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32話 こんにちはストーカー



 町を出、のんびりと馬に揺られること三日目。今度の目的地は少々遠いようである。

 町を過ぎ、ふたつの村を通過して、一行は田舎道を馬で進む。

 魔術師としての暮らし方や魔術具の使い方などをブレスに聞かせてもらいながら、ルビーは栃栗毛の二角獣シェイドの上でノートを取る。

 

 シェイドは良い馬だ。揺らさないし、特に指示せずともブレスの後ろを着いていく。

 ルイは道中の授業をする師弟のぶんまで、周辺を警戒して追従している。

 前方のカナリアと後方のルイ。この二者がいる限り、襲撃者は近づけもしないだろう。

 

(……が、しかし)

 

 町を出て以来、ルイの視線が何度か背後に向くことに、ルビーは気づいていた。

 そしてその青い目が何を捉えているのかも、把握済みである。

 

(奴には今夜あたり、話を着けなければなるまい)

 

 ブレスの教えにふむふむと頷きつつ、ついでに影の中のキューティーちゃんの食の好みを思念で訊ねながら、ルビーは進む。

 順調な道行である。

 

 

 

 やがて日が傾き始めた頃に足を止め、野営の支度を始めた頃合いを見計らって、ルビーは刺客をとき放った。

 数秒後にフギャアという聞き慣れた悲鳴が上がり、薪木を組んでいたブレスが不思議そうに顔を上げる。

 そんな師の隣で、冷笑を浮かべる娘がいる。

 ルビーである。

 

「たやすい」

「……お前……」

 

 うんざり顔で振り返ったルイと、退屈そうな無表情のカナンと、そんな一同を見回して「なに?」と首を傾げているブレス。

 どうやら状況が飲み込めていないのは、師のみのご様子だ。

 そんなブレスも、のしのしと現れたワニ……ではなく、火蜥蜴サラマンダーのキューティーちゃんが咥えて持ってきたものを見、ひくりと顔を引き攣らせた。

 ラケルタであった。

 

「ごきげんよう、トカゲ野郎。貴様はストーカーですか?」

「てめぇ、事もあろうに俺のキューティーちゃんを使ってこんな真似をさせるたぁ、どんな神経してやがる!」

「貴様のキューティーちゃんではない。わたしのキューティーちゃんです。残念でした」

「なんだとこのクソガキが!」

 

 ストンとしゃがみ、火蜥蜴に胴を咥えられたまま怒鳴る無力なラケルタを覗き込み、ルビーはにへらと舐めた笑みを浮かべた。

 ラケルタは顔を真っ赤にして罵詈雑言を並べ立てたが、なにしろ蜥蜴に咥えられているので全く様にならない。

 

「き、君たち、その辺で止めておいた方が……」

「嘆かわしい。行儀作法以前の問題だ」

「そういえば師匠、ひとつめの課題を終えればお行儀についてわかると仄めかしていましたが、あれは結局なんだったのですか?」

 

 色々あってすっかり忘れていたが、得るものが無ければ課題を出された意味がない。

 振り向いて問いかけると、ラケルタの下品な単語の羅列に引いていたブレスが、我に返って頷きながら指を払った。

 

「後で教えてあげるから、とりあえず彼を放してあげてくれ。危ない」

「キューティーちゃんはいい子なのです。今となっては無駄に火を吹いたりしません──が、師匠の言うことには従うのであった。なぜならばわたしもいい子だから」

「あ、ああそう……」

 

 ルビーはおや? と首を傾げた。この師の「ああそう」は思考を放棄した時の口癖である。

 まあいいか。

 とりあえず命令に従おう。

 ルビーはキューティーちゃんの眉間を撫でつつ、「ぺっしなさい」と要求する。いい子の火蜥蜴は素直に従い、咥えていたものをベチャッと吐き捨てる。

 

「師匠の温情に感謝するように」

「あんたサマもよぉ、コレの師匠なんだったら首輪つけてちゃんと繋いどけよ!」

 

 必死の形相で喚き散らすラケルタの薄黄色い目は、ルビーを通り越してブレスに向けられている。

 気まずそうに首筋を撫でたブレスは、まあとりあえず座って、と濡らして絞った布を渡しつつ薪のそばの岩を指した。

 

「君、どうして着いてきたの?」

 



