106:後悔と己への怒り
偽物からの警告が、俺の動きを完全に封じた。
何時どこから見ているかも分からない敵。
それを恐れて、俺は誰とも会話をする事が出来ない。
会話をしたとしても監視を恐れて、話を切り上げて逃げてしまう。
あの日、ゴウリキマルさんと大蔵研究所に繋がりがあると分かった日。
彼女は俺に何かを伝えようとしてくれていた。
しかし、俺は彼女と話す事が出来ない。
監視者たちの目から逃れる事が出来ない今。
仲間と秘密の話をする事は不可能で。
俺は奴らに情報が渡るのを恐れて、ゴウリキマルさんたちを避けるようになった。
本当は話がしたい。彼女が知ったであろう何かを知りたい。
しかし、奴らに情報が渡るのは避けたかった。
これ以上、奴らに情報を渡してはいけない。
これ以上、ゴウリキマルさんたちを危険に晒せない。
もうこの問題は俺一人では解決不可能だ。
だからこそ、せめて、仲間の身の安全だけは守らなければならない。
今、俺は中佐の執務室に来ている。
部屋の中には俺と共に会談の警護にあたる人間たちがいて。
仲間の皮を被った偽物たちが、うすら寒い笑みを浮かべていた。
気持ちが悪い。奴らに見られるだけで吐きそうだ。
中尉の偽物は扉の前で立ち尽くす俺に声を掛ける。
どうかしたのか、こっちへ来いと……その顔で喋るな。
俺は奴らへの怒りを滾らせながら、無表情で横に並び立つ。
中佐は集まった俺たちへと視線を向けながら、ゆっくりと机の上で手を組む。
そうして、にこやかな笑みを浮かべながら俺たちに言葉を発した。
「知っていると思いますが、イサビリ中尉の提案通り。貴方方には首都へと向かってもらいます。それぞれのメリウスは既に送っています。貴方方は現地にて、警護責任者から指示を受けて、それぞれの持ち場について貰います。マサムネさんに関しては、武器の携行は必要最低限。なるべく市民たちを刺激しないように努めてください」
「……質問よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「……この日が来るまで、我々には碌な説明がありませんでした。それぞれの持ち場に関しては伝わっています。が、肝心の重要人物らの進行ルートや会談の時刻に関する説明がありません。これでは敵からの攻撃があったとしても、何処で誰を守ればいいのかが分かりません。情報に規制が掛けられているのは理解しています。しかし」
「――理解しています。ですので、今から説明します」
「……今からですか? では、何故、今まで何も……」
「……会談の日に至るギリギリまで情報を伏せておくように指示がありました。全ては、ゴースト・ラインや帝国に情報が洩れる恐れを防ぐ為です」
情報漏洩を恐れてギリギリまで情報を伏せていた。
俺たちが配属されるまで待っていたのはその為だったのか。
期日が迫った今ならば、敵も碌な計画を立てられないと踏んだのか……だが、それは迂闊だ。
この場には、ゴースト・ラインからのスパイがいる。
今ここで情報を渡せば、奴らへと攻めの糸口を与えてしまう。
俺は口を開けた。そうして、待ったの一声を言おうとした。
しかし、隣から視線を感じた。
俺が何かを言おうとしたのを感じたのか。
中尉の偽物は一瞬だけ視線を向けて来た。
それだけで俺は中途半端に口を開けて固まってしまった。
心臓はバクバクと鼓動していて、汗がツゥっと流れていく。
そんな俺に視線を向けて、中佐はどうしたのかと聞いてくる。
俺は口をパクパクさせてから、キュッと結んで笑みを浮かべた。
「何でもありません。続けてください」
「……そうですか。では――」
中佐の口から天子や大公が通るルートが明かされる。
資料は用意されていないものの、全員の頭の中には既に首都のマップが頭に叩き込まれていた。
奴らは平静を装いながら情報を頭に入れていた。
もうどうにもならない。進行ルートが明かされて、会談の予定時刻まで知られた。
止める事が出来ない。このままでは、奴らの好きなように動かれてしまう。
俺は中佐からの説明を受けながら、ギュッと拳を握った。
考えろ、考えろッ!
