3話 馬上の旅とお洋服
一同は二角獣でのんびりと二日進み、隣の村までたどり着いた。やって来たからといって、別に寄り道をするわけでもない。
通りがかりの人々から食べきれないぶんの野菜を分けてもらったり、野生の玉ねぎやら香草やらを摘んで、その日の食事を賄いながら旅は進んでいく。
旅人の積み荷は限られている。食事にありつけるかは、知識や交渉にかかっていると彼らは言う。ルビーは道中、エチカから魔術師の習慣や生き方を聞いて学んでいる。
「私たちは石の壁の中に長く留まることは出来ないの。そうするとね、力を失ってしまうから」
「じゃあ、ずっと野宿?」
「そんなことないわ。家を持っている人はたくさんいる。旅に出る人も多いけれどね。とにかく、毎日外に出て、風や光を浴びて、川とか海とかの生きた水や大地に触れて、そうして力を蓄えるの。そうしないと枯れてしまうから。月光浴なんかもいいわね」
「それって、普通に生活していれば大丈夫ってことじゃないの?」
「エチカ、食制限のことを忘れているよ」
首を傾げたルビーを振り向き、先頭を二角獣で進むウォルフが言う。
ああ、と頷き、エチカはちょっと苦笑した。
「慣れきっていたせいで忘れていたわ」
「……食べちゃだめなの?」
お腹が空くのは悲しい。冬は食べるものが無くて本当に大変だった。
飢え死にだけはしたくないな、とルビーは思っている。
「食べちゃだめなものがあるのよ。精製されたもの……ええと、例えば」
「白いパンとか、砂糖とか、酒とかかな。若ければ若いほど、縛りは厳しい。嗜好品は大抵禁止」
「ウォルフ、ルビーは未成年でしょ」
呆れたふうにエチカは笑う。
「白いパン、食べたことない」
「そう、良かった。……良かったのかしら?」
「魔術師になるんだったら、良かったんじゃないのか」
「そうなんだけど……この子の場合はそういうのじゃないし」
白いパンどころか黒いパンさえここ二年は食べていない。それを言うとエチカはきっと困った顔をするだろう。
ルビーは黙ってきれいな二角獣のたてがみをいじる。
「後はそうね……形式上の習慣だけど、肉や魚は基本的に自分で屠ったものしか食べないわ。だからこんな旅道中でも、干し肉なんかは滅多に食べない。よほど飢えたときだけ」
「……どこが食制限?」
山で獣と共に暮らしていたルビーにとってはどれもこれも当たり前のことだった。
心底から不思議に思ってエチカを振り向くと、ああ、とうめき声をあげ彼女はぎゅうとルビーを抱え込む。
「美味しいものをたくさん食べさせてあげたい」
「エチカが作ってくれるスープ、美味しい」
「……ねえルビー、うちの子になる?」
「こら、エチカ」
つむじの辺りで聞こえた声に、ウォルフが振り向いて苦笑する。
「気持ちは解るが、学長の審問もまだなのに、勝手に決めるわけにはいかないだろう」
「そうね、そうよね……」
なんとも残念そうなエチカの声を、ルビーは「不思議」と「くすぐったい」と「残念」が混ぜこぜになった気持ちで聞いていた。
うちの子。エチカのうちの子。
きっと、居心地がいいことだろう。
「……羨ましい」
こぼれた本音を聞いたエチカは「ん?」と優しい声で聞き返した。
「エチカの子供、幸せだと思う」
「あらまあ。そうなったらいいけれどね。何十年先になることやら」
その言葉を聞いて、ルビーは思い出した。
魔術師は石の壁の中にずっとは暮らせない。子供を産んでもつきっきりで育てることは出来ない。
魔術師として生き続ける限り、そんな当たり前の形の家庭は築けない。
「ま、私もいつかは欲しいとは思っているわ。育てられたら幸せだと思う。でもきっと、それは私が魔術師をやめる時でしょうね。そう、だから私たちは弟子をとったりすることもある……子育てにはかわりないから」
仕事も物騒だしね、とぼやくエチカの声に、ウォルフが「だろうね」と同意する。
魔術師の夫婦の形は、少し変わっている。そんなことを考えながら、ふと引っかかった言葉がひとつ。
「何十年先って? エチカ、何歳?」
ふふ、と頭上で笑う声。
内緒よ、とエチカは言った。
半月ほど旅を続けると、村が町に変わっていった。
村と町の違いは途絶えないこと。町の隣には違う町があって、きちんと人が住んでいる。
村の隣は未開拓の土地が広がっていて、しばらく歩かなければ隣の村には辿り着けない。
「さて、この辺りで適当に服を買いましょうか」
そして町には店がある。露店もあるし、果物や野菜の並ぶ市場も開かれている。
肉が焼けて脂が溶け出す良い匂いが漂ってきて、ルビーは思わずごくんと喉を鳴らした。
(あ、でもだめだ)
自分で殺したものしか食べてはいけない。
匂いを嗅がないように息を止めていると、二角獣から降りたウォルフが露店で鶏の串焼きを買って持ってきた。
「うぐ……!?」
なんだか裏切られた気分がした。
「ほら、ルビー。食べなさい」
かと思えば、その串焼きの包みはルビーの手に渡った。
わけが分からずに固まっていると、ウォルフは市場から艶々の青林檎を買ってひとつをエチカに投げる。
ぱしんとそれを受け取ったエチカは、皮を適当に拭いて丸齧りした。
シャリシャリと果実を咀嚼して、滴る果汁を飲み込んだ彼女は、呆気に取られて見上げるルビーへ向けて首を傾ける。
「どうしたの? 冷めちゃうわよ」
「あ、でも、殺してないのに」
