49話 優しい想い出
ヴィスタを出た一行は、隣国との国境である山を登っていた。幸い山道は開かれており、草木に道が侵食されないよう不揃いながら石畳が敷かれている。
その山道をのんびりと、二角獣に乗って三人は進んでいた。
冬を作りし神であるカナンは、各地で詐欺を働いている疑惑の姉である秋女神サハナドールを探しに出たため、不在である。
山をひとつ越えればそこは中央三大王国がひとつ、カルパント王国の領土。
広大なカルパント王国を超えたところに位置する都市が、ルビーがかつて学んでいた学園都市エルシオンだ。
なんでもエルシオンはもともとカルパントの領土であったらしいが、当時の領主にして全ての学者たちの庇護者、オルカーン・アルベルト・サッジョなる人物が、その手腕をもって自治権をもぎ取り、現在の学園都市の礎を築き上げたのだとか。
そんな歴史の授業を二角獣の上で聞かされながら、ルビーは実のところ気もそぞろであった。
理由は多々あるが、まず何よりも秋に控えている魔術師国家試験に対する不安と焦りが大きい。
──呑気に歴史の話などしていないで、魔術の精度を上げるために実技訓練をすべきなのではないだろうか。
それに、とルビーは二角獣シェイドに積んだ己の布鞄をちらりと振り返った。
鞄ははち切れそうにパンパン膨らんでいる。きっとそのうち、茹で過ぎた腸詰肉のようにばちんとはじけてしまうに違いない。
鞄の中には背が伸びたことによって着られなくなってしまった服と、新しく揃えた服と、他所行き用のドレスが詰め込まれている。
「……ぐぬぬ」
ルビーは眉間を寄せて唸った。服を捨てることは出来ない。しかしこのままではもう、鞄には何もしまうことも出来ない。
アリスの日記帳だって町を出て以来ずっと抱えたままである。雨にでも降られたら、大変困ったことになってしまう。
「日が傾いてきたな。この辺りで野営しようか」
前方を進んでいたブレスが振り向いて二角獣を止めたことにより、それぞれが荷を下ろして火と食事の支度を始める。
ルビーも彼らを手伝いながら、町で貰ってきた新鮮な鶏肉の包みを開くが、どうも鞄が気になって作業の手が捗らない。
(道中で突然鞄が破けて荷物があふれてしまったら困る……)
既にすべきことをいくつも抱えているのに、またひとつ問題が増えてしまった。
そちらに気を取られて気が散っていたルビーは、やや離れた場所で猫妖精ミシェリーの長毛にブラシをかけているブレスの目が自分に向いていることになど、ちっとも気がついていなかった。
食事を済ませ、みなが思い思いの時を過ごしていると、ブレスがルビーを呼んだ。
彼は周辺で一番古い木に背を預けて座っていて、懐には黒猫を抱いている。
「なんでしょうか、師匠」
「うん。どうしたのかな、と思って」
見下ろすのもなんだか落ち着かずに、その場で膝をついてブレスの鎖骨の辺りを眺めていると、そんなあやふやな答えが戻る。
どういうことかと視線を上げれば、彼は「心配事があるんじゃない?」といつも通りの落ち着いた声音で問いかけてきた。
「それは……もちろんあるのです。本当にわたしの片割れと会えるのかとか、師匠が勝手に決めてしまった秋の試験のこととか、それから」
「それから?」
「……鞄が壊れそうで」
観念して白状すると、ブレスは幾度か目を瞬き、ああ、と呟く。
「捨てられないものがたまっているのか」
「はい。もう使い道のないものになってしまって。旅の道中ですし、持ち物は少ない方がいいことは解っているのですが……大切なものなのでどうしたものかと」
「そう。それが何か、聞いても構わない?」
「あの、笑わないでくださいね。村を出てからエルシオンに向かう途中に、エチカとウォルフに買ってもらったお洋服です」
「……うん。そっか」
目元を和らげて、ブレスはほのかに微笑した。
彼は立ち上がると、自分の背嚢から皮袋を取り出して戻ってくる。
「ルビーはそれをとっておきたいのだよね。もう着る事が出来ないのなら、その服でなにか別のものを作ったらいいんじゃないかな」
「別のものですか?」
「うん。例えばそうだなぁ、貴重品を入れておくための巾着とか、ハンカチとか、あとは……ああ、ウエストポーチの裏地にするとか。裏地にすれば汚れないし、ポーチを開ければいつでも君の大切なものを覗き込めるだろう。もし……その、服にハサミを入れるのが嫌でなければの話だけど」
ブレスはそう言って、皮袋からよく手入れされたハサミと針と糸を取り出した。
「……師匠、お裁縫道具を持っているのですね。男のひとなのに」
「うん。一応魔術具作りが本職だからね、手先は器用なんだ。民間の人には、印を刺繍したハンカチとかがよく売れたりするし。それに服のほつれくらい自分でなおせるようにならないと、旅人なんかやってられないから」