どうすれば、こいつ等の計画を防ぐ事が出来る。
目的はハッキリとしているんだ。
こいつ等は会談の警護に入り込んで、東源国と公国のトップを暗殺するつもりだ。
そうして、戦争の火種を生み出して、また地獄のような時間を創り出す気だ。
そんなことをさせてはいけない。
あの日、俺が見た光景。
病室のベットから起き上がって、病院内を歩いた時に見た光景。
手足を失った人間の表情、最愛の人を失くした人間の悲鳴、怒りに絶望――俺は全てを見た。
悲しみを、絶望を生み出してはいけない。
戦争ゲームなんてものじゃない。
この世界の人間にとっては、これは遊びではないのだ。
誰かが死んで悲しみ命を絶つ人間だっている。
仮初じゃない。偽物なんかじゃない。
本物の戦争で、心に傷を負う人間を俺は見てきた。
ダメだ。ダメなんだ。
誰にも傷を与えてはいけない。
戦争なんて起こしてはいけない。
これ以上、戦いで死ぬ人間を増やしてはいけない。
俺はキッと目を鋭くさせた。
そうして、真実は話そうとした。
すると、中佐の声で遮られてしまう。
思い出したかのように言葉を発して、彼女は偽物たちに席を外すように指示をした。
「詳細に関しては責任者から聞いて貰います。質問がないのであれば、速やかに準備に取り掛かってください」
「……マサムネに何か?」
「えぇ、まぁ……彼には色々と厄介事を頼んでいるので。仮初の上官から、せめてもの労いをと思ったので」
「……了解しました。では、我々は失礼します」
偽物たちは敬礼をしてから去っていく。
残された俺は中佐を見つめていた。
ガチャリと音を立てて閉じられた扉。
静かになった部屋の中で、俺たちは静かに見つめ合っていた。
「……今まで、ありがとうございました。貴方には責任ばかり与えてしまって、私は貴方に何も恩を返せていなかった」
「い、いや。そんなことは……現に立場が危うくなった俺を助けてくれて……」
「違うんです。これは貴方を助ける為じゃない。私は軍人として、国の為になることだけをしています。貴方を誘ったのも、全ては国の利益の為です……申し訳ありません。私の私欲に巻き込んだこと、謝罪します」
「い、いや! 私欲なんて……中佐は俺にとって恩人で、ゆ、友人で……本当に信頼できる人です」
「……貴方の口からそんなことを言われれば、私は判断を迷いそうになります……ですが、ありがとう……これを受け取ってください」
中佐は机の引き出しを開ける。
そうして、中から何かを取り出した。
それは一枚の白い便せんであり、赤い封蝋が施されていた。
俺はこれは何かと中佐に質問した。
すると、彼女は目を細めながら笑みを浮かべた。
「私が貴方に出来る恩返しです……誰も頼る事が出来ない。帰る場所がない。そんな時に中を開いてください。きっと貴方の助けになってくれるでしょう」
「何を言ってるんですか? それはどういう意味で……」
「今は何も言えません。私は貴方に感謝の言葉と心からの謝罪しか口に出来ない。その時が訪れた時に、貴方が私をどう思うのかも分からない」
「何を、言って……全然分かりません。中佐は何を見ているんですか? それよりも、俺は貴方に」
「――用は済みました。速やかに貴官も準備に取り掛かりなさい」
「え、ま、待ってくださいッ!! 俺の話を――っ」
俺が中佐に真実を話そうとすれば、彼女は目を鋭くさせる。
歴戦の戦士のような殺気であり、俺は口を閉じる他なかった。
有無を言わさぬ圧であり、俺は何も言えずにいた。
そんな俺から視線を逸らして、彼女は後ろを向く。
無防備に背中を向ける中佐は、もう俺への興味を失くしていて……俺は悔しさを滲ませながら部屋を出た。
派手な音を立てて扉を閉めた。
俺の手には中佐からの手紙が握られている。
俺はそれを異空間に雑に入れた。
「くそ、俺は何も、出来ないのか……くそ、何で、何でッ!」
破滅への道しか俺には残されていない。
偽物たちの思惑通りに事は進んで。
俺の小さな手では何も掴めない。
もうどうすることもできないのか?
もう俺には何も出来ないのか?
俺は、俺は、俺は――
真実を知りながら何も出来ない。
己の無力さを痛感しながら、俺は心の中で謝罪をした。
誰かへの謝罪ではない。
顔も見たことも無い、未来で死んでいく人間に謝っている。
俺の判断の遅さによって死んでいく人間たち。
無能な自分に怒りを覚えながら、俺は片手で顔を覆いながら指の隙間から涙を零していった。




