95話 問題児の憂鬱 前編
「死人が出ます」と男は机を叩いた。
「そうでしょうね」と狐は狡そうに笑った。
時は少々遡る。
気の高ぶるままに思う存分炎の力を振るったルビーは、その非常識な火力を暴露した代償を払わされるべく学長室へと連行された。
演習場で着いてくるようにと言われて以来、黒ローブの試験官は口を閉ざしている。顔の判らなくなる黒ローブの下で、彼がどんな表情を浮かべているのかは知り得ない。しかし、少なくとも、笑ってはいないだろう。
(やらかした……絶対にこれはやらかしたやつなのです……怒られる、それとも失格? また追い出されたらどうしよう……今度こそ出入り禁止になって、いや、それとも魔女裁判にでも掛けられたりするのだろうか)
このご時世、火炙り──火刑などという非人道的な処刑は行われてはいないはずだが、魔女と断定された者の未来が明るくないことは確かだ。
「……うう」
重く沈んだうめき声を聞いたのか聞かなかったのか、前方を歩む試験官の厳しい足取りがふと弛んだ。けれど彼は結局足を止めることはなく、そのまま魔道学舎の最上階、白マントの学長〈仮面の男〉の巣窟へと迷いなく直行した。
もともと重く沈んでいた気分が、その上さらに鉛のように重くなる。ルビーはこの信用ならない変人の学長が率直に言って嫌いだ。
「……よりによって狐……」
もう駄目だ。これは駄目だ。間違いなく駄目だ。追い出されるに違いない。
背後で絶望の極みを体現するルビーをよそに、試験官は扉を叩く。
ドアノッカーで、恐らく決まり事なのだろう、独特のリズムと強弱をつけた音が重厚な木彫りの扉を鳴らした。試験官はそのまま沈黙する。扉はなかなか開かない。
「あの、わたしが口を出すのもあれなのですが、開けてはいけないのですか……?」
「この扉は内側に居る者が開けなければ、外側からはけして開きません」
「……そうだったのか」
きっとややこしい魔術印の組み合わせによって堅く護られているのだろう。まったく良い御身分である。
と、現実逃避気味に狐男への八つ当たりを考えていると、ようやく扉が開いた。扉を開けてくれた人物、その男と目が合った瞬間ルビーは死を覚悟した。
よりにもよってイルダだった。
(どうして秘書官がここにいるのだろう……)
恐らく彼も同じ疑問を抱いたのだろう。微かに、しかし確かに怪訝に、色の薄い眉が寄る。しかしイルダはこれといって口を開かずに、身を引いて来訪者を招き入れた。
ルビーは黒ローブの試験官の後ろをとぼとぼと俯いて歩く。そこに聞き慣れた声がかかった。
「え、あれ。どうして君がここにいるの」
「し、師匠……!?」
きょとんとした様子で、赤毛の魔王が革張りの椅子から首だけ振り向いてルビーを見ていた。そうだ。イルダがここにいるのだから、ブレスがここに居てもおかしくはない。
首の皮が一枚繋がったような気分で、ルビーはブレスに駆け寄ろうし、しかしイルダに首根っこを押さえられた。衣服に擬態していたプーカが『痛い!』と抗議の声を上げる。
「服が喋った……?」
不可解そうな疑念の声を上げる試験官。ルビーの頭上で、状況を察したらしいイルダの下瞼がぴくりとひきつる。
努めてそちらを見ないように視線を正面に固定する。―なにやら話し合いをしていたらしいブレスと学長が、意味ありげに視線を交わした。
「ええ。では、ひとまず彼の話を先に聞きましょうか」
学長の一言によって招かれた試験官は、そうして演習場での出来事を詳細にずらずらと並び立てた。
