104:時空を超えて渡された手紙(side:ゴウリキマル)
雄二兄さんは一度何かを考え始めると周りが見えなくなる。
小さい頃から兄さんの後ろを追いかけてきた私。
兄さんの背中は大きくて、私でさえも手が届くかどうかは分からない。
この人は他の人間が思っている以上に凄い人なのだ。
誰にも考え付かないような発明。
新しい技術の開発に加えて、新たな理論による生命維持庭園の発展。
兄さんの力によって長い間、あらゆるセクターの管理が出来ていると言っても過言ではない。
この人は色んな人たちを助けて、大勢の人間から感謝されていた。
頭が良くても正しい道を進まなければ意味がない。
兄さんは私が出来なかったことをしている……私はそんな兄さんを尊敬している。
でも、兄さんはそれでも満足しない。
こんな事では駄目だ。
こんなものでは意味がない。
皆が寝静まった時に兄さんの部屋の前を通れば、微かにそんな声が聞こえた。
兄さんの夢を私は知らない。
聞いたとしても絶対には教えてくれないだろう。
でも、何となく兄さんの夢は分かる。
兄さんは小さい時から言っていた。
自分はこの世界を救えるようなヒーローを目指すと。
きっと今でも兄さんはそれを目標にしている。
誰もが成し得ない壮大な目標を兄さんは持っている。
本当に凄い人だ。私にはそんなものは無いのに……追いつけそうにない。
心もとない明かりの下で、兄さんは色々な箱を開ける。
会社の歴史や資料など。
今までの記録が付けられたものなら此処にあると兄さんは言った。
会社の重役から平社員まで、誰も寄り付かないような場所で。
箱を開ければバサリと埃が舞う。
私は片手で鼻と口を覆っているが、兄さんは何もしていない。
むせることも無く箱を漁っていて、慣れているように感じた。
広い部屋の中には鉄の棚が無数に置かれている。
その中にはぎっしりと中身が詰まった箱が入れられていて。
これだけの資料がある家の会社は、中々に歴史があるのだと改めて分かった。
周りを眺めてから、ガサガサと箱に入った本を漁る兄さんを見る。
そんな兄さんの後ろ姿を眺めながら、私は小さく笑う。
すると、兄さんは「あったあった!」と言って何かを取り出した。
分厚い赤い装丁の本。
タイトルも何もないそれは埃を被っている。
兄さんは手で埃を払ってから、それを私に渡してきた。
私はずっしりと重いそれを受け取って中身を開いた。
最初の一ページ目には、何名かの男女が笑っている写真が貼ってある。
比較的若い年代の男女が集まって写真を撮ったのか。
白衣を着ている事から何かを研究している研究者だと思った。
彼らの顔を見てから、後ろに建てられた研究所の名前が見えて――大蔵研究所と書かれている。
「……これが?」
「うん、それだよ。僕も見るのは初めてだけどさ。父さんから話を聞いていたから……思っていたよりも小さな研究所だねー」
「……まぁ、確かに。マザーの開発に関わっていたにしては……へぇ」
アルバムらしきそれをパラパラと捲る。
熱心に何かを開発している人たち。
その横顔から熱意が伝わって来る。
追い詰められているとかではない。
本気で作りたい物を作ろうとしている人間の顔だ。
仕事の写真ばかりじゃない。
桜の木の下で集まって楽しく酒を飲んでいる写真。
バカ騒ぎをしているようで、歌を歌っている人間もいる。
仮想現実世界の桜も綺麗だが、この写真の中の桜も綺麗だった。
今の時代の写真とは違い鮮明さに欠ける写真。
しかし、現代ではなくなってしまった自然の風景と共に多くの人間が笑っている。
そんな写真を見ていれば、こんな時代もあったのだろうと思えた。
懐かしむような年齢じゃない。
今の世界しか知らない私では、懐かしむという行為は出来ない。
でも、何となくこんな世界を知っているような気がした。
「……そうか。仮想現実世界を作った人は、昔を思っていたんだ……」
「……失ったものを取り戻したかったのかもしれないね。自然が溢れる光景を、見たかったのかもしれない」
マザーの開発者は何を考えていたのか。
そして、仮想現実世界を作り上げた人はどういう未来を見ていたのか。
ちっぽけな存在である私には、想像も出来ない事だった。
多分、こう思っていたんじゃないか……そう、予想する事しか出来ない。
兄と一緒になってアルバムを見る。
ペラペラと1ページずつゆっくりと捲っていく。
どれも楽しそうな表情の人間たちが映っていて――手を止めた。
「――これは?」
一枚の写真に目が留まった。
よほど大切な記録だったのか。
そのページには大きなその写真が一枚だけ張られていた。
白衣を着た研究者たちは、腰の高さほどしかない”小さなロボット”を撫でていた。
大きな目のレンズにつるつるの頭。
手足は細長く、胴体は円筒形であった。
洗練されたデザインのロボットではない。
古い時代の……それこそロボットがまだ無い時代に人々が考えていたようなロボットだ。
お世辞にもかっこいいとは呼べないロボット。
しかし、どこか愛嬌のある顔をしていた。
研究者たちに囲まれて、その頭を撫でられてるロボットはじっと写真の中から私を見つめる。
傍には綺麗な顔立ちをしたスラッとした背の高い黒髪の女性が立っている。
まるで親子のように手を繋いでいる……ちょっと可愛いな。
「……新しい家族?」
写真の下にはそう書かれていた。
丸みのある文字であり、もしかしたらこの女性が書いたのか。
ページを捲っていけば、写真の中には常にロボットがいた。
一緒になって食器を洗っていたり、テレビゲームで研究者と対戦していたり。
パソコンにケーブルを差し込んで何かをしている写真もあった。
新しい家族と呼ばれたロボットは、表情は分からないものの幸せそうで。
共に成長していっているような気がした。
ロボットが成長するのは妙な感じがする。
しかし、このロボットは普通のロボットではない気がした。
チラリと黙っている兄を見れば、顎に手を当てて考え事をしていた。
「……バトロイド……いや、違う。自立型……いや、それよりも上だ……」
ぶつぶつと何かを言っている兄。
聞こえてきた言葉からして、このロボットは特別な何かで間違いない。
私自身も、たった数枚の写真の内に色々な事が出来るようになっていくロボットには何かを感じていた。
自立型。いや、それよりももっと高度な技術を使ったロボット。
完全自律型と言っても過言ではない。
このロボットは周りの人間やネットの海の情報を吸収して成長している。
それも人間やバトロイドよりも遥かに早く学習していた。
ペラペラとアルバムを捲っていけば、ロボットはその小さい手で何かを作っている。
器用に手を動かしたり、他の作業用のアームを動かして……え?
