら御三家であろうとも認可が下りないからね」
「……信じると思うのか」
「ん? いや。別に信じなくてもいい。君が此処に来たのなら――選択肢はないだろ?」
穢れの無い瞳で俺を見つめる主任。
首を傾げながら髭を撫でていて、その顔を見ていれば無性に腹が立った。
俺は舌打ちしそうになるのを堪えながら、紙を机に置いた。
そうして、今日は何をすればいいのかと聞く。
奴はニコリと笑いながら、もう遅いから今日は休めと言ってくる。
長旅で疲れただろうと労ってくるが、そんなものに感動はしない。
「イソカワ君。彼を部屋へ案内してあげなさい。くれぐれも粗相の無いようにな」
「はい。承知しました……では、マサムネ様。此方へ」
狐顔の男の名はイソカワか。
俺は奴らの顔を記憶に刻んで歩いていく。
今は仲間かもしれいないが、未来でどうなるかは分からない。
もしも、俺の前に立ち塞がるのなら……。
俺は拳を硬く握る。
そうして、扉を潜ってポッドに乗り込む。
閉まりゆく扉の先で、クロウ・ハシマは最後まで笑っていた。