幸いだったのは、炎が結界内に充満したあたりで丸焼きになることを危惧した彼が、爆発の手前で退却していたことだ。爆発の水蒸気が晴れた後、何事もなかったかのようにこの娘はただそこにいた、と彼は語った。
その言い様のおかげでなんだか化け物にでもなったような気分になったルビーであるが、ともかく、素っ裸を公衆の面前に晒さずに済んだことが判ったことは僥倖であった。
かくして彼は告げたのである。
学長と彼を隔てる机を叩きながら「死人が出ます」と。
「困ります。こういった特殊な受験者がいるならば、事前に知らせておいて下さらなければ」
「ですから言ったではありませんか。受験番号00666の実技試験は、念のため初番で行うことを推奨致します、と」
「おのれ狐、貴様だったのか!! おかげでどれだけわたしが、むぐぅ!?」
不意打ちで不愉快な根回しを知る羽目となり、怨念のままに恨み言を吐き出したルビーの口を背後から伸びた皮手袋が強引に封じた。背後を鬼の秘書官に取られていたことを思いだした。
恐る恐る首を仰け反らせて顔色を伺えば、世にも恐ろしい氷点下の青い目が言葉よりも雄弁に彼の意を物語っている。それ以上余計な口を叩けば即刻手を下す、と。
(見なければよかった……)
久しぶりの秘書官の皮手袋の味。そうだった、最初の頃はよくこれを口に突っ込まれて黙らされていたっけ。なんと懐かしいことだろう。
背後で立ち上る怒気から現実逃避すべく過去を見つめるルビーを余所に、試験官は口論を再開する。
「念のため? そんななま易しいレベルではありません。明らかにこの生徒は危険です。傀儡に幻を着せたものだったとは言え、あのナックラヴィーを素手で殴り飛ばしたのですよ!? その上粉々に破壊した……あり得ない」
「おや、壊されてしまったのですか。では本日の実技試験は取りやめに?」
「……止む負えません。本部から予備の機体が送られてくるまでは……傀儡の損害賠償はきっちり支払って頂きますからね。国家予算から研究費をつぎ込んだ末にようやく完成した大変貴重な品です。金鉱山でも掘り当てない限り、個人ではとうてい賄えませんよ」
「ふむ……」
脅しと恨みの混じったその言葉を聞き、学長はくるりとルビーへ首を向けた。満面の笑みを浮かべている。
「だそうですよ。返済、頑張ってくださいね」
「む、むぐぅっ!?」
どういうわけだか突然山のような借金ができた。
──解せぬ、馬鹿な、訳がわからない。わたしはただ、試験を受けただけなのに!
貯金も無ければ稼ぎもないルビーが、そんな大金を払えるはずもない。
衝撃のあまり赤目を剥いて愕然とした後、どうにかこうにか言い逃れをしようともがいたが、イルダの皮手袋は相変わらず噛まされたまま。背後の男は動かざること岩の如しである。
「ファントム……これは、学園側の過失でしょう。こんな年端もいかない子供に押し付けるようなものでは……」
表情は伺えないが、声から察するに試験官は頭の痛そうな顔をしているに違いない。どうやら常識人であったらしい男の苦虫を噛み潰したかのような声を聞き、ルビーは全力で、可能な限り激しく首を上下に振った。
革手袋を咬まされ言葉を封じられようと、意思表示くらいはしておかなければ流される一方である。このままでは魔術師になるどころか、奴隷として東大陸に売り飛ばされないとも限らない。
──東の人身売買業者には、魔術師は人気商品なんだ。
旅に出る前にブレスから聞かされた話が頭を過ぎる。生命の危機である。
(というか師匠は助けてくれないんですか!?)