ページを捲れば、妹が出来たという文字が刻まれていた。
人間の文字ではない。
機械のように精密な動きで書かれた文字だ。
それは恐らくこのロボットが書いたのだろう……いや、それよりも。
「ロボットが、ロボットを作ったのか?」
専門の知識があっても難しい。
それなのに、僅かな時間で学習して自らと同じ姿をしたロボットを作ったのか。
そこには同じ姿をしたロボットが映っている。
違いがあるとすれば、手首に白いリボンのような物が巻かれていた。
性別があるのかは分からないが、このロボットを妹と書いている……一体、こいつは……。
アルバムを捲っていけば、妹と共に遊んでいる兄の姿があった。
周りの研究者たちはそれを見ていて……どこか怯えた表情をしていた。
一緒になって遊んでいる事は分かる。
しかし、その遊びは普通の遊びではない事が分かった。
別の写真を見れば、世界地図が写されている。
色々なパラメータや人口推移などのグラフ。
機械的な文字によって書かれていたのは”世界統一までに掛る時間”という文字だった。
「……こいつら、まさか……いや、悪意は無い、のか?」
別の写真には、地図を女の人に見せているロボットたちが映っていた。
子供のように手を上へと上げて、女の人は笑みを浮かべて彼らの頭を撫でている。
こいつらに悪意は無い。ただ遊びのように計算しただけだ。
この女の人はそれを理解している。
だけど、このままじゃ……何だ?
ページを捲った。
しかし、写真が一枚も張られていない。
そんな筈は無いと先を捲っても、写真は一枚も無かった。
「何でだ? 何で、続きの写真が無いんだ? どうなって――ん?」
アルバムを捲っていけば、ハラリと何かが落ちた。
アルバムの最後のページから落ちたそれ。
私はそれを手に取って見た。
「手紙? 何で、こんなものを……」
アルバムから出てきたのは、少しだけ黒ずんでいる手紙だった。
何百年前も昔の手紙だから、劣化しているのか。
読んでもいいのかと思いつつ、私はチラリと兄を見た。
兄は私が持つ手紙をジッと見つめていて「読んだ方が良い気がする」と言ってくる。
確かに、アルバムから出てきた手紙を読まないのは可笑しい。
マサムネが写真を欲していたのには理由がある。
この手紙の中には、それを理解するための何かが書かれているんじゃないのか。
私は悩んだ末に、ゆっくりと手紙を開封した。
中にはびっしりと文字が書かれた手紙が入っていた。
私はそれを読んでいく。
ゆっくりと時間を掛けて読み進めていって――大きく目を見開いた。
手紙に書かれている内容は信じられないもので。
一緒になって読んでいた兄は目を細めていた。
マサムネが写真を欲していた理由、これがそれなのか?
何故、マサムネは知っていた。
大蔵研究所というものがどれほど世界に影響を与えたのか。
知っていて、私に情報を求めてきたのか。
分からない。何も分からない。
マサムネが何を考えているのかも、これを残した人間が何を考えていたのかも。
しかし、そこにはきちんと書かれていた。
この手紙を――”マサムネ”に渡せと。
「――何で、何百年も前の人間が、マサムネを知ってるんだよ」
「マサムネというのは、お前が言っていた友人の名前だね……興味深いな」
兄は、大蔵研究所に関して調べてみると言った。
そうして、私を置いて部屋から出ていく。
残された私は明かりの灯った部屋の中で手紙を握っていた。
何も分からない。
マサムネの事も、この大蔵研究所の事も。
「分かんねぇよ……でも、お前なら分かるんだろ。なぁマサムネ」
私はアルバムを閉じる。
そうして、それを両手で持ちながら急いで自室へと走っていった。