 ルビーが狩に出かけている間に、ブレスが話を聞くことになった。つまるところ狩に出ろと命じられて追い出されたわけだが、そんなことで気の挫けるルビーではない。

 既に薄暗いが夜目は効く。

 耳を澄まし、空気を嗅ぎ、音を消して歩く。

 そよ風を操って風下に立ち、微かな息遣いに向けて手のひらを向ける。

 〈錬成〉の印から放たれた矢が、風に乗って猪の肺を貫通した。

 ふう、と息を吐き、歩み寄って確かめると、そこそこ食いでがありそうだ。

 

「〈錬成〉の印は便利だ」

 

 弓を持ち歩かなくても、いつでも狩りができる。狩が出来るということは、肉が食べられるということである。

 

「……食欲に負けて無駄に命を摘まないよう、気をつけなければ」

 

 血抜きは生きているうちにやらなければいけない。

 猪を縄で括り、火蜥蜴に縄を引いてもらって木に吊るし、喉を切り裂いて毛皮を剥ぐ。

 血の匂いを嗅いで集まってきた他の獣たちを睨みつけて抑えながら、ルビーは解体した猪肉を食べる分だけ剥ぎ取った。

 

「残りはお前たちがお食べ」

 

 ほどいた縄を回収し、暗闇に光る数々の目に告げる。途端に始まった食糧争奪戦の音を背中で聞きながら、ルビーは獣たちの領域から立ち去った。

 戻るなり、ブレスは目を見張って「血まみれじゃないか」と立ち上がった。

 剥ぎ取った肉を詰めた袋を放り投げながら、ルビーは淡々と事実を述べる。


「返り血です」

「えっ……」

「猪肉はお好きですか? 本当は秋以降のほうが美味なのですが」

「ああ、秋はどんぐりとか食べて味が良くなるよね……じゃなくて、イノシシ? ひとりで仕留めて解体したの? 君が?」

「慣れているのです」

「……ああそう」

 

 本日二度めの「ああそう」が出た。ちょっと遠い目をしている師匠の隣で、ルイはといえばもはや無言の無反応である。

 ルイは従者であるが故に、振り回されることに慣れていた。彼の適応能力は伊達ではない。

 

「ええと……とりあえず、水浴びをしておいで。向こうに小川があったから」

「はい、師匠」

「その後で、ラケルタ君の用件について相談がある」

「せっかくのご飯が不味くなりませんか?」

「さっさと行け」

 

 ぎろりとルイに睨まれて、ルビーは仕方なく命令に従った。師匠であるブレスはお人好しなので不服を訴えても相手をしてくれるが、ルイは違う。

 常に最も着実な道を選び取るルイは、己の選択に迷いを持たないが故に他者の無意味な言葉に関心を示さないのである。

 

(本当に正反対のくせに、不思議とバランスが取れているふたりだ。けれど、秘書官はどうして……)

 

 師はひとりでは生きていけないけれど、ルイは生きていける。むしろひとりの方が、上がっていけるのではないだろうか。

 

(従者なんて役不足だ。秘書官は、人の上に立てる人なのに)

 

 どうしてそうしないのか。

 小川で血を洗い流しながら考え続けたが、答えはさっぱり解らなかった。情報が足りないのだろう。

 着替えを忘れたので水洗いした服を再び纏い、風を浴びて乾かしながら戻る。

 人影が囲む焚き火の中では、火の微精霊たちがぱちぱちと飛び回って遊んでいた。

 

 ちょっと手伝って、と思念で呼びかけると、一瞬だけ大きく伸び上がった炎が風と混じりあって乾いた暖風となり、ルビーに纒わり付いた。

 あっという間に衣服の水気が飛び、これでよしと歩み寄ると、ブレスの目がじっとルビーを捉えている。


「師匠? なにか……」

「いや。ただ、君には当たり前に見えているのだなと思って」

「見えるって、何がだよ」

 

 口を挟んできたラケルタを無視しつつ、言葉の意味を考える。

 恐らく微精霊たちのことを言ったのだろう。そして、指摘したからには、彼にも同じものが見えている。

 ラケルタには見えない。

 ルイはどうかと視線を向けると、彼は黙々と生肉に串を通して塩をまぶす作業に徹している。

 

(秘書官にも、見えない……?)