相変わらず革張りのソファに腰を落ち着けているブレスへ血走った横目を走らせれば、魔道の師はうつらうつらと舟を漕いでいた。
仕事に追われてお疲れであることは解っているが、せめて話くらいは聞いていてもらえないだろうか。
「むー! むむー! うむむー!!」
ねえー、師匠ー、起きてー。お願いですから、と続けようとしたルビーの努力が通じたのかは定かではないが、イルダはため息を吐きながら黒手袋の猿轡をといた。
ルビーは即座に魔道の師の元へと駆け寄って襟首を掴む。
「師匠、師匠、助けてください、弟子が巨額の借金を押し付けられそうになっています、そこの狐野郎は血も涙もない拝金ゲス野郎なのです、学長のくせに、教育者のくせに」
「わあー……わかったから、がくがく揺さぶるのはやめてくれ、目が回る……聞くから、ちゃんと……」
緊張感の欠片もないブレスと、彼を師匠と呼びながら敬意の欠片もないルビーのやり取りを前に、イルダは「よさないか!」と慌てて止めにかかり、学長はにやにやと面白がっている。
常識人であるらしい試験官はといえば、頭痛が重症化した様子でこめかみを押さえ、それでもなんとか我を保った。実に職務に忠実な男だ。その姿勢は賞賛に値する。
「貴方が、その生徒の後見人ですか」
「後見人……ええ、まあ。法的な繋がりはありませんが、そう捉えて頂いて結構です。この子と私は師弟の契約を交わしているので」
眠気を引きずった顔のまま眉間をごりごりと揉みほぐし、ブレスはようやく試験官へと顔を向ける。
「それで……賠償と仰いましたが、実際のところ、問題はお金のことだけではありませんよね。そのあたりは私のほうから上へ口添えしておきますので、どうぞご心配なく」
「はあ、それはどうも……ではなくて!」
うっかり丸め込まれかけた試験官は、一声あげると勢いよく机を叩く。これで三度めである。
「だいたい貴方はどこのどなたなんです! 国家予算規模の賠償金をさらっと出せる資産家だとでも!?」
「えー……と」
資産家ではない。異国の王弟である。ぐるり、と困ったようにブレスの目が天井へ向けて泳いだ。もっとも、その表情には面倒臭そうな色合いが多分に含まれている。
やれやれとばかりにひとつため息を吐き、とにかく、と気を取り直すようにしてブレスは試験官へ向き直った。
「ひとまず、その件は私とファントムで対応しますから。そんなことより試験官殿、その子をこんなところへ連れてきたからには、本題があるのではありませんか」
そんなこと──と一時は絶句したものの、試験官は思い出した。
学長やら赤毛の娘やらのふざけた態度に気を取られてすっかり逆上してしまったが、学長室を訪ねたのは損害賠償を請求するためではない。
「そう……そうですね。私はこの生徒の今後の処遇と処分について議論の必要性があると判断し、参りました」
「処分、とは?」
「先ほども申し上げました通り、彼女は危険すぎる」
気怠げに話を聞いていたブレスの目がわずかに細められる。
試験官は、彼の眼底で揺らぐ不穏な光を見ていっとき気迫に呑まれたかのように唇を閉ざした。
しかし「それで?」と続きを促すブレスの声音は、あくまで冷静だ。
「……私は、此度の試験においてこの地区の責任者に任命されています。責任があるのです。故に、彼女の存在を見過ごすわけにはいかない。彼女は危険因子だ。試験官、いえ、魔道官として、彼女はシーラの特殊施設に保護及び収容し、特別監視下に置くべきであると考えます」
「え……それ、それはつまり、わたしは閉じこめられる……!」
冗談じゃない、と割り込んだルビーの口を、またしてもイルダが塞ぐ。しかし今回ばかりはおとなしくしてはいられない。
暴れ、もがき、己を押さえつける腕に爪をたてるルビーを、ブレスは若緑色の双眸でちらりと見た。
「……!」
普段は穏やかに凪いでいる彼の目が、やけに冷え切って見えたのは気のせいだろうか。
「そうかも知れませんね」
耳を疑うような言葉に、ルビーは茫然と両眼を見開いた。
自分は今、見捨てられようとしているのか?
「だが、考え方が逆だ」
「…………?」
ルビーと試験官の両名に疑念の色が浮かぶ。
ブレスは形のよい唇に仄かな苦笑を滲ませて、シャツの襟元、胸のあたりにしまい込まれていた黒い石のペンダントを取り出して見せた。
魔術師の証、古代王アリエスの石だ。黒い石を手のひらに弄びながら、ブレスは続ける。