「あら、だって。ルビーはもっと食べなきゃだめ。良いのよ、まだ魔術の訓練も始まっていないのだから、今のうちにたくさんお肉とかお魚とか食べときなさい。身長伸びないわよ。あなたは歳の割に小さすぎる」
「!」
その一言を聞くなり鶏肉にかぶりついたルビーを見、ウォルフが目を丸くした。彼は吹き出して笑い、グシャグシャとルビーの頭を撫でる。
大きくて平べったくて温かい手をしていた。
エチカとウォルフが林檎を齧り、ルビーが脂の滴る鶏の串焼きを頬張る。
街中をそうして歩いているうちに、目的の店に到着したようである。そこは服屋だった。
「服、これじゃダメ?」
「うーん……外を出歩くにはあんまり向かないかしらね。家の中で着るんだったら良いけど」
いまのルビーはふくらはぎの丈の麻布のワンピースを着ている。
サイズがあっていなくて首周りが余っているけれど、山で暮らしていた時に巻いていた布切れよりはずっときれいだ、と思っていた。
ルビーがそう伝えると、エチカは少しばかり困った風に視線を上向かせる。
「スカートだとね、動きにくいのよ。飛んだりするし……だいたい皆、似たような格好をしているわ。黒い幅広のズボンに丈の長いチュニックかシャツを着て、専用の腰帯を締める。で、ブーツは皮製。資格をとって正式に魔術師になったら、その上からローブを羽織って、証のペンダントを首から下げるというわけ」
「ふうん」
とにかくいろいろと着込むらしい、ということだけは解った。
指についた鶏の脂を舐めていると、背後から手が回ってエチカが濡れたハンカチでルビーの手を拭いてくれた。彼女はいつも優しいようだ。
下馬し、二角獣を影にしまい込んだふたりについて歩きながら、ルビーは服屋に入った。
初めての服屋は古着屋だった。エチカが言うことには、庶民は安い布を買って自分で服を縫うか、古着屋で揃えるのが一般的だそうだ。
「庶民向けに量産している店もあるにはあるけど、出来の割に結構値が張るのよ。こういう古着は、貴族とか豪商……要するにお金持ちの人たちが職人に作らせたものが、下げ渡されて売られているものなの。だからちょっと古いけど、それなりに見栄えするのよね」
「見栄え、大事?」
「大事よ。信用に関わるもの」
よく解らないが、魔術師は信用を失うと仕事を貰えなくなるらしい。
「ま、そういうことは他の職業でも同じでしょうけど……他の職業よりも、実力と信用が結びついているかもしれないわ」
「どういう意味?」
「力があっても信用が無かったら二流だということ」
エチカはいくつか服を選び取ってルビーにあてがいながら、ちょっと大きいわね、と眉根を寄せる。
ルビーは小柄だった。十歳からほとんど身長が伸びていない。
十歳の子の服は着れるがそれだと子供すぎて、年相応の服を選べば今度はサイズが合わない。
唸るエチカの向こう側から、ウォルフが「あった!」と声を上げた。
「これなんかどうだろう」
と言って彼が掲げたのは、オリーブグリーンのシンプルなデザインのワンピースだった。
スカートじゃない、と眉間を寄せるエチカに、ウォルフはもう片方の手も上げる。幅広のズボンが握られている。
「ちょっと丈を詰めて、こっちのズボンを履いて、腰をベルトで締めればそれらしくなる」
「あら、悪くないわね。ルビーはどう?」
「わたし、なんでもいい」
「そ。じゃあとりあえず試着して……あとは靴とサッシュベルトと髪紐か」
「探してくるよ」
ウォルフは文句ひとつ言わずに朗らかにエチカを手伝う。
衣服を一揃い見繕うと、エチカとふたりで試着室に籠った。ひとりで正しく着られるものか、ルビーにはまるで自信がない。
オリーブグリーンのワンピースには綺麗なボタンがいくつもついていて、ちょっと面倒だなとルビーは思った。
それをてきぱきと留めて、少しばかり裾を折りたたんで布製のベルトを締め、伸ばしっぱなしの鉄錆色の髪を後頭部で結ぶ。
されるがままに全てを着ると、エチカはちょっと首を傾けてうふふと笑う。
「見て、ウォルフ」
試着室のカーテンを開けたエチカは、なぜか胸を張ってルビーの背中をポンと押した。
数着の子供服を腕に引っ掛けたウォルフは明るい茶色の目を見開いて、一歩後ずさった。
「本当にうちの子にしたいくらい可愛い」
「でしょう」
「目の強さが昔のエチカにそっくりじゃないか」
エチカが呆れたため息を吐いて首を振った。
「どうしようもない」と呟かれたその一言に、やっぱりむずむずとした気持ちになる。
オリーブグリーンのワンピースの丈を直してもらうのを待つ間、ウォルフが持ってきた動きやすそうなチュニックを着て待つ。
「あっちは他所行き。こっちは普段着ね」
「普段着は、見栄え、いらない?」
「普段着は好きなものを着ればいいのよ。若いうちはそれでいいの」
ルビーはふうんと頷いた。
その時、会計を済ませて戻ったウォルフが、エチカにひそひそと何事か耳打ちをした。いつもは穏やかに彼女を見つめる横顔に、ピンと緊張の糸が張っている。
ふうん、と頷いたエチカの目が、少々剣呑に細められた。
「ルビー」
呼ばれて顔を上げる。
表情は微笑んでいるけれど、獣と暮らしていたルビーには解る。
何か不愉快なことがあったらしい、と。
「この町にね、詐欺を繰り返す悪者の魔術師がいるんですって。今からその悪者を、やっつけにいくことにしたから」