 

「ねえ水鏡すいきょう、ローズマリー持ってない? 胡椒とか唐辛子とかでもいいんだけど」

「ああ、それなら荷の中に……」

 

 考えているうちにブレスの関心は移り、話題は調味料へと変わった。

 炙られた肉から芳ばしい香りが漂ってきたあたりでルビーの思考も肉で埋め尽くされてしまった。


 猪肉は豚よりも味が濃厚で、旨味があり、脂は甘い。

 腿肉を豪快にあぶり焼きにして齧り付きたいところだが、そんなことをしていたら火が通るまで時間がかかってしまうので、平べったく削ぐように切り落とし、波縫いをする様に串刺しにする。

 塩味の腿肉はご馳走だった。

 かみごたえがあり、味わい深く、それでいてしつこくもなく──……。

 

「それでね、ラケルタ君のことなんだけど」

 

 肉が美味しすぎてトカゲ野郎のことを忘れていた。至福の時間に現実が割り込んでくるだなんて、許し難いことだ。

 図々しくもルビーが狩った猪肉の炙り焼きを食べていたラケルタは、指に垂れた脂を舐めつつ、薄黄色い目でルビーを睨む。


「キューティーちゃんを返せ。それで尾行してきた」


 返せもなにもないだろう。

 口いっぱいの猪肉をごくんと飲み込んで、ルビーはラケルタを睨み返しつつブレスに言葉を向ける。


「師匠、トカゲ野郎が駄々を捏ねているのです。返したところで制御出来ないくせに」

「うん、まあそうなんだけど。君が火蜥蜴をラケルタ君から横取りしちゃったのも、事実だし」

「そーだそーだ!」

「全財産かけて買った火蜥蜴まで取られちゃったら、追いかけたくなる気持ちもわかるというか」


 師匠のお人好しが発動している。


「ですが、キューティーちゃんは自らわたしを選んだのです。貴様は捨てられ……なんですか、キューティーちゃん」


 焚き火が作り出したルビーの影から、深紅の爬虫類の目がぱちくりと覗いていた。

 元ご主人様と現ご主人様を広い視界におさめ、キューティーちゃんは思念を伝えてくる。


「……こんなアタシを可愛いって言ってくれたアナタの事は好きだけど、アナタの魔力ではアタシを養えない。アタシの幸せを考えてくれるなら、アタシのことは諦めて。だそうですよ、トカゲ野郎」

「待って君、そんな正確に火蜥蜴の考えている事がわかるの?」


 キューティーちゃんの言い分を通訳すると、ブレスは驚いて顔を上げ、ラケルタは「世知辛ぇ」と嘆き、ルイは「魔物の雌も人間の女も変わらぬな」と呟いた。


「思念が繋がっているのですから、そんなものなのでは?」

「いくら思念が通じていたって、火蜥蜴は火蜥蜴の言葉でものを考えるだろう。君がやっていることは初めて聞いた外国語を、学んでもいないのに理解しているようなものだ」

「鳩と話をするような娘だぞ。今更……」

「そりゃそうなんだけど」


 肉の残りを〈冷却〉の印が描かれた布で包みながら、ルイが呆れ声で呟く。

 気がかりそうに辺りを見回したブレスは、あれ、と首を傾げた。


「また先生がいない。訊こうと思ったのに」


 もぐもぐと肉を咀嚼しつつ、ルビーはブレスを観察する。先生ことカナンは、実のところだいぶ前から居なかった。

 焚き火の微精霊は見えるのに、冬の神様がいなくなったことには気づかないなんて、この師匠の感性が解らない。

 ルビーの生ぬるい目に気づいたルイが、無言のまま黙れと圧力をかけてくる。


(解っています、秘書官)


 アイコンタクトで意思疎通を済ませ、ルビーはちらりと斜め向かい側のラケルタを見やる。

 キューティーちゃんに振られてしまったラケルタは、この世の終わりのごとく打ちひしがれていたが、やがてばっと顔を上げるとやけっぱちになって叫んだ。


「俺も男だ、このままじゃ引っ込みがつかねえ! おいチビ、俺と実践で決闘しやがれ! 勝った方がキューティーちゃんのご主人様だ!」


 チビではない。どうせ主人になり得ないくせに、何を言っているのか。

 だがしかし、ルビーはそれらの正論を薄笑いの下に隠して頷いた。言い負かすよりも叩きのめす方が楽しいに決まっている。


「受けて立ちます。キューティーちゃんは渡さない」

「あのねぇ君たち、勝手に話を進めないでくれる……?」


 置いてけぼりを食らっている魔道の師匠が視界の端、途方に暮れた様子でぽつりと言った。




次回、ルビーvsラケルタ。

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