なるほど、とルビーは頷いた。魔術師が魔力で印を描けばそれは魔術にあたるが、刺繍や木彫りなどで印を描けばそれはまじないである。
気休め程度のお守りだけれど、正確に印を描けばそれが微精霊たちの目に止まって、気まぐれに持ち主を護ってくれる事もあるのだ。
印は精霊に意図を伝える手段だから。
「ほら、こんな感じ」
師の手元を見れば、早速ちくちくと縫い物をしていたらしい。まっさらなハンカチに〈呪い返し〉の印が刺繍されている。手早い。
「売り物にするにはこれだと味気ないから、草花とか鳥とかを刺したりする。ルビーが縫い物をするのだったら手伝うよ」
「……手伝うというか、あの……やった事がないので……」
服を小物に作り替えて残しておくことには賛成だが、ハサミを渡されたところでどこをどう切っていいのかすらわからない。
母は幼くして死んでしまって教えてもらうことが出来なかったし、その後は着の身着のままの山暮らしである。お裁縫など無縁であった。
ブレスは一瞬だけ「しまった」という顔をして、わずかに眉を顰める。
「ごめん、無神経だった。傷つけるつもりは……いや……言い訳になってしまうな」
なにやらひとりで勝手に反省を始めてしまったブレスであるが、ルビーはそんな昔のことをいちいち気にしたりなどしない。
「それで、お裁縫ってどうやるのですか? 何が作れるのでしょうか」
けろりとハサミを構えるルビーを暫し眺め、ブレスは苦笑を浮かべた。
「君は強いな。じゃあ最初だから、裁断は私がやるね」
ハサミはブレスの手に渡り、「まずは簡単な巾着袋でも作ろうか」と穏やかに微笑む。
ルビーは着られなくなってしまった洋服を次々に引っ張り出しながら、困りごとを素直に言ってみて良かった、と安堵した。
こうして着られなくなった洋服は次々と作り替えられていった。袖は巾着袋に、胸や背中の部分は手さげ袋に、残りはハンカチや髪を結ぶリボンになった。
ハギレ布を寄せ集めてコサージュにしてしまった時は、ルビーも目を丸くした。
ボタンを布で包み芯にして、ひだを寄せた布を幾重にも巻いて花びらを作る。裏側を整えてピンを縫い付ければ、カラフルな花のコサージュの出来上がり。
ブレスの手つきがあまりにも滑らかで一片の迷いもなかったので、ルビーはハンカチを縫う手も止めて作業に見入ってしまった。さすが、魔道具作りが本職なだけはある。
コサージュはルビーの旅の布鞄を飾った。くるみボタンの芯には小さな色付き石のビーズが縫い付けられていて、きらきらと光を反射する。
なんだか突然女の子になったような気がした。
「……かわいい」
「そう。気に入ってくれて良かった。今日はもう遅いし、この辺りでやめておこうか。続きはまた今度」
嵩張っていた洋服は最後の一着を残して裁断し、布となった。
残ったそれらをくるくると丸めて鞄にしまいながら、ルビーは一番お気に入りのオリーブグリーンのチュニックを見つめる。
(このお洋服にハサミを入れるのは躊躇われる。でも……)
目を瞑り、ルビーは想い出を巡った。この服はエチカとウォルフからもらった、彼らの優しさの象徴だった。
お守りのようなものだ。着れば、彼女たちに守られているような気がした。
「……でも、わたしはもう大丈夫なのです。エチカ」
ルビーは最後に一度だけオリーブグリーンのチュニックを胸に抱き、頬を寄せた。ハサミを入れ、ボタンを外し、丁寧に畳んで鞄にしまう。
この布は取っておこう。いつか裁縫が上達して、ルビーだけの手で綺麗な作品を作れるようになるまで、たくさん練習をしよう。
またやる事が増えてしまったけれど、今度はどういうわけか負担には感じない。
それは寧ろ、行手に待ち受けるたくさんの物事へ向き合うための勇気を、ルビーに与えてくれたような気がした。
切れ端や擦り切れた布地を火蜥蜴キューティーちゃんの火力で消し炭にしたことによって、ルビーの鞄には幾らかの余裕ができた。
翌朝、隙間にアリスの日記帳をしまいながら、ルビーは暁の空を見上げて目を細める。
出会ってからひと月程度の間にすっかり朝型の生活リズムを取り戻したラケルタが、あくびを噛み殺しながら隣に立った。
彼はおはようと声をかけるつもりでルビーを見下ろし、その横顔にぽかんと口を開ける。
「お前、いま笑ってた?」
「むむ。わたしだって笑うくらいするのです。笑顔は習得済みである」
「……いや違う、ソレじゃない。そういうんじゃなくて」
練習した対人用の笑顔を顔面に貼り付けると、ラケルタは一歩下がって顔を引き攣らせ、目を逸らした。
不可解な反応ではあったが、どうでもいい。今朝のルビーはすこぶる機嫌が良いのだから。
「さて、朝ご飯の魚でもとりに行きましょうか。ラケルタ」
「ああ」
水桶を抱え、おとうと弟子を引っ張って、ルビーは川に出かけた。
今日も一日、山歩きだ